極道のススメ

KAORUwithAI

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第4話 パン職人の極道

極道とは、その道を極めた者のことを言う。

昨今では「極道」と聞けば、誰もが眉をひそめて“ヤクザ”を想像する。
だが、本来の意味はまるで違う。

刃物を振り回し、威圧と暴力に物を言わせる者のことではない。
己で選んだ道に、一切の妥協なく身を投じ、
ただひたすらに磨き続ける者——その生き様こそが極道である。

料理人ならば包丁を極め、
職人ならば技を極め、
武の者ならば心と体を極める。
道の数だけ極道が存在する。

だが、現代日本ではその本義は忘れ去られ、
極道といえば反社会の象徴のように扱われてきた。

白石龍臣は、早朝の電車に揺られていた。
編集長から渡された次の案件は「町のパン屋」。
メモにはこう書かれていた。

「朝5時から焼いてるらしい。腕は確かだが、頑固すぎる職人だ」

龍臣は、まだ薄暗い空の下で最寄り駅に降り立った。
向かった先は住宅街の角にある、小さなパン屋。

店名は——
「BAKERY TANAKA(ベーカリー・タナカ)」。

開店前なのに、店の前にはすでに数人の客が並んでいた。

「……いい匂いだな」

焼きたてのパンの香りが、店の外にまで溢れていた。
龍臣が列に並ぼうとすると、店の奥から壮年の男が顔を出した。

強面で、腕は太く、眉は太い。
まるで鍛冶職人のような風貌だ。

彼が——
田中武蔵(たなか むさし)、48歳。
この店の主人にしてパン職人。

「おう、今日は多いな。早く入れっ」

ぶっきらぼうだが、不思議と憎めない声だった。

店内に入ると、カウンターには焼き立てのパンが並んでいる。

・香ばしいフランスパン
・ふんわり柔らかい食パン
・バターの香りが強いクロワッサン
・昔ながらのあんパン

どれも目を引く。

龍臣がパンを選んでいると、常連らしき老婦人が言った。

「ここのパンはねぇ……武蔵さんの魂が入ってるのよ」

武蔵は照れたように顔をしかめた。

「余計なこと言うなよ、バアさん」

店には笑いが生まれた。

取材を申し出ると、武蔵は最初、断るような態度だった。

「取材なんていらねぇよ。パンは食えば分かる」

龍臣は食い下がる。

「パン作りに込めた想いを聞かせていただけませんか?」

武蔵は腕を組み、ため息をついた。

「……まぁ、焼き終わってからだな」

焼き上がりの作業が落ち着いた頃、
武蔵はコーヒーを淹れながら語り始めた。

「俺のパンは、最近の流行から外れてる」

「流行?」

「ああ。“ふわふわ”“しっとり”“映える”……なんでも柔らかくて甘けりゃ喜ぶ時代だ。
 だが俺は、噛みしめて味が出るパンが好きなんだ」

彼はフランスパンを指で叩く。

コツン、と硬い音がする。

「これが売れねぇんだよ。子供も若い連中も、柔らかいのが好きでな。
 最近は売上げも落ちててよ……」

その表情には、迷いが見えた。

武蔵は海外修行を経験している。

「フランスの田舎の店で修行してた時の話だが……
 師匠がよく言ってたんだ。“パンは噛みしめろ”ってな」

彼の師匠は、頑固で、厳しくて、でも温かい人だったという。

「その教えは、俺の体に染みついてる。
 だが、日本じゃな……時代が求めてるものと違う」

武蔵は笑った。

「柔らかけりゃ売れる。
 硬けりゃ『食べづらい』ってクレームだ」

店の棚には“売れるパン”として柔らかい新商品が増えていた。

だが、武蔵の表情は晴れない。

「……俺は……このままでいいのかって思うんだよ」

——迷ってる。
龍臣はそれを痛感した。

そのとき——。

店のドアについたベルが鳴った。

龍臣は思わず息を呑む。

黒いロングコート。
鋭い眼差し。
静かな歩み。

桐生遼が店に入ってきた。

武蔵は驚いた表情を浮かべた。

「……遼じゃねぇか。いつ帰ってきた」

遼はカウンターに近づき、フランスパンを一つ手に取る。

「噛みごたえのある、いいパンだ」

「お前は昔から変わらねぇな」

遼は武蔵を見つめ、静かに言った。

「だが……最近のパンは迷ってる」

武蔵の眉が動く。

「……迷ってる?」

「ああ。“売れるパン”と“自分のパン”……
 その二つの間で揺れてる味だ」

その言葉は、武蔵の胸を突いた。

「……なんで分かる」

「パンを食えば分かる」

遼の声は揺るぎなかった。

遼が去った後、武蔵は珍しく弱音を吐いた。

「……遼の言う通りだ。
 俺は今、何がしたいか分からなくなってる」

龍臣は静かに尋ねた。

「武蔵さんは、パン屋を続けたいんですか?」

武蔵は長い沈黙の後、つぶやいた。

「……本当は続けたい。
 師匠から受け継いだ“噛みしめるパン”を守りたい」

「じゃあ——」

「だが、それで店が潰れたら意味がねぇ。
 家族もいるし、従業員もいる。
 だから……柔らかいパンを増やした」

彼の目には、パン職人としての誇りと苦悩が入り混じっていた。

翌朝5時。
龍臣は武蔵の店に向かい、仕込みを見せてもらうことになった。

生地をこねる音。
オーブンの熱気。
武蔵の手の動きは一切ブレがない。

「……やっぱり、好きなんですね。パンが」

武蔵は苦笑した。

「当たり前だろ。じゃなきゃ朝5時からこんなことやってられねぇよ」

龍臣は思わず笑った。

「だったら、極めればいいじゃないですか。
 売れるかどうかじゃなく……“自分のパン”を」

武蔵の手がぴたりと止まった。

その瞬間、武蔵の中で何かが動いた気がした。

数日後。
店を訪れた龍臣は驚いた。

店の棚に、武蔵の“原点のフランスパン”が戻っていたのだ。

噛みしめるほど味が深くなる——武蔵の魂がこもった一品。

客の反応はどうか。
不安を抱きながら様子を見ていると、老婦人が一本買っていった。

「やっぱりこれよ。これが武蔵さんのパン」

その後も次々と常連が買っていく。

武蔵は複雑そうに、でも誇らしげに胸を張った。

「……これでいいんだな」

龍臣は頷いた。

「はい。これが武蔵さんの極道ですよ」

取材ノートに、龍臣はこう記した。

「極道とは、売れる道より、自分の信じた道を選ぶ覚悟である。」

店を出るとき、見慣れた黒いコートの姿が路地に見えた。

桐生遼は、武蔵のパンを片手に歩きながら、ぽつりと言った。

「噛むほど味が出る……人間もパンも同じだ」

その背中は、まるで朝日の中に溶けていくようだった。

龍臣は深く一礼した。

——また一人、本物の極道に出会えた。
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