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コルネリアたちが地下水路を見に出かけたのは、『やり直し』から数日後のことだった。
フェリクスの仕事の場に伴ってもらうために、学ぶべきことは山程ある。座学はもちろんのこと、夫が最も重視したのは、現地の雰囲気をつかむことだった。
技術者や職人の話を理解するのに、肝心の水路を見たことがないのでは話にならない。そう言って、フェリクスはあっという間に日程と仕事を調整し、一泊二日の旅程を組んだ。見に行くのは、王都のために整備した水路ではなく、近隣の村のための規模の小さなものだ。
理由を問うたコルネリアに、彼は敷地内の技術者たちの家並を示した。
「彼らの祖先がなぜ、すばらしい技術を生み出すに至ったかがわかるから、かな」
そのことばの意味は、実際に村に近づくにつれ、明らかになっていった。目に見えて緑は減り、剥き出しの土や砂礫ばかりの大地に驚く。王都から半日離れただけで、このような集落が存在するのか。
村の広場で馬車を降りると、遠巻きにしている村人たちをかきわけるように、老人が進み出てきた。噴水のレリーフに描かれていたペレグリーニ人と似た帽子を被った小柄な老人は、フェリクスを見上げて、無愛想に顎をしゃくった。
フェリクスがていねいに老人にあいさつと礼を述べると、村人は納得したようすで場を離れていく。静かに見守っていたコルネリアにだけ聞こえるように、夫は声を低くした。
「地下水路は村の生命線だ。余所者はこうして警戒される。この方に案内を頼んでおいたんだ」
短い説明に頷き、老人の先導で村外れのほうへ向かう。老人が訛りのあることばでフェリクスに声をかけた。
「ついに嫁御を取られたか」
「はい。コルネリアと言います。私を愛し、私と同じものを見ようとしてくれる女性です」
フェリクスの返事に老人は相好を崩し、高く笑った。
「親御を待たせた価値がある。孫は早めに見せておやりなさい」
老人はコルネリアをふり仰ぎ、目元を和らがせ、立ち去っていく。
「これが、地下水路の出口だよ」
あとを引き取ったフェリクスが示したのは、人ひとり通るのがやっとの狭い階段だった。手を取られて慎重に下りていき、日差しの薄明かりに見えた水辺に息を呑む。膝下丈ほどの浅い水溜まりがある。その奥には、細い隧道と水路が続いている。
思っていたよりもずっと小規模で、不安な代物だ。その感想が伝わっているのだろう。フェリクスはぎゅっとコルネリアの手を握った。
「ここに、村人は毎日容れ物を携えて水を汲みにくる。家の水瓶に必要なぶんを得るため、朝早いうちに何度も往復する。不便だが、生活に無くてはならないものだ」
いま目の前にたたえられたわずかな水を運ぶのに、どれだけのひとが携わり、どれだけの年月がかかったのだろう。ここに水が流れ続けることの重みがわかると、胸が苦しくなった。書物で見ただけの知識で、すばらしい技術だと語ったことが恥ずかしい。
暗がりから引き上げてくれたフェリクスは、少し緊張したようすでコルネリアを振り返る。
「気分は悪くないか?」
「ええ。──お仕事の話をしっかりと理解するには、長くかかりそうだと思いましたの。そのあいだにフェリクスさまのお子も何人か産まねばなりませんし、家政も取り仕切れるようにならねばいけませんわね!」
忙しいことも、新しいことに触れるのにも抵抗はない。女中だって楽しめたのだ、伯爵夫人もきっとなんとかなる。ふん! と意気込んだコルネリアのかたわらで、フェリクスは真っ赤になって動揺している。
「フェリクスさま? どうなさいましたの?」
「う、……いや、なんでもないんだ。そうだよな、貴族なんだから当たり前だよな……」
「──?」
ごにょごにょと自分に言い聞かせているフェリクスの腕を取り、コルネリアは地下水路の出口を、そのむこうに遠く連なる水路の道筋を見返った。今度は、あちらにも連れていってもらおう。
だれかとの将来を思い描けるのは、とてもしあわせなことなのだと、コルネリアはその日、こころから理解した。
フェリクスの仕事の場に伴ってもらうために、学ぶべきことは山程ある。座学はもちろんのこと、夫が最も重視したのは、現地の雰囲気をつかむことだった。
技術者や職人の話を理解するのに、肝心の水路を見たことがないのでは話にならない。そう言って、フェリクスはあっという間に日程と仕事を調整し、一泊二日の旅程を組んだ。見に行くのは、王都のために整備した水路ではなく、近隣の村のための規模の小さなものだ。
理由を問うたコルネリアに、彼は敷地内の技術者たちの家並を示した。
「彼らの祖先がなぜ、すばらしい技術を生み出すに至ったかがわかるから、かな」
そのことばの意味は、実際に村に近づくにつれ、明らかになっていった。目に見えて緑は減り、剥き出しの土や砂礫ばかりの大地に驚く。王都から半日離れただけで、このような集落が存在するのか。
村の広場で馬車を降りると、遠巻きにしている村人たちをかきわけるように、老人が進み出てきた。噴水のレリーフに描かれていたペレグリーニ人と似た帽子を被った小柄な老人は、フェリクスを見上げて、無愛想に顎をしゃくった。
フェリクスがていねいに老人にあいさつと礼を述べると、村人は納得したようすで場を離れていく。静かに見守っていたコルネリアにだけ聞こえるように、夫は声を低くした。
「地下水路は村の生命線だ。余所者はこうして警戒される。この方に案内を頼んでおいたんだ」
短い説明に頷き、老人の先導で村外れのほうへ向かう。老人が訛りのあることばでフェリクスに声をかけた。
「ついに嫁御を取られたか」
「はい。コルネリアと言います。私を愛し、私と同じものを見ようとしてくれる女性です」
フェリクスの返事に老人は相好を崩し、高く笑った。
「親御を待たせた価値がある。孫は早めに見せておやりなさい」
老人はコルネリアをふり仰ぎ、目元を和らがせ、立ち去っていく。
「これが、地下水路の出口だよ」
あとを引き取ったフェリクスが示したのは、人ひとり通るのがやっとの狭い階段だった。手を取られて慎重に下りていき、日差しの薄明かりに見えた水辺に息を呑む。膝下丈ほどの浅い水溜まりがある。その奥には、細い隧道と水路が続いている。
思っていたよりもずっと小規模で、不安な代物だ。その感想が伝わっているのだろう。フェリクスはぎゅっとコルネリアの手を握った。
「ここに、村人は毎日容れ物を携えて水を汲みにくる。家の水瓶に必要なぶんを得るため、朝早いうちに何度も往復する。不便だが、生活に無くてはならないものだ」
いま目の前にたたえられたわずかな水を運ぶのに、どれだけのひとが携わり、どれだけの年月がかかったのだろう。ここに水が流れ続けることの重みがわかると、胸が苦しくなった。書物で見ただけの知識で、すばらしい技術だと語ったことが恥ずかしい。
暗がりから引き上げてくれたフェリクスは、少し緊張したようすでコルネリアを振り返る。
「気分は悪くないか?」
「ええ。──お仕事の話をしっかりと理解するには、長くかかりそうだと思いましたの。そのあいだにフェリクスさまのお子も何人か産まねばなりませんし、家政も取り仕切れるようにならねばいけませんわね!」
忙しいことも、新しいことに触れるのにも抵抗はない。女中だって楽しめたのだ、伯爵夫人もきっとなんとかなる。ふん! と意気込んだコルネリアのかたわらで、フェリクスは真っ赤になって動揺している。
「フェリクスさま? どうなさいましたの?」
「う、……いや、なんでもないんだ。そうだよな、貴族なんだから当たり前だよな……」
「──?」
ごにょごにょと自分に言い聞かせているフェリクスの腕を取り、コルネリアは地下水路の出口を、そのむこうに遠く連なる水路の道筋を見返った。今度は、あちらにも連れていってもらおう。
だれかとの将来を思い描けるのは、とてもしあわせなことなのだと、コルネリアはその日、こころから理解した。
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