塩の価値はなくなってみないとわからない

おきたワールド

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本編

支配

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シアトルの四月は、東京よりも少しだけ寒い。
リビングの窓からは、凍てつく冬を溶かすような柔らかい陽光が注がれて、不思議と粘度のある春の空気が細やかな綿毛のようにフワフワと頬を撫でてゆく。
「私は、宇宙に行くの」
「へえ」
初動負荷トレーニング用のマシンに座って、足を大きく開いたり閉じたりを繰り返せば、ガシャーンガシャーンと最大負荷に設定した金属が打ち付けられる音が響く。
娘は慣れた様子で大量のトレーニングマシンを避けながら、リビングの隅にあった背もたれ付きの椅子を引っ張ってくると、俺と向き合う形に置いて腰かける。
ぴっちり閉じた膝の上に握りこぶしを載せて、どうしてか緊張しているみたいだった。

「君は、宇宙飛行士になるの?」
「は?なんでそうなるわけ?なれるわけないじゃん。私の成績知らないの?ほんっとお父さんって野球以外は世間知らずだね」
緑色の目を眇めて、おのずと口に浮かぶ苦笑。
寂しげなようでシニカルな笑み。
自分を守るために習慣になってしまっている笑顔。
それでも視線だけは揺らぐことなく真っ直ぐと突き刺すような攻撃性をもって俺を見つめている。
「そうかなぁ」
なんでそんなに自分に自信が無いんだろう。
娘なら頑張ったら何にでもなれるって親バカかもしれないけど、本当にそう思うんだけどな。
「そうじゃなくて、日本の企業にそういうサービスがあるの。私が死んだら、火葬して遺骨をロケットで宇宙に打ち上げてもらうの」

「死後に宇宙旅行?先の長い話だな……」
「うるさいなー。SNS見てたら出てきたから申し込んだの。ネット広告なんてウゼーだけだったけど、たまには良い仕事するじゃんって」
「良かったね」
「……そう!とにかくっ、もう申し込んだの。申し込み自体はタダだから」
「無料なのか」
「辞めたくなったら、キャンセル料を払う必要があるだけだよ。……ねえ、死んで骨だけになったら、人工衛星で打ち上げられるの。そして、地球を周回してから、宇宙を照らす流れ星になって燃え尽きることが出来る。これって、すごく、すごーくロマンティックじゃない?だからさ、きっと宇宙葬は愛による死を自ら選択した人間へのご褒美なんだよ」
「死んだらそこで全部終わりじゃないかな」

「違うよ、むしろそこから始まるって話なんだよ、私がしてるのは」
「うーん」
「ねえ、お父さん今の私の話ちゃんと聞いてた?愛の話なの!なんでわかんないの!?」
最初は微かに、そして段々と高くなり、やがて娘の声はヒステリックな響きを帯びはじめた。
女心と秋の空、なんて言葉があるけれど、不安症である娘の機嫌は秋の天気より変わりやすい。
別に中身のある返事なんて求めていなくて、簡単に不快感をぶつけられる相手が欲しいのだ。
ここで俺が感情的になっても意味が無い。
「そうだね」
「っ、なんで?なんでそんな酷いこと言うの?当てつけ?私の頭が悪いのは私の努力が足りないからだとか絶対に言わないよね!」
そうやって縋りつかれた俺は、うーん、とどっちつかずの返事をする。
そうだね。
良かったね。
うーん。

淡々と呟きながら、精神が不安定になった娘を宥めるのは最早そういうゲームみたいだった。
少し前まで娘がハマっていた画面を叩いてシャンシャンとタンバリンを鳴らすリズムゲーム。
苦しいのか、悔しいのか、悲しいのか、嘆かわしいのか、腹立たしいのか、わからない。
やがて、色んな混ざり合った思いを全て吐き出すように、娘はわんわん泣き始める。
しばらく泣きわめくと、鼻水を垂らして目を真っ赤に充血させたまま、諦めたようにリビングを出て行ってしまう。
ガシャーンガシャーンとトレーニングマシンから金属がぶつかる音がリビングに響く。
父親になるのは簡単だが、父親たることは随分と難しい。
少なくとも娘にとって、俺は頼りになる素晴らしい父親ではないのだろう。

俺の妻は娘を産んですぐに亡くなっている。
娘の寂しさを埋めるには、お金だけじゃダメなのだ。
だから、不謹慎なビジネスだなと思いつつも俺は娘を止めなかった。
そもそも、娘はとっくにサービスに申し込んでいる。
仕事の合間にパソコンで調べたところ、該当する日本の企業のホームページがヒットした。
曰く、申し込むのは無料なのにキャンセル料は日本円にして三千万近くかかるらしい。
随分と、おかしな仕組みだった。
その仕組みの本当の意味を知るのは、十数年後の娘が亡くなった後のことだ。
同棲中の彼氏と練炭自殺を図ったらしく、俺の元に警察から電話がかかってきた。
俺は娘に彼氏が居たことすら知らなかったが、彼氏の母親を名乗る女性が菓子折り片手に、今にも死にそうな顔色で謝罪をしてきたのは記憶に新しい。

娘と彼氏の心中に関して、俺は特に驚かなかった。
昔から娘は衝動的で破滅的で変に空想家な部分があったから、ついにやったか、という程度だ。
それよりも、どういう情報網なのか娘が申し込んだ宇宙葬サービスの企業の人間が日本からシアトルの我が家まで訪ねてきた。
死後に骨を宇宙空間に飛ばすなんて、本人が望んでいても周りの人間が許すかはまた別の話だ。
日本人は遺骨という物言わぬ存在に故人の魂を感じているので、本人が亡くなった後に周りの人間がキャンセル料を支払う。
これは元よりキャンセル料狙いの商売なのだ。
中々に狡猾な手口だなと思いながらも、海外暮らしが長いとはいえ腐っても日本人であった俺は、キャンセル料として約三千万円を指定された銀行に振り込んだ。

自分がメジャーリーガーで良かったではなく助かった、と思ったのはこれが初めてだった。
人間が一人亡くなったくらいで世界は滅ばない、毎日は変わらず続いていく。
娘の遺骨を当初の目的通り、俺は日本にある両親と同じ墓に入れた。
思えば、生前の娘は墓地は俺と別にしろと騒いでいた気もするけど、骨になってしまえば承諾はおろか不満を述べることもないので、問題は無いだろう。
終わりよければすべてよし、という言葉があるように、どんな始まりであろうと最後は完璧であった方が生きていく上で気分が良い。
子供に素晴らしいチャンスを与えることが、父親の務めであるならば、娘に世界を生き抜く勇気すら与えることが出来なかった俺は、父親として最低最悪な分類だろう。
それでも、娘と俺は一番長く一緒に居たのだから、最後だけ別々とはどうも据わりが悪い。
俺からしたら、それだけで理由は充分であった。

▼ E N D
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