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第37話

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幸か不幸か奴を殴れるチャンスが来たと喜ぶべきかもしれない。

そう思えば、気は楽になる。

俺は桔梗に事の真相を伝えようかと逡巡するも、携帯を握る手を緩めた。そんなものを伝える必要も、価値もないと考えたのだ。

そうして、徐々に、頭が冷やされ、冷静さを取り戻したとき、眼前に漆原がいた。

また、彼は数人の人間に囲まれていた。

どれだけ大きく見せようと、憶病で寂しがり屋な男らしい光景に、笑みさえ漏れる。

「………おお。上原。きたな。それで話し合いってなんだ?」

漆原はニヤついた顔でこちらを見ると、すぐに感嘆の声を上げた。

彼の隣には岡本だか、片倉だか知らないが、見るからにガラの悪そうな連中が数名おり、これまたニヤついた笑みを浮かべ、こちらを見ていた。

「ああ。そうだな。………橘をやったのはお前だな?」

俺が端的に質問すると、漆原は少し眉を顰めた。俺が数名の男を前に、動揺すると踏んでいたのだろう。

しかし、未だ、その笑みは取れない。

「は?………知らねぇなぁ。橘ってなんかあったのか?お前、それなら、こんなとこにいないで、橘の看病でもしてやったらどうだ?」

そうして、漆原の嘲笑がガレージに木霊する。漆原は隣の片岡に「知ってるか?橘ってイケメンだよ?」と話を振り、片岡は「ああ。そいつならうざかったから俺等でシメたじゃん?」と答えた。

「そうだっけ?俺はあそこまでやれとは言ってないけど、片岡くんがやり過ぎたんだろ?足折ることはねぇだろ?」

周りの奴らも便乗し、笑い合って、皆、口々に橘を罵倒する。複数人で寄ってたかって、殴り、リンチした相手を、さらに罵倒し、嘲笑する奴らに対し、俺は嫌悪感しか抱かない。

半笑いで口角の上がった奴の顔面の醜さに反吐が出そうだが、しかし、4,5人相手はこちらも分が悪い。

「あいつ、マジで弱かったよなあ?」

「はは。一発で倒れやがったからな……漆原も倒れたところを殴ってただろが?」

「そうか?いや、あいつがウザいのが悪いだろ?」

奴にどんな理由があって橘を殴ったのかは分からない。
しかし、ロクなものじゃあない。
それを、明かして理由を伝えてやれば皆の気持ちも少しは晴れるかと考えていたが、それもどうやら叶わないようだ。

「いや、あそこまで無抵抗ない奴、相手だと流石に俺でも悪いかと思ったが………あいつウザいじゃん?………で、上原よぉ。お前も俺等にシメられてぇのか?あ?………お前もうぜぇからいつか殺してやろうと思ってたんだぜ?」

最後の「ぜ?」の音が聞こえる前に、俺はそこらにあった石を片岡の顔面に投擲した。鼻頭に直撃し、少しの血が見えたが、俺はそのまま走っていき、隣で笑っていた名も知らぬ男の顔面に膝をめり込ませた。

鈍い音が聞こえ、地に伏した男の腹を踏みつけ、鼻を抑えている片岡の腹を蹴り上げた。

一瞬の出来事に、戸惑いを隠せない漆原は後ずさると、すぐに別の男を見る。助けを求める顔であった。

しかし、周りの連中も今までの余裕の表情は消え去り、急に石を投げられ身もだえる片岡を見て、恐怖、驚き、不安が各々、表情に出ていた。

「足折られるより、マシだろ?鼻の一つや二つ」

俺は再度、鼻を抑える、片岡の顔面を蹴り飛ばした。そうして、周りを見て、一番手前にいた奴の髪を掴むと、こちらに手繰り寄せ、そのままもう片方の拳をねじ込んだ。そうして、何発か、往復するうちに、そいつの顔が徐々に見えなくなってくる。

血の色もまた懐かしい気がするが、いまとなっては馬鹿な記憶でしかない。

皮から肉へ、骨がぶつかったような感触が生々しく伝わる。
それは新鮮でもなく、やはり既視感でしかない。

残りの数名は、俺が殴っているのを止めもせずにただ固唾を呑んで見ていた。片岡という人間がいてこそのグループであり、先ほどまでの余裕であったのだろう。

粋がっていただけの漆原の友達グループは、リーダー格の片岡が落ちたことで、すぐに瓦解する。

俺が目を合わせると、身をのけ反らせ、倒れている人間を残し、走り去っていった。

思っていたよりも浅い関係性だったようで、俺は倒れている片岡を起こすと、再度、腹を蹴り上げた。

咳き込む片岡の、手が見えたので、踏みつけてやると、何か喚きだしたので、また腹を蹴り上げ黙らせる。

一矢報いようと、片岡がこちらを掴もうとするが、それも蹴り退けて、血だらけの顔面に再度、拳を叩き込んだ。

複数人相手は分が悪いと思っていたが、周りは片岡に合わせていただけで不良ではなかったのかもしれない。

今回は余裕で決着が尽きそうだ。俺は肩を回して、当惑した様子の漆原に視点を移す。

「おい………漆原。お前の友達逃げちゃったな?」

俺は何も面白くないが、少し自分の口角が上がるのを感じた。単なる、最終通告だ。

「マジかよ………片岡くんもすぐにやられすぎだろ」

漆原は俺の隣で血の泡を吹いて倒れている片岡を一瞥し、眉間に皺を寄せる。今や、奴の笑みも余裕も微塵も残っちゃいない。

「いや。次はお前の番だろ?」

「クソが!!上原!!」

奴の怒鳴り声も、せせら笑いも、嘲笑もいい加減に聞き飽きた。俺は奴の顔面を殴ると、そのまま勢い余って、漆原を後方へと、殴り飛ばす。

奴の体勢が崩れて、俺はマウントポジションを取って、奴の腹を足でホールドし、とにかく2,3発、顔を殴り飛ばした。

「歯が折れたかもしれないな………お前、最近、俺が喧嘩してなかったから弱くなったと期待でもしていたのか?………うーん。度し難いアホだ」

俺はまた再度、拳を叩きこむと、漆原の澄ました顔は赤く腫れて、鼻からは血が垂れていた。

「カ、カハッ………もういいだろ?………た、橘のことは謝ってやるからよ」

力ない声が耳に入った。

それを目の前のこの男が発してるらしく、醜悪に思え、またこれでは弱者を嬲っているようにも感じてしまう。

「橘をやった理由はなんだ?」

「あいつが………煙草を………煙草を」

「ハキハキ話せよ。面倒だ」

俺は顔を殴ると、話しづらいと考え、横っ腹を殴った。特に鍛えているわけでもなし、俺の拳は奴の腹に綺麗に吸い込まれていき、咳き込む漆原が話せるまで待つ。

「だから………!!煙草のことをちく……チクるとかって言うから」

もはや小学生のような言いぶりに、こちらはため息しか出ない。何故だろうか。虚しさと、また未来のこいつが俺のすべてを奪う可能性があることが心底、馬鹿らしい。

「それで………お前なにグレてんだ?お前を心配して橘は来たんだろ?」

「へっへへ頼んでねぇよ」

最後の足掻きで下手に笑う男を俺は苦虫を噛み潰したような顔で見ていた。
それなら未だ虚勢を張る彼の根本をここで開示してやるだけだ。

「お前、俺に対しても明らかに不自然だったよな?………俺が桔梗と親しくなってからか………なんだ?お前、桔梗が好きだったのか?」

「ゔえはらーー!!!!」

俺が奴の目を見て、適当に話すと、彼の目が尋常ではないほど開いて、俺へと手を伸ばしてきた。
すんでの所で避けると、血を吹く漆原の横っ面を殴打する。

「そんな理由か………もっと簡単で、綺麗な終わらせ方もあったろうに………橘に手をあげた時点で終わりだ」

「………し、知らねーよ。お前がうぜぇか………ら。お前みたいな奴があいつと釣り合うわけねぇだろ!!?」

俺は奴との支離滅裂な会話にも辟易し、己が恐怖する未来のなんと小さいことかとため息が漏れた。

「ああ。面倒な男だ。………ここでどんな講釈を垂れようと、橘のようにお前を説得しようと意味などないんだろうな………時間が経って、ああなる前に、お前を止めようとする奴はいただろうさ。それでも止まらずに、あそこまで行って、初めて気が付くんだ。一花だろうとなんだろうと勝手に咲かせてろよ。この時間はお前にとっては無駄だったんだ」

俺は奴の怯えた顔を見て、腹の中のすべてが自然と漏れ出ているのを感じた。いわば、これは虚無感だろうか。

脱力した俺の顔を見て、漆原は最後の力で、手を伸ばすも、その不審な動きに俺は合わせ、奴の腹にもう一撃食らわせる。

そうして、漆原の右ポケットから出てきたナイフを後方へと放り投げ、再度、奴の顔面を殴った。

「ウエ……ハ…ヴエ………」

「いいよ。もう話さなくて。どうせ時間の無駄だ。今ここでお前を殺すことも馬鹿らしいし、それでは意味がない。かといってお前のような人間を説得し、ここですべての芽を摘むこともむつかしい。俺はある種、同じ境遇だったからそのすべてが治るとはどうしても思えないんだ。なら、あとは腹いせにお前を叩きのめすくらいしか俺には思い浮かばないんだよな」

俺が後、数発殴ると漆原は抵抗を止め、その後、立ち上がって足を踏み潰すと、俺は今日、何度ついたか分からぬため息を漏らした。

完膚なきまでに漆原を叩きのめしたが、なんの気も晴れず、これでは未来の悲劇を自ら招いたようなものである。

そうして、こんなものに不安を覚えるのならば桔梗の案に乗るのもありだなと、投げやりに思考を放棄した。

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