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しおりを挟む冬場の海辺の風物詩と言えば、大根干しだ。たくあんに加工する大根を寒風にさらし、水分を抜く。岩清水だと家庭でもやるが、さすがに多聞海岸のこの規模にはかなわない。何せ、3段か4段干せる鉄パイプを砂浜に数十メートル、それを5、6列並べるのだ。一体何本の大根が下がっているのか見当もつかない。
俺は大根干しの畝の向こう、波打ち際を見ながら、ペットボトルコーヒーを傾ける。冬の砂浜に人影はほとんどない。物好きな観光客が一組、犬の散歩をするおじさんがひとりいるだけだ。
別に俺自身も、海を見にきたわけではない。例の首吊り幽霊を見て以来、わずかな物音に敏感になってしまい、うまく寝れなくなっているのだ。いくらタツコさんがお祓いしてくれて安心だとはいえ、他にいい物件があれば引越したいと思って、市内の不動産屋を巡っているところだった。
めぼしい物件がそうそう見つかるはずもなく、次に当たる前に軽く腹ごしらえをと、スーパーで安いおにぎりとコーヒーを買った。だが、食う場所がなかなか見つからずに、結局海辺まで来てしまったのだ。
砂浜に降りるための階段に腰掛け、おにぎりのフィルムを剥がす。風に飛ばされないようにゴミをカバンに突っ込んで、パリパリの海苔にかじりつく。無心で食べて終えて、胸元や膝のうえの細かい海苔のくずを払う。腹が落ち着いたら立とうと、ぼんやりしていると、視界の端に、何やら動くものがあった。
水遊びでもしているのか、女性がひとりで波打ち際より少し奥に向かって歩いている。膝丈のスカートの裾は、波に触れそうで触れない。
──あんなに奥へ行ったら、急に足を掬われるぞ。
砂浜から海へ入ると、波打ち際から1メートルかそこらでぼっこりと、落とし穴のように地面の砂地が抉れていることがある。一気に足がつかなくなるので、下手を打てば本気で死ぬ。だから海辺育ちの俺などは、たとえ浅瀬でも、着衣で水に入ることはしない。
心配しながら見守っていると、不意に女性の姿がかき消える。言わんこっちゃない! 俺は荷物も放り出して駆け出した。足を取られて沈んだか? 海に白い手が生えた。助けを求め、パタパタと手招きするようにうごめいている。
「だれか! 溺水です! 118お願いします!」
声の限り叫ぶ。ひとがまばらなせいで、反応はない。観光客も散歩のおじさんも、道行く車もこちらを意識している風はなかった。俺は一瞬迷い、スマホを取った。118を押したが、無情にも圏外で発信できない。女性がいるのは浅瀬だ。俺でも救助できるだろうか。
考えるより先に海に入る。ダウンを脱ぎ、砂浜に放る。白い手を掴もうと腕を伸ばして、気づいた。頭はどこだ? それに、この腕、何かおかしい。
先程の女性の腕なら、長袖かコートでも着ているはずだ。真冬の風吹きすさぶ海岸で、二の腕まで剥き出しの格好をするバカはいない──
白い手は、それ自体に目でもついているかのように俺に向かって手招きする。これ絶対ヤバいやつ……! とっさに浜に取って返そうとした足が、強い力で沖へ引っ張られた。体勢を崩し、両手両膝をつく。うしろから冷たい波を被って、塩辛い水をうっかり飲んだ。白い手は、本数を増やし、獲物を見つけたイソギンチャクのように、無数に俺に絡みつく。
「だ、だれか……っ」
助けを求めた俺の耳が、頼もしい声を捉えた。
「破ァァァ────ッ!!」
閃光が俺の頭上を超えていく。囚われていた身体が軽くなった。死にものぐるいで海を出て、砂に転がる。濡れたからだじゅう砂まみれになって、大きく咳き込む。肩で息をして、呼吸を整えているうちに、足音が近づいてくる。軽く小さなものと、ゆったりと歩くもの。顔を上げると、女の子と目が合った。
小学校低学年くらいの女の子が、首からチェキカメラを下げ、手にはアニメ絵の凧を持って立っている。あとから来たタツコさんを見上げ、ややあって、口を開く。
「ママ、これあげていい?」
「いいよ」
マ、ママ!? いや、子持ちなのは存じておりましたが、ママなの!? おかあさんとかじゃなく!? 内心動揺している俺の目の前に、スッと差し出されたのは、チェキだった。ひとが四つん這いの状況でも怯まない子も、たいがい凄い。
「ありがとう」
片手で受け取って、凍りつく。チェキには、大根干しの遠景に、白い手の大群に襲われる俺が写り込んでいる。もしかしなくてもこれ心霊写真んんん!
「ミヤコ、このひとはママと同じ会社のひとで、鳥塚くん」
「ミヤコです。ママがお世話になってます」
タツコさん。ご紹介はありがたいのですが、せめて、こちらが身を起こしてからにしていただけないかと。ご丁寧なご挨拶をびしょ濡れ砂まみれ四つん這いのまま受けた俺は、しみじみ思った。
除霊しようが心霊写真が撮れようがお構いなしに日常を過ごせるなんて、寺生まれって親子でスゴい。
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