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第2話 寿司屋の極道
極道とは、その道を極めた者のことを言う。
昨今では「極道」と聞けば、誰もが眉をひそめて“ヤクザ”を想像する。
だが、本来の意味はまるで違う。
刃物を振り回し、威圧と暴力に物を言わせる者のことではない。
己で選んだ道に、一切の妥協なく身を投じ、
ただひたすらに磨き続ける者——その生き様こそが極道である。
料理人ならば包丁を極め、
職人ならば技を極め、
武の者ならば心と体を極める。
道の数だけ極道が存在する。
だが、現代日本ではその本義は忘れ去られ、
極道といえば反社会の象徴のように扱われてきた。
白石龍臣は、前回のラーメン店「山崎屋」の取材記事を提出したばかりだった。編集長からの評価は一言。
「龍臣、お前……ちょっと良くなったじゃねぇか」
それが妙に嬉しくて、龍臣は次の取材へと心を弾ませていた。
今回の目的地は、東京・築地の外れにある小さな寿司屋。
名前は——「鮨 まるいち」。
「ここだな……」
路地裏にひっそりと佇む暖簾。
築地といえば名店がひしめく激戦区。
その中で「まるいち」は決して有名ではない。
昼時だというのに、客はまばらだった。
店内に入ると、一本筋の通ったような空気が漂っている。
カウンターの中央に立つのは、白髪混じりの男。
無駄のない動きで包丁を扱い、寿司を握り続けている。
彼が今回の取材対象——寿司職人・丸井清志(まるい きよし)、62歳。
龍臣は席に座り、まずは握りを注文した。
目の前で握られた寿司を口に運ぶ。
思わず目を閉じた。
「……うまい……!」
インパクトや派手さはない。
だが、素材の良さが静かに、深く、舌に染み渡る。
龍臣が感動していると、丸井はちらりとも龍臣を見ないまま言った。
「食いたきゃ黙って食え。寿司は語らなくていい」
龍臣は背筋を伸ばした。
この店には、この人には、何か重い覚悟のようなものがある——。
食べ終え、名刺を出して取材を申し出ると、丸井は包丁を磨きながら一言。
「断る」
「えっ、あの……どうしてですか?」
「俺はな、弟子も取らねぇし、テレビにも出ねぇ。
寿司は客のためだけに握る。それでいい」
龍臣は食い下がる。
「でも、丸井さんの寿司には確かな技があって……それをもっと多くの人に知ってほしいんです!」
丸井は鼻で笑った。
「知ってどうする。派手に売れて、流行に踊らされるだけだ。
そんなもん、寿司じゃねぇ」
厳しい言い方だが、そこには迷いがなかった。
完全に自分の道を歩く者の言葉だった。
その会話を聞いていた若い板前が、奥から姿を見せた。
彼の名は篠崎涼(しのざき りょう)、24歳。
「丸井さん……そんな言い方しなくても……」
涼は龍臣に深く頭を下げる。
「すみません……大将は不器用な人で」
丸井は不器用、というより頑固一徹だ。
それも常軌を逸するほどに。
涼の話では、丸井はもともと名店の一流職人だったという。
だがある日、突然辞めて一人で店を始めた。
理由を聞かれた丸井は、
「俺は俺の寿司を握る」
とだけ言ったという。
しかしその“自分の寿司”が何なのか、涼にはまだよく分からない。
「俺……大将みたいになれるんでしょうか……」
涼の目には焦りと迷いがあった。
龍臣は、またひとり迷える人間を見つけたと思った。
取材を諦めきれず、龍臣は次の日も店へ向かった。
だが、暖簾の前で立ち止まる。
——店の前に、黒いロングコートの男がいた。
あの男。
ラーメン屋で俊成の背中を押した謎の男——桐生遼。
「まさか……」
遼は暖簾をくぐり、中へ入っていった。
龍臣も急いで入ると、遼はすでにカウンターに座り、丸井の握る寿司を静かに見つめていた。
丸井は遼を見るなり表情を変えた。
「……来たか」
「久しぶりだな、丸井」
二人は顔見知りらしい。
龍臣は息を呑む。
遼がどうしてここにいるのか、丸井との関係は何なのか——。
遼は握られた寿司を、黙ったまま丁寧に口へ運ぶ。
食べ終えると、静かに言った。
「……丸井、お前の寿司……少し、鈍ったな」
丸井の手が止まる。
「……何だと?」
「迷ってる味だ」
その瞬間、店の空気が震えた。
涼が驚く。
「ま、迷ってるって……大将がですか!?」
丸井は怒りを噛みしめ、遼を睨む。
「……ふざけるな。俺は迷ってなんかいねぇ。俺の寿司は俺の寿司だ」
遼は首を横に振った。
「涼の存在に、お前は気を取られている。
本当は弟子を育てたいのに、自分の流儀に自信がない。だから味が揺れてる」
涼は息を呑んだ。
「だ、大将……本当なんですか?」
丸井は口を開けないまま、包丁を強く握りしめた。
遼は静かに語り始めた。
「昔のお前は、誰よりもまっすぐ寿司と向き合っていた。
だが名店にいた頃……“型にはめられる寿司”に耐えられなくなった」
それが独立の理由だった。
丸井は、流行でも格式でもなく、
ただ“自分が旨いと思う寿司”を握りたいと願った。
だが——。
「一人で握り続けて、お前は気づいたんだろ?
寿司ってのは、繋いでいくものだと」
丸井の握る手が震えた。
「……俺は……」
涼が小さな声で言った。
「大将……俺、大将の寿司が大好きです。
だけど、最近……味が日によって違うなって思ってました」
丸井はゆっくりと目を閉じた。
それが悔しくて、情けなくて、何より怖かったのだ。
沈黙を破ったのは遼だった。
「丸井……お前は弟子を持つ覚悟ができてない。
だが、本当は誰より弟子を欲しがってる」
涼は驚いて丸井を見る。
丸井は、震える声でつぶやいた。
「……俺の寿司を……誰かに渡すのが……怖かったんだ……」
「継がれた瞬間、自分の寿司が終わる気がした。
ただの我流で……伝える価値なんてあるのかって思ってた……」
涼の目に涙が滲む。
「大将……俺、もっと学びたいです!
大将の寿司を、全部……全部教えてほしい!」
丸井は唇を噛みしめ、しばらく動けなかったが——
やがて、包丁を静かに置いた。
「……涼……頼む。俺の寿司を……継いでくれ」
涼は大きく頷いた。
遼はその様子を見て、一言だけ残す。
「迷いが消えた時……お前の寿司は、また強くなる」
数週間後。
龍臣は再び店を訪れた。
暖簾をくぐると、空気がまるで別物だった。
丸井の目には迷いがなく、涼の動きにも力強さがある。
龍臣が注文すると、丸井は静かに寿司を握った。
一貫目を口へ運んだ瞬間——龍臣は震えた。
「……これだ……!」
丸井の寿司は復活していた。
いや、以前よりも深く、強く、温かい味だった。
「丸井さん……これは……!」
丸井は照れくさそうに笑った。
「涼に教えるつもりで握ったらよ……
自分の原点を思い出しただけだ」
涼も笑って言う。
「大将は、誰より極道ですよ!」
龍臣は心からそう思った。
取材ノートに、龍臣はこう記した。
「極道とは、守るだけではなく、継ぐ覚悟でもある。」
店を出るとき、丸井が声をかけた。
「おい記者。遼に会ったら伝えておけ」
「なんて?」
「……余計な世話をしやがって、ありがとう……とな」
龍臣は笑い、深く頭を下げた。
——またひとつ、本物の極道に出会った。
昨今では「極道」と聞けば、誰もが眉をひそめて“ヤクザ”を想像する。
だが、本来の意味はまるで違う。
刃物を振り回し、威圧と暴力に物を言わせる者のことではない。
己で選んだ道に、一切の妥協なく身を投じ、
ただひたすらに磨き続ける者——その生き様こそが極道である。
料理人ならば包丁を極め、
職人ならば技を極め、
武の者ならば心と体を極める。
道の数だけ極道が存在する。
だが、現代日本ではその本義は忘れ去られ、
極道といえば反社会の象徴のように扱われてきた。
白石龍臣は、前回のラーメン店「山崎屋」の取材記事を提出したばかりだった。編集長からの評価は一言。
「龍臣、お前……ちょっと良くなったじゃねぇか」
それが妙に嬉しくて、龍臣は次の取材へと心を弾ませていた。
今回の目的地は、東京・築地の外れにある小さな寿司屋。
名前は——「鮨 まるいち」。
「ここだな……」
路地裏にひっそりと佇む暖簾。
築地といえば名店がひしめく激戦区。
その中で「まるいち」は決して有名ではない。
昼時だというのに、客はまばらだった。
店内に入ると、一本筋の通ったような空気が漂っている。
カウンターの中央に立つのは、白髪混じりの男。
無駄のない動きで包丁を扱い、寿司を握り続けている。
彼が今回の取材対象——寿司職人・丸井清志(まるい きよし)、62歳。
龍臣は席に座り、まずは握りを注文した。
目の前で握られた寿司を口に運ぶ。
思わず目を閉じた。
「……うまい……!」
インパクトや派手さはない。
だが、素材の良さが静かに、深く、舌に染み渡る。
龍臣が感動していると、丸井はちらりとも龍臣を見ないまま言った。
「食いたきゃ黙って食え。寿司は語らなくていい」
龍臣は背筋を伸ばした。
この店には、この人には、何か重い覚悟のようなものがある——。
食べ終え、名刺を出して取材を申し出ると、丸井は包丁を磨きながら一言。
「断る」
「えっ、あの……どうしてですか?」
「俺はな、弟子も取らねぇし、テレビにも出ねぇ。
寿司は客のためだけに握る。それでいい」
龍臣は食い下がる。
「でも、丸井さんの寿司には確かな技があって……それをもっと多くの人に知ってほしいんです!」
丸井は鼻で笑った。
「知ってどうする。派手に売れて、流行に踊らされるだけだ。
そんなもん、寿司じゃねぇ」
厳しい言い方だが、そこには迷いがなかった。
完全に自分の道を歩く者の言葉だった。
その会話を聞いていた若い板前が、奥から姿を見せた。
彼の名は篠崎涼(しのざき りょう)、24歳。
「丸井さん……そんな言い方しなくても……」
涼は龍臣に深く頭を下げる。
「すみません……大将は不器用な人で」
丸井は不器用、というより頑固一徹だ。
それも常軌を逸するほどに。
涼の話では、丸井はもともと名店の一流職人だったという。
だがある日、突然辞めて一人で店を始めた。
理由を聞かれた丸井は、
「俺は俺の寿司を握る」
とだけ言ったという。
しかしその“自分の寿司”が何なのか、涼にはまだよく分からない。
「俺……大将みたいになれるんでしょうか……」
涼の目には焦りと迷いがあった。
龍臣は、またひとり迷える人間を見つけたと思った。
取材を諦めきれず、龍臣は次の日も店へ向かった。
だが、暖簾の前で立ち止まる。
——店の前に、黒いロングコートの男がいた。
あの男。
ラーメン屋で俊成の背中を押した謎の男——桐生遼。
「まさか……」
遼は暖簾をくぐり、中へ入っていった。
龍臣も急いで入ると、遼はすでにカウンターに座り、丸井の握る寿司を静かに見つめていた。
丸井は遼を見るなり表情を変えた。
「……来たか」
「久しぶりだな、丸井」
二人は顔見知りらしい。
龍臣は息を呑む。
遼がどうしてここにいるのか、丸井との関係は何なのか——。
遼は握られた寿司を、黙ったまま丁寧に口へ運ぶ。
食べ終えると、静かに言った。
「……丸井、お前の寿司……少し、鈍ったな」
丸井の手が止まる。
「……何だと?」
「迷ってる味だ」
その瞬間、店の空気が震えた。
涼が驚く。
「ま、迷ってるって……大将がですか!?」
丸井は怒りを噛みしめ、遼を睨む。
「……ふざけるな。俺は迷ってなんかいねぇ。俺の寿司は俺の寿司だ」
遼は首を横に振った。
「涼の存在に、お前は気を取られている。
本当は弟子を育てたいのに、自分の流儀に自信がない。だから味が揺れてる」
涼は息を呑んだ。
「だ、大将……本当なんですか?」
丸井は口を開けないまま、包丁を強く握りしめた。
遼は静かに語り始めた。
「昔のお前は、誰よりもまっすぐ寿司と向き合っていた。
だが名店にいた頃……“型にはめられる寿司”に耐えられなくなった」
それが独立の理由だった。
丸井は、流行でも格式でもなく、
ただ“自分が旨いと思う寿司”を握りたいと願った。
だが——。
「一人で握り続けて、お前は気づいたんだろ?
寿司ってのは、繋いでいくものだと」
丸井の握る手が震えた。
「……俺は……」
涼が小さな声で言った。
「大将……俺、大将の寿司が大好きです。
だけど、最近……味が日によって違うなって思ってました」
丸井はゆっくりと目を閉じた。
それが悔しくて、情けなくて、何より怖かったのだ。
沈黙を破ったのは遼だった。
「丸井……お前は弟子を持つ覚悟ができてない。
だが、本当は誰より弟子を欲しがってる」
涼は驚いて丸井を見る。
丸井は、震える声でつぶやいた。
「……俺の寿司を……誰かに渡すのが……怖かったんだ……」
「継がれた瞬間、自分の寿司が終わる気がした。
ただの我流で……伝える価値なんてあるのかって思ってた……」
涼の目に涙が滲む。
「大将……俺、もっと学びたいです!
大将の寿司を、全部……全部教えてほしい!」
丸井は唇を噛みしめ、しばらく動けなかったが——
やがて、包丁を静かに置いた。
「……涼……頼む。俺の寿司を……継いでくれ」
涼は大きく頷いた。
遼はその様子を見て、一言だけ残す。
「迷いが消えた時……お前の寿司は、また強くなる」
数週間後。
龍臣は再び店を訪れた。
暖簾をくぐると、空気がまるで別物だった。
丸井の目には迷いがなく、涼の動きにも力強さがある。
龍臣が注文すると、丸井は静かに寿司を握った。
一貫目を口へ運んだ瞬間——龍臣は震えた。
「……これだ……!」
丸井の寿司は復活していた。
いや、以前よりも深く、強く、温かい味だった。
「丸井さん……これは……!」
丸井は照れくさそうに笑った。
「涼に教えるつもりで握ったらよ……
自分の原点を思い出しただけだ」
涼も笑って言う。
「大将は、誰より極道ですよ!」
龍臣は心からそう思った。
取材ノートに、龍臣はこう記した。
「極道とは、守るだけではなく、継ぐ覚悟でもある。」
店を出るとき、丸井が声をかけた。
「おい記者。遼に会ったら伝えておけ」
「なんて?」
「……余計な世話をしやがって、ありがとう……とな」
龍臣は笑い、深く頭を下げた。
——またひとつ、本物の極道に出会った。
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