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本編
油断大敵?
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頭部を地鳴りのような痛みが殴っても、お前は馬鹿だと周囲から侮蔑の目を向けられても、彼女との思い出さえあれば平気だ。
別の肉体を得たように何も気にならなかった。
彼女こと竹宮(たけみや)さんと私の関係は、同じ定時制高校に在籍していた同級生である。
うちの高校は定時制高校の中でもかなりルーズな類で、在籍している以上は最低でも一週間に一度は登校しないといけないのに、三ヶ月以上教室に来ない生徒もざらにいた。
学校指定の制服があるものの、私服登校の生徒ばかりである。
アンタはお水の人間かと聞きたくなるような短いタイトスカートに高いヒールの女子生徒や寝巻きでそのまま来たのかとばかりのジャージ服姿の男子生徒。
七月頃には砂が付着したビーチサンダルで登校する先輩もいるくらいである。
ファッションから既に統一性皆の生徒の中で、竹宮さんの出で立ちは一際異質であったのだ。
梅雨の季節に入り、雨の降る日が続くようになった。
校舎の花壇に植えられた紫陽花が開いて、雨の降る毎に紫の色を濃くしていく。
当時の竹宮さんは十七歳か十八歳かの年端のいかない少女であったけど、彼女のかんばせは、不思議にも長い月日を花柳で過ごして数多の男の間を渡り歩き、彼らの魂を弄んだ年増のように物凄く整っていた。
世界中の燦爛な宝石や麗しい草花を寄せ集めても足りない、彼女の美貌の前ではどんな悪行も許されるであろう、まるで多くの男女の夢の数々から産まれた器量なのだ。
そして何より目を惹きつけるのは、竹宮さんの鮮烈で華やかな着物の装いだ。
象形文字を思わせる黒い模様が描かれたチャイナレッドの付け下げに、コウモリの形をした帯留を合わせていた。
教室で後ろの席から見えた帯には彼女の異質さと苛烈さを表すかのように黄金の鱗に覆われた龍の姿がある。
胸元に届く程度の桃色の髪は冠をつけているように、髪の中間で編み込まれていた。
絢爛な存在感を放つ彼女は、まさに花だ。
それも、桜のように清楚で穏やかな植物ではなく、例えるなら夾竹桃のように花弁に艶やかな光を蓄えながらも、その可愛らしい外見とは裏腹に強い毒性を孕む花である。
何が発端だったのかはまるで分からない。
いつもなら見ているだけなのに、この日の私は自分の席から立ち上がると吸い寄せられるように竹宮さんに近寄って、話しかけていた。
私自身ですら認識していなかった心臓の辺りに出来た小さな切り傷に、夾竹桃の匂いが沁みてドクンドクンと甘い痛みを発していたのだ。
「ね、ねえ、竹宮さんッ」
「……?」
ゆったりとこちらを向いた竹宮さんは不思議そうに首を傾げる。
「夾竹桃って知ってる?葉が竹に似ていて、花は桃に似ているから、この名前がついたんだけど……鮮やかなピンク色の花でねっ、竹宮さんみたいに綺麗で可愛いんだよ!」
私は右手のブイサインを突き出しながら言った。
長い睫毛が伏せられて、美しい青みがかった夜の瞳を隠してしまう。
考え込んでいる様子だった。
その反応に羞恥心で背中を撫でられ、一時撤退を図りたくなる。
しばらく間を置いて、彼女は唇で薄く笑う。
「夾竹桃、好きなんですか?」
問われた私は、心の奥底に潜んでいた何者かを、ぴたりと探り当てられた心地だった。
竹宮さんに対して抱いていたふわふわと朧気な気持ちが、この瞬間、恋情というはっきりした欲望の形となって私の中で固まったのだ。
些かの混乱を冷静に収めつつ、私は答える。
「えっとぉ、すすすす好き……というか、竹宮さんに似てっから……好き、かな!」
「ふふっ」
竹宮さんは奥の骨まで見えるような透き通った白い手のひらを口元に寄せて、ころころ笑う。
その顔は子供のように無防備で、緊張感がない。
「貴女の名前が知りたい。なんて言うんでしょう?」
氷菓子のようにひんやりとした指先が頬に触れて、私の身体にぴくりと力が入った。
頬から鼻先、目尻の辺りまで順番に親指で優しく擽られる。
竹宮さんに触れられただけで、身体が言うことを聞かなくなり、脳髄がとろりと蕩けそうになった。
「あ、あぁー、えと、私は魚野砂絵(うおのすなえ)って言いまぁっす!」
「じゃあ、砂絵ちゃんって呼んで良い?」
ドクリッと私の心臓が跳ね上がる。
それは世界中の財産の何もかもを無償で差し出したくなるような笑顔で、きっと私が生涯目にしたものの中で一番尊いものになるだろう。
彼女の幸福の為なら何をしても許されるはずだ。
「お好きにどうぞ!」
しかし、私は彼女と恋仲になることは無かったし、秋になる頃には彼女と話すことも無くなってしまった。
夏休み明けのある日を境に彼女は教室に来なくなったのだ。
もしかしたら登校時間がズレているだけかもしれないと思い、教師に彼女の登校日を尋ねたけど、プライバシーに関わる話だからとはぐらかされてしまった。
私は竹宮さんとまた話したいという欲を捨てきれず一年だけ留年してしまったものの、あの高校を卒業してもう六年の年月が経過している。
窓の外を見るとさっきまで雨が降っていたのに、今は止んでいて満月が出ていた。
私はイチョウ色のカーテンを閉めると、リビングのソファーに腰掛けてテレビをつける。
八月六日、明日は久しぶりの休日である。
七年間ずっと寝たきりだった従姉妹が目を覚ましてくれたおかげで、休日に介護の手伝いをする必要も無くなったのだ。
私はテレビのリモコンをポチポチと操作する。
ニュース番組に切り替えた瞬間、床が柔らかくなって、溶けて崩れていく感覚がした。
視界が揺れて、精神が不安定になって近くにあったうさぎの形をしたクッションを引き寄せて強く抱きしめる。
信じられない、あれほど幸福を願い、恋焦がれた彼女とこんなにも容易く再会するなんて。
男子高校生遺体遺棄事件という文字列と共に写る容疑者の顔写真は見知らぬ男性の姿で、端正な顔立ちをしていること以外に目を奪う要素はない、問題は男性の妻であるらしい着物を纏う女性である。
竹宮さんだ、間違いない。
テロップで表示される名前は夏住八重花(なつずみやえか)と苗字こそは変わっているけど、私は彼女が竹宮さんだとすぐに気づいた。
くらくらと目眩がして、ソファーに横になって胎児のように膝を抱えてうずくまる。
毒々しい色彩の万華鏡の模様が視界を覆い、激しい耳鳴りがした。
私は歯を食いしばって、高校時代のあの日の邂逅から今も瞼の裏に住み着く空想上の彼女に問いかける。
ねえ、誰が竹宮さんを不幸にしたの。
別の肉体を得たように何も気にならなかった。
彼女こと竹宮(たけみや)さんと私の関係は、同じ定時制高校に在籍していた同級生である。
うちの高校は定時制高校の中でもかなりルーズな類で、在籍している以上は最低でも一週間に一度は登校しないといけないのに、三ヶ月以上教室に来ない生徒もざらにいた。
学校指定の制服があるものの、私服登校の生徒ばかりである。
アンタはお水の人間かと聞きたくなるような短いタイトスカートに高いヒールの女子生徒や寝巻きでそのまま来たのかとばかりのジャージ服姿の男子生徒。
七月頃には砂が付着したビーチサンダルで登校する先輩もいるくらいである。
ファッションから既に統一性皆の生徒の中で、竹宮さんの出で立ちは一際異質であったのだ。
梅雨の季節に入り、雨の降る日が続くようになった。
校舎の花壇に植えられた紫陽花が開いて、雨の降る毎に紫の色を濃くしていく。
当時の竹宮さんは十七歳か十八歳かの年端のいかない少女であったけど、彼女のかんばせは、不思議にも長い月日を花柳で過ごして数多の男の間を渡り歩き、彼らの魂を弄んだ年増のように物凄く整っていた。
世界中の燦爛な宝石や麗しい草花を寄せ集めても足りない、彼女の美貌の前ではどんな悪行も許されるであろう、まるで多くの男女の夢の数々から産まれた器量なのだ。
そして何より目を惹きつけるのは、竹宮さんの鮮烈で華やかな着物の装いだ。
象形文字を思わせる黒い模様が描かれたチャイナレッドの付け下げに、コウモリの形をした帯留を合わせていた。
教室で後ろの席から見えた帯には彼女の異質さと苛烈さを表すかのように黄金の鱗に覆われた龍の姿がある。
胸元に届く程度の桃色の髪は冠をつけているように、髪の中間で編み込まれていた。
絢爛な存在感を放つ彼女は、まさに花だ。
それも、桜のように清楚で穏やかな植物ではなく、例えるなら夾竹桃のように花弁に艶やかな光を蓄えながらも、その可愛らしい外見とは裏腹に強い毒性を孕む花である。
何が発端だったのかはまるで分からない。
いつもなら見ているだけなのに、この日の私は自分の席から立ち上がると吸い寄せられるように竹宮さんに近寄って、話しかけていた。
私自身ですら認識していなかった心臓の辺りに出来た小さな切り傷に、夾竹桃の匂いが沁みてドクンドクンと甘い痛みを発していたのだ。
「ね、ねえ、竹宮さんッ」
「……?」
ゆったりとこちらを向いた竹宮さんは不思議そうに首を傾げる。
「夾竹桃って知ってる?葉が竹に似ていて、花は桃に似ているから、この名前がついたんだけど……鮮やかなピンク色の花でねっ、竹宮さんみたいに綺麗で可愛いんだよ!」
私は右手のブイサインを突き出しながら言った。
長い睫毛が伏せられて、美しい青みがかった夜の瞳を隠してしまう。
考え込んでいる様子だった。
その反応に羞恥心で背中を撫でられ、一時撤退を図りたくなる。
しばらく間を置いて、彼女は唇で薄く笑う。
「夾竹桃、好きなんですか?」
問われた私は、心の奥底に潜んでいた何者かを、ぴたりと探り当てられた心地だった。
竹宮さんに対して抱いていたふわふわと朧気な気持ちが、この瞬間、恋情というはっきりした欲望の形となって私の中で固まったのだ。
些かの混乱を冷静に収めつつ、私は答える。
「えっとぉ、すすすす好き……というか、竹宮さんに似てっから……好き、かな!」
「ふふっ」
竹宮さんは奥の骨まで見えるような透き通った白い手のひらを口元に寄せて、ころころ笑う。
その顔は子供のように無防備で、緊張感がない。
「貴女の名前が知りたい。なんて言うんでしょう?」
氷菓子のようにひんやりとした指先が頬に触れて、私の身体にぴくりと力が入った。
頬から鼻先、目尻の辺りまで順番に親指で優しく擽られる。
竹宮さんに触れられただけで、身体が言うことを聞かなくなり、脳髄がとろりと蕩けそうになった。
「あ、あぁー、えと、私は魚野砂絵(うおのすなえ)って言いまぁっす!」
「じゃあ、砂絵ちゃんって呼んで良い?」
ドクリッと私の心臓が跳ね上がる。
それは世界中の財産の何もかもを無償で差し出したくなるような笑顔で、きっと私が生涯目にしたものの中で一番尊いものになるだろう。
彼女の幸福の為なら何をしても許されるはずだ。
「お好きにどうぞ!」
しかし、私は彼女と恋仲になることは無かったし、秋になる頃には彼女と話すことも無くなってしまった。
夏休み明けのある日を境に彼女は教室に来なくなったのだ。
もしかしたら登校時間がズレているだけかもしれないと思い、教師に彼女の登校日を尋ねたけど、プライバシーに関わる話だからとはぐらかされてしまった。
私は竹宮さんとまた話したいという欲を捨てきれず一年だけ留年してしまったものの、あの高校を卒業してもう六年の年月が経過している。
窓の外を見るとさっきまで雨が降っていたのに、今は止んでいて満月が出ていた。
私はイチョウ色のカーテンを閉めると、リビングのソファーに腰掛けてテレビをつける。
八月六日、明日は久しぶりの休日である。
七年間ずっと寝たきりだった従姉妹が目を覚ましてくれたおかげで、休日に介護の手伝いをする必要も無くなったのだ。
私はテレビのリモコンをポチポチと操作する。
ニュース番組に切り替えた瞬間、床が柔らかくなって、溶けて崩れていく感覚がした。
視界が揺れて、精神が不安定になって近くにあったうさぎの形をしたクッションを引き寄せて強く抱きしめる。
信じられない、あれほど幸福を願い、恋焦がれた彼女とこんなにも容易く再会するなんて。
男子高校生遺体遺棄事件という文字列と共に写る容疑者の顔写真は見知らぬ男性の姿で、端正な顔立ちをしていること以外に目を奪う要素はない、問題は男性の妻であるらしい着物を纏う女性である。
竹宮さんだ、間違いない。
テロップで表示される名前は夏住八重花(なつずみやえか)と苗字こそは変わっているけど、私は彼女が竹宮さんだとすぐに気づいた。
くらくらと目眩がして、ソファーに横になって胎児のように膝を抱えてうずくまる。
毒々しい色彩の万華鏡の模様が視界を覆い、激しい耳鳴りがした。
私は歯を食いしばって、高校時代のあの日の邂逅から今も瞼の裏に住み着く空想上の彼女に問いかける。
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