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第十七話 共に刻む時間②
しおりを挟む「カヤコちゃん、コーヒーの味はどう? この間とは違うブレンドなんだけど」
「とても美味しいです。ミヤコさんのコーヒーは、どれもホッとする気分になります」
「……よかった、少しだけ笑顔が戻ってくれて。さっき駐車場で会ったとき、とても暗い顔をしてたから。……急に家に誘ってごめんなさいね」
「こっちこそ心配かけてごめんなさい。アオキさんに酷いことを言ってしまって、それで……」
そう話したカヤコは、自分の左手の薬指にはめてある指輪を悲しげに見つめる。
「私、どうかしてるんです。どうせ、いつか壊れるくらいなら自分から壊してしまいたいって思う自分がいて。それで大切な人を傷つけて……。二十代後半にもなって自分の感情をコントロールできないなんて本当に情けないです」
「ふふふ、それを言ったら私は六十代だけど、今もたくさん後悔するし、感情をコントロールできないことなんてたくさんあるわよ」
「ぜんぜん、そんな風には見えないです。他の人たちだって、私よりもずっと理性的で器用に生きてるように見えます。だから、いつも一人だけ置いてきぼりにされてる気分にもなります」
「案外、みんなもカヤコちゃんと同じこと考えてるかもしれないわよ~。でも、そうね。私は確かに隠すのが得意かも。だって、とっておきの秘訣があるから~」
「秘訣ですか? お願いします。教えて下さい!」
「いいですよ~。カヤコちゃんだけに教えてあげます。他の人には秘密よ。水、蛙、牛って思うの」
「えっ?」
「だから、水、カエル、牛よ。自分の感情を抑えるためのオマジナイみたいなものかしら」
「……ど、どういう意味ですか?」
「えーとね、全部、ことわざを略したものよ」
「こ、ことわざ?」
「そう。水は、覆水盆に返らず。一度してしまったら元に戻せない。取り返しがつかないこと」
「カエルは、井の中の蛙。自分だけの知識にとらわれて広い世界を知らないこと」
「牛は、牛の歩みも千里。遠い目標だったとしても、ゆっくりでも少しずつ進んで行けば、いつかはたどり着ける」
そう一気に話したミヤコは、コーヒーを飲むとフーと息を吐いた。
「こんなにいっぱい頭に思い浮かべるの大変でしょう? だから略したの」
「……水、カエル、牛」
「ふふふ、別に他の言葉でもいいのよ~。自分を戒められるなら。でも、先人たちも自分たちと同じように悩み苦しむことがあったから、忘れられず伝えられてきた言葉だと思うと落ち着かない?」
「たしかに、自分だけじゃない気分にもなるし、お前も気をつけろよって言われてるみたいです」
「でしょう! あらでも、こんな話でカヤコちゃんのアドバイスになるのかしら?」
「……すごくなりました。私もオマジナイをためしてみようと思います。アオキさんとずっと一緒にいたいから」
「よかった。ぜひ、ためしてみてね」
「まずは、アオキさんに謝って自分の気持ちを伝えて……。でも、今度は私の言葉を信じてもらえないかもしれない」
「ほら、カヤコちゃん! 今よ今、オマジナイの使い時は」
「あっ! はい」
カヤコは、左手の薬指の指輪を大切に右手で包み込むように触れると、瞳を閉じて心を落ち着かせようとしている様子になる。ミヤコは、そんなカヤコを優しく見守った後、呟くように言った。
「恋をするって不思議ね。世界には、数え切れない人間がいるのに胸が高鳴る出会いって、そうそう起こらないじゃない?」
「そうですね。私にとっては、アオキさんが初めてでした。何回も会ってるはずで苦手な人だったのに、三年前のあの日、自分の好きなゲームキャラのTシャツを着てて可愛いと思ってから、どんどん惹かれて……」
「あら、二人ともゲームが好きなのね。同じ趣味でいいわね」
「付き合ったばかりの頃は、ゲームイベントとかゲームショップばかりでデートしてましたよ。でもいつの間にか、遠い場所まで旅行に行くようになったり、二人で海とか星空を眺めに行ったりと……」
そこまで言いかけたカヤコは、思わず苦笑いしてしまった。
「どうしたの? カヤコちゃん」
「いいえ、ずっと何も変わらないでほしいとか願っていたのに、いつの間にか変わったことがたくさんあったなと思って……。永遠に変わらないことなんてあるわけないですよね」
「……あるかもしれないわよ。だって、私がそうだもの」
そう話したミヤコは、どこか遠い場所を見つめているようだった。
「あの、ミヤコさん。よかったら教えてもらってもいいですか? 永遠に変わらないことって?」
「うふふふ、少し恥ずかしいわね。若い頃に好きな人ができたの。でも、結ばれることなく想いが消えないまま今に至るわ。もう三十年ちかく変わらないから、たぶん死ぬまで変わらないと思う」
少しだけ寂しそうな表情をしたミヤコは、カヤコの顔を優しく見つめると言葉を続ける。
「これも、例の二十五時のホトトギスの縁なのかしら。不思議なことにカヤコちゃんの笑顔が、あの人に少しだけ似ている気がする。独身でいることに後悔はないけど、自分に娘や孫がいたらカヤコちゃんみたいな子だったのかなと思ったりしちゃうわね……」
「……実は、ミヤコさんの雰囲気が私の身内…家族に似てて、他人とは思えないこともあるんです。仲良くなったばかりで不思議なんですけど。だから、好きな人に似ているって言われてうれしいです」
それを聞いたミヤコがうれしそうにニッコリ笑うとカヤコの頭を優しくなでた。カヤコもうれしそうに目を閉じるとミヤコの手のぬくもりに甘える。
「どんな人だったんですか? ミヤコさんの好きな人」
「喫茶店のマスターだったわ。昔、住んでいた街の川沿いにあった店でね。コーヒーが美味しくて陶器のコップも私好みで、気付けば常連になってて仲良くなったの」
「喫茶店のマスター……」
「あらどうしたの?」
「いえ、うちの大叔父も喫茶店をやってて。それを思い出しちゃって」
「まあ、そうなの? ぜひ行ってみたいわね」
「あはは…。でも、叔父さん大雑把でデリカシーのない人だから、ミヤコさんの素敵な思い出が汚れるかも」
「うふふふ。何だか逆に会ってみたいかも。……あの人は、性格もカヤコちゃんに似ていた気がするの。いつも人を気遣っていて、私が客だったからというよりも本人の気質だったのかしら?」
「……分からないまま、会えなくなってしまったんですか?」
「……ええ。ある日、マスターから店員と客としてではなく、素の自分たちで話してみたいって、デートに誘われたの」
「そ、それで、ミヤコさんの返事は?」
「もちろん喜んでオーケーしたわ。でも、約束の日の数日前から大雨が降り止まなくて、川が氾濫して洪水被害も深刻なものになってデートどころではなくなってね……」
「川沿いに建っていた、あの人の喫茶店も大きな被害を受けてね。落ち着いてから何度か足を運んだけどマスターとは会えないまま、喫茶店がなくなってしまったの」
「マスターとお客さんって呼び合ってて、名前も知らないままだった。住所も連絡先も分からない。だから陶芸家として有名になったら気付いてくれるかしらって、そんな思いで頑張ってきて三十年……」
笑顔で話すミヤコの瞳にうっすらと涙が浮かんだ。
「とっくの昔にマスターは、新しい恋をして結婚して私を覚えてないかもしれないって、頭では分かっているのに、本当に自分の心って不思議でやっかいよね」
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