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第1話 ラーメン屋の極道
極道とは、その道を極めた者のことを言う。
昨今では「極道」と聞けば、誰もが眉を
ひそめて“ヤクザ”を想像する。
だが、本来の意味はまるで違う。
刃物を振り回し、威圧と暴力に物を言わせる者のことではない。
己で選んだ道に、一切の妥協なく身を投じ、
ただひたすらに磨き続ける者——その生き様こそが極道である。
料理人ならば包丁を極め、
職人ならば技を極め、
武の者ならば心と体を極める。
道の数だけ極道が存在する。
だが、現代日本ではその本義は忘れ去られ、
極道といえば反社会の象徴のように扱われてきた。
白石龍臣が「極道」という言葉に興味を
持ち始めたのは、編集長から一冊の古びた本を渡された日だ。その本のタイトルは『極道の心得』。著者名には、聞いたことのない人物——桐生遼とある。
夜、自宅でその本を開いた龍臣は、気づけば明け方まで読みふけっていた。そこには暴力や裏社会の話など一切出てこない。ただひたすらに、“道を極めるとは何か”について語られていた。
翌朝、編集長に言われた言葉が背中を押した。
「龍臣、今の日本にはな、本物が足りねえ。お前、探してこいよ。“極道”と呼べる本物の人間たちを」
こうして龍臣の旅が始まり、最初の目的地は、都内の下町商店街にある一軒のラーメン屋となった。
「……ここか」
商店街を歩きながら地図アプリと看板を何度も見比べ、龍臣は目的の店「山崎屋」に辿り着いた。
暖簾は色あせ、文字の一部は消えかけている。看板は昭和の時代そのままといった趣で、隣の派手なカフェに完全に埋もれていた。
昼どきだというのに、客は一人もいない。
店主に話を聞くという約束もしておらず、龍臣は不安になりながらも扉を押し開けた。店内もまた、昔ながらの雰囲気で、いわゆる“映える要素”は一つもない。
カウンターの奥から、中年の男が顔を出した。
「……いらっしゃい」
低い声。目に覇気がない。
この男が店主、山崎俊成だ。
龍臣はカウンターに座り、とりあえず醤油ラーメンを注文した。
やがて湯気の立つ一杯が出てきた。
スープを口にした瞬間——龍臣は思わず眉を寄せた。
「……なんだろう……悪くないけど……ぶれてる?」
味が安定していない。どこか迷いのある味だった。
食べ終えた龍臣が取材だと名乗り、話を聞こうとすると、俊成は最初、取材を拒むような態度を見せた。
「今さらラーメン屋なんて誰も興味ないだろ……」
そう呟く声には、自信の欠片もない。
だがそのとき、暖簾が揺れ、一人の客が入ってきた。黒いロングコートに無精ひげ。大柄でありながらも歩き方は静かで、妙な迫力がある男だった。
龍臣は息を呑む。
どこかで見た顔——そうだ、本の著者、桐生遼によく似ている。
男は席に座り、無言でラーメンを注文した。
俊成は緊張した様子で調理を始める。
数分後、男は黙々と麺を啜り、最後の一滴までスープを飲み干した。そして静かに顔を上げると、俊成をまっすぐ射抜くように見た。
「……迷ってる味だな」
俊成の手が止まった。
「……はい?」
「覚悟が足りねぇ味だ。昔の味を残したいのか、今風に寄せたいのか……どっちつかずだ」
その言葉は、俊成にとって最も突かれたくない核心だった。
「……あの、失礼ですが……」
男は立ち上がり、会計を済ませると一言だけ残した。
「どんなラーメンを作りたいのか……それを決めるのは客じゃねぇ。お前自身だ」
そして店を出ていった。
龍臣は呆然と見つめていた。
俊成は、しばらく動けなかった。
龍臣は取材のため、俊成の話を聞いた。
「……実はさ、昔はもう少し客がいたんだよ。親父の代から続く味でな。派手じゃないが、地元の連中はよく来てくれた」
だが時代は変わり、SNSで映えるラーメンがもてはやされ、若い客はそっちへ流れた。
「新しいものを取り入れた方がいいのか……でも、親父の味を捨てるみたいで」
俊成は拳を握りしめた。
「……怖かったんだ。どっちを選んでも、間違いなんじゃないかって」
——迷っている。
桐生遼の言葉は、俊成の迷いを一瞬で暴き出したのだ。
龍臣はその姿に、心が震えるのを感じた。
“極道”とは、こういう迷いを振り払う者なのだと理解し始めていた。
龍臣はその夜、俊成と遅くまで語り合った。
親父の味。時代の流れ。地域の変化。
守りたいものと変えるべきもの——。
話すうち、俊成の表情に少しずつ光が戻っていく。
「……俺、本当はさ……」
俊成がふっと笑う。
「昔ながらの一杯で勝負したいんだよ。奇抜なもんじゃなくて、素材の味を丁寧に出す……あの頃の、いい匂いのする店に戻したいんだ」
本音がこぼれた瞬間だった。
龍臣は頷く。
「じゃあ、それを極めればいいんじゃないですか?」
俊成は目を見開いた。
「“道を極める者が極道”……なんですよね?」
龍臣の言葉に、俊成の肩から力が抜けた。
まるで誰かに許されたかのように。
翌日から、俊成の姿は変わった。
朝から晩まで、スープの仕込みをやり直し、麺の茹で具合を研究し、チャーシューの切り方まで徹底して見直す。
龍臣も手伝いながら、その姿を見守った。
「やっぱり職人ってすげぇな……」
「違うよ、龍臣さん。職人じゃない……極道を目指してるんだ」
俊成は笑いながら言った。
数週間後、ついに新しい——いや、“原点に戻った一杯”が完成した。
湯気の向こうでスープは黄金色に輝き、香りには迷いがひとつもない。
俊成はつぶやいた。
「……これだ。これが俺の道だ」
ある日、再びあの黒いコートの男が店に現れた。
俊成は震える手でラーメンを差し出した。
男は無言で箸を取り、静かに一口、また一口と啜る。
そして——完食。
男は立ち上がり、俊成をじっと見た。
「……良い味だ」
「ほ、本当ですか……?」
「迷いが消えた味だ。お前……やっと、極道の入り口に立ったな」
俊成の目に涙が浮かぶ。
男はそれ以上何も言わず、暖簾を揺らして去っていった。
龍臣はその背中を見つめ、胸が熱くなった。
——やはり、あの男が桐生遼なのだ。
取材を終え、龍臣はノートにこう書いた。
「極道とは、派手なものではない。
迷いを捨て、自分の味で勝負する覚悟のことだ。」
俊成の店は少しずつ客足を取り戻し、
今では商店街の“本物の味”として評判になりつつあった。
帰り道、龍臣は空を見上げた。
「……俺も、極道を探す旅を続けるか」
その瞳は、確かに強くなっていた。
昨今では「極道」と聞けば、誰もが眉を
ひそめて“ヤクザ”を想像する。
だが、本来の意味はまるで違う。
刃物を振り回し、威圧と暴力に物を言わせる者のことではない。
己で選んだ道に、一切の妥協なく身を投じ、
ただひたすらに磨き続ける者——その生き様こそが極道である。
料理人ならば包丁を極め、
職人ならば技を極め、
武の者ならば心と体を極める。
道の数だけ極道が存在する。
だが、現代日本ではその本義は忘れ去られ、
極道といえば反社会の象徴のように扱われてきた。
白石龍臣が「極道」という言葉に興味を
持ち始めたのは、編集長から一冊の古びた本を渡された日だ。その本のタイトルは『極道の心得』。著者名には、聞いたことのない人物——桐生遼とある。
夜、自宅でその本を開いた龍臣は、気づけば明け方まで読みふけっていた。そこには暴力や裏社会の話など一切出てこない。ただひたすらに、“道を極めるとは何か”について語られていた。
翌朝、編集長に言われた言葉が背中を押した。
「龍臣、今の日本にはな、本物が足りねえ。お前、探してこいよ。“極道”と呼べる本物の人間たちを」
こうして龍臣の旅が始まり、最初の目的地は、都内の下町商店街にある一軒のラーメン屋となった。
「……ここか」
商店街を歩きながら地図アプリと看板を何度も見比べ、龍臣は目的の店「山崎屋」に辿り着いた。
暖簾は色あせ、文字の一部は消えかけている。看板は昭和の時代そのままといった趣で、隣の派手なカフェに完全に埋もれていた。
昼どきだというのに、客は一人もいない。
店主に話を聞くという約束もしておらず、龍臣は不安になりながらも扉を押し開けた。店内もまた、昔ながらの雰囲気で、いわゆる“映える要素”は一つもない。
カウンターの奥から、中年の男が顔を出した。
「……いらっしゃい」
低い声。目に覇気がない。
この男が店主、山崎俊成だ。
龍臣はカウンターに座り、とりあえず醤油ラーメンを注文した。
やがて湯気の立つ一杯が出てきた。
スープを口にした瞬間——龍臣は思わず眉を寄せた。
「……なんだろう……悪くないけど……ぶれてる?」
味が安定していない。どこか迷いのある味だった。
食べ終えた龍臣が取材だと名乗り、話を聞こうとすると、俊成は最初、取材を拒むような態度を見せた。
「今さらラーメン屋なんて誰も興味ないだろ……」
そう呟く声には、自信の欠片もない。
だがそのとき、暖簾が揺れ、一人の客が入ってきた。黒いロングコートに無精ひげ。大柄でありながらも歩き方は静かで、妙な迫力がある男だった。
龍臣は息を呑む。
どこかで見た顔——そうだ、本の著者、桐生遼によく似ている。
男は席に座り、無言でラーメンを注文した。
俊成は緊張した様子で調理を始める。
数分後、男は黙々と麺を啜り、最後の一滴までスープを飲み干した。そして静かに顔を上げると、俊成をまっすぐ射抜くように見た。
「……迷ってる味だな」
俊成の手が止まった。
「……はい?」
「覚悟が足りねぇ味だ。昔の味を残したいのか、今風に寄せたいのか……どっちつかずだ」
その言葉は、俊成にとって最も突かれたくない核心だった。
「……あの、失礼ですが……」
男は立ち上がり、会計を済ませると一言だけ残した。
「どんなラーメンを作りたいのか……それを決めるのは客じゃねぇ。お前自身だ」
そして店を出ていった。
龍臣は呆然と見つめていた。
俊成は、しばらく動けなかった。
龍臣は取材のため、俊成の話を聞いた。
「……実はさ、昔はもう少し客がいたんだよ。親父の代から続く味でな。派手じゃないが、地元の連中はよく来てくれた」
だが時代は変わり、SNSで映えるラーメンがもてはやされ、若い客はそっちへ流れた。
「新しいものを取り入れた方がいいのか……でも、親父の味を捨てるみたいで」
俊成は拳を握りしめた。
「……怖かったんだ。どっちを選んでも、間違いなんじゃないかって」
——迷っている。
桐生遼の言葉は、俊成の迷いを一瞬で暴き出したのだ。
龍臣はその姿に、心が震えるのを感じた。
“極道”とは、こういう迷いを振り払う者なのだと理解し始めていた。
龍臣はその夜、俊成と遅くまで語り合った。
親父の味。時代の流れ。地域の変化。
守りたいものと変えるべきもの——。
話すうち、俊成の表情に少しずつ光が戻っていく。
「……俺、本当はさ……」
俊成がふっと笑う。
「昔ながらの一杯で勝負したいんだよ。奇抜なもんじゃなくて、素材の味を丁寧に出す……あの頃の、いい匂いのする店に戻したいんだ」
本音がこぼれた瞬間だった。
龍臣は頷く。
「じゃあ、それを極めればいいんじゃないですか?」
俊成は目を見開いた。
「“道を極める者が極道”……なんですよね?」
龍臣の言葉に、俊成の肩から力が抜けた。
まるで誰かに許されたかのように。
翌日から、俊成の姿は変わった。
朝から晩まで、スープの仕込みをやり直し、麺の茹で具合を研究し、チャーシューの切り方まで徹底して見直す。
龍臣も手伝いながら、その姿を見守った。
「やっぱり職人ってすげぇな……」
「違うよ、龍臣さん。職人じゃない……極道を目指してるんだ」
俊成は笑いながら言った。
数週間後、ついに新しい——いや、“原点に戻った一杯”が完成した。
湯気の向こうでスープは黄金色に輝き、香りには迷いがひとつもない。
俊成はつぶやいた。
「……これだ。これが俺の道だ」
ある日、再びあの黒いコートの男が店に現れた。
俊成は震える手でラーメンを差し出した。
男は無言で箸を取り、静かに一口、また一口と啜る。
そして——完食。
男は立ち上がり、俊成をじっと見た。
「……良い味だ」
「ほ、本当ですか……?」
「迷いが消えた味だ。お前……やっと、極道の入り口に立ったな」
俊成の目に涙が浮かぶ。
男はそれ以上何も言わず、暖簾を揺らして去っていった。
龍臣はその背中を見つめ、胸が熱くなった。
——やはり、あの男が桐生遼なのだ。
取材を終え、龍臣はノートにこう書いた。
「極道とは、派手なものではない。
迷いを捨て、自分の味で勝負する覚悟のことだ。」
俊成の店は少しずつ客足を取り戻し、
今では商店街の“本物の味”として評判になりつつあった。
帰り道、龍臣は空を見上げた。
「……俺も、極道を探す旅を続けるか」
その瞳は、確かに強くなっていた。
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