『総理になった男』

KAORUwithAI

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第2部:壁 - 国会という名の怪物

第52話 議事録の読み方がわからない

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議場の空気は、朝の緊張をさらに増したものへと変わっていた。
 開会の鐘が再び鳴り、議長の落ち着いた声が国会全体に響き渡る。

「――議事日程、第一号」

 その言葉を聞きながら、健人は机の上に置かれた分厚い議事録を開いた。
 しかし目に飛び込んできたのは、まるで暗号のような文字列だった。
 条文番号と専門用語がびっしりと並び、行を追うだけで精一杯だ。

(……請願? 動議? 附帯決議? なんだこれ)

 ページをめくっても、理解できる言葉はほとんど見つからない。
 選挙戦の最中にも予習はしたはずだった。
 だが、机上の知識はこの場で使い物にならないことを、健人は痛感していた。

 隣の席の議員は落ち着いた手つきで赤ペンを走らせ、重要箇所に印をつけている。
 その余裕ある姿を横目で見ながら、健人は思わず焦燥感に駆られた。

(どこを見ているんだ……? 俺だけ置いていかれている気がする)

 その時、職員が小走りで近づき、新しい資料を数枚配っていった。
 健人は慌てて受け取ったものの、どの資料がどの案件に対応しているのか、見当がつかない。

(議事録、補足資料……全部同じ紙に見える……!)

 思わず隣の議員に小声で尋ねた。
「これは……どの件の資料でしょうか?」

 振り向いた相手は面倒くさそうに視線を逸らし、淡々と返した。
「後で分かりますよ」

 そのそっけない言葉に、健人の頬がかすかに熱くなった。
 国会の新人であることが、ここまで露わになるとは思っていなかった。

 議長の声が再び響く。
「それでは、採決を行います。賛成の方はご起立願います」

 議場のほとんどの議員が一斉に立ち上がる。
 健人は慌てて腰を上げた。
 だがタイミングがわずかに遅れ、後方から小さな笑い声が漏れ聞こえる。

「無所属の新人、立ち遅れてるな」

 その言葉が矢のように耳に刺さった。
 けれども振り返る余裕はない。
 次の採決がすぐに始まり、賛成・反対の起立が繰り返される。

(くそっ……周りを見て動くだけじゃ、いつまでも後手に回る)

 資料に目を落とす暇もなく、健人は周囲の動きを必死に追う。
 頭では「国民のためにここへ来た」と何度も繰り返していたが、今の自分はただ立ったり座ったりするだけの存在に思えた。

 メモを取ろうとペンを握ったが、議事進行のスピードに追いつかない。
 次の議題が読み上げられるたびに資料を探し、ページをめくり、結局は何も書けないまま次の採決へ進んでしまう。

 そのとき、ふと顔を上げると、傍聴席に座る真田の姿が目に入った。
 彼が必死に何かを指差し、手で合図を送っている。
 しかし距離があり、健人には意味が分からない。
 首を傾げると、真田は苦笑いを浮かべながら小さく頷いた。

(くそっ……わからないことだらけだ。国会のルールを知らないままここに来てしまった)

 背筋にじわりと冷たい汗がにじむ。
 焦りと悔しさを押し殺しながら、健人は手元のノートを開いた。
 震える指で、ページの隅に小さくこう書き込む。

『分からないことは必ず学ぶ』

 議長の声、議員たちの起立と着席、紙をめくる音――
 それらが混ざり合い、まるで大きな波のように健人の耳を満たしていく。
 だが彼は、その渦中で決して視線を下げなかった。


“知らないことは、恥じゃない。
学ばずに放っておくことこそ、国民を裏切ることになる。”

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