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第3話 初練習!
しおりを挟む僕がこちらの世界で眠っているとき、異世界で起きている。
僕が異世界で眠っているとき、こちらの世界で起きている。
もうこの現状に慣れている自分に嫌気が指す。
分かっている。いま、ベッドで目を閉じれば、あちらで目を覚ます。
僕の意思とは無関係に。
僕が恐怖し、忌避感を抱こうと眠ると同時に起き上がるのだ。
仮に眠ることを我慢しようと、一度眠ってしまえば同じことである。
異世界での僕は、勇者として社交性に富み、堂々と町を闊歩する。
こちらの世界での僕は陰鬱にして、人見知り、廊下の脇を通る。
友達と呼べる人間も少なく、他人との距離間の測りかたなど未だに分かっていないのである。
しかし、最近やけに饒舌に後輩に話しかけたり、絵も知れぬ自信がみなぎっている。
そこに、なんら不信感を抱いていなかったが、よく考えればおかしい。
僕は中学生までギターが友達と言ってもいいくらいの寂しい人間であった。
そんな人間が、他人に囲まれた中で人に話かけたり、自信満々にバンド練習に参加したりと今までの僕では考えられない事柄が多々ある。
今まで、バンドの練習もサポートとしてただ演奏し、終わると一言も発せず帰宅していた。
暗くて地味な高校生だった。
しかし、今は時にアグレッシブに人と関わりを持とうとし、簡単に他人との距離を詰める。そこになんの違和感もない。
これでは、異世界の勇者のようである。
乖離していると勝手に決め込んでいた精神は、いつのまにか混同し、こちらの世界にも影響し始めている。
体に受けたダメージがこちらに影響するように。
肉体的なつながりだけではなく、精神面にも同じくつながりができ始めているのか。
では、もし異世界で僕の精神が狂ってしまったらと考えると、不安で胸が潰れてしまいそうになる。
僕ははたして、このまま普通の人間として、いや勇者ではなく、飛騨 巧としての人格を保っていられるのかと。
自分の意思を強く持てば良いのか?
しかし、異世界での巧も自分であることに変わりはない。それが、仮初めの世界でもだ。
いや、仮初めの世界であるのかどうかも定かではない。
僕はいつ、この暮らしから解放されるのか。
それは、異世界での死を意味するのか?
僕は足りない頭でこの事象を考えることしかできない。こんなことを人に相談しようものなら気狂いの類かと思われてしまう。
僕にはただ、昼夜問わずこの問題と向き合うことしかできない。
結局、ボーカルは見つからず、私はギターボーカルとして3Pバンドをする事となった。
初めての曲は男性ボーカルの曲で、学校のグラウンドから始まるPVがやけに頭に残っていた。
そして、私をボーカルとした初練習は案外うまくいった。
私を除いては。
彩羽も元吹奏楽部ということもあり、ドラムのリズムもなんら崩れることなく、たまに演奏におかずを添えるような遊びができるくらいの、経験者として高いレベルの演奏者であった。
しかし、それよりも驚くべきは瞳のベーシストとしての才能である。
ベースをはじめて一週間前後で、ルート音を覚え、全くリズムの狂わないベースを披露した。
私がギターを始めたころは、コードを抑えるだけで精一杯であり、リズムなんかヨレヨレで音程のとれた違う曲を演奏している気分であった。
しかし、瞳は少しの練習で基礎をマスターし、いまでは音階もスムーズに弾きこなしている。
今まで、ベースを触ったことのなかった女の子なのに。
それに引き換え私は歌を意識するとギターのリズムがズレて、ギターを意識すると歌の音程がズレるという魔のループに陥っていた。
だってしょうがない。歌いながらギターを弾くなんてことはやったことが無かったから。
そんな言い訳が頭をよぎる。
バンドの練習中、曲を止めるのが私だという状況に焦りと憤り、瞳に対する謎の羞恥心が生まれる。
一緒に瞳のベースを購入しにいった頃は楽譜の読み方や、ピックでの弾き方を教えていたのに、この体たらくを瞳に見せ続けることが顔から火が出るほど恥ずかしく、なぜ出来ないのかと自分に苛立ちを覚える。
教え子だと思っていた子に、自分の弱い部分を見られることがこれほど屈辱的なことだとは思わなかった。
琥珀、曲が弾けるようになったよとか、新しい弾き方を覚えたよと彼女が私にその喜びを伝えてきていた時、確かに私にも嬉しい気持ちがあったが、それと同時に彼女の成長速度に焦燥感も抱いていた。
私の数カ月の楽器経験がすぐさま瞳に抜かれる様をまざまざと見せつけられている。
彼女に教えていながら、彼女の才能を認めたくなかった。
それは私の才能のなさを認めるようなものだから。
それはある意味で慢心であると頭では理解していても、どうにも心が揺さぶられる。
練習中、リズムの間違いなどを瞳に指摘されると何故か苛立ってしまう。
そうして、黙った私に気を遣う瞳の様子を見て、また自分に嫌気が指す。
軽い気持ちでボーカルを始めたのは失敗だったのか。
それを差し引いても、ギターのみに専念しようとすぐに瞳に技術面で抜かれてしまうのではないかと疑念が一度生まれれば、平常心を装えない私の脆い心はガラスのようにたちまちヒビが入り割れるだろう。
また間違えた。
リズムがズレた。
また歌詞が飛んだ。
コードを間違えた。
リズムがズレた。
分かっている、これが私の今の力量だ。分かっている。
もう一度、楽譜を見直して、間違いを確認して…………。
「琥珀、サビ前のところズレてるよ」
「分かってる。じゃあ、もう一回そこからやろう」
何回、何回曲を止めれば気が済むのか…………
この曲は別に難しくない。私が下手なだけだ。分かっている。
「琥珀、間奏のところズレてない?」
「うん。分かってる。もう一回」
「琥珀。琥珀。ちょっと休む?もうずっと歌ってるから…………」
「分かってる。もう一回」
「琥珀」
「だから!分かってるから!」
「ごめん。しんどそうだったから」
「ううん。ごめん。大きな声だしてごめん」
溜まりに溜まった思いが、堰き止めていた思いが一気にあふれ出して、決壊した気がした。
羞恥心。苛立ち。自尊心。
すべてが一気に膨れ上がって放出された。
瞳は全く悪くない。悪いのは私だ。分かっている。
しかし、我慢ならなかった。
ピックを持つ手がカタカタと揺れる。
大きい声を出したためか、そうさせた様々な感情が渦巻いて心臓の鼓動が早くなる。
皆で楽しくバンドをするために始めたものを私が今、壊している。
2,3日前まではみんなで楽しく談笑していたのに…………
さっきまで楽器の音が響いていたのに、今では静まり返っている部室に誰も身じろぎ出来ない。
「ごめんね。琥珀。ごめん」
とただ謝る彼女を、私は今どんな表情で見つめているのだろう。
瞳の泣きそうな顔を見ていると、罪悪感と後悔で胸が押しつぶされそうになる。
何か瞳に声をかけなければならない。
しかし、なんと声をかければいいのか分からない。
スゥと空気だけが口から出ていく。
練習をさぼっていたのではない。
ただの私の力量である。
それを、棚に上げて瞳に怒鳴っている私のなんと愚かなことか。
部室に私たちしかいなくて本当によかった。
こんな現状を人様に見られれば、それこそ愚かな自分を丸裸に見られているようなものだ。
こんな時にまで自分の自尊心を優先して考えている。
それにまた嫌悪感は現れ、眉間にしわが寄る。
冷静さを取り戻してくると、私は瞳が謝るのを制し、彩羽がこちらを心配そうに見つめていることに気づいた。
「今日は、ここまでにしようか。私、次に練習するバンド呼んでくるね」
彩羽はため息をつくと、椅子を立ち、部室の外に出ていった。
「分かった。瞳ごめんね。今度までにはちゃんと練習してくるから」
「ごめんね。琥珀」
彼女はただ謝り続ける。それは私にとって今一番、心に刺さるというのに。
「ううん。大丈夫だから。じゃあ、また」
私はそう言い残すと、部室を逃げるように去った。
最悪の一日だ。
朝から晴れており、道行く人々も活気に満ち溢れているように見受けられる。
しかし私は昨日の部室でのことを考えると憂鬱な気分が心のすべてを占拠する。
今日、彼女になんて声をかければ良いのか。
彼女はなにも悪くない。
曲の完成度を求めるのは当たり前である。注意の仕方もはじめは私を気遣ったものであった。
自分の無力感に悲観し、朝から何度吐いたかわからないため息が宙に漏れる。
今の私の顔は本当に醜く、汚らわしいに違いない。
私は重い足取りで通学路をなぞる。
「あ、桜井さん。おはよう」
ああ。今は一番会いたくなかった。
彼に今の私を見てほしくなかった。
地面をにらんでいた胡乱だ瞳を前方に移す。
ギターケースを担いだ飛騨先輩が心配そうに私の顔を見ていた。
「おはようございます。飛騨先輩と登校時間に会ったことはありませんでしたね」
「そうだね。………大丈夫?辛そうだよ」
いえ、そんなことはないですよと否定したい気持ちはあった。しかし、思った言葉が出てこない。本音を言えばソッとしておいてほしい。
今、貴方とは話したくないのです。
「えっと…………だいじょう…………大丈夫です」
「そうはみえないけど。保健室まで付き添おうか?」
私は自分が弱くなるとすぐに他人に頼むような人間なのか。そこまで弱い人間なのか?
これは私、個人の問題である。先輩に気をつかってもらう問題ではない。
「本当に大丈夫です。ちょっと寝不足なだけですので」
「そうか。辛くなったら言いなよ。後輩の面倒をみるのも先輩の役目なんだよ?」
「フフッ。飛騨先輩はそんな殊勝な心掛けで後輩に接していたんですか?後輩とか人にはあまり興味のない人だと思ってました」
少しそのおかしな進言に笑ってしまう。
先輩は初めて私が部室に入った時も、全く興味のない目で私を見ていたから。
「僕はどんな人間として見られているのか…………。まあ、なにか分からないけども、ほんとに辛くなったらいいな。僕で出来ることならやるから」
この人はなぜ、こんな私に優しいのだろう。
こんな会って間もない後輩に。
私が先輩なら、私みたいな後輩に優しくは出来ない。彩羽みたいに社交的な子ならともかく。もしくは瞳のように可愛らしい子ならともかく。
ふと、そんな疑問が私の中でぐるぐると回りながら、先輩の背中を追う。
二人で登校している間に、何をほだされたのか私は昨日の件を飛騨先輩に結局打ち明けていた。
「なるほど、ギターボーカルが上手くできなかったと…………初めての事だし当たり前のことだと思うけどなあ。でもごめん。僕が余計な提案をしたからだね。本当にごめん。そんなことになるとは思わなかったんだ」
「い、いえ先輩に謝ってもらいたかったわけではないんです。ただ私が最終的に決めたことなので。私がただ下手なだけなので」
先輩はそれでもン~と唸り、悩まし気に顎を触り考え込む。
私はそんな先輩に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、どこか胸のつっかえが取れた気がした。
瞳に対する罪悪感や、自分の無力感を卑下していた感情が少し収まった気がしたのだ。
「桜井さんはギターとボーカルのどっちが個人的に難しいと思ったの?」
「どちらかというとボーカルですね。ギターは一応演奏できるレベルには練習していたので…………歌を歌うのが難しかったです」
「そうか。確かにボーカルはむつかしいよね。僕もやれといわれてすぐにできるものではないかな」
先輩の親身な姿勢に、いらないことまで言いそうになる。
ギターはうまく弾けていたのです。歌は上手くないですが、それでもある程度は出来ていたと。
そのたび自分の汚れた部分までも先輩を利用して吐き流そうとするのかと、自分を戒める。
「あ、そうだ。今日、僕はバンド練習のあと暇だし、良ければギター教えようか?」
願ってもないことであった。
しかし、先輩に迷惑はかけたくないという思いもある。
悩んでいる私に先輩はなおも優しく語り掛けるように促す。
「いや、僕が勝手なことを提案したことも問題だったんだよ。だから、手助けさせてほしいんだ」
「えっと………わかりました。お願いします」
「うん。じゃあ、放課後、部室にきて」
「はい、では楽譜も………」
その時、道行く人とすれ違いざま肩がぶつかった。
後方に振り向くと男性が少し歩調を緩めてその足を止めた。
その男性は、他校の制服を着崩すしており、持っているカバンにはキラキラと光る安っぽい装飾が付いている。
私は何も考えず、ただ頭を下げてその場からまた歩き出そうとする。
男性は振り向き、私に何か言葉を発しようとしたが、急に閉口し、また素知らぬ顔で背を向け歩き出した。
私にとっては特に大したことではなかった。
肩がぶつかることなどよくあることだ。
前方不注意であったことは否めないことだが。
しかし、一瞬、肌が粟立ち、緊張感が全身に伝う。
それは、先ほどの男性の苛立った目線に対してのものではない。私も不注意であったことだし、男性がこちらに不快感を露わにすることも頷けるというものだ。
では何故?
男性は私になにか文句を言おうと立ち止まった。
しかし、すぐに踵を返し立ち去っていった。
何故?
先ほどの感じだと、私に対して一つ、二つ苦言を呈し、去っていくことは想像に難くない。
しかし、彼は何かに怯えるようにその場を後にした。
「桜井さん、大丈夫?」
狼狽している私に声がかかる。
声の方に振り向くと、そこには知らない男性がいた。
彼は誰?
先輩と同じ顔でいて、同じ体躯である。
しかし、顔を見ていると全身が粟立ち、目を合わせられない。
姿形は先輩でも、この人は違う人である。
同じ表情で、同じ声を発している別の何かである。
それは人とは違う、いわば人外の黒くドロッとした雰囲気に、わたしは巻かれて足に杭を打たれたようにその場から離れられない。
殺気が具現化したように、その雰囲気は私を覆い包み、ガタガタと全身が震えている。
何か返事をしなければならないと使命感に駆られるが、凍り付いたように全身が自由に動かないため、徐々に息も絶え絶えになり彼からどうにか逃れる術を考えている。
蛇ににらまれた蛙のように畏怖の念が現れ、彼に応対出来ないでいる私にその何かはまた話しかける。
「ん?大丈夫。けがはない?」
先輩の声が聞こえる。
優しいいつも通りの先輩の声が。
緊張が解けたと同時に全身から汗が吹き出し、ようやく呼気を伴って四肢が動かせる。
まるで時が止まって、また動き出したように。
米粒大の汗が頬を伝うのを実感する。
私は未だ震える口を開くと、無理やりに声を出そうとする。しかし、声はうまく出ず、喉から乾いた空気が抜けていく感覚だけが残る。
先輩は困ったような、悲しいような顔でなおも私を心配している。
「えっと………大丈夫です。すこし肩が当たっただけですから…………」
「そう、ならよかった」
彼は安堵の表情で私に応対すると何食わぬ顔でまた歩き出す。
私は先輩を目で追う。
この人は誰なのだろう。
あの男性を追い払ったのは間違いなく先輩である。
しかし、先ほどの先輩は普通ではなかった。
人とも言い難い。
まるで人の皮をかぶった別のなにか形容しがたい存在。
「急がないと、登校時間に間に合わないよ」
「はい、急ぎましょう。」
普通である。
至って普通の人間である。
先ほどの赤黒く燃えるような雰囲気は鳴りを潜め、風が吹けば倒れそうな先輩の様相に不信感を抱く。
彼は、本当は誰なのだろう。
飛騨 巧という人は、本当はどんな人間なのだろう。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
しかし彼をもっと知りたくなる。
それは、ただの興味本位ではなく、別の感情の芽吹きなのかもしれない。
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