いつも見ている

プーヤン

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第3話

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今日、相も変わらず彼女を待つ。

それだけが楽しみだから。

しかし、それは突然起こった。

今日も2時15分に外に出て彼女を見ていると、不意にアパートから影が寄っていくのが見えたのだ。

なんだろうとその影を見ていると不意に彼女と重なった。

その影が彼女に近づいて外灯の下に出たとき初めてそれを理解した。

それは僕のアパートの隣の部屋に住んでいる大学生だ。そいつは身なりも良く、長身であり顔の造形も良かった。サークルの加奈子の彼氏にも似ていた。

そいつが彼女に話しかけると、彼女は今までの無表情がウソのように顔を綻ばせ、泣きながら男に話していた。

その様子を部屋から見ながら、思考が錯綜する。

なんだあいつは?

彼女は幽霊ではなかったのか?

いや、そんなことはどうでもいい。

あいつは彼女となにを話している?

それよりもなによりもあの無表情であった彼女があんなにも幸せそうに話している姿に胸が痛む。

何故だ?

何故あんな男にそんな顔をする?

おかしいではないか。そんな男は大学に行けばそこら中にいる。全く何も考えておらず群れて生き、その姿は他の人間の模倣のようで個性の欠片も感じられないやつらだ。

話せばこいつは頭に蛆でも湧いているのではないかとその頭蓋から突き破った蛆がまるで数珠のように連なり頭に巣食っている様子が見える。いわば思考を放棄した馬鹿者の集団だ。あの男もその一人のように見える。

そんな男となぜあのような顔で会話する?

僕という人間がいながら何故にそんな顔で接するのか?

僕はその時、何故か怒りで我を忘れて彼女を見ながら自分の指を噛んでいた。

その指から鉄の味がしだしたときに、何に耐えているのか分からなくなって唾液と血の混ざった傷口を見て落ち着く。

そうして息を殺して男を見る。

あいつはなんだとはらわたが煮えくり返る思いでその男を射殺すように睨みつける。

その時、こちらにも聞こえる悲鳴のような叫び声が聞こえた。

それは遠くから聞いて分かるように彼女が発した声だった。

何故か取り乱す彼女と、それを宥める男の図であった。

その後、泣き叫ぶ彼女を置いて男はアパートに戻ってくる。

彼女はその場にへたり込むと、泣いた顔をぬぐっていた。本当に泣いているかは未だ分からないが、あの悲痛な聞いているのも苦しくなるような叫びを聞けば誰だって不安になるだろう。

僕はさも今、その声を聞き尋常ではない事態に気が付いたといった顔で玄関から飛び出した。

そうして、エレベーターが動いているのを確認すると、静かにそこで待った。

すると、エレベーターが僕の部屋の階で止まったのを確認し、下りてきた男に尋ねた。

「えっと…………先ほど大きな声が聞こえましたが大丈夫ですか?」

男は怪訝そうな顔でこちらを向くと、煩わしいと言ったような口調でその酷くとがった口を開いた。

「ああ…………まあ大丈夫です。あの変な女が絡んできただけなんで。」

「警察呼びましょうか?」

「いえいえ。良いっすよ。馬鹿なストーカー女なんで。別にもう帰るでしょうし。」

「そうなんですか。では。」

僕は何食わぬ顔で自室に戻った。

そうか。違ったのか。

なんだ違ったのか。

彼女は僕を見ている訳ではなかった。

いつも僕ではなく隣の部屋の男を見ていたのだ。

彼女が雨の降る中、傘を差さずに体を震わせ見ていたのはあの男だった。

毎日毎日、決まった時間に来てはあんなに愛おしそうに眺めていたのは僕ではなかったのだ。

毎日欠かさず現れていたのはあんな馬鹿な男のためだったのか?

なんだこれは?

一人で馬鹿みたいに妄想して、一人で恋にしがみついて。

僕は嘘でも幽霊でもなんでもいいから僕を見ていてほしかった。

彼女だけは僕を見ていると信じていたのに。

皮がめくれて血のにじむ指を見ながら、酷く荒んだ心を落ち着かせようと珈琲を淹れる。

どうしていつもうまくいかないのか?

ため息とともに心中に渦巻く喪失感も消えてはくれないものだろうか。

なんとか指の痛みで、冷静になるとその指の血を洗い流すために洗面台に行く。

ボーッと鏡の前で先ほどのことについて考える。

血が止まっても水を流し続けても思考も止まらず溝に流れ込んでいく感覚に陥る。

ふと鏡を見るとそこには目の落ち窪んだ人間が映っている。

勿論、僕なのだが昔の僕とは全く変わってしまった自分がそこにはいた。頬もこけて髪は長く不潔に見える。虚ろな小さな目だけが蟲のように顔の中心で歪に動いている。無精ひげがそこらに生えて自分で見てもまともな人間とは思えない。

しかしあんな男よりはマシだ。

ああ。どうして彼女はあんな男に。

どうして。

どうして。

どうして。

涙がこぼれてくる。頬に伝う涙はやがて洗面台に落ちて、僕の日常の一部に溶けていく。

それは心から悲しいと声を発せない僕の心の代弁なのかもしれない。

そうして自分の顔を悲観的に見ているうちにそれは新たな自分なのではないかと思えてきた。

泣き止むと共に新しく自我が芽生えた気がした。

それは彼女が教えてくれた自分という人間だと。

彼女があいつを待っている。しかしあんな男は彼女に何もしてあげられない。ならば僕が彼女に何かするべきだ。

いや僕にしかできない。

そうだ。

ちゃんと彼女に会いに行こう。

体も清潔にして、髪も切り、髭も沿って人前に出れるような人間として彼女に新しい僕を見せよう。

そうだ。そのまま僕らはまた見つめ合えばいい。

愛し合えばいい。

ああ、しかし彼女も人の子だ。

どうにもあいつらは僕の周りでブンブンと煩い羽音を立てて、僕の彼女を誘惑する。どうしよう。

そうだ。

ああ。そうだ。

彼女と一緒にいられる方法は至ってシンプル。単純明快だ。

そうだ。そうしよう。

彼女も僕といることのほうが幸せな筈だ。

これが二人の幸せになるならしょうがないが少ない金をつかってしまおう。僕と彼女との未来への投資だ。

ああ。楽しみだ。

どんな顔をしてくれるだろう。

ああ。楽しみで胸がはちきれそうだ。こんな高揚感に包まれるのは何年ぶりだろう。

僕は明日に備えてその日は早く就寝した。

打ち震える。
止められない感情はもはや客観視できるものではなく、止めどない欲望は自分を食い破って、新たな自分を形成した。

ああ、明日が楽しみだ。
 

 

よし、もう準備万端だ。

髪も美容院で切り、そこの美容師も上手くできたと褒めていた。

服もブランドものを購入し、少しは見栄えも良くなったのではないだろうか。髭も剃って顔もいつもよりも美形に見える。

ああ。そうして袋にはちゃんとすぐには切れない頑丈なロープと二人分の食器に寝具などを買ってきた。

ああ。楽しみだ。

早く夜よ来い。

ああ早く。

ああ。

ああ。

あ。

来た。

彼女だ。

今は2時15分だ。

今日も時間通りタバコを吸おうかと思ったが、胸の動悸が収まらず今日はやめた。

彼女がタバコを嫌うかもしれない。

それは今後、話あえばいいのだがまあ今日はやめておこう。

気が利くのは僕の持ち味だ。それは彼女も僕を好きになる要素になりえるだろう。彼女は僕の優しさを享受し、僕に恋する筈だ。
僕のように恋するのだ。

僕は入れたれの珈琲を飲みながら彼女が来たことを視認する。

そして袋の中身を確認すると、満面の笑みで部屋を飛び出した。

 
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