犬友

有馬 優

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13話 チワワ御殿奪還2

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「うおーーーーーーん!」

雷子さんのビックリするくらい大きな遠吠えに、執事の黒井やメイドのアリアは飛び起きた。とはいえ、未明の時間で突然起こされて二人は上手く頭が回らない。

「いったい何だあの遠吠えのような声は。チワワは残らず森に追いやったし、その他に動物も人間もいないはずだ。」

執事の黒井は左手で頭をかくと、ブルブルと頭を振った。メイドのアリアは飛び起きたものの、その後耳を澄ませて何も音がしないと思ったのか、再びベッドにもぐりこんでしまった。

「野犬か何かが紛れ込んだのか・・・。」

用心深い黒井はベッドから出ると窓のカーテンを少し開けた。一応確認して、またベッドに戻る気でいたのだ。

「ややっ?」

黒井は目をこらした。木陰からチワワが数匹飛び出すと、真直ぐに御殿に向かって走っている。

「野生のチワワがいるとは思えないし、森から戻ってきたのか。飼い主を探して?しかし飼い主は雲隠れしたままのはずだ。いや、チワワが自ら門やフェンスを越えられないことを考えると、もしかして飼い主も戻っているかもしれない。」

黒井は顎の無精ひげをゴリゴリとなでた。

「だとすると、チワワを勝手に森に捨てたり、荷物を窓から捨てたりしたことがバレて大変なことになってしまう。」

黒井は目を横にそらした。少し血の気が引いている。御殿を占拠したものの、一転して自分の立場が危うくなっていくことを感じたからだ。黒井は部屋の洗面台で冷たい水で顔をざぶざぶ洗うとサッと着替え、髪を櫛でスッと梳かした。

「ふん、たかがチワワと、チワワを飼っている人間の集まりなだけだ。しかもネットで集まったというではないか。個々の関係は薄かろう。全てを抹殺して最初から無いものとしてしまえばよいのだ。そうだ、全てを無き物としてしまおう!」

黒井は襟をピッと正すと、目の前の鏡を睨んだ。

「早速メイドのアリアを起こして、チワワ共々一網打尽にしてしまおうじゃないか。」

早速黒井はアリアの部屋のドアを叩いた。アリアは二度寝していたところを起こされて、ひどく機嫌が悪い。寝癖で爆発している髪をバリバリとかきながらドアを少し開けた。

「何よぉ。こんな朝早くに起こさないでよ。鳴海様もいないのだから、好きにさせてよ。」

と、ドアを閉めようとした。だが黒井が足でドアを止めながら、

「追い出したチワワや、いなくなったと思った飼い主たちが戻ってきているかもしれない。そうなると、私達のしたことが露見してしまう。」

と言うと、ドアがガバッと開いてアリアが目を見開いて仁王立ちになった。

「全てを無かったことにしよう。それしかない。」

黒井がそう言うと、アリアはニヤッと笑った。まるで悪魔のような笑い方だった。



 チワワ達は走った。まずは木陰にソッと隠れて、黒井が窓のカーテンを開けるのを見計らって飛び出した。足に自信があるマグロちゃんを始め、御殿の勝手が分かっているクロコ、北海道のニールちゃん、九州のチハナちゃん、ひよこちゃんや番長も加わった。一丸となって走っている様子は、黒井が見てすぐ分かるようにだ。黒井が窓から離れるのを確認すると、今度はチワバター施設から飼い主達がコッソリと出てきた。各自背中に道具を色々と背負っている。音が出ないように包んでしっかり固定してあるのが見える。木陰に身を隠しながら、裏口へと移動した。飼い主の先頭はなんと、シロコと麻耶である。飼い主達は御殿を全て把握しているわけではないので、シロコを案内にして麻耶を通訳にしたのだ。麻耶がシロコの言葉まで分かるのが驚きだ。

「雷子さんの言葉が頭の中にスッと入ってきたように、シロコが言いたいことも頭にちゃんと響くのよ。不思議ね。もしかしてチワワ御殿の七不思議かもしれない。」

麻耶は柔らかい笑顔で言った。以前は人間同士でも関わりを持つことを躊躇していたのに、今の麻耶の心を開く範疇はチワワにまで及んでいる。確かに七不思議かもしれない。麻耶は言った。

「おそらく、アリアは最初に防犯カメラのモニターで全館を確認しようとすると思うの。その前にモニターに映らないところまで移動しましょう。」

ドアの前に立つと、手先が器用な幸子さんが裏口の鍵を開けた。シロコを先頭に飼い主達は音も無く御殿に入り、モニターに映らない死角へ素早く移動した。

「この御殿はシンメトリーになっていて、反対側にも同じ裏口がある。あちらに同じく潜伏する。」

黒太郎さんが言った。黒太郎さんは奈良の春海さんをはじめとする一団になって、一旦裏口を出ると反対側の裏口に回って同じように鍵を開けて同じ場所に潜伏した。

「この裏口と裏口の間の廊下の突き当りには窓もない倉庫がある。そこへ黒井とアリアを追い込んで閉じ込める作戦だ。途中で捕らえることができれば、確保した上で倉庫へ閉じ込める方法でもいい。」

黒太郎さんは春海さんに言った。同じ作戦内容は私も事前に聞いていた。あとはオトリのチワワの動き次第ということになる。心配なのは、オトリとして走っているチワワたちが黒井たちに捕らえられたり危害を加えられたりしないだろうかということだ。いや、人間だって見つかればどうなるか分からない。何しろ相手は全てを無かったことにしようという、殺気に満ちた邪魔者大掃除の気分だろう。鳴海さんが帰宅する頃には、

「チワワも飼い主たちも全員帰られました。」

と言って済ますつもりなのだ。私達を敷地の隅っこに穴でも掘って埋めてしまうくらい、朝飯前という感じがする。

「失敗は許されないんだ。」

私は声にならない声で言った。唾を飲む音もはばかられる。

 と、派手な複数の足音がする。小刻みな歩調と爪の音もするからチワワたちが走っているのだ。

「捕まえろ!捕まえるんだ!」

黒井の叫び声が聞こえる。同時にアリアの言葉にならない金切り声も聞こえる。どうやらチワワ達は黒井たちの目をひきつけることに成功したようだ。二人はもうセキュリティモニターの前にはいられない。私達は釣り糸を手にして壁に隠れながら廊下にトラップをしかけた。走ってきた黒井たちが釣り糸に足を引っ掛けるというものだが、ちょっと小学生みたいだ。だが、単純ながらもチワワの目線にひいた釣り糸は、チワワには見えて超えることができても、黒井たちの目線からはよく見えないだろう。もちろんそれだけでは作戦としては弱い。袋にいっぱいのテニスボールを春海さんが持っていて、それを黒井たちの足元に蒔く用意をしている。サッカーボールは黒太郎さんが黒井たちの顔目掛けて蹴る予定だ。バットはもちろん襲われた際の保険。スケートボードは何に使うのかはちょっと分からないが、番長のお姉さんが持って待機している。

 やがてチワワたちが旋廻してこちらに向かって走ってくる音がする。チワワの身の安全を考えると、失敗は絶対に許されないし、やり直しも効かない。これがパソコンでエクセルのデータを作るというものなら「元に戻す」矢印アイコンでやり直せる。でもこれはパソコンソフトやネットの世界ではない。命は一つしかない、現実なのだ。

「来た!」

麻耶がささやくように言った。チワワたちは廊下を走ってきて、釣り糸を次々に飛び越えていく。しかし、黒太郎さんのチワワの桃子ちゃんの足が引っかかった。

「あ!」

その瞬間を黒井は逃さなかった。転んだ桃子ちゃんを捕まえると後ろを走っていたアリアに渡した。そして、一瞬助けに戻ろうとしたマグロちゃんも捕まえた。すると、釣り糸が昇ってきた朝日にキラリと光った。

「ふん、こんなもので私達を捕まえようなど、今時小学生でもしないわ。」

黒井は小馬鹿にしたように、足で光る釣り糸を踏もうとした。すると、春海さんが飛び出してきてテニスボールを勢いよく廊下にばら撒いた。黒井は思い切り踏み降ろした足の下にボールを捕らえて転倒した。後ろでは桃子ちゃんを抱っこしたアリアも尻餅をついている。桃子ちゃんもマグロちゃんもすぐに逃げ出して走ってきた。

「バカにしおって!」

黒井が真っ赤な顔をして起き上がり、足元のボールを振り払った。起き上がったところで、黒太郎さんの蹴ったサッカーボールが黒井の顔を直撃。

「ぐああぁ!」

黒井がのけぞるように倒れた。しかし後ろのアリアが黒井を退けるように向かってくる。目は見開いて血走り、口紅が左右にはみ出し、まるで悪魔のような形相だ。

「待てぇ!」

テニスボールを転がした春海さんや、サッカーボールを蹴った黒太郎さんに襲いかかろうとした。すると、スケートボードに腹ばいになった番長のお姉さんが、アリアに突撃してタックルした。思いがけない攻撃にアリアはアッサリと転倒した。私はすかさずアリアをロープで縛った。隣を見ると、黒太郎さんも黒井をロープで縛っていた。

「みんな怪我はない?」

麻耶がチワワ達を一匹一匹点検するように言った。チワワたちは飼い主たちに報告するみたいに甘えるように擦り寄っている。幸子さんが倉庫の扉の鍵を開けると、黒太郎さんと番長のお姉さんが黒井とアリアを中に入れた。二人は往生際が悪くてひどくもがいて暴れている。ちょっとロープだけでは緩んでしまいそうなので、倉庫にあったガムテープで拘束した。アリアが叫んだ。

「せっかく、せっかく、このチワワ御殿を私のものにできたのに!鳴海様に嘘の仕事のメールをして海外にまでおびき出し、その後行方不明っていう設定だった。あとはチワワとお前達がいなくなれば、私は安泰だったのに!」

麻耶がハッとした。そういえば全く鳴海さんと連絡が取れない。アリアは偽の仕事を鳴海さんに依頼して、鳴海さんに何をしたのだろう?

「な、鳴海さん・・・。」

そこへ沖縄のルカさんが息を切って駆けつけた。ルカさんはチワバター施設で鳴海さんの行方をネットなどで追って、どうにか連絡が取れないかと試行錯誤していた。

「取れた!鳴海さんは無事よ!今、こちらに向かっているわ。海外の偽の仕事の現地までは行かなかったようだわ。麻耶のメールが間に合ったらしい。」

ルカさんが満面の笑みで叫んだ。麻耶をはじめ皆が力が抜けるほどホッとした。アリアだけが身体を倉庫の壁や床に叩きつけて唸って悔しがっていた。

「お前、鳴海様にまでそんなことを・・・・。」

黒井が驚きの声を上げている。黒井は知らなかったのか。

「そうよ!私はここに来るまでは16歳で家出してからまともな住居も食べ物も無かった。雨もしのげず、お腹を空かせて飲食店のゴミ袋を漁っていたわ。ところが、ここは人間どころかチワワ様様というもてなし方。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるわよ。私はチワワなんかに仕えない!チワワに道楽している人間なんかに仕えない!ここは私のものだわ!」



アリアは息をついで言った。

「黒井は幸い犬がそもそも嫌いだった。黒井は職がないから、給料が良かったここに勤めただけ。そこを利用させてもらったわ。大勢に立ち向かうには男手がないとね。はっはっはっは!」

最後はアリアは黒井にまでも残虐的な笑いを向けた。

「それは違う。」

恵理子さんが仔犬たちを連れて、隠れていたチワバター施設の地下から来ていた。

「鳴海さんは努力してこのチワワ御殿を作ったのよ。ただ家出してきたあなたとは違う。自分のためではなく、全国の友だちのために一生懸命考えてここを作ったのよ。宝くじだけじゃない、ここには鳴海さんの気持ちがあるのよ。あなたの御殿なんかじゃない。」

恵理子さんは続けて今度は静かに言った。

「それにね、アリア。チワワは道楽じゃないわ。家族よ。」

皆一同に頷いた。
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