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第1部:序章 - 無名の挑戦
第7話 1人、2人、3人目の聴衆
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朝の駅前は相変わらず忙しく、人の波が絶え間なく流れていた。
昨日と同じネイビーのスーツを着て、坂本健人はその場に立っていた。スーツの袖には見えないように小さな“がんばれ”の付箋を縫い込んである。それを知っているのは、自分だけだ。
そして──その存在が、少しだけ背中を押してくれていた。
「坂本健人、無所属で……立候補を決めました」
いつも通り、誰も足を止めない。
視線はスマホへ、足取りは急ぎ、声は通り抜けていく。
けれど、健人の中には確かな変化があった。
昨日よりも、少しだけ声が出る。昨日よりも、少しだけ目を逸らさない。昨日よりも、少しだけ「立っていられる」自分がいる。
ふと、コート姿の女性が立ち止まった。
ほんの2秒。健人を見つめた後、視線をスマホに戻し、また歩き出した。
でも──その2秒が、たまらなく嬉しかった。
誰かの時間を、ほんの少しでも奪えた。
“透明な存在”から、“一瞬だけ見られる存在”になれた。
それは、昨日までの健人には得られなかった“前進”だった。
昼過ぎ、ベンチで弁当を広げていた中年男性が、ふいに健人の前に立った。
彼は箸を止めたまま、しばらくの間演説を聞いていた。
「……悪くないよ」
そう、呟くだけで去っていった男の背中に向かって、健人は深く頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
たった一言。
でも、健人にとっては人生で初めて“政策”に対する反応をもらえた瞬間だった。
3日目、制服姿の高校生がまた現れた。
例の、紙コップの水をくれた少女だ。
彼女は無言のまま、演説の最後に拍手をして、そのまま踵を返して歩き出す。
声も名前も交わしていない。
それでも、彼女が“また来てくれた”という事実が、心の奥を温かく満たした。
それだけで、今日も立っていてよかったと思える。
ビラを配る。けれど、大半は無視されるか、断られる。
「結構です」
「急いでるんで」
「……は?」
そんな中、若い男性が足を止めて、ビラを受け取り、ゆっくりとポケットにしまった。
「あとで読むよ」
健人は、その一言に言葉を失いかけたが、すぐに頭を下げた。
「ありがとうございます。心から……」
どんな有権者よりも、“一人の言葉”の重みを感じる。
通りすがりの老人に「無所属? 勝てるわけねぇだろ」と言われることもあった。
でも健人は、顔を上げて言った。
「それでも、戦わなきゃ何も変わらないと思うんです」
老人は鼻で笑いながら去っていった。
けれど──その場に言葉を残すことができた自分に、小さな誇りが生まれていた。
ある日、若い女性が近づいてきた。
「動画、撮ってもいいですか?」
健人は少し戸惑いながらも、笑って頷いた。
「どうぞ、撮ってください」
その動画は、数日後SNSに投稿された。
『駅前にいた謎の無所属候補、何か真剣で刺さった』
バズったわけではなかった。
それでも、再生数が千を超えた時、健人は“何かが届いた”という実感を得た。
ある日の夕暮れ、演説を終えた瞬間だった。
“パチン……パチン……パチン……”
明らかに聞こえた3つの拍手の音。
周囲を見渡すと、制服の少女、中年男性、そして先ほどの若い男性──三人が、健人を見つめながら拍手を送っていた。
彼はその場で、深く、深く頭を下げた。
声も出なかった。ただ、胸が熱くなった。
人は、一人ずつ、増えていく。
それは大きな波ではない。
でも、小さな“点”が“線”になり、“線”が“面”になる未来を感じさせた。
その夜、見知らぬ青年が声をかけてきた。
「坂本さんですよね? ネットで見ました。……手伝えること、ないですか?」
健人は驚いた。そして、笑って答えた。
「ある。……名刺、印刷したやつ、切るの手伝ってくれる?」
「……マジすか」
「マジだよ」
それが、最初の“支援者”だった。
その晩、健人はスマホを三脚に固定し、自撮りで演説を撮影し始めた。
駅前で誰かに話すのと同じように、カメラの前で訴える。
「誰も見なくてもいい。……でも、記録として残しておきたいんです」
目の前に“聴衆”がいなくても、いつかどこかの誰かに届くと信じて。
“声が届くのに、マイクも看板も要らない。
必要なのは──立ち続ける意志だけだ。”
昨日と同じネイビーのスーツを着て、坂本健人はその場に立っていた。スーツの袖には見えないように小さな“がんばれ”の付箋を縫い込んである。それを知っているのは、自分だけだ。
そして──その存在が、少しだけ背中を押してくれていた。
「坂本健人、無所属で……立候補を決めました」
いつも通り、誰も足を止めない。
視線はスマホへ、足取りは急ぎ、声は通り抜けていく。
けれど、健人の中には確かな変化があった。
昨日よりも、少しだけ声が出る。昨日よりも、少しだけ目を逸らさない。昨日よりも、少しだけ「立っていられる」自分がいる。
ふと、コート姿の女性が立ち止まった。
ほんの2秒。健人を見つめた後、視線をスマホに戻し、また歩き出した。
でも──その2秒が、たまらなく嬉しかった。
誰かの時間を、ほんの少しでも奪えた。
“透明な存在”から、“一瞬だけ見られる存在”になれた。
それは、昨日までの健人には得られなかった“前進”だった。
昼過ぎ、ベンチで弁当を広げていた中年男性が、ふいに健人の前に立った。
彼は箸を止めたまま、しばらくの間演説を聞いていた。
「……悪くないよ」
そう、呟くだけで去っていった男の背中に向かって、健人は深く頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
たった一言。
でも、健人にとっては人生で初めて“政策”に対する反応をもらえた瞬間だった。
3日目、制服姿の高校生がまた現れた。
例の、紙コップの水をくれた少女だ。
彼女は無言のまま、演説の最後に拍手をして、そのまま踵を返して歩き出す。
声も名前も交わしていない。
それでも、彼女が“また来てくれた”という事実が、心の奥を温かく満たした。
それだけで、今日も立っていてよかったと思える。
ビラを配る。けれど、大半は無視されるか、断られる。
「結構です」
「急いでるんで」
「……は?」
そんな中、若い男性が足を止めて、ビラを受け取り、ゆっくりとポケットにしまった。
「あとで読むよ」
健人は、その一言に言葉を失いかけたが、すぐに頭を下げた。
「ありがとうございます。心から……」
どんな有権者よりも、“一人の言葉”の重みを感じる。
通りすがりの老人に「無所属? 勝てるわけねぇだろ」と言われることもあった。
でも健人は、顔を上げて言った。
「それでも、戦わなきゃ何も変わらないと思うんです」
老人は鼻で笑いながら去っていった。
けれど──その場に言葉を残すことができた自分に、小さな誇りが生まれていた。
ある日、若い女性が近づいてきた。
「動画、撮ってもいいですか?」
健人は少し戸惑いながらも、笑って頷いた。
「どうぞ、撮ってください」
その動画は、数日後SNSに投稿された。
『駅前にいた謎の無所属候補、何か真剣で刺さった』
バズったわけではなかった。
それでも、再生数が千を超えた時、健人は“何かが届いた”という実感を得た。
ある日の夕暮れ、演説を終えた瞬間だった。
“パチン……パチン……パチン……”
明らかに聞こえた3つの拍手の音。
周囲を見渡すと、制服の少女、中年男性、そして先ほどの若い男性──三人が、健人を見つめながら拍手を送っていた。
彼はその場で、深く、深く頭を下げた。
声も出なかった。ただ、胸が熱くなった。
人は、一人ずつ、増えていく。
それは大きな波ではない。
でも、小さな“点”が“線”になり、“線”が“面”になる未来を感じさせた。
その夜、見知らぬ青年が声をかけてきた。
「坂本さんですよね? ネットで見ました。……手伝えること、ないですか?」
健人は驚いた。そして、笑って答えた。
「ある。……名刺、印刷したやつ、切るの手伝ってくれる?」
「……マジすか」
「マジだよ」
それが、最初の“支援者”だった。
その晩、健人はスマホを三脚に固定し、自撮りで演説を撮影し始めた。
駅前で誰かに話すのと同じように、カメラの前で訴える。
「誰も見なくてもいい。……でも、記録として残しておきたいんです」
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必要なのは──立ち続ける意志だけだ。”
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