1 / 3
第1話 ラーメン屋の極道
しおりを挟む
極道とは、その道を極めた者のことを言う。
昨今では「極道」と聞けば、誰もが眉を
ひそめて“ヤクザ”を想像する。
だが、本来の意味はまるで違う。
刃物を振り回し、威圧と暴力に物を言わせる者のことではない。
己で選んだ道に、一切の妥協なく身を投じ、
ただひたすらに磨き続ける者——その生き様こそが極道である。
料理人ならば包丁を極め、
職人ならば技を極め、
武の者ならば心と体を極める。
道の数だけ極道が存在する。
だが、現代日本ではその本義は忘れ去られ、
極道といえば反社会の象徴のように扱われてきた。
白石龍臣が「極道」という言葉に興味を
持ち始めたのは、編集長から一冊の古びた本を渡された日だ。その本のタイトルは『極道の心得』。著者名には、聞いたことのない人物——桐生遼とある。
夜、自宅でその本を開いた龍臣は、気づけば明け方まで読みふけっていた。そこには暴力や裏社会の話など一切出てこない。ただひたすらに、“道を極めるとは何か”について語られていた。
翌朝、編集長に言われた言葉が背中を押した。
「龍臣、今の日本にはな、本物が足りねえ。お前、探してこいよ。“極道”と呼べる本物の人間たちを」
こうして龍臣の旅が始まり、最初の目的地は、都内の下町商店街にある一軒のラーメン屋となった。
「……ここか」
商店街を歩きながら地図アプリと看板を何度も見比べ、龍臣は目的の店「山崎屋」に辿り着いた。
暖簾は色あせ、文字の一部は消えかけている。看板は昭和の時代そのままといった趣で、隣の派手なカフェに完全に埋もれていた。
昼どきだというのに、客は一人もいない。
店主に話を聞くという約束もしておらず、龍臣は不安になりながらも扉を押し開けた。店内もまた、昔ながらの雰囲気で、いわゆる“映える要素”は一つもない。
カウンターの奥から、中年の男が顔を出した。
「……いらっしゃい」
低い声。目に覇気がない。
この男が店主、山崎俊成だ。
龍臣はカウンターに座り、とりあえず醤油ラーメンを注文した。
やがて湯気の立つ一杯が出てきた。
スープを口にした瞬間——龍臣は思わず眉を寄せた。
「……なんだろう……悪くないけど……ぶれてる?」
味が安定していない。どこか迷いのある味だった。
食べ終えた龍臣が取材だと名乗り、話を聞こうとすると、俊成は最初、取材を拒むような態度を見せた。
「今さらラーメン屋なんて誰も興味ないだろ……」
そう呟く声には、自信の欠片もない。
だがそのとき、暖簾が揺れ、一人の客が入ってきた。黒いロングコートに無精ひげ。大柄でありながらも歩き方は静かで、妙な迫力がある男だった。
龍臣は息を呑む。
どこかで見た顔——そうだ、本の著者、桐生遼によく似ている。
男は席に座り、無言でラーメンを注文した。
俊成は緊張した様子で調理を始める。
数分後、男は黙々と麺を啜り、最後の一滴までスープを飲み干した。そして静かに顔を上げると、俊成をまっすぐ射抜くように見た。
「……迷ってる味だな」
俊成の手が止まった。
「……はい?」
「覚悟が足りねぇ味だ。昔の味を残したいのか、今風に寄せたいのか……どっちつかずだ」
その言葉は、俊成にとって最も突かれたくない核心だった。
「……あの、失礼ですが……」
男は立ち上がり、会計を済ませると一言だけ残した。
「どんなラーメンを作りたいのか……それを決めるのは客じゃねぇ。お前自身だ」
そして店を出ていった。
龍臣は呆然と見つめていた。
俊成は、しばらく動けなかった。
龍臣は取材のため、俊成の話を聞いた。
「……実はさ、昔はもう少し客がいたんだよ。親父の代から続く味でな。派手じゃないが、地元の連中はよく来てくれた」
だが時代は変わり、SNSで映えるラーメンがもてはやされ、若い客はそっちへ流れた。
「新しいものを取り入れた方がいいのか……でも、親父の味を捨てるみたいで」
俊成は拳を握りしめた。
「……怖かったんだ。どっちを選んでも、間違いなんじゃないかって」
——迷っている。
桐生遼の言葉は、俊成の迷いを一瞬で暴き出したのだ。
龍臣はその姿に、心が震えるのを感じた。
“極道”とは、こういう迷いを振り払う者なのだと理解し始めていた。
龍臣はその夜、俊成と遅くまで語り合った。
親父の味。時代の流れ。地域の変化。
守りたいものと変えるべきもの——。
話すうち、俊成の表情に少しずつ光が戻っていく。
「……俺、本当はさ……」
俊成がふっと笑う。
「昔ながらの一杯で勝負したいんだよ。奇抜なもんじゃなくて、素材の味を丁寧に出す……あの頃の、いい匂いのする店に戻したいんだ」
本音がこぼれた瞬間だった。
龍臣は頷く。
「じゃあ、それを極めればいいんじゃないですか?」
俊成は目を見開いた。
「“道を極める者が極道”……なんですよね?」
龍臣の言葉に、俊成の肩から力が抜けた。
まるで誰かに許されたかのように。
翌日から、俊成の姿は変わった。
朝から晩まで、スープの仕込みをやり直し、麺の茹で具合を研究し、チャーシューの切り方まで徹底して見直す。
龍臣も手伝いながら、その姿を見守った。
「やっぱり職人ってすげぇな……」
「違うよ、龍臣さん。職人じゃない……極道を目指してるんだ」
俊成は笑いながら言った。
数週間後、ついに新しい——いや、“原点に戻った一杯”が完成した。
湯気の向こうでスープは黄金色に輝き、香りには迷いがひとつもない。
俊成はつぶやいた。
「……これだ。これが俺の道だ」
ある日、再びあの黒いコートの男が店に現れた。
俊成は震える手でラーメンを差し出した。
男は無言で箸を取り、静かに一口、また一口と啜る。
そして——完食。
男は立ち上がり、俊成をじっと見た。
「……良い味だ」
「ほ、本当ですか……?」
「迷いが消えた味だ。お前……やっと、極道の入り口に立ったな」
俊成の目に涙が浮かぶ。
男はそれ以上何も言わず、暖簾を揺らして去っていった。
龍臣はその背中を見つめ、胸が熱くなった。
——やはり、あの男が桐生遼なのだ。
取材を終え、龍臣はノートにこう書いた。
「極道とは、派手なものではない。
迷いを捨て、自分の味で勝負する覚悟のことだ。」
俊成の店は少しずつ客足を取り戻し、
今では商店街の“本物の味”として評判になりつつあった。
帰り道、龍臣は空を見上げた。
「……俺も、極道を探す旅を続けるか」
その瞳は、確かに強くなっていた。
昨今では「極道」と聞けば、誰もが眉を
ひそめて“ヤクザ”を想像する。
だが、本来の意味はまるで違う。
刃物を振り回し、威圧と暴力に物を言わせる者のことではない。
己で選んだ道に、一切の妥協なく身を投じ、
ただひたすらに磨き続ける者——その生き様こそが極道である。
料理人ならば包丁を極め、
職人ならば技を極め、
武の者ならば心と体を極める。
道の数だけ極道が存在する。
だが、現代日本ではその本義は忘れ去られ、
極道といえば反社会の象徴のように扱われてきた。
白石龍臣が「極道」という言葉に興味を
持ち始めたのは、編集長から一冊の古びた本を渡された日だ。その本のタイトルは『極道の心得』。著者名には、聞いたことのない人物——桐生遼とある。
夜、自宅でその本を開いた龍臣は、気づけば明け方まで読みふけっていた。そこには暴力や裏社会の話など一切出てこない。ただひたすらに、“道を極めるとは何か”について語られていた。
翌朝、編集長に言われた言葉が背中を押した。
「龍臣、今の日本にはな、本物が足りねえ。お前、探してこいよ。“極道”と呼べる本物の人間たちを」
こうして龍臣の旅が始まり、最初の目的地は、都内の下町商店街にある一軒のラーメン屋となった。
「……ここか」
商店街を歩きながら地図アプリと看板を何度も見比べ、龍臣は目的の店「山崎屋」に辿り着いた。
暖簾は色あせ、文字の一部は消えかけている。看板は昭和の時代そのままといった趣で、隣の派手なカフェに完全に埋もれていた。
昼どきだというのに、客は一人もいない。
店主に話を聞くという約束もしておらず、龍臣は不安になりながらも扉を押し開けた。店内もまた、昔ながらの雰囲気で、いわゆる“映える要素”は一つもない。
カウンターの奥から、中年の男が顔を出した。
「……いらっしゃい」
低い声。目に覇気がない。
この男が店主、山崎俊成だ。
龍臣はカウンターに座り、とりあえず醤油ラーメンを注文した。
やがて湯気の立つ一杯が出てきた。
スープを口にした瞬間——龍臣は思わず眉を寄せた。
「……なんだろう……悪くないけど……ぶれてる?」
味が安定していない。どこか迷いのある味だった。
食べ終えた龍臣が取材だと名乗り、話を聞こうとすると、俊成は最初、取材を拒むような態度を見せた。
「今さらラーメン屋なんて誰も興味ないだろ……」
そう呟く声には、自信の欠片もない。
だがそのとき、暖簾が揺れ、一人の客が入ってきた。黒いロングコートに無精ひげ。大柄でありながらも歩き方は静かで、妙な迫力がある男だった。
龍臣は息を呑む。
どこかで見た顔——そうだ、本の著者、桐生遼によく似ている。
男は席に座り、無言でラーメンを注文した。
俊成は緊張した様子で調理を始める。
数分後、男は黙々と麺を啜り、最後の一滴までスープを飲み干した。そして静かに顔を上げると、俊成をまっすぐ射抜くように見た。
「……迷ってる味だな」
俊成の手が止まった。
「……はい?」
「覚悟が足りねぇ味だ。昔の味を残したいのか、今風に寄せたいのか……どっちつかずだ」
その言葉は、俊成にとって最も突かれたくない核心だった。
「……あの、失礼ですが……」
男は立ち上がり、会計を済ませると一言だけ残した。
「どんなラーメンを作りたいのか……それを決めるのは客じゃねぇ。お前自身だ」
そして店を出ていった。
龍臣は呆然と見つめていた。
俊成は、しばらく動けなかった。
龍臣は取材のため、俊成の話を聞いた。
「……実はさ、昔はもう少し客がいたんだよ。親父の代から続く味でな。派手じゃないが、地元の連中はよく来てくれた」
だが時代は変わり、SNSで映えるラーメンがもてはやされ、若い客はそっちへ流れた。
「新しいものを取り入れた方がいいのか……でも、親父の味を捨てるみたいで」
俊成は拳を握りしめた。
「……怖かったんだ。どっちを選んでも、間違いなんじゃないかって」
——迷っている。
桐生遼の言葉は、俊成の迷いを一瞬で暴き出したのだ。
龍臣はその姿に、心が震えるのを感じた。
“極道”とは、こういう迷いを振り払う者なのだと理解し始めていた。
龍臣はその夜、俊成と遅くまで語り合った。
親父の味。時代の流れ。地域の変化。
守りたいものと変えるべきもの——。
話すうち、俊成の表情に少しずつ光が戻っていく。
「……俺、本当はさ……」
俊成がふっと笑う。
「昔ながらの一杯で勝負したいんだよ。奇抜なもんじゃなくて、素材の味を丁寧に出す……あの頃の、いい匂いのする店に戻したいんだ」
本音がこぼれた瞬間だった。
龍臣は頷く。
「じゃあ、それを極めればいいんじゃないですか?」
俊成は目を見開いた。
「“道を極める者が極道”……なんですよね?」
龍臣の言葉に、俊成の肩から力が抜けた。
まるで誰かに許されたかのように。
翌日から、俊成の姿は変わった。
朝から晩まで、スープの仕込みをやり直し、麺の茹で具合を研究し、チャーシューの切り方まで徹底して見直す。
龍臣も手伝いながら、その姿を見守った。
「やっぱり職人ってすげぇな……」
「違うよ、龍臣さん。職人じゃない……極道を目指してるんだ」
俊成は笑いながら言った。
数週間後、ついに新しい——いや、“原点に戻った一杯”が完成した。
湯気の向こうでスープは黄金色に輝き、香りには迷いがひとつもない。
俊成はつぶやいた。
「……これだ。これが俺の道だ」
ある日、再びあの黒いコートの男が店に現れた。
俊成は震える手でラーメンを差し出した。
男は無言で箸を取り、静かに一口、また一口と啜る。
そして——完食。
男は立ち上がり、俊成をじっと見た。
「……良い味だ」
「ほ、本当ですか……?」
「迷いが消えた味だ。お前……やっと、極道の入り口に立ったな」
俊成の目に涙が浮かぶ。
男はそれ以上何も言わず、暖簾を揺らして去っていった。
龍臣はその背中を見つめ、胸が熱くなった。
——やはり、あの男が桐生遼なのだ。
取材を終え、龍臣はノートにこう書いた。
「極道とは、派手なものではない。
迷いを捨て、自分の味で勝負する覚悟のことだ。」
俊成の店は少しずつ客足を取り戻し、
今では商店街の“本物の味”として評判になりつつあった。
帰り道、龍臣は空を見上げた。
「……俺も、極道を探す旅を続けるか」
その瞳は、確かに強くなっていた。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】離縁ですか…では、私が出掛けている間に出ていって下さいね♪
山葵
恋愛
突然、カイルから離縁して欲しいと言われ、戸惑いながらも理由を聞いた。
「俺は真実の愛に目覚めたのだ。マリアこそ俺の運命の相手!」
そうですか…。
私は離婚届にサインをする。
私は、直ぐに役所に届ける様に使用人に渡した。
使用人が出掛けるのを確認してから
「私とアスベスが旅行に行っている間に荷物を纏めて出ていって下さいね♪」
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる