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〈序章〉

02. ぽんこつメイド、聖女に扮する

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 私は今、ヴァナディスさんと共にザターナ様のお部屋にいる。

「旦那様から事情は聞きました。私があなたのサポートをします」
「はぁ。サポートって、何をするんですか?」
「私はお嬢様のお世話係よ。あの方のことは、この屋敷で誰よりもわかっているわ」
「なるほど!」

 そんな人が手伝ってくれるなら心強いわ。
 でも、さっきからヴァナディスさんの顔色が暗いわね……?

「……まさか、お嬢様が出奔なさるなんてね」
「よく自由がない自由がないって、おっしゃってましたからねぇ」
「あの方がそんな愚痴を?」
「はい。私と遊ぶ時はいつも」
「案外、あなたのことは気に入っていたのかもね」

 彼女の顔が、少し穏やかになった。

「……すぐに始めましょう」
「どうしてそんなに急いでるんです?」
「明日、ケノヴィー侯爵夫人が主催する舞踏会があるの。それにお嬢様が招待されているのよ」
「舞踏会ですかぁ」
「仮にも聖女であるお嬢様が、侯爵夫人からの招待を断るわけにはいかない。あなたには、是が非でも舞踏会までにお嬢様になってもらうわよ!」

 あら。一日しかないんだ。
 まぁでも……。

「ザターナ様とは付き合い長いですし、なんとかなりますよ」
「楽観的ね。あなた、外でのお嬢様の振る舞いを知らないでしょう」
「外?」
「あの方は器用でね。よそでは、清廉潔白で純真無垢、可憐で優美な淑女を演じてらしたのよ」

 へぇ~。
 すごいわね、まるで舞台女優みたい。

「そんなお嬢様になりきるのよ。たった一日の訓練では到底無理だから、何か作戦を考えないと」

 その時、部屋のドアがノックされた。

「メイド長、いらっしゃいますか? こちらだと聞いたのですが」
「……いるわ。ちょっとお待ちなさい」

 ヴァナディスさんは、とっさに私をクローゼットの中へと押し込んだ。
 そして――

「すぐに追い返すから、この中で静かにしていて」

 ――と言って、クローゼットの扉を閉めた。

「……用件は?」
「実は――」

 真っ暗の中、ヴァナディスさんとメイド同僚の子の話し声だけが聞こえてくる。

「なんですって!?」

 突然、ヴァナディスさんが驚きの声を上げた。
 何かあったのかしら?

「……わかりました。応接間へご案内して」

 会話が途切れて、ドアの閉まる音が聞こえた後。

「出てきなさい」

 私がクローゼットから出ると、ヴァナディスさんは何やら難しい顔をしていた。

「なんだったんです?」
「……大変なことになったわ」
「大変なこと?」
「ルーク様がご訪問になられたの」
「ルーク様って……ケノヴィー侯爵家のご子息のですか?」
「そうよ。お嬢様に約束の品を届けに来たって……」
「はぁ」
「はぁ、じゃないわ! 急いで服を着替えなさいっ」

 私は仕事着を無理やり脱がされて、ザターナ様のドレスに着せ替えられた。
 前髪はたくし上げられ、後ろ髪は頭頂部で結ばれてポニーテールに。
 ……でも、髪の色はどうするのかしら。

「いい? じっとしたまま、絶対に動いちゃダメよ!」

 私がじっとしていると、ヴァナディスさんが――

「ヨゲ・アメソニロ・インキヲノ・モノカ・ヨィレィ・セルドサカ・ツヲロイ!!」

 ――魔法の詠唱を始めた。

 この国では、魔法を使える人がわずかながら残っている。
 ヴァナディスさんもその一人で、簡単な生活魔法を使えるのだ。

 詠唱が終わってから、私は髪の毛が熱くなるのを感じた。
 化粧台の鏡を覗くと、黒かった髪が少しずつ金色に染まっていくのが見える。
 ……魔法ってすごい!

「金色になりましたね」
「一時的なものよ。私の力では、一時間もすれば解けてしまうわ」
「なら、急がないと」
「私が傍につくわ。できるだけしゃべらないで」
「でも、それって不自然では……」
「風邪気味ということにしましょう。ルーク様には、明日の舞踏会のために安静にしたいとお伝えして、早く帰ってもらうのよ」

 ルーク様、かぁ。
 以前、お屋敷を訪ねてきた時にチラッと見かけたことがあったわね。
 あの時はザターナ様と中庭の花壇を見て回っていたけど……。

「でも、約束の品って何かしら。舞踏会と関係が……?」

 それを聞いて、私はハッとした。
 お二人が中庭で会話していた時、ルーク様がドレスを届ける、と言っていたのを思い出したから。
 きっと彼は、ザターナ様に舞踏会で着るドレスをプレゼントするつもりなのね。

「……私に心当たりがあります」
「え?」
「大丈夫っ! 貴族の立ち振る舞いや会話のマナーなら旦那様から教えてもらってますし、なんとかなりますよ」
「あなたが大丈夫と言っても……心配だわ」


 ◇


 その後、ヴァナディスさんと会話の流れを打ち合わせして、応接間へ。
 私の中でザターナ様の外向きのイメージは固まっている。
 きっと完璧、たぶん大丈夫っ!

「お待たせしました」

 私は部屋に入るなり、ソファーに座っている殿方に歩み寄った。
 後ろからはヴァナディスさんもついてくる。

 ……それにしても歩きにくいなぁ。
 ザターナ様が普段着ているドレスは丈が長くて、私には違和感がすごい。
 うっかりつまづかないようにしなくちゃ。

「お忙しい中、わざわざわわわぁっ!!」

 ……言い終える前に、つまづいちゃった。
 このまま迫りくる床に私は顔面を打ちつけて――

「大丈夫かい? ザターナ嬢」

 ――しまうことはなかった。
 床に倒れる前に、私の体は誰か・・の腕に抱きかかえられていたのだ。

「あ、あの、ありがとう……ございます。ルーク様」
「間に合ってよかった。その美しい顔にアザができるのは心苦しい」
「はぁ」
「立てるかい?」

 ルーク様は、肩を抱きよせながら私を立たせてくれた。
 ……男の人に肩を抱かれたのって、初めて。

 ソファーに腰掛けた私は、対面に座る彼へと目を向けた。

 あらためて正面から見ると、ルーク様ってずいぶん端麗な顔をしてるのね。
 少し赤みがかった金色の髪に、海のような青い瞳。
 殿方に興味ない私から見ても、凛々しいお顔だとわかるわ。

 この時、ルーク様の後ろに細身の男性が立っていることに初めて気がついた。
 右目に眼帯をつけた、ルーク様と同じくらいの若者だわ。

「ソロとは初対面だったかな?」

 ルーク様が口にしたソロ・・というのは、後ろの男性のことかな。
 初めて耳にする名前だけど、ザターナ様とは面識あったのかしら?
 ……これは、どう答えるべきだろう。

「初対面と言って差し支えないかと。間近でお会いするのは初めてですから」

 私が答えあぐねていると、ソロさんの方から口を開いてくれた。

「ソロには、私の秘書をしてもらっていてね。外出する時は、いつもついてきてもらっている」
「ルーク様が道に迷われないよう、ご案内務めるのが私の役目ですから」
「はは、言ってくれるな! ……冗談だからね。笑ってやってくれ」

 ルーク様ったら、意外と気さくな方みたい。
 ソロさんも、さっきのは場を和ませるために言った冗談でしょうし。

「仲がよろしいのですね」
「幼馴染だからね」
「……」
「……」

 ……あ。会話が途切れてしまったわ。
 ザターナ様って、普段どんなテンポで話してるのかしら。

「ルーク様。実は、お嬢様は体調がよろしくありません」

 ヴァナディスさんが、ここでフォローしてくれた。

「どこかお加減が?」
「少々、風邪気味なのです。明日の舞踏会に差し支えるといけませんので、申し訳ないのですがそろそろ……」
「そうか。それはいけないな」

 ルーク様が指先を動かす仕草を見せた。
 何かと思っていると、ソロさんが手元に抱えていた箱を私へと差し出してくる。

 リボンが巻かれた大きな箱。
 ああ。これに例のドレスが入っているのね。

「……感激ですわ。約束通りドレスをいただけますのね」

 ふふ。ここですかさずアドリブ投入よ!
 私の記憶力も馬鹿にできないわね。

「いや。それはヒールだよ。……ドレスが欲しかったのかい?」

 あれぇー!?

 おかしいな……。
 たしかにドレスの話をしていたはずだけど。

「ドレスは十分だと聞いたから、ヒールにしたんだ。覚えてないかい?」
「……そ、そうでしたわね。ごめんなさい、こういった話は多くて」
「そうだろうな。他にも多くの男達が、きみの気を引こうとプレゼントを贈っているのは知っている」

 なんとか危機を凌いだわ。
 ルーク様以外にもお屋敷を訪ねてくる殿方はたくさんいたから、一か八か言ってみて正解だった。

「しかし、私以外の男からドレスを受け取ったとなれば、少々妬けるな」
「うっ。えぇと……それは……」

 ……まさか、そう切り返されるなんて。
 今、無理に取り繕うのは不自然ね。
 ここは助け船を期待したいところだけど……。

 チラリと後ろを見やると、ヴァナディスさんは顔を引きつらせて硬直していた。

 ……う~ん。
 ここはなんとか私が押し切るしかなさそう。

「ご安心ください。贈り物の価値で殿方を見誤るほど、私の目は節穴ではありませんわ」
「それは嬉しいね。しかし、贈り物と男の価値は一致することもある」
「と、言いますと?」
「開けてみてくれないか。きみが喜ぶ顔を見てから帰りたい」

 私は受け取った箱を開けてみた。
 すると、中には――

「あ。すごい……っ」

 ――ガラスのヒールが入っていた。

 こんなすごいもの、初めて見た。
 天井のランプから照る光を反射して、ヒール自体が煌めいている。

「舞踏会では、それを履いたきみの姿を見たい。もちろんダンスするのに不都合のないよう、かかとも短めにしてある」
「ありがとうございます、ルーク様!」

 演技ではなく、私は心からの笑顔を浮かべていた。
 だって、私がこんな素敵なヒールを履けるなんて夢みたいだもの。

「喜んでくれて嬉しいよ、ザターナ。明日はぜひ、私をダンスパートナーに選んでほしいな」

 そう言って、ルーク様は席を立った。

「その答えは明日のお楽しみに――」

 彼が去り際に見せた目に、私はなぜか既視感を抱いた。
 ……この目、前にもどこかで?

「――明日、またお会いしましょう」

 その後。
 お二人を玄関から見送った際、私は思い出した。

「ああ、そうか。あの目……」

 私に替え玉の話をした時の、旦那様と同じ目だったのね。
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