『腰は重いけど速攻解決!』 ~異世界最速のめんどくさがり~

KAORUwithAI

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七将編(氷獄の魔女セレナ)

第32話 魔女の涙を見た勇者

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 氷の牢の空気は、不安定だった。

 冷気が強まったかと思えば、次の瞬間には緩む。
 一定だったはずの温度が、揺れている。

 まるで、この空間そのものが、迷っているかのように。

 悠は、その中心に立っていた。

 剣には触れない。
 構えもしない。

 ただ、氷壁の向こうを見つめている。

 ――花。

 氷の中に閉じ込められた結晶の花は、確かに変わっていた。
 前に見た時よりも、亀裂がわずかに広がっている。

 壊れてはいない。
 溶けてもいない。

 だが、止まってはいなかった。

(……進んでるな)

 精霊たちの囁きが、断続的に響く。
 以前のような命令調は、もうない。

 迷い。
 戸惑い。

 守るべきか、離れるべきか。

 そのとき――
 空気が、静止した。

 音が消えたわけではない。
 ただ、すべてが一点に集まったような感覚。

 悠は、ゆっくりと視線を上げた。

 氷壁の向こうに、
 人影が立っている。

 セレナだった。

 距離は、まだある。
 触れられない位置。

 彼女は、氷の女王の姿を保っていた。
 白銀の髪、冷たい蒼の瞳。

 だが――
 その視線は、揺れている。

 悠は、何も言わなかった。

 見つめるだけ。

 セレナは、悠の沈黙に、僅かに眉をひそめる。

「……何も言わないのね」

 声は、いつも通り冷たい。

「言う必要がねぇ」

 悠は、短く答えた。

 剣を抜く時は、理由がある。
 言葉を使う時も、同じだ。

 今は、どちらでもない。

 セレナは、鼻で笑った。

「……涙など、意味がない」

 言い切る声。
 だが――

 微かに、震えていた。

「泣いたところで、過去は変わらない」
「失ったものは、戻らない」

 それは、事実だ。

 だが、声の奥に、
 抑えきれないものが滲んでいる。

 悠は、じっと彼女を見つめ続けた。

 否定もしない。
 肯定もしない。

 その視線が――
 最後の均衡を、崩した。

 ぽたり、と。

 氷の床に、雫が落ちる。

 乾いた音は、しない。

 その雫は、
 凍らなかった。

 ゆっくりと広がり、
 淡い円を描く。

 その瞬間、
 精霊たちの囁きが、完全に止まった。

 セレナ自身が、最初に気づいた。

 視線が、わずかに下を向く。

 氷の床に映る、
 小さな水の跡。

「……?」

 彼女は、ゆっくりと自分の頬に触れる。

 指先に、確かな湿り気。

 一瞬、理解が追いつかない。

「……なに、これは……」

 驚き。
 混乱。

 そして――
 微かな、恐怖。

 感情が、制御を離れた証。

 セレナの肩が、ほんの僅かに震えた。

 涙は、止まらない。
 二滴、三滴と、床に落ちる。

 それでも、彼女は拭おうとしなかった。

 拭い方を、
 忘れてしまったかのように。

 悠は、初めて口を開いた。

「……悪くない」

 それだけだった。

 慰めでも、同情でもない。

 ただ、
 否定しないという意思表示。

 セレナは、何も言い返せなかった。

 言葉を探そうとして、
 見つからなかった。

 涙は、止まらないまま。

 氷精霊たちは、
 距離を取っている。

 守ることも、凍らせることも、しない。

 干渉を、やめていた。

「……こんなもの……」

 セレナは、唇を噛む。

「……弱さだわ」

 悠は、首を振らない。

 否定もしない。

 ただ、黙っている。

 しばらくして、
 セレナは深く息を吸った。

 そして、背を向ける。

 完全には、立ち直っていない。
 だが、崩れ落ちてもいない。

 彼女は、立っていた。

「……次は」

 去り際に、短く言う。

「止めない」

 それが、
 何を意味するのか。

 悠には、分かった。

 心が揺れ、
 感情が零れ、
 それでも、まだ凍っている。

 だが――
 嵐は、鎮められる段階に来た。

 セレナの気配が、遠ざかる。

 氷の牢に、再び静寂が戻る。

 だが、その静けさは、
 もう、完全な氷ではなかった。

 床に残った涙の跡は、
 ゆっくりと蒸発していく。

 凍らずに。

 悠は、それを見届けてから、目を閉じた。

「……一歩だな」

 小さな一歩。

 だが、決定的な一歩だった。

 次に待つのは――
 外に溢れた感情が、世界に影響を与える段階。

 氷の嵐を、
 鎮める時が来ていた。
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