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第2話 バンド始めました。
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カタカタと不気味に揺れる髑髏。
ガギ、ゴギと筆舌に尽くしがたい擬音を発する緑の小人。
悪臭を身に纏って、豚の頭に肥えた体を持つ二足歩行する生き物。
四肢を切り飛ばせば、謎の液体が噴き出し、バケモノは体を成さなくなる。
しかし彼らも生きているのだ。
自らのコロニーを形成し、森や谷、岩陰、水辺に暮らしを保持している。
人と同じように家族や仲間もいる。
しかし、人間の領域を犯すバケモノには制裁を。
人間を襲うバケモノには死をもって勇者は制裁を与える。
一体、どちらが先に領域を犯したのかは僕にはわからないが。
また、そういったバケモノの類だけではなく僕がいる国と相対する人間。
所謂、自分のいる国ではない他国との戦争。
縁もゆかりもない地で、知らぬ人間を斬り殺すのだ。
それは、歯向かう者すべてだ。
戦争だから当たり前だ。
その先頭に立って、敵を殺すのが勇者の仕事なのだ。
人を殺すとうことに戸惑ったのははじめの一人、二人だけだ。
一人殺せば、百も千も違いない。
何故、こうも僕の前に死体が山を築いているのだろう?
いや、ふと我に帰る瞬間があるのだ。
学生に戦争など理解できない。
しかし、自国の勇者は、在籍する国を守るのが普通だ。
有無を言わさず、戦前に立つ。
涙ながらに命乞いする他国の人間を切り飛ばすことも普通なのか?
ああ、また目の前で命が散った。
こうも命は軽いものか?
命でお手玉するかのように、散る命の真ん中に存在する人間になった。
ああ、また散った。
僕は死体の上に立って勇者を名乗る。
勇者の仕事とは、命を奪う職なのだ。
おかしい。
いや、おかしいのだ。
普通なら発狂していてもおかしくない事態である。
しかし全く精神の異常もなく、こうして命を摘み取っている自分を疑う。
異世界では自分が自分ではないようだ。
あちらにいるときは何の疑問も抱かず暮らしているのに、こちらの世界に帰ってくると異世界での自分の行いを悔いる。
これが、夢であれば。ただの夢であればと願うのだ。強く強く願うのだ。
今日が終われば、明日もまた学校に行きたいと。
異世界ではなく、こちらの世界を生きたいと。
昨日の部室で出会った後輩を思い出す。
能天気に部室にきて、僕の練習の邪魔をしてきた後輩。
彼女と話しながら帰っているとき、ふと異世界のことを忘れられた。
僕の意味不明な質問にも笑って答えてくれる生意気な後輩と話しているとき、心が軽くなった。
ふと、また彼女に会いたいと思った。
桜が完全に散り、五月の始まり。
四月の肌寒さはなく、過ごしやすい気候につい惰眠をむさぼってしまう。
春眠暁を覚えずとはよく言ったものである。
自宅から30分ほど電車に揺られていれば高校は見えてくる。
昨日、入学したばかりとも思われる心持で、未だ慣れない校舎に着く。
私は校舎だけでなく、クラスの人間にも慣れていないが。
この時期になると各々がグループを形成し、皆が友達を作っている。
しかし私は一人、教室の隅の席で楽譜を見ている現状。
確かに新入生のあるべき姿ではないし、想像していた学生生活ではない。
しかしこの現状は私にとって重大な問題ではない。
軽音楽部に入って目下の悩みと言えば、やはりバンドを組まなくてはならないと言うこと。
他の子はどんどんバンドを組み始めている最中、私はギターを練習するためにすぐ帰宅するため、バンドメンバーの一人もいないという。というのは言い訳で単に新しい人間関係に戸惑っていた。
本末転倒とはこのことだ。
しかし、私にとっての悩みはそれだけではない。
先輩と話す機会がないのもまた悩みの一つである。
あの日以降、先輩とは一切話していない。
部活紹介の時も彼は隅っこでギターを弾いており、新入生歓迎の会なるものに参加していなかった。
先輩は自分のバンドの練習の時しか顔を出さず、私も部室に行けていない現状、当たり前のことではあるが。
連絡先も何も知らない先輩とコンタクトを取ることは難しく、またバンドメンバー探しも難航している今、やはり兎にも角にも部室に行かなくては何も始まらないと、放課後少し部室を覗くことが今の私の日課となっていた。
いつものように部室にお邪魔すると、二、三年生の先輩達がバンド練習をしている中、部室内の隅の方に見知らぬ女子がいた。
部活の一年生の顔もそろそろ把握してきた時期であったが、部室の端で椅子にその小さな体を預けている女子のことは知らなかった。
彼女は小動物のような双眸をパチクリパチクリ瞬かせ、先輩達の演奏を興味深そうに眺めていた。
彼女はどこか不思議な雰囲気がある。
小さな体に、小さな顔は可愛く、どこか借り物のようにその体躯を小さくさせて目立たせないように努めているが、この部室で彼女の美貌は目立つ。
遅れて部室に入ってきた部員も彼女を遠巻きに眺めていた。
私は思い切って彼女に話しかけてみた。
悩んでいても始まらない。こうして初めて会う人に話しかけることで輪を広げていかないとバンド結成など夢のまた夢である。
「あの、一年生の方ですか?違ったらすいません」
やはり、初対面の人に話しかけるのは慣れない。思わず、声が裏返ってしまった。
「はい、そうです。貴方も一年生?」
「はい。あの、では」
「え!!?、一年だったのか!俺も一年だよ!何組!?」
私の言葉は急に遮られた。
威勢の良い男子生徒に阻まれたのだ。
さては、この男子。誰かが話しかけるのを狙って待っていたな。
ずっとこの美少女に話しかけようとタイミングを見計らって、私が話しかけたのを見て声をかけてきたな。
彼が話しかけたのを皮切りに他の部員も集まって彼女に質問しだす。
私と彼女は気づけば、部員に囲まれていた。瞬く間に出来上がった、彼女を中心とした人のサークル。
こう人が密集していると息がしづらい。
私は二、三歩彼女から距離を取り、彼女に群がる部員から離れた。
遠巻きに見て、彼女は狼狽したように表情を曇らせながらも部員に応対していたが、やはり、こう人が多いと私では助け舟は出すことは出来ないし、私ももう質問しようとは思えない。
私は五時になると、この場から立ち去るタイミングを見計らい、部室を後にした。
未だ、人が多い場所に慣れない。
高校に入ったときはワクワクとした高揚感に包まれていたのに、今では毎日をただ消費しているだけのように感じられる。
ため息は春の風に乗って消えていくのに、私の中には言いようのない感情が未だ蜷局を巻いている。
こんな自分が嫌になる。
中学校時代には友達もいたのに、だれも知り合いのいない高校での再スタートがこんなにもむつかしいとは思わなかったのだ。
さっきも、大勢の中で会話に参加し、他の子とももっと仲良くなってバンドメンバーに誘えばよかったのに、こうして逃げ帰っている自分に嫌気が指す。
私はいつのまにかコミュ症になっていたのか。
これでは、いつになったらバンドを始められるのかとため息も漏れでてしまう。
「あの、さっきの部室の」
その時、声をかけられた。
私が自分の性分に悲嘆していると女性に声をかけられたのだ。
振り向くと先ほどの部室の美少女がいた。
夕焼けが彼女の長く艶のある髪を透かして、チラチラ乱反射しているのが絵画のようで、息をのむ。
声を出そうとして、息だけがスッと口から出るのを感じ、咳込みながらも彼女に応答する。
「あ、クスン。えっとさっきの。部員の人達との話は終わったんですか?」
「終わってはないですけど、切り上げてきました。今日は見学に来ただけなので。……部員の人たちって、すいぶん他人行儀な言い方。貴方も部員ですよね?」
とクスっと笑う彼女もまた可愛い。
こうも完璧な女性を前にするとその美貌に嫉妬などという感情は毛ほども湧かない。
「あ、私は辻井 瞳(つじい ひとみ)と言います。一応、軽音楽部に入る予定です」
「そうなんですね。軽音楽部は楽しいし、楽器の上手い先輩もいるのでお勧めですよ。それに思ったほどチャラくはないですし」
突然の彼女との会話に頭がこんがらがり、意図した言葉が出てこず散らかった言葉が宙に並ぶ。
「でも、私、楽器初心者なんです。だから、まだ迷っていて…………」
彼女は少し憂いを帯びた視線をこちらに向けると、また微笑をたたえた。
「あの、なんで、私たち同学年なのにお互い敬語なんでしょう?それに、お名前をまだ伺っておりませんでした」
いや、貴方がその育ちの良い話し方なので合わせてたんですよと私は心の中でつぶやく。
「あ、私は桜井 琥珀と言います」
琥珀さんと、反復して小さくつぶやく彼女はちょっと愛おしく見え、わざと敬語をつかう。
「初対面の人に敬語抜きで話すのはやっぱりむつかしいですね」
「ああ!敬語禁止にしましょう!桜井さん…………いえ、琥珀は!」
前のめりなった彼女の頬がほのかに赤く見えるのは夕焼けのせいではない。
その姿に思わず私は笑ってしまう。
「なんで笑うの………頑張ったのに。もう。コホン。琥珀は楽器は何やってるの?」
彼女は恥ずかしさを隠すためか、仰々しくわざとらしい咳払いをして私に問う。
「私はギターやってるよ。瞳はなんの楽器をしたいとかある?」
「うん!私はベースが良いかな。かっこいいし。音が低くて、こう心臓に響く感じがこっちで生きている気がするの」
瞳は私の砕けた話し方に満足したのか、満面の笑みで答える。
「そっか。じゃ、じゃあ。私まだバンド組んでないし、もしよければ私とバンド組まない?瞳とならなんか楽しく音楽できそうだし」
意を決して誘う私の声はやっぱり少し上擦っていた。
それはそうだ。こんな出会って間もない人間からの誘いに乗る人は少ない。
断られる可能性が多分にある。
しかし、その誘いを受けた瞳は私の精一杯の思いが届いたのか、真剣に悩んで目を伏せてン~と考え込む。
「でも、私は楽器初心者だよ。それでも大丈夫かな?琥珀の足を引っ張らない?」
「大丈夫。私もまだちょっとしかギター弾けないけど、分からないことはすぐ教えるし、バンドは楽しかったらそれでいいんだよ」
私の言葉を聞き、瞳はまた思案する。
彼女とこうして一緒に帰っているというのもなんの因果なのか。
この好機を逃すわけにはいかない。
もし、今別れたら、この先、一生彼女と話すことはないかもしれないという行き過ぎた妄想のような思考が私を襲った。
私はただ静かに彼女の答えを待つ。
会話がなくなり、足音だけが耳につく。
今まで意識していなかったせいか、車の排気音、烏の声、町の喧騒などが耳障りなほどよく聞こえてくる。
それほどに、彼女の回答を待っている時間は長く感じられた。
彼女は悩み、そして空を仰いで、瞳を閉じた。
「そっか。ならやってみようかな。うん。私も軽音楽部入るね」
彼女がそう明確に自分の意志を伝えてきたから、私は狼狽し、また首肯してくれた際の答えも用意していなかったため、吃音交じりに「や、やった」と答えるので精一杯であった。
夕焼けを背景に笑う彼女が可愛らしく、それが幻想的な写りだったからなのか、はたまたバンドメンバーが一人増えたことで、胸がいっぱいになったからなのか、私は泣きそうになり唇を少し噛んだ。
乾いた唇に犬歯が食い込んで思ったより痛くて、やっぱり少し涙がでた。
その後、瞳という友達を得た私はこの調子でバンドメンバーもすぐに揃うだろうと安易な考えを抱いていたのだが、現実は非情である。
瞳とこの間、部室で話したらしい、女子がドラムをやってくれるという話からとんとん拍子にボーカルも見つかると思っていた。
しかし、この皮算用はうまくいくことはなかった。
ボーカルは手が出しやすいパートでありながら、その実むつかしい。
楽器ほど練習の成果が出るわけではなく、個々の才能に依存する面が多分に含まれるものだからだ。
また、私たちのバンドが今のところ皆、女子のみで構成されていることも要因の一つに挙げられる。
ボーカル探しに難航していた私たちだけが、バンド練習を出来ない現状に苛立つ日々である。
部室の中で他の一年生バンドはさっそく初めてのバンド練習を終わらして、曲の話や、学校外でのスタジオでの練習の話など、こちらが嫉妬の目を向けていようがお構いなしに話している。
くうっと恨めしそうな声を上げ、鬼をも殺せそうな目で彼らの動向を追っていると、不意に頭をはたかられた。
「こらっ。琥珀は美人さんなのに、いつもそんな般若のような顔をする」
困り顔の瞳が私を窘める。
「美人さんて………というか、しょうがないじゃん。こっちは血眼でボーカル捜索活動をしているのに、向こうでお気楽に話されたらそりゃあ気が滅入るわよ。瞳には分らないのよ。待たざる者の気持ちが」
「いや、私も同じバンドでしょう…………この子はほんとに」
いまでは、漫才師のようなやり取りもお手の物。
瞳との距離は確実に縮まっている。
しかし、この如何ともしがたい状況を打破しなければ、私たちのバンド活動は始まらないのである。
「聞いてよ、彩羽。また、勝手に一人で悩んでるのよ、この子は」
「あらま。しょうがないのは琥珀だよ。ねえ、知ってる?琥珀は今まで誰とも話さないからクールービューティーって陰で言われていたんだよ。なのに、いざ話してみるとこんなポンコツだったとは………初めて会った時の緊張感を返してよ」
この言われよう。許せん。
私は部室に現れても、他の一年生とあまり話さないことから、このような不名誉なあだ名をつけられていたと知った。
こんな、うじうじと悩む人間のどこがクールなのかぜひともそのあだ名の名付け親に尋ねたいものである。
そして、このズケズケものをいう眼鏡っ子は瞳が連れてきた、前述のドラムスの子である。
名は不知火 彩羽(しらぬい いろは)という。
彩羽、瞳との仲は良好であるが、それゆえこの三人の雰囲気に馴染めるボーカルを探さなければならないということもまたボーカル探しのネックになっている。
私たちは購買のホットスナックをポリポリと齧りながら、今後のボーカル探しについて思案する。
「あ、そういえば、あの部室で初めに瞳に話しかけていた男子は?彼、歌がうまいと自分で言っていたよ。 」
いや、始めに話しかけたのは私だぞっという思いもあるが、それよりその男の子の顔が思いだせない。
それに、話に割り込まれたことをまだ少し根に持っている私もいる。
彩羽が現状を見かねて、提案してきたが、私も瞳も難色を示す。
「んー、と。いい人ではあると思うよ。でもね…………女の子の中に一人、男の子はやりずらいんじゃない?」
「まあ、自分で歌をうまいと言うやつに上手いやつはいないよ。それに、瞳に気がある時点で却下。この小動物みたいな子があんなチャラいやつの猛攻を阻止できるとは思えないわ」
「あんたは………琥珀はなんなんですか?瞳の母親なんですか。過保護ね。まあ、私もとりあえず提案しただけで、彼を誘うつもりは毛頭ないけどね」
ため息交じりに、私に小言を言う彩羽に、瞳はパチクリと目を点にして、頭にハテナマークを浮かべて事の次第を見守る。
「とりあえず、女の子のボーカルで、私たちとも仲が良くなれそうな陰険でジメジメっとした可愛い子がいいわね」
「いや、そんな子いるわけないでしょ。それに、陰険でジメジメっとしているのは琥珀だけでしょ。私と瞳を入れないで」
「え?私たちバンドメンバーでしょ?私をジメジメ担当にしないでよ。みんなもジメジメ陰湿バンドにはいってよ」
「絶対いや」
とこんな下らない生産性のない会話は続く。
話はボーカル捜索の話から外れて、自分の趣味だとか、クラスでの出来事、好きなアーティストなど右往左往の末、夕刻になると皆が見計らったように帰り支度を始めたことで終わりを迎えた。
確かに、このままではバンド結成はしたものの練習ができない。
しかし、こうして三人で放課後を談笑するのも楽しくて、つい話が盛り上がってしまう。
高校に入って、初めての友達との会話に浮足立っているのも確かだが、私はやっと高校生活が動き出した気がした。
とすると、声が聞こえてきた。
「まだ、残っている人いたんだ。一年生、もう下校の時間だよ」
私たちが揃ったように、声の方に振り向けば先輩がいた。
久しぶりに先輩と話せることに、胸躍る気持ちがあるのは確かだが、ここで不用意に浮かれていては、二人に怪しまれることは確実である。
私はなるべく平静を装い、先輩に話しかける。
「あ、飛騨先輩。お疲れ様です。もう帰るところです」
私が挨拶すると、二人も並んで挨拶する。
「あ、琥珀、彩羽。私ちょっと先生に呼ばれてたから、先に帰っておいて」
と瞳はなぜか慌てた様子で部室を後にした。
二人で彼女を見送ると、先輩がふと目をテーブルに落とす。
「バンドの相談?」
先輩は私たちが相談に使っていたバンド名候補や、ボーカル候補のかかれた紙を一瞥し、不意に質問してくる。
「そうなんですよ。二年生で一年坊のバンドで歌ってくれる人知りませんか?」
私は、今、平常心を保っているだろうか?声は上ずったりしていないかと要らぬ心配をしながら先輩に応対する。
「ちょっと琥珀、流石にいないでしょ。一年のバンドに入ってくれるひとは」
「そうだね。二年のボーカルはもう決まったバンドがあるからね。むつかしいと思うよ。今年の一年はベースが多くて、ボーカルが少ないし大変だね」
先輩の同情を帯びた目にやっぱり駄目かと落胆する。
あの時、瞳をボーカルとして誘えばよかったと斜め上の方向に思考が行ってしまい、後悔してしまう。
私が馬鹿な思考を走らせていると、先輩はうーんと唸りながら、私の目を見て、とんでもない提案をしてくる。
「ボーカルが見つからないんだよね?じゃあ、桜井さんが歌えば?ギターボーカルとして」
「ああ!それ、いいですね。そうだよ。琥珀、歌いなよ」
同調する彩羽は良い答えを見つけたりっと私に進言してくる。
それに私は言うほうは簡単だよねとため息をつく。
「ギターも満足にできないのに、歌いながらっていうのは無理じゃないかな…………」
私の卑屈な言葉に、彩羽はすこし眉をひそめた。
「まあ、無理強いする気はないよ。瞳が歌ってもいいしね。ベースボーカルもかっこいいよね」
そう言われると、腑に落ちない。
なんと気難しい性格なのかと自分がまた嫌になるが、期待はしてほしいのである。
しかし、その期待に応える自信がなく不安になるのだ。
「難しく考える必要はないんだよ。ボーカルがいなくてもインストバンドとしてやっていくこともできる。でも、僕は桜井さんの声は芯のある、いい声だと思うんだ。だから、聴いてみたいなとふと思っただけだから」
急に褒められると狼狽する。
そういう言い方はずるい。
貴方からそういうふうに言われると私は断れない。
え…………えっとと対応できないでいると、彩羽が助け舟を出してくれる。
「まあ、またそれは瞳がいるとき、みんなで話そう。先輩もありがとうございます」
「うん、よく話して決めるといい」
先輩はそういうと、じゃあと部室を後にした。
私たちも帰ろうかと、彩羽と帰路に就く。
「琥珀はわかりやすいね。あの先輩ね。へー。いやあ、わかりやすい」
「えっとなんの話?」
「まあ、なんとも言えない独特の雰囲気のある人だもんね。えっと飛騨先輩だっけ」
「いや、だからなんの話よ?飛騨先輩は良い人だけど。そういう浮ついた気持ちはないよ」
「今日日、浮ついたとかいう女子高生がいるとは…………まあ、がんばんなさい。応援はしてあげるから」
「その上から目線はなに…………彩羽はかっこいいなと思う先輩いないの?」
「あ、やっぱりかっこいいと思ってたんだ。そうね。九十九先輩とかかっこいいよね。イケメンだし、話やすいし」
「ああ、あの先輩。彩羽は先輩とも同級生とも仲いいし、良いよね」
「琥珀はそんな顔立ちしてるから、男なんて転がしてそうだと最初思ってたけど、あの感じじゃあ先は長いね。がんばれ」
ほんとに失礼な人である。
しょうがないじゃないか。
先輩と久々に話したことで浮かれていて、何を話せばいいのか分からなかったのである。
初めて会ったときはもっとスムーズに会話もできて、揶揄ったりしていい雰囲気だったのに…………。
「それはどういう意味ですか?私が根暗なのははじめからまる分かりでしょうが」
「それもそうだね。がんばれ、女子高生」
「はいはい。じゃあ、とりあえず彩羽の恋愛遍歴でも教えてもらいましょうか」
私たちは恋愛話とか、部活のこととか談笑しながら帰った。
三日前までは一人で帰ってギターの練習をするだけで、学校に行くのも億劫になりつつあったのに、今は同級生と楽しく話しながら帰っている。
それは幸せなことである。
彼女が笑いながら私を揶揄ったり、私も負けじと彼女をいじったり。
明日も、彩羽と瞳と姦しく騒いだり、もしかしたら先輩とも話せるかもしれないと、嬉しくなって、ふとしたことに落ち込んでまた喜んで、女子高生は忙しいのである。
でも、この忙しさを愛おしく思う自分がいた。
ガギ、ゴギと筆舌に尽くしがたい擬音を発する緑の小人。
悪臭を身に纏って、豚の頭に肥えた体を持つ二足歩行する生き物。
四肢を切り飛ばせば、謎の液体が噴き出し、バケモノは体を成さなくなる。
しかし彼らも生きているのだ。
自らのコロニーを形成し、森や谷、岩陰、水辺に暮らしを保持している。
人と同じように家族や仲間もいる。
しかし、人間の領域を犯すバケモノには制裁を。
人間を襲うバケモノには死をもって勇者は制裁を与える。
一体、どちらが先に領域を犯したのかは僕にはわからないが。
また、そういったバケモノの類だけではなく僕がいる国と相対する人間。
所謂、自分のいる国ではない他国との戦争。
縁もゆかりもない地で、知らぬ人間を斬り殺すのだ。
それは、歯向かう者すべてだ。
戦争だから当たり前だ。
その先頭に立って、敵を殺すのが勇者の仕事なのだ。
人を殺すとうことに戸惑ったのははじめの一人、二人だけだ。
一人殺せば、百も千も違いない。
何故、こうも僕の前に死体が山を築いているのだろう?
いや、ふと我に帰る瞬間があるのだ。
学生に戦争など理解できない。
しかし、自国の勇者は、在籍する国を守るのが普通だ。
有無を言わさず、戦前に立つ。
涙ながらに命乞いする他国の人間を切り飛ばすことも普通なのか?
ああ、また目の前で命が散った。
こうも命は軽いものか?
命でお手玉するかのように、散る命の真ん中に存在する人間になった。
ああ、また散った。
僕は死体の上に立って勇者を名乗る。
勇者の仕事とは、命を奪う職なのだ。
おかしい。
いや、おかしいのだ。
普通なら発狂していてもおかしくない事態である。
しかし全く精神の異常もなく、こうして命を摘み取っている自分を疑う。
異世界では自分が自分ではないようだ。
あちらにいるときは何の疑問も抱かず暮らしているのに、こちらの世界に帰ってくると異世界での自分の行いを悔いる。
これが、夢であれば。ただの夢であればと願うのだ。強く強く願うのだ。
今日が終われば、明日もまた学校に行きたいと。
異世界ではなく、こちらの世界を生きたいと。
昨日の部室で出会った後輩を思い出す。
能天気に部室にきて、僕の練習の邪魔をしてきた後輩。
彼女と話しながら帰っているとき、ふと異世界のことを忘れられた。
僕の意味不明な質問にも笑って答えてくれる生意気な後輩と話しているとき、心が軽くなった。
ふと、また彼女に会いたいと思った。
桜が完全に散り、五月の始まり。
四月の肌寒さはなく、過ごしやすい気候につい惰眠をむさぼってしまう。
春眠暁を覚えずとはよく言ったものである。
自宅から30分ほど電車に揺られていれば高校は見えてくる。
昨日、入学したばかりとも思われる心持で、未だ慣れない校舎に着く。
私は校舎だけでなく、クラスの人間にも慣れていないが。
この時期になると各々がグループを形成し、皆が友達を作っている。
しかし私は一人、教室の隅の席で楽譜を見ている現状。
確かに新入生のあるべき姿ではないし、想像していた学生生活ではない。
しかしこの現状は私にとって重大な問題ではない。
軽音楽部に入って目下の悩みと言えば、やはりバンドを組まなくてはならないと言うこと。
他の子はどんどんバンドを組み始めている最中、私はギターを練習するためにすぐ帰宅するため、バンドメンバーの一人もいないという。というのは言い訳で単に新しい人間関係に戸惑っていた。
本末転倒とはこのことだ。
しかし、私にとっての悩みはそれだけではない。
先輩と話す機会がないのもまた悩みの一つである。
あの日以降、先輩とは一切話していない。
部活紹介の時も彼は隅っこでギターを弾いており、新入生歓迎の会なるものに参加していなかった。
先輩は自分のバンドの練習の時しか顔を出さず、私も部室に行けていない現状、当たり前のことではあるが。
連絡先も何も知らない先輩とコンタクトを取ることは難しく、またバンドメンバー探しも難航している今、やはり兎にも角にも部室に行かなくては何も始まらないと、放課後少し部室を覗くことが今の私の日課となっていた。
いつものように部室にお邪魔すると、二、三年生の先輩達がバンド練習をしている中、部室内の隅の方に見知らぬ女子がいた。
部活の一年生の顔もそろそろ把握してきた時期であったが、部室の端で椅子にその小さな体を預けている女子のことは知らなかった。
彼女は小動物のような双眸をパチクリパチクリ瞬かせ、先輩達の演奏を興味深そうに眺めていた。
彼女はどこか不思議な雰囲気がある。
小さな体に、小さな顔は可愛く、どこか借り物のようにその体躯を小さくさせて目立たせないように努めているが、この部室で彼女の美貌は目立つ。
遅れて部室に入ってきた部員も彼女を遠巻きに眺めていた。
私は思い切って彼女に話しかけてみた。
悩んでいても始まらない。こうして初めて会う人に話しかけることで輪を広げていかないとバンド結成など夢のまた夢である。
「あの、一年生の方ですか?違ったらすいません」
やはり、初対面の人に話しかけるのは慣れない。思わず、声が裏返ってしまった。
「はい、そうです。貴方も一年生?」
「はい。あの、では」
「え!!?、一年だったのか!俺も一年だよ!何組!?」
私の言葉は急に遮られた。
威勢の良い男子生徒に阻まれたのだ。
さては、この男子。誰かが話しかけるのを狙って待っていたな。
ずっとこの美少女に話しかけようとタイミングを見計らって、私が話しかけたのを見て声をかけてきたな。
彼が話しかけたのを皮切りに他の部員も集まって彼女に質問しだす。
私と彼女は気づけば、部員に囲まれていた。瞬く間に出来上がった、彼女を中心とした人のサークル。
こう人が密集していると息がしづらい。
私は二、三歩彼女から距離を取り、彼女に群がる部員から離れた。
遠巻きに見て、彼女は狼狽したように表情を曇らせながらも部員に応対していたが、やはり、こう人が多いと私では助け舟は出すことは出来ないし、私ももう質問しようとは思えない。
私は五時になると、この場から立ち去るタイミングを見計らい、部室を後にした。
未だ、人が多い場所に慣れない。
高校に入ったときはワクワクとした高揚感に包まれていたのに、今では毎日をただ消費しているだけのように感じられる。
ため息は春の風に乗って消えていくのに、私の中には言いようのない感情が未だ蜷局を巻いている。
こんな自分が嫌になる。
中学校時代には友達もいたのに、だれも知り合いのいない高校での再スタートがこんなにもむつかしいとは思わなかったのだ。
さっきも、大勢の中で会話に参加し、他の子とももっと仲良くなってバンドメンバーに誘えばよかったのに、こうして逃げ帰っている自分に嫌気が指す。
私はいつのまにかコミュ症になっていたのか。
これでは、いつになったらバンドを始められるのかとため息も漏れでてしまう。
「あの、さっきの部室の」
その時、声をかけられた。
私が自分の性分に悲嘆していると女性に声をかけられたのだ。
振り向くと先ほどの部室の美少女がいた。
夕焼けが彼女の長く艶のある髪を透かして、チラチラ乱反射しているのが絵画のようで、息をのむ。
声を出そうとして、息だけがスッと口から出るのを感じ、咳込みながらも彼女に応答する。
「あ、クスン。えっとさっきの。部員の人達との話は終わったんですか?」
「終わってはないですけど、切り上げてきました。今日は見学に来ただけなので。……部員の人たちって、すいぶん他人行儀な言い方。貴方も部員ですよね?」
とクスっと笑う彼女もまた可愛い。
こうも完璧な女性を前にするとその美貌に嫉妬などという感情は毛ほども湧かない。
「あ、私は辻井 瞳(つじい ひとみ)と言います。一応、軽音楽部に入る予定です」
「そうなんですね。軽音楽部は楽しいし、楽器の上手い先輩もいるのでお勧めですよ。それに思ったほどチャラくはないですし」
突然の彼女との会話に頭がこんがらがり、意図した言葉が出てこず散らかった言葉が宙に並ぶ。
「でも、私、楽器初心者なんです。だから、まだ迷っていて…………」
彼女は少し憂いを帯びた視線をこちらに向けると、また微笑をたたえた。
「あの、なんで、私たち同学年なのにお互い敬語なんでしょう?それに、お名前をまだ伺っておりませんでした」
いや、貴方がその育ちの良い話し方なので合わせてたんですよと私は心の中でつぶやく。
「あ、私は桜井 琥珀と言います」
琥珀さんと、反復して小さくつぶやく彼女はちょっと愛おしく見え、わざと敬語をつかう。
「初対面の人に敬語抜きで話すのはやっぱりむつかしいですね」
「ああ!敬語禁止にしましょう!桜井さん…………いえ、琥珀は!」
前のめりなった彼女の頬がほのかに赤く見えるのは夕焼けのせいではない。
その姿に思わず私は笑ってしまう。
「なんで笑うの………頑張ったのに。もう。コホン。琥珀は楽器は何やってるの?」
彼女は恥ずかしさを隠すためか、仰々しくわざとらしい咳払いをして私に問う。
「私はギターやってるよ。瞳はなんの楽器をしたいとかある?」
「うん!私はベースが良いかな。かっこいいし。音が低くて、こう心臓に響く感じがこっちで生きている気がするの」
瞳は私の砕けた話し方に満足したのか、満面の笑みで答える。
「そっか。じゃ、じゃあ。私まだバンド組んでないし、もしよければ私とバンド組まない?瞳とならなんか楽しく音楽できそうだし」
意を決して誘う私の声はやっぱり少し上擦っていた。
それはそうだ。こんな出会って間もない人間からの誘いに乗る人は少ない。
断られる可能性が多分にある。
しかし、その誘いを受けた瞳は私の精一杯の思いが届いたのか、真剣に悩んで目を伏せてン~と考え込む。
「でも、私は楽器初心者だよ。それでも大丈夫かな?琥珀の足を引っ張らない?」
「大丈夫。私もまだちょっとしかギター弾けないけど、分からないことはすぐ教えるし、バンドは楽しかったらそれでいいんだよ」
私の言葉を聞き、瞳はまた思案する。
彼女とこうして一緒に帰っているというのもなんの因果なのか。
この好機を逃すわけにはいかない。
もし、今別れたら、この先、一生彼女と話すことはないかもしれないという行き過ぎた妄想のような思考が私を襲った。
私はただ静かに彼女の答えを待つ。
会話がなくなり、足音だけが耳につく。
今まで意識していなかったせいか、車の排気音、烏の声、町の喧騒などが耳障りなほどよく聞こえてくる。
それほどに、彼女の回答を待っている時間は長く感じられた。
彼女は悩み、そして空を仰いで、瞳を閉じた。
「そっか。ならやってみようかな。うん。私も軽音楽部入るね」
彼女がそう明確に自分の意志を伝えてきたから、私は狼狽し、また首肯してくれた際の答えも用意していなかったため、吃音交じりに「や、やった」と答えるので精一杯であった。
夕焼けを背景に笑う彼女が可愛らしく、それが幻想的な写りだったからなのか、はたまたバンドメンバーが一人増えたことで、胸がいっぱいになったからなのか、私は泣きそうになり唇を少し噛んだ。
乾いた唇に犬歯が食い込んで思ったより痛くて、やっぱり少し涙がでた。
その後、瞳という友達を得た私はこの調子でバンドメンバーもすぐに揃うだろうと安易な考えを抱いていたのだが、現実は非情である。
瞳とこの間、部室で話したらしい、女子がドラムをやってくれるという話からとんとん拍子にボーカルも見つかると思っていた。
しかし、この皮算用はうまくいくことはなかった。
ボーカルは手が出しやすいパートでありながら、その実むつかしい。
楽器ほど練習の成果が出るわけではなく、個々の才能に依存する面が多分に含まれるものだからだ。
また、私たちのバンドが今のところ皆、女子のみで構成されていることも要因の一つに挙げられる。
ボーカル探しに難航していた私たちだけが、バンド練習を出来ない現状に苛立つ日々である。
部室の中で他の一年生バンドはさっそく初めてのバンド練習を終わらして、曲の話や、学校外でのスタジオでの練習の話など、こちらが嫉妬の目を向けていようがお構いなしに話している。
くうっと恨めしそうな声を上げ、鬼をも殺せそうな目で彼らの動向を追っていると、不意に頭をはたかられた。
「こらっ。琥珀は美人さんなのに、いつもそんな般若のような顔をする」
困り顔の瞳が私を窘める。
「美人さんて………というか、しょうがないじゃん。こっちは血眼でボーカル捜索活動をしているのに、向こうでお気楽に話されたらそりゃあ気が滅入るわよ。瞳には分らないのよ。待たざる者の気持ちが」
「いや、私も同じバンドでしょう…………この子はほんとに」
いまでは、漫才師のようなやり取りもお手の物。
瞳との距離は確実に縮まっている。
しかし、この如何ともしがたい状況を打破しなければ、私たちのバンド活動は始まらないのである。
「聞いてよ、彩羽。また、勝手に一人で悩んでるのよ、この子は」
「あらま。しょうがないのは琥珀だよ。ねえ、知ってる?琥珀は今まで誰とも話さないからクールービューティーって陰で言われていたんだよ。なのに、いざ話してみるとこんなポンコツだったとは………初めて会った時の緊張感を返してよ」
この言われよう。許せん。
私は部室に現れても、他の一年生とあまり話さないことから、このような不名誉なあだ名をつけられていたと知った。
こんな、うじうじと悩む人間のどこがクールなのかぜひともそのあだ名の名付け親に尋ねたいものである。
そして、このズケズケものをいう眼鏡っ子は瞳が連れてきた、前述のドラムスの子である。
名は不知火 彩羽(しらぬい いろは)という。
彩羽、瞳との仲は良好であるが、それゆえこの三人の雰囲気に馴染めるボーカルを探さなければならないということもまたボーカル探しのネックになっている。
私たちは購買のホットスナックをポリポリと齧りながら、今後のボーカル探しについて思案する。
「あ、そういえば、あの部室で初めに瞳に話しかけていた男子は?彼、歌がうまいと自分で言っていたよ。 」
いや、始めに話しかけたのは私だぞっという思いもあるが、それよりその男の子の顔が思いだせない。
それに、話に割り込まれたことをまだ少し根に持っている私もいる。
彩羽が現状を見かねて、提案してきたが、私も瞳も難色を示す。
「んー、と。いい人ではあると思うよ。でもね…………女の子の中に一人、男の子はやりずらいんじゃない?」
「まあ、自分で歌をうまいと言うやつに上手いやつはいないよ。それに、瞳に気がある時点で却下。この小動物みたいな子があんなチャラいやつの猛攻を阻止できるとは思えないわ」
「あんたは………琥珀はなんなんですか?瞳の母親なんですか。過保護ね。まあ、私もとりあえず提案しただけで、彼を誘うつもりは毛頭ないけどね」
ため息交じりに、私に小言を言う彩羽に、瞳はパチクリと目を点にして、頭にハテナマークを浮かべて事の次第を見守る。
「とりあえず、女の子のボーカルで、私たちとも仲が良くなれそうな陰険でジメジメっとした可愛い子がいいわね」
「いや、そんな子いるわけないでしょ。それに、陰険でジメジメっとしているのは琥珀だけでしょ。私と瞳を入れないで」
「え?私たちバンドメンバーでしょ?私をジメジメ担当にしないでよ。みんなもジメジメ陰湿バンドにはいってよ」
「絶対いや」
とこんな下らない生産性のない会話は続く。
話はボーカル捜索の話から外れて、自分の趣味だとか、クラスでの出来事、好きなアーティストなど右往左往の末、夕刻になると皆が見計らったように帰り支度を始めたことで終わりを迎えた。
確かに、このままではバンド結成はしたものの練習ができない。
しかし、こうして三人で放課後を談笑するのも楽しくて、つい話が盛り上がってしまう。
高校に入って、初めての友達との会話に浮足立っているのも確かだが、私はやっと高校生活が動き出した気がした。
とすると、声が聞こえてきた。
「まだ、残っている人いたんだ。一年生、もう下校の時間だよ」
私たちが揃ったように、声の方に振り向けば先輩がいた。
久しぶりに先輩と話せることに、胸躍る気持ちがあるのは確かだが、ここで不用意に浮かれていては、二人に怪しまれることは確実である。
私はなるべく平静を装い、先輩に話しかける。
「あ、飛騨先輩。お疲れ様です。もう帰るところです」
私が挨拶すると、二人も並んで挨拶する。
「あ、琥珀、彩羽。私ちょっと先生に呼ばれてたから、先に帰っておいて」
と瞳はなぜか慌てた様子で部室を後にした。
二人で彼女を見送ると、先輩がふと目をテーブルに落とす。
「バンドの相談?」
先輩は私たちが相談に使っていたバンド名候補や、ボーカル候補のかかれた紙を一瞥し、不意に質問してくる。
「そうなんですよ。二年生で一年坊のバンドで歌ってくれる人知りませんか?」
私は、今、平常心を保っているだろうか?声は上ずったりしていないかと要らぬ心配をしながら先輩に応対する。
「ちょっと琥珀、流石にいないでしょ。一年のバンドに入ってくれるひとは」
「そうだね。二年のボーカルはもう決まったバンドがあるからね。むつかしいと思うよ。今年の一年はベースが多くて、ボーカルが少ないし大変だね」
先輩の同情を帯びた目にやっぱり駄目かと落胆する。
あの時、瞳をボーカルとして誘えばよかったと斜め上の方向に思考が行ってしまい、後悔してしまう。
私が馬鹿な思考を走らせていると、先輩はうーんと唸りながら、私の目を見て、とんでもない提案をしてくる。
「ボーカルが見つからないんだよね?じゃあ、桜井さんが歌えば?ギターボーカルとして」
「ああ!それ、いいですね。そうだよ。琥珀、歌いなよ」
同調する彩羽は良い答えを見つけたりっと私に進言してくる。
それに私は言うほうは簡単だよねとため息をつく。
「ギターも満足にできないのに、歌いながらっていうのは無理じゃないかな…………」
私の卑屈な言葉に、彩羽はすこし眉をひそめた。
「まあ、無理強いする気はないよ。瞳が歌ってもいいしね。ベースボーカルもかっこいいよね」
そう言われると、腑に落ちない。
なんと気難しい性格なのかと自分がまた嫌になるが、期待はしてほしいのである。
しかし、その期待に応える自信がなく不安になるのだ。
「難しく考える必要はないんだよ。ボーカルがいなくてもインストバンドとしてやっていくこともできる。でも、僕は桜井さんの声は芯のある、いい声だと思うんだ。だから、聴いてみたいなとふと思っただけだから」
急に褒められると狼狽する。
そういう言い方はずるい。
貴方からそういうふうに言われると私は断れない。
え…………えっとと対応できないでいると、彩羽が助け舟を出してくれる。
「まあ、またそれは瞳がいるとき、みんなで話そう。先輩もありがとうございます」
「うん、よく話して決めるといい」
先輩はそういうと、じゃあと部室を後にした。
私たちも帰ろうかと、彩羽と帰路に就く。
「琥珀はわかりやすいね。あの先輩ね。へー。いやあ、わかりやすい」
「えっとなんの話?」
「まあ、なんとも言えない独特の雰囲気のある人だもんね。えっと飛騨先輩だっけ」
「いや、だからなんの話よ?飛騨先輩は良い人だけど。そういう浮ついた気持ちはないよ」
「今日日、浮ついたとかいう女子高生がいるとは…………まあ、がんばんなさい。応援はしてあげるから」
「その上から目線はなに…………彩羽はかっこいいなと思う先輩いないの?」
「あ、やっぱりかっこいいと思ってたんだ。そうね。九十九先輩とかかっこいいよね。イケメンだし、話やすいし」
「ああ、あの先輩。彩羽は先輩とも同級生とも仲いいし、良いよね」
「琥珀はそんな顔立ちしてるから、男なんて転がしてそうだと最初思ってたけど、あの感じじゃあ先は長いね。がんばれ」
ほんとに失礼な人である。
しょうがないじゃないか。
先輩と久々に話したことで浮かれていて、何を話せばいいのか分からなかったのである。
初めて会ったときはもっとスムーズに会話もできて、揶揄ったりしていい雰囲気だったのに…………。
「それはどういう意味ですか?私が根暗なのははじめからまる分かりでしょうが」
「それもそうだね。がんばれ、女子高生」
「はいはい。じゃあ、とりあえず彩羽の恋愛遍歴でも教えてもらいましょうか」
私たちは恋愛話とか、部活のこととか談笑しながら帰った。
三日前までは一人で帰ってギターの練習をするだけで、学校に行くのも億劫になりつつあったのに、今は同級生と楽しく話しながら帰っている。
それは幸せなことである。
彼女が笑いながら私を揶揄ったり、私も負けじと彼女をいじったり。
明日も、彩羽と瞳と姦しく騒いだり、もしかしたら先輩とも話せるかもしれないと、嬉しくなって、ふとしたことに落ち込んでまた喜んで、女子高生は忙しいのである。
でも、この忙しさを愛おしく思う自分がいた。
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