寺生まれのTさん(♀)はやっぱり凄い

渡波みずき

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 職場の給湯室の流しには、なぜか鏡がついている。聞けば、昔はこの建物は県税事務所だったそうなので、この流しにも何がしか別の用途があったのだろう。

 給湯室の電気ポットの湯を使うには、親睦会費という名の月額課金サブスクが必要だ。古い建物の水道水は、飲用には向かない。ポットの湯は親睦会費で購入したミネラルウォーターから作られている。派遣職員の俺には課金の資格すら無いので、俺にとっての給湯室は、もっぱら電子レンジや冷蔵庫の利用のための施設だ。

 持参したまとめ売りのレトルト食品を電子レンジで温め、タッパーに詰めてきた飯にかける。たいていカレーか中華丼を食べている俺に、周囲は初めこそ「そればっかりじゃ、健康によくないよ」などとからかいを込めた声かけをしてくれていたが、やがて無反応になった。

 一向に変わろうとしないことに飽きたか呆れたかしたのだろう。ひとりぐらしの男にそこまでの自炊能力を求めないでほしいし、派遣職員の給料ではそう毎日毎日、彩りあざやかなコンビニ弁当が買えないことも理解してほしい。

 隣の席のタツコさんは、周囲との会話から窺い知る限り、小学生のお子さんがいて、俺より10歳ほど年上だ。俺と同じ会社からの派遣だが、一年前から在籍している先輩である。ぶっきらぼうなことば遣い、喫煙者、短く刈り上げたベリーショート。親しみやすいとは言いがたい。仕事ぶりも人当たりも悪くないので、正規の職員とは当たらず障らずな関係性を上手に築いている。

 そんな程度の関わりだったので、昨晩、タツコさんに助けてもらえたときは、正直、意外だった。あんなふうに積極的に関わってくるタイプだとは思わなかった。

 電子レンジの音が鳴る。さっと中華丼を作って、自席に戻る前に冷蔵庫からコンビニスイーツを取り出す。朝買ってきたロールケーキだ。もちろん、自分で食べるための散財ではない。

「昨日は、ありがとうございました」

 礼とともに菓子をさしだす。タツコさんはちょっと驚いたように目を瞠り、ふっと笑った。

「食後にいただこう」

 ロールケーキを閉じたノートPCのうえに祀るように置き、大きめの弁当箱を開ける。高野豆腐の煮物、カボチャの煮付け、ブロッコリー、こんにゃくの細切りの入ったきんぴら。あと、たっぷりの米。タツコさんの弁当のなかみを見たのは初めてだった。

「もしかして、ヴィーガンでした?」
「いや。お山にいたときからの習慣でね」

 お山というのが何を指すのかわからなかったが、踏み込んでいいのか? 会話はあっさりと途切れる。感染症対策もあって、ふたり並んで黙々と食い、先に席を立ったのは俺だった。タツコさんも同じ頃合いに弁当を食べ終えたが、宣言通りロールケーキに移行するようだ。

 給湯室でタッパーを洗っていると、どこかから視線を感じた。だれか、流しの順番待ちをしている? だが、振り返ってもだれもいない。首を傾げながら流しに向き直ろうとして、正面の鏡に目が止まった。

 自分としばし見つめあう。あ、口の端汚れてるな。濡れた手でぐいっと拭うと、鏡に飛沫が飛んだ。それを、鏡のなかの俺が、ついでのようにさっと払う。

 ──え?

 俺がぽかんとしたのを見て、鏡のなかのは、ニタリと厭な笑みを浮かべる。むこうから手が伸びる。指が、腕が、まるで壁の穴を通り抜けるようにこちらに出てこようとする。

 そのときだ。だれかに腕を掴まれ、給湯室から引きずりだされた。

「破ァッ!」
「ギャァ」

 短い断末魔とともに、鏡にビシィっと一本斜めに線が入る。鏡を睨み、右手を銃のかたちに構えていたタツコさんは、左手で俺の腕を握っていたが、やがて警戒を解いた。

「鏡に映った姿が『ほんとうの自分』とは限らないんだ。気を抜くな」

 そう言うと、床に落とした弁当箱を拾い、何事も無かったかのように洗いものをはじめる。人助けをしても、こんなにクールに振る舞えるだなんて。

 寺生まれって、スゴい。改めて、そう思った。
 






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