犬も歩けば時代を超える

有馬 優

文字の大きさ
7 / 22

16話 犬千代、受難・その先には行かない

しおりを挟む
  犬嫌いだったお母様が、私犬千代を必死育ててくれたことは奇跡に近かったという。父親の話だと、以前は犬から2メートルは離れていないと怖かったというお母様。私がやって来た時にいきなり抱っこして、寒い中暖めてくれたことは家族一同驚きの出来事だったらしい。

そんなお母様はその後私を本当の息子のように育て始め、こう言ったそうだ。

「この子に戸籍を作ってあげたい。」

周囲はさらにビックリである。この話は、私がまだお母様の元に来て幾ばくもない頃のことである。



 さて、その当時はまだ、私とお母様は戦国時代の親子関係の名乗りを上げていなかった。にも関わらず、お母様は私を自分の息子だと言っていたのは、全く縁だとしか思えないのだが、お母様はだんだん 暴走していった。

「役所へ行ってきます。」

ある日お母様は外出の仕度をしていた。

「どこへいくんだい?。」

と父親が聞くと、

「この子の戸籍を作りに。」

と言うではないか。前世戦国の世に生きてまだ現世に慣れない私でさえ、それは無謀だと分かる。しかし父親が止める間もなくお母様は出かけてしまった。しばらくすると帰宅したが、戸籍はおそらく作れなかっただろうに、あまり落ち込んだ様子もない。

「さぁ、すぐに出かけるから仕度をしましょう。」

 私にリードを付けると、お母様は私が以前兄弟の真一と予防接種をした動物病院へ向かった。何をするのだろうか?予防接種は済んでいるし、健康診断というものでも受けるのだろうか? しかし健康診断も我が家へやってくる前に済んでいるはずだ。

「お前は私の子供だって何か形を作りたいじゃない?別にそれが人間の戸籍じゃなくたっていいわよね?」

確かに戸籍や形ではない。お母様と一緒にいることができて、いつか親子としての意思疎通ができたらそれで幸せなのだ。しかしお母様は何か形が欲しいらしい。その形を動物病院で作るのか?

 お母様は病院で受付を済ますと、私と一緒に診察室へ入り、獣医師に何か色々と話していた。医師は頷くと、一回別室に下がって何かを手にして再び診察室へ入ってきた。

「注射だ!」

私はすぐに気がついて、診察台から飛び降りようとした。なぜ?もう注射は終わったじゃないか。その注射が私を人間にしてくれる魔法の注射でもなければ、意味がないのではないのか? そう思っている間も無く、私は看護師とお母様に押さえられて、すごく痛い注射を受けてしまった。すごく理不尽な気がする。これは受難といわずに何と言おうか。

 その後、お母様は何か書類を受け取って説明を受け、私を家に連れ帰った。

 「痛かったね。よく我慢したね。ちょっとちびっちゃったけど、仕方がないよね。」

お母様はそう言って私を労ってくれたが、ぐったりしている私を置いて再び出かけてしまった。いったい、お母様は何を考えているんだか・・・・。

 しばらくするとお母様が帰宅して、すごく喜んだ様子で何かを父親に見せていた。

「ねぇ、これよ、この子の身分証よ。確かに人間の戸籍は作れないけど、鑑札という形でこの子にうちの名字と身分証明が付くのよ。これで形式的にも我が家の子供だわ!」

 後で知ったことだったのだが、鑑札というのは犬の登録のことで、これで犬の身分証明と飼い主の責任の所在が登録されるそうだ。小さなカードに私の写真を貼り、私の名前とお母様の名を記入していた。銀色の数字が書かれた札と、小さな色のついた札ももらってきていて、お母様はそれを私のリードに誇らしげに付けている。お母様が嬉々としている様子を見ていると、痛かった注射も無駄ではなかったと思うのだ。一回痛い思いをしてこれなら、まぁいいだろう。

 この注射は狂犬病の予防接種といって、犬と人間にとって大敵の病気を防ぐものらしい。誤算だったのは、この一回こっきりではなく、毎年この注射をしなくてはいけなくなったところだ。毎年この注射をして、毎年更新するんだそうだ。これをしないと鑑札がなくなってしまう。それにしても、あれから毎年獣医師の顔を見ているが、悪い人間でも怖い人間でもないのだが、どうも苦手である。反射的にブルブルっと来てしまう。ちなみに私の名誉のために言っておくが、私が小さなチワワだから注射が怖いのではない。身体の大きな犬だったり怖そうな目をした犬でも、注射はキャンキャンと甲高い声で鳴くのだ。



 お母様の暴走は戸籍騒動に留まらず、なんと次は、

「この子を学校に行かせる。」

ということだ。家族はもう呆然である。

「いつも思うんだけど、子供たちはみんなランドセルを背負って学校へ行っているわ。この子だけ何もないっていうのは、同じ私の子供としては不公平な気がするのよ。」

家族はお母様が気が触れたのではないかという様子だ。ということは、現代の世であっても、犬に学校などないのだろう。戦国時代の世に生きていた頃は、書や剣術の専門の先生が城にやってきて教えてくれたものだ。でもそれは私が城主の息子だったからだ。しかしお母様は何とか方法があるに違いないと調べ続け、

「見つけたわ!小学校みたいではないけれど、警察犬の学校で一般の犬でも受けられる教室がある!」

と、新聞か広告の切り抜きを手に興奮して知らせに来た。警察犬?

「警察犬って賢いのよ。でも最初から賢いのではなく、ちゃんと色々と教えてもらうの。ほら、これが警察犬よ。」

私はお母様が見せてくれた切り抜きには、シェパード犬という大型犬の写真があった。お母様、私は今チワワなんですが? お母様は私に何を学ばせようと・・?私は硬直してしまった。

「お母さん、それちょっと違う・・・・・。」

人間の子供の留美も言う。

 この私の「学校へ行かせよう!」作戦は、結局私が一人で通えるものではないので、付き添うお母様のお仕事の都合もあって、お母様は渋々諦めた。



 この出来事の後は、しばらく「我が子騒動」は無くなったが、私は毎年受ける注射のために動物病院への道は絶対に楽しい散歩でも通らないことにしている。注射の時期でなくても通らない。痛い思いをしたのは戦国の世だけでいい。



その先には行かない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

処理中です...