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5.全て世は大団円
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大きなはめ殺しガラス窓の側で、染谷は長身を包む黒のスーツ姿で立っていた。眼下には、都市部が放射線状に彼方へ広がっている。昨今のこの界隈ではめったに手に入らない、この一等地の新事務所を本家が確保できたのは、新しい組長の手腕によるものだった。
大きな長机と整然と揃えられた椅子が並ぶ会議室には、今、染谷しかいない。彼はその片隅でポケット灰皿を片手に紙巻きたばこに火をつけた。
ふうっと吐いた白い煙が、天井に設置された清浄機能付き空調に吸い込まれていく。禁煙が叫ばれる昨今にあって、新事務所は喫煙可とする点についてだけ、新組長は譲らなかった。
そこへ会議室の外から黒部が入ってきた。いつもの通り髪を撫で上げた精悍な姿は一部の隙もない。黒部は染谷の姿を見つけると、静かに歩み寄ってきて、窓の外を眺めた。
「煙草、俺にもくれないか?」
染谷は問いかけた。
「加熱式煙草に変えたんじゃないんですか?」
「願掛けしてただけだ。親父が本家に入るまでのな」
黒部はにやりと笑った。
染谷はジャケットの中からソフトケースを取り出し、黒部がそこから一本引き出して口に咥える。ライターを差し出そうと染谷がポケットを探ると、黒部はくいっと指先を曲げ、染谷に耳を貸せと言わんばかりのジェスチャーをした。
染谷が顔を寄せると、たばこの先と先が触れ合い、淡い火種の熱が黒部のたばこに火をつけた。染谷の少し癖のある長い髪が黒部の額に触れ、黒部は少し上目遣いで染谷を見た。
「切らねえのか?」
「組長に媚びる必要はもうないんだからいいでしょ。それに黒部さん、長い方が好きでしょ?」
染谷はにやっと笑った。二人が同時に吐き出した紫煙が、お互いの顔にかかった。
ラーメン屋店長殺害事件。
その事件を受けて若頭が逮捕され、これを絶好の機会と見た公安が、ここぞとばかりに今まで内偵を続けていた他の事件の裏を取り始めた。そこから、多くが組長の指示の下、若頭が実行していたことが明らかとなり、二人は揃って逮捕となった。
黒部は、吐き出した白い煙をため息のように流しながら言った。
「危ない橋は下っ端にやらせりゃいいものを、他人に任せられねえってところも、狭量なんだよ」
彼らは本家の地位を失った。空席には、以前から力を蓄えてきた黒部の親分が就いた。若頭は、同系列で共に冷や飯を食っていた別の組の組長が就任した。黒部の組の若頭が親分の跡を継いで組長になり、繰り上がりで黒部は若頭になった。
そして染谷は子分から舎弟になった。とはいっても、配信者の稼ぎはますます収益を上げていたため、やめるわけにはいかない。組との繋がりを知られるわけにはいかないので、組員になったことは世間的には内緒だった。
「映ってるはずはない。そう言ったんだそうだ」
黒部が話し、染谷は彼にポケット灰皿を差し出す。二人はトントンと灰を落とした。
取調室で若頭の目の前に突きつけられたのは、店内で発砲された拳銃が店長の頭を撃ち抜く写真だという。付き添った弁護士が黙秘を勧めていたのに、若頭は動揺を隠せずに思わず叫んでしまったそうだ。
染谷は問いかけた。
「なぜ映っているはずがないのか……。それを写したはずのカメラがダミーだから……ですよね」
染谷はちらりと黒部に視線を向けた。
逮捕劇があった数週間前に事件のあったラーメン店に染谷は黒部と訪れていた。
そこでラーメン店にはカメラが二つあったこと、一つは動作していたがもう一つは偽物であったことを染谷は知った。
マスコミがどこかからリークを受けた写真は動作していた方のカメラから。犯人はカメラの画角を把握していて、死角になる場所から犯行に及んでいた。
もう一つの『動作していないカメラ』がもし作動していたら、確実に犯行の一部始終を記録できる場所だった。若頭が警察から見せられた写真は『そのカメラからとられた写真』だった。
「どのカメラが動いていて、どのカメラが動いていないのか。それを知っているのは限られてる」
黒部が言った。
「店主か、店員か、設置業者か、事件の現場聴取をとった警察か……」
染谷は答える。
「……犯行の事前下見で入り込んだ犯人、か」
「墓穴を掘ったんだ、あいつは」
匿名で警察へ送られてきたその写真を生成AIで作り出したのは、染谷自身である。黒部と共に店へ入ったとき、その写真をでっち上げる前提で現場の資料を集め、状況を念入りに確認し、PCに作らせた。
作らせるだけなら粗が目立つものだが、そこはプロの編集である染谷が手を加えた。素人目には、それが捏造されたものかどうかなどの区別はもはやつかない。
もともと情報提供の出所が怪しい証拠品であるため、裁判には使えない。だとしても、勾留延長ぐらいにはなるだろう。その間に、これまで警察が固めてきた別事件で、比較的確実なものから起訴していく。それくらいの甲斐性が警察にもあるだろうと染谷は期待していた。
その結果、彼らが刑務所に入ろうが入るまいが染谷にはどうでもよかった。要は、醜聞と勾留で組織内の求心力を失わせ、本家から追い落としたかったのである。
もともと組織の中には、今の組長に対する反発があることは黒部から聞かされていた。あとはどのタイミングで、誰がその渦火に風を吹き込むか、それだけだったのである。
黒部は短くなったたばこを、染谷の持つポケット灰皿に押し消した。
「……危ないことはすんな……」
黒部は肉食獣が唸るような低い声で、ぼそっと言った。
若頭に仕掛けた写真の工作について、染谷は誰にも、黒部にも言っていない。若頭が知れば、その系列に命を狙われることになるからだ。
しかし、そのあたりは黒部にはお見通しのようだった。
「……かなわないなあ」
染谷は苦笑いすると、最後に一吸して短くなったたばこをポケット灰皿に押し消す。
部屋から出て行こうとする黒部の背を、染谷は犬のように追ったのだった。
大きな長机と整然と揃えられた椅子が並ぶ会議室には、今、染谷しかいない。彼はその片隅でポケット灰皿を片手に紙巻きたばこに火をつけた。
ふうっと吐いた白い煙が、天井に設置された清浄機能付き空調に吸い込まれていく。禁煙が叫ばれる昨今にあって、新事務所は喫煙可とする点についてだけ、新組長は譲らなかった。
そこへ会議室の外から黒部が入ってきた。いつもの通り髪を撫で上げた精悍な姿は一部の隙もない。黒部は染谷の姿を見つけると、静かに歩み寄ってきて、窓の外を眺めた。
「煙草、俺にもくれないか?」
染谷は問いかけた。
「加熱式煙草に変えたんじゃないんですか?」
「願掛けしてただけだ。親父が本家に入るまでのな」
黒部はにやりと笑った。
染谷はジャケットの中からソフトケースを取り出し、黒部がそこから一本引き出して口に咥える。ライターを差し出そうと染谷がポケットを探ると、黒部はくいっと指先を曲げ、染谷に耳を貸せと言わんばかりのジェスチャーをした。
染谷が顔を寄せると、たばこの先と先が触れ合い、淡い火種の熱が黒部のたばこに火をつけた。染谷の少し癖のある長い髪が黒部の額に触れ、黒部は少し上目遣いで染谷を見た。
「切らねえのか?」
「組長に媚びる必要はもうないんだからいいでしょ。それに黒部さん、長い方が好きでしょ?」
染谷はにやっと笑った。二人が同時に吐き出した紫煙が、お互いの顔にかかった。
ラーメン屋店長殺害事件。
その事件を受けて若頭が逮捕され、これを絶好の機会と見た公安が、ここぞとばかりに今まで内偵を続けていた他の事件の裏を取り始めた。そこから、多くが組長の指示の下、若頭が実行していたことが明らかとなり、二人は揃って逮捕となった。
黒部は、吐き出した白い煙をため息のように流しながら言った。
「危ない橋は下っ端にやらせりゃいいものを、他人に任せられねえってところも、狭量なんだよ」
彼らは本家の地位を失った。空席には、以前から力を蓄えてきた黒部の親分が就いた。若頭は、同系列で共に冷や飯を食っていた別の組の組長が就任した。黒部の組の若頭が親分の跡を継いで組長になり、繰り上がりで黒部は若頭になった。
そして染谷は子分から舎弟になった。とはいっても、配信者の稼ぎはますます収益を上げていたため、やめるわけにはいかない。組との繋がりを知られるわけにはいかないので、組員になったことは世間的には内緒だった。
「映ってるはずはない。そう言ったんだそうだ」
黒部が話し、染谷は彼にポケット灰皿を差し出す。二人はトントンと灰を落とした。
取調室で若頭の目の前に突きつけられたのは、店内で発砲された拳銃が店長の頭を撃ち抜く写真だという。付き添った弁護士が黙秘を勧めていたのに、若頭は動揺を隠せずに思わず叫んでしまったそうだ。
染谷は問いかけた。
「なぜ映っているはずがないのか……。それを写したはずのカメラがダミーだから……ですよね」
染谷はちらりと黒部に視線を向けた。
逮捕劇があった数週間前に事件のあったラーメン店に染谷は黒部と訪れていた。
そこでラーメン店にはカメラが二つあったこと、一つは動作していたがもう一つは偽物であったことを染谷は知った。
マスコミがどこかからリークを受けた写真は動作していた方のカメラから。犯人はカメラの画角を把握していて、死角になる場所から犯行に及んでいた。
もう一つの『動作していないカメラ』がもし作動していたら、確実に犯行の一部始終を記録できる場所だった。若頭が警察から見せられた写真は『そのカメラからとられた写真』だった。
「どのカメラが動いていて、どのカメラが動いていないのか。それを知っているのは限られてる」
黒部が言った。
「店主か、店員か、設置業者か、事件の現場聴取をとった警察か……」
染谷は答える。
「……犯行の事前下見で入り込んだ犯人、か」
「墓穴を掘ったんだ、あいつは」
匿名で警察へ送られてきたその写真を生成AIで作り出したのは、染谷自身である。黒部と共に店へ入ったとき、その写真をでっち上げる前提で現場の資料を集め、状況を念入りに確認し、PCに作らせた。
作らせるだけなら粗が目立つものだが、そこはプロの編集である染谷が手を加えた。素人目には、それが捏造されたものかどうかなどの区別はもはやつかない。
もともと情報提供の出所が怪しい証拠品であるため、裁判には使えない。だとしても、勾留延長ぐらいにはなるだろう。その間に、これまで警察が固めてきた別事件で、比較的確実なものから起訴していく。それくらいの甲斐性が警察にもあるだろうと染谷は期待していた。
その結果、彼らが刑務所に入ろうが入るまいが染谷にはどうでもよかった。要は、醜聞と勾留で組織内の求心力を失わせ、本家から追い落としたかったのである。
もともと組織の中には、今の組長に対する反発があることは黒部から聞かされていた。あとはどのタイミングで、誰がその渦火に風を吹き込むか、それだけだったのである。
黒部は短くなったたばこを、染谷の持つポケット灰皿に押し消した。
「……危ないことはすんな……」
黒部は肉食獣が唸るような低い声で、ぼそっと言った。
若頭に仕掛けた写真の工作について、染谷は誰にも、黒部にも言っていない。若頭が知れば、その系列に命を狙われることになるからだ。
しかし、そのあたりは黒部にはお見通しのようだった。
「……かなわないなあ」
染谷は苦笑いすると、最後に一吸して短くなったたばこをポケット灰皿に押し消す。
部屋から出て行こうとする黒部の背を、染谷は犬のように追ったのだった。
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