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第十六話 共に刻む時間①
しおりを挟む「カヤコさん。もう少ししたら行ってくるよ。夜には戻って来ると思う」
アオキは、法事のため実家に戻る準備をしながらカヤコに声をかけた。
「私のことは気にしないで実家に泊まってゆっくりしてきてよ。久々に会える親戚とかもいるんでしょ?」
「だから早めに帰りたい。親にも親戚にも俺たちの結婚のことばかり聞かれそうだし」
「あははは、私も叔父さんから聞かれ続けてるよ。結婚式はいつ頃だって。やっぱり、皆に聞かれるよね」
「とりあえず新居は決まって六月中には引っ越すことになったわけだし、落ち着いたら結婚式のこととか、ゆっくり決めていこうか」
「……そうだね」
「婚姻届は、結婚式当日がいいんだよね?」
「……うん。もう少しだけ“アオキ”でいたいし」
「……カヤコさん。俺、“アオキアオキ”になる覚悟もあるから」
「えっ!? あっ、ちがうの。別に名字が変わるのがイヤとかじゃなくて……」
「本当の本当に?」
心配そうに自分の表情をじっと見つめてくるアオキに困惑したカヤコは、笑顔を作りながら話す。
「本当に悪い意味じゃなくて、何て言ったらいいかな……」
「両親が離婚する時、どちらと一緒にいたいのか私が決めていいよって言われて、何となく名字が変わらなさそうなお父さんの方にしたんだよね」
「……十二歳の時にお母さんが再婚して名字がまた変わって、十八才の時にお父さんも再婚することになって、奥さんの方の名字に変わることになったんだ」
「それで私、先に内緒で分籍届を自分で出したの。お父さんが気兼ねなく名字を変えられるように。だから、私は家族の中で一人だけ“アオキ”のままなんだよ」
「そのせいか分からないけど、実はアオキさんの名前を知ったとき、運命というか不思議な縁を感じて一気に惹かれたの。まあ、名字じゃなくて名前だったけど」
「あ、でも“アオキ”にこだわってるわけじゃないから。私、ちゃんと“トキトリ”になりたいから」
そう泣きそうな顔で話したカヤコをアオキが強く抱きしめる。
「……礼服がシワになっちゃうよ。離して」
「シワなんてぜんぜん平気だから離したくない」
「……そろそろ出発しないといけないでしょ、ほら離して」
「まだ大丈夫だって」
「……アオキさん。また、私のこと心配してるんだね。最近、旅行だったり食事だったりと私を喜ばせようとして色々とがんばってくれてるよね?」
「な、何のことかな?」
「私の家族に相談とかしてない? お母さんと私しか分からないはずの思い出の場所も知ってたりと偶然にしては少しおかしいから……」
「……ごめん、相談してた」
「やっぱり、そうだったんだね。私の両親や弟妹と仲良くなってくれてるのはうれしいよ。でも、気を使わせたくなかったというか……」
「それも分かってたから内緒にしてたんだ。俺もカヤコさんの両親も……」
カヤコは、それを聞くと何だかモヤモヤする気持ちになってきた。
「アオキさんて、なんか私のことで悩むと空回りというか暴走するよね。あの三年前の貢ぎ行動みたいに、私の気持ちを無視して……」
「……たしかに無神経だったかも。本当にごめん。でも心配で居ても立ってもいられなくて」
(だから、そう言われると何も言えなくなるんだって)
モヤモヤが強くなってきたカヤコは、アオキに自分の中で渦巻く不安をぶつけたい気持ちになった。
「前に私、互いに無理しない関係がいいって言ったじゃない!……アオキさんだって、いつか負担を感じてくれば私との結婚が間違いだったと思う日がきっと来るよ」
「俺は結婚が間違いだったとは思う気はないよ。確かに最初の頃は、カヤコさんに出会わなかったら結婚はおろか恋愛すら出来なかったと思ってて、そんな俺に巡ってきた縁を絶対に手離したくないから頑張ってることもあったよ……」
「でも、今はただ愛してるんだよ。日常生活だろうが書類上だろうが、誰よりもカヤコさんの一番近くにいられる存在になりたい。ずっとずっと一緒にいたいから……」
そう話したアオキは、さらにカヤコを強く抱きしめた後、やや強引にキスをした。
(……私も愛してるって返事をすればいいだけなのに、本当に自分にモヤモヤする。次から次へと不安な気持ちばかりがわいてくる)
カヤコが泣いていることに気付いたアオキがゆっくりと体を離した。
(……だめだ。また、言葉が止まらない)
「アオキさん。この前、私が妊娠したかもって皆が勘違いしそうになった時、すごく動揺してたよね。そうだよね、心当たりあるもんね」
「……はい。あれは全面的に俺が悪いです」
「妊娠してなくてガッカリした?」
「少しだけ……」
「結婚しても、ずっと子どもが出来ないこともあるかもしれないよ」
「カヤコさん。俺は子どもが欲しいからプロポーズしたわけじゃないよ。さっきも言ったけど……」
「愛してるからって言いたいんでしょう? でも、そう言いながら私のこと考えてくれない時もあるじゃない!」
「……本当にごめん。謝ることしか出来ないけど俺がバカだった」
(けっきょく流されて受け入れてきた私も同じバカなのに、責めてこないことに本当にイライラする。……これ以上は言っちゃダメなのに止まらない)
「……今までもこれからもアオキさんは、自分に都合のいい相手が欲しかっただけ。相手は私じゃなくてもよかったんでしょう?」
「……それ、本気で言ってる?」
「………………」
「カヤコさんは、俺の言葉を何一つ信じてくれてないんだな」
アオキが怒っているようにも悲しんでいるようにも見える表情でうつ向いた。
カヤコも暗い表情のまま何も言わずにうつ向いている。
しばらくの沈黙の後、アオキが静かにカヤコに声をかける。
「そろそろ時間だから行ってくるよ。終わったら、すぐ帰るから、もう一回しっかり話そう」
「……やっぱり今日は実家に泊まってゆっくり休んできてほしい。ご両親との時間も大事にしないと。私も今夜は一人になりたい」
「…………分かった」
カヤコは、左手の薬指にはめていた指輪を外すと、力なくアオキに言った。
「もう私には、この指輪をつける資格がない。アオキさんに返すよ。かかった分のお金も……」
「俺と別れたいってこと?」
「……もう自分でも、どうしていいか分からなくて」
「俺は、別れるつもりもないし、気持ちも全く変わってないよ。でも、カヤコさんが俺と一緒にいるのがつらいなら無理強いはできない……」
「………………」
「あと、もう指輪はカヤコさんのものだから。必要ないなら売っても捨ててもかまわないよ。……でも、カヤコさんが俺と一緒にいたいとまだ思ってくれてるなら、そのまま左手の薬指につけたままでいてほしい」
アオキが出かけた後、カヤコは指輪を黙って見つめていた。
『キョキョキョキョキョキョ』
ホトトギスの鳴き声も、今のカヤコの耳には届いていなかった。
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