扉をあけて

渡波みずき

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 中村が見つかったのは、それからすぐのことだった。
 かなり下流まで流されていたが、不幸中の幸いというのはこういうことを言うのだろう。早いうちに意識を失ったことで、水を飲まずにすんでいたのだと言う。
 翠は、夜を徹した警察の事情聴取から解放されて初めてその事実を知り、一睡もせずに中村の収容された病院へと向かった。

 早い時間ということもあり、中村の親族はまだ到着していなかった。翠は付き添いをしていたオーナーと入れ替わるように、中村の枕元に腰かけた。
 目を閉じていると、中村はとても幼く見えた。金髪もピアスもぜんぜん似合わなくて、おとなしそうなふんいきがあった。

「中村さん。ゆきとくん、みつかったよ」
「……そう、なんだ」

 思いがけず返答があって、翠は飛びあがるほど驚いた。意識が戻ったと、すぐにナースコールを押そうとした翠の手に手を重ねて、中村はくしゃっと笑った。

「ありがとう」

 翠は、中村が川に流されていたあいだの一部始終を、とつとつと語った。
 かくれんぼの最中にいなくなったのだと警察から聞いたと話すと、中村は、だからかあ、とうなずいた。

「ちゃんと、みいつけたって、言ってほしかったんだね」

 のんびりと微笑む中村に、実のところひとつだけ、明かせずにいることがあった。どうしたものかと考えていると、朝の担当看護師が現れ、翠と会話していた中村は、それはもうこっぴどく叱られた。
 いつごろ目が覚めたのか、気分は悪くないのか。矢継ぎ早に繰り出される質問に辟易している彼を置いて、翠はオーナーにも報告してくると告げ、病室を抜けだした。

 談話室に設置された公衆電話を手に、キャンプ場に電話をするも、繋がらなかった。コール音を聞きながら、翠は漫然と、談話室のテレビのスーパーを流し読んだ。
 朝のニュースの時間だ。テレビはちょうど、ゆきとくんの事件を報道していた。

『八年前に行方不明の杉浦勇気斗くん(当時七歳)が遺体となって発見された。遺体は一部白骨化しており……』

 右肩には、生中継を示すアイコンが閃いていて、その下に場所の表示がある。長野県○○市。画面には、すでに見慣れたキャンプ場の入り口のようすが映し出されている。テレビの音量が小さいせいで、レポーターの声は聞こえない。だが、レポーターの歩みとともに画面は少しだけ奥に動き、入り口から砂利の坂道を下った先、ゴミ捨て場のコンテナのあたりをズームする。
 そのあたりは青いビニールシートで覆われ、中で捜査員が動きまわっているのがなんとなく見てとれた。

 翠はオーナーの携帯電話にもかけてみたが、やはり繋がらないことを悟り、連絡をあきらめた。オーナーのメールアドレスは知らない。あとはFAXを送信するくらいしか連絡手段がなかった。
 中村の病室に戻ろうとする翠の脇を、六十がらみの夫婦と高校生くらいの女の子が早足で追い抜いていく。彼らが中村の病室に辿りつくのを見て、翠は足を緩めた。

 そうして、病室から少し離れた場所から、家族とおぼしき三人が中村の病室のカーテンに手をかけるのを確認する。翠は今度こそ立ち止まり、きびすを返す。

『ご家族みえたし、帰るよー』

 病院を出て、それだけを中村に通話アプリで伝えると、翠はそっと、キャンプ場への帰路を辿った。



 ゆきとくんの件がニュースになったことで、キャンプ場の予約はキャンセルが相次いだ。終日、その対応に追われつつ、翠は翠で、家族からすぐに帰宅するようにと矢のような催促を受けた。
 そんな危ない場所でアルバイトなんてさせられない。というのが家族の言いぶんだった。翠にこのキャンプ場を勧めた従兄も、こっぴどく叱られ、文句を言われたらしく、通話アプリのメッセージはずいぶん弱気になっていた。

 オーナーは翠と中村とを目の敵にしていたこともあって、翌日には解雇を言い渡され、バイト代だけもらって帰ることになった。
 新幹線の駅で中村に報告を入れる。

『バイト、辞めさせられちゃった。今日、家に帰ります。お先でーす!』

 茶目っ気のあるイラストといっしょに、明るめのメッセージを送った直後、着信がある。

「いまどこ!」
「駅。新幹線に乗るところ」

 答えると、電話のむこうで中村は「マジか……」と呻いた。それから、冗談めいた口調で嘆く。

「ホント冷たいなあ。俺が退院するまで待ってくれると思ってたよ」
「滞在費がもたないよ、一応、ここ観光地なんだから」

 答えながら、それだけではない理由を、翠は隠した。
 深夜の川への転落事故についても、マスコミはすでにかぎつけている。いずれ、中村のもとにも記者がむかう。いまのところはスタッフに箝口令が敷かれているが、理由がもし明らかになったら、そのときいっしょにいた翠のもとにも矛先が向くであろうことは、想像に難くなかった。

 沈黙が続く。

「そっちこそ、どこにいるの? 病室、通話厳禁でしょ?」
「病棟の近くに通話可能エリアがあんの。急いで走ってきた」
「ダメだよ、病人なんだから」
「元気だもん。今日の午後には退院するよ」
「そうなの? 教えてくれれば、待ったのに」

 翠の返事に中村は一瞬、ことばを失ったようだった。間があって、切りだされたのは、思ってもみないことばだった。

「……ねえ。あのさ、退院したら、デートしてくれる?」
「いいよ。でも、ひとつだけ条件をつけます。──中村さんが会いに来て」

 翠の仰々しくつけた条件に、中村はぷっと噴きだす。

「なんだ、そんなこと? もちろんそのつもり。金髪だけじゃなくて、黒髪の俺も見て欲しいし」

 中村の答えに翠も笑いながら、視界に入った稜線を見つめる。秋晴れの下、紅葉の山に登ったらさぞかし気持ちがよいことだろう。
 その次のデートは、中村の地元で秋の山登りをしよう。勝手にこころに決める。

「中村さん」
「ん、何」

 ほとんど無意識に呼びかけて、翠は言いよどんだ。
 ひとつだけ。ひとつだけ、翠だけが知っている秘密がある。果たして、中村に伝えるべき内容だろうか。
 ためらった。

「実はね、あと五分で新幹線が来ちゃうの」

 話題をそらして、翠は電光掲示板を見上げる。よかった、嘘はついていない。

 あの夜、ゆきとくんを見つけたあと、翠は警察の事情聴取を受けた。シャワーも浴びられぬまま、着替えだけ済ませて管理棟の一室に込められた。
 警察官が提示した写真の一枚が、目に焼きついている。

 写真のなかで、にっこりと笑う小さな男の子。それがゆきとくんだと知ったとき、翠はこころの底から驚いた。
 その顔は、中村が溺れる原因となった男の子そのものだったのだ。
 川で溺れていたあの子も、ゆきとくんだった。

 どうしてだろう。ゆきとくんは、冷蔵庫に閉じこめられて亡くなったのでは、ないのだろうか。
 翠は意味がわからなくなった。時間が経ち、警察が捜査を進めれば、真実がわかる日がいずれ来るのか。

 ──ゆきとくんは見つけてもらえたし、ちゃんと成仏できたんだよね? もう、川にだれかを引きずりこもうとなんて、しないんだよね?

 不安とも言える疑いの気持ちが、胸のなかで渦巻く。
 こんなこと、あれだけ懸命にゆきとくんを救おうとしていた中村に告げられる内容とも思えなかった。

 不安から目をそらすように、翠は新幹線が来るまでもう少しだけ、中村の声を聞いていることにした。
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