上 下
48 / 58
六限目 禍を転じて福と為す

   1

しおりを挟む
 


 カレンダーは十月に突入し、俺が秀泉に入学してから半年が過ぎようとしている。
 秀泉が名うての進学校であることは周知の事実ではあるが、名門進学校にも学校行事というものはある。
 むしろ、その数は普通の学校に比べると多いのではないか? と疑われるほどで、学業を優先したい生徒の邪魔をしているかのようにも思われる。
 で、秋と言えば学園祭が定番とも言えるのであるが――。
「おい、篠宮。少しは早乙女にも働かせろよ」
「あいつ、さっきから呑気に菓子食ってばっかりじゃねーか」
「一応、あいつも俺らと同じ大道具係だよな?」
 結月が学校行事などに真面目に参加するはずがなく、俺はクラスメイト達から文句を言われる羽目になる。
 この半年の間、秀泉ではいくつかの学校行事が行われているのだが、結月はそのどれにも参加していない。というよりも、一応参加しているが何もしていない。
 まあ、元々運動嫌いの運動音痴だからな。勉強と違って身体を動かさなくてはいけない場合が多い学校行事に、結月が積極的に取り組むはずがないのである。全くの不参加だと問題にされそうだから、とりあえず参加するだけ参加しているのだが、そこにいるだけ状態になる結月なのである。
 しかし、球技大会や体育祭と違って、まだ少しは文化系寄りのイベントでもある学園祭にもなると、ちょっとくらいは結月に参加してもらわないと俺も立場が悪くなる。俺としても「少しは手伝え」と思ってしまう。
「何で俺に言うんだよ。直接結月に言ってくれ」
 せっかく放課後に残ってクラスメイト達との共同作業というやつをしているので、結月にも俺以外に人間と交流をさせてやりたい。
 なので、結月のことで俺に文句を言ってくるクラスメイトにそう言ってみたのだが
「お前の嫁だろ。お前が何とかしろよ」
 無下もなく言い返されてしまった。
 四月から始まった高校生活の中で色々あった俺は、入学から半年後には、クラスメイトから結月を俺の嫁扱いされるようになっている。
 どうしてそういう事になるのかは全くの謎だし、俺は結月を嫁にした憶えもないのだが。二学期が始まると同時に噂された霧島との関係についての誤解が解けた直後から、結月は〈篠宮の嫁〉ということになってしまっている。
「大体、早乙女はお前の言うことしか聞かないし、お前としか口を利かないじゃん。お前以外の人間が早乙女をどうこうできるわけがないだろ」
「うぅ……ごもっとも……」
 全くもって嫌な認識である。まあ、事実ではあるんだけれど。
 俺は作業を一時中断し、重い腰を上げると、教室の隅で椅子に座り、窓の外を眺めながら呑気にお菓子を食べている結月に歩み寄った。
「おい、結月」
「あ、御影♡ もう終わった?」
 俺が声を掛けると、結月はパッと顔を明るくして「帰ろう」とでも言わんばかりの顔である。
「まだだよ。だから、お前も少しは手伝え。俺と同じ大道具係だろ」
「えー……」
 あからさまに嫌そうな顔をされた。
「えー、じゃない。お前もクラスの一員だという自覚を持て」
 どうせ口で言っても聞かないのだろうから、俺は結月をひょいと小脇に抱えると、さっきまで自分が作業をしていた場所まで結月を連行した。
 新聞紙の敷かれた床の上に結月を下ろすと、筆を持たせ
「ここに色を塗るだけでいいから。色の見本はこれな」
 強引に結月に大道具の仕事を手伝わせることにした。
 ちなみに、来月行われる学園祭で、うちのクラスはお化け屋敷をすることになっている。俺と結月は大道具係に回され、今はお化け屋敷の内装やら看板やらを作製している最中なのである。
 入り口に飾る看板作りをしていた俺は、先程下書きを終え、これから色塗りに入るところだったのである。
 結構大きな看板なので、二人で作業するくらいがちょうど良かった。
「むぅ……何で僕がこんな事を……。手伝ったらちゃんとご褒美ちょうだいよね」
「ご褒美って……。手伝うのが当然なのに、どうしてご褒美を貰おうとするんだ」
「じゃあやらない。御影の隣りで御影を見ているだけにする。それも立派なお手伝いだもん」
「~……」
 どうしてただ見ているだけで手伝っていることになるのやら。
 ひょっとして、【見ている=応援=手伝い】という法則か何かか?
 見ているだけで手伝ってくれないのであれば、それは応援ではなく邪魔。「何で手伝ってくれないんだよ」と人を苛立たせ、精神的に邪魔をしているだけになるというのに。
「わかったわかった。ご褒美な。後で考えるから手伝え」
「僕、ご褒美は御影と一緒にお風呂がいい」
「はあ⁉」
 この野郎は何を言い出す。結月が無邪気にもそう言い放った瞬間、教室内の空気が一気にざわついてしまったじゃないか。
「おーまーえー……」
 腹が立ったので、結月のほっぺたを抓ってやった。抓って横に引っ張ってやった。
「いやーんっ! 痛ぁ~いっ!」
「ぶりっ子すんなっ! 俺がさもお前と一緒に頻繁に風呂に入っているように言うなっ!」
 ただでさえ、俺は現在秀泉の中で肩身が狭い思いをしているというのに。その俺に更なる苦痛や絶望を与えてくれるな。俺に何の恨みがあるという。
「うぅ……。事実なのに御影が酷い……」
「事実であるか。酷い目に遭わされているのは常に俺なんだが?」
 ぐいーっと横に引っ張った結月の頬から指を離してやると、結月は涙ぐみながら、俺に抓られた頬を擦った。
 またしても、あざと可愛い子ぶっていやがる。だがしかし、俺はもう騙されないぞ。
「あー……カッターってどこだっけ?」
「こ、ここ。ここにあるよ」
「ねえねえ、ここの色なんだけどぉ……」
 一時的に俺と結月に集まっていた視線というやつも、俺が結月の頬から指を離した瞬間、「見てはいけないものを見てしまった」と言わんばかりに散っていく。
 正直、そういう反応が一番嫌だ。言いたいことがあるならハッキリ言ってくれたほうが、こちらとしても反論のしようがあって助かる。何も言わないまま、勝手な誤解をされることが一番不愉快である。
「はあ……」
 ほんと、何がどうしてそうなったのかは知らないが、俺が今現在置かれている状況というものは、何一つ俺のせいではないと思いたい。



「ほんと、学校行事って面倒臭いよね」
 学校行事というものが嫌いな結月は、学校行事が近付くたびに、必ずと言っていいほどそういう愚痴を零す。
 特に、学園祭には準備期間というものがあり、その期間も他の行事に比べて長いから、結月の不満も一入ひとしおといった感じなのである。
「まあそう言うな。学校行事は学生の間にしか味わえない貴重な体験ってやつだし。学生時代の思い出として、参加しておいたほうが後々後悔がないと思うぞ」
「別に僕、学生時代の思い出とか欲しくないもん。僕は御影との思い出だけあれば充分」
「そうかよ。はあ……」
 高校生になってから半年。少しは結月も心境や考え方の変化があったんじゃないかと思ったのだが……。
「むしろ、僕の思い出は御影との思い出だけで埋め尽くされたい」
 相変わらず結月は結月のままだった。
 最近では俺以外の人間との交流も多少は進んでしているようなところもあるので、少しは他者との関りに興味を持ったかと思ったのにな。そんな事は全然ないようだから残念だ。
「お。早乙女と篠宮じゃないか。今帰りか?」
 学校を後にし、駅までの道を結月と並んで歩いていると、たまたまコンビニから出てきた渡辺先生と遭遇した。
 渡辺先生とは、俺達のクラスで数学を教えている数学教師で、俺達の担任である真島先生とは仲のいい教師でもある。
 真島先生とは歳も近く、真島先生同様になかなかの男前なので、真島先生と並んで女子生徒からは人気の高い教師だったりもする。
 そして、どうやら結月のことがお気に入りでもあるようだ。
 まあ、秀泉の中でも特に難易度が高いと言われている数学のテストで満点を連発する結月だから、そんな結月に渡辺先生が一目を置いてしまうのも当然だろう。
 ちなみに、真島先生も数学教師である。一年生の数学Ⅰの授業を担当するのが真島先生。数学Aの授業を担当するのが渡辺先生なのである。二人の仲がいいのも、同じ数学教師という立場からなのだと思われる。
 渡辺先生と違って、真島先生のほうは特別結月を気に入っている感じでもないのだが、結月のやる事には極力目を瞑るあたり、やはり結月には一目置いていると見ている。
 それはさておき
「お前達がこんな遅い時間に帰っていることも珍しいな。いつも学校が終わればすぐに帰っている癖に」
 たかが学校の外でたまたま遭遇しただけだというのに、やたらとフレンドリーな感じで話し掛けてくる先生である。俺、渡辺先生とはほとんど口を利いた記憶がないというのに。
 しかも、たとえ教師であっても平気で無視を決め込む結月に向かって話し掛けている渡辺先生のメンタルの強さ。
 結月のことがお気に入りな渡辺先生は、授業中も積極的に結月に話し掛けているのだが、結月からはことごとく無視をされ続けている。
 普通、そこまで自分を無視する生徒に対しては、いくら先生でも〈関らないようにしよう〉と思うのが一般的な心理だ。
 それなのに、ここぞとばかりに結月に話し掛けてくる渡辺先生は、余程結月と仲良くなりたがっているのだろうか。
 俺としてはあまりお薦めできない願望というか、努力するだけ無駄とも言える、儚い望みって感じなんだけれどな。
 本人がそれを承諾しているというのであれば、俺も止めはしないけれど。
「うーん……相変わらず早乙女は口を利いてくれないなぁ。なあ、篠宮。どうやったら早乙女と仲良くなれるんだ? 何かコツがあるなら教えてくれよ」
「え? えっとぉ……」
 一瞬
(そこまでして結月と仲良くなりたいのか?)
 と思ったが、学校では何かと浮いてしまう結月のことを、教師として放っておけないのかもしれない。
 周囲の人間と全く関わろうとしない結月の存在は、先生の立場的には気掛かりになるのだろうし。
 だが、結月とどうすれば仲良くなれるのかなんて事は俺も知らない。
 俺は何かしらの努力の末に結月と仲良くなったわけではないし、結月がどういう人間となら「仲良くしてもいい」と思うかなんてこともわからない。
 結月の人に対する好き嫌いは気紛れのようなものだし、相手が自分に好意的だからといって、心を開くとは限らないのである。
「すみません。ちょっとわからないです」
 別に渡辺先生と結月に仲良くなって欲しくないわけではないのだが、結月と仲良くなるためのアドバイスができない俺は、渡辺先生からの質問に答えることができなかった。
 もちろん、当の本人である結月からのアドバイスもなし。口を利くつもりがない相手の前では、すぐに俺の後ろに隠れてしまう結月は、今も俺の背中に隠れ、後ろから俺の背中をつついて遊んでいる。
「ぬぁっ⁉」
 と思ったら、いきなり俺の服の中に手を突っ込んできて、俺の横腹を擽り始めた。
「こっ……こらっ! 結月っ……何やってんだっ!」
 俺は慌てて後ろを振り返り、俺の服の中に突っ込まれた結月の手を引き抜いた。
 結月は無言のまま、不満そうな顔である。
 多分、「早く帰ろう」と催促しているのだろう。だからって、いきなり人の服の中に手を突っ込んでくるのはどうかと思う。
「篠宮はいいなぁ~。早乙女と仲良しで」
 俺は結月からの突発的な擽り攻撃を受けて迷惑しているというのに。渡辺先生の目には、そんなやり取りさえも羨ましく映ってしまうようだった。



 結局、その日は何だかんだと駅まで渡辺先生と一緒に帰ることになってしまったのだが、結月が全く喋らないせいで、俺がひたすら渡辺先生の相手をすることになり、それが結月の機嫌を大いに損ねることになってしまった。
 正直、担任でもない渡辺先生と話すことなど何もないのだが――担任の真島先生が相手でも同じだろうが――、渡辺先生のほうから積極的に話を振ってくるので、俺はそれに答えるだけ……という感じだった。
 振られる話題のほとんどが結月に関することではあったけれど。
 結月のことを聞かれるということは、当然、今や全校生徒の間で公認になってしまっている結月との仲についても聞かれたのだが、そこは相変わらず「ただの幼馴染み」で通しておいた。
 全く。教師が生徒同士の噂話に踊らされないで欲しい。
 幸い、乗る電車は反対方向だったので、改札を抜けた後は渡辺先生からも解放されたのだが
「何なの? あのショタコン。いくら僕が可愛いからって、御影経由で僕と仲良くしようとしないで欲しい。ストーカー臭くて気持ちが悪い」
 言うまでなく、結月はいたくご立腹であった。
 ストーカーはともかく、〈ショタコン〉なんて言葉を使うあたり、結月も自分の幼い容姿は自覚している――というより何よりも、こいつは自分の幼く見える容姿を売りだと思っているところがある。
 そりゃまあ、高校生になっても小学生の頃とあまり変わらない見た目ではな。幼い容姿を気にするよりも、そこはチャームポイントとして受け入れてしまったほうが、ストレスもなくて楽だろう。
 元々顔つきは可愛い結月だから、小柄な体型でも違和感なんてものがないし。
「それだけお前と仲良くなりたいんだろ。少しくらいは相手をしてやればいいじゃないか。仮にも先生だぞ?」
 渡辺先生が結月のことを気に入っている事実は、多分、俺達と同じ教室で渡辺先生の授業を受けている生徒の全員が気付いていることだと思う。
 その大半が〈クラスに馴染めない生徒を気にするいい先生〉と捉えているとは思うが、結月的には
「先生とか関係ない。気持ち悪いものは気持ちが悪い」
 教師だから何? と言わんばかりの態度であった。
 更に
「大体、何であのショタコンは僕や御影の下校時間を把握しているわけ? 担任でもない癖に。いや、マッチ棒でさえ、僕達の下校時間なんて気にしていないよ。それなのに〈いつも学校が終わればすぐ帰る〉って何? 〈いつも〉って? いつも僕達の下校する姿を見ているってこと? 普通に気持ち悪くない?」
 とも言ってきた。
「た……確かに……」
 言われるまでは気が付かなかった。言われてみると、確かに渡辺先生は〈いつも〉という言葉を使った。
 それってつまり、いつも放課後になったらすぐに学校を出て行く俺達の姿を見ていることになるよな。
(そこまで結月が気になるのか?)
 もし、渡辺先生が頻繁に俺達の姿を目で追っているのであれば、その目的は十中八九結月だ。いくら結月が秀泉では浮いた存在だからといって、そこまで結月を気にする先生なんているのだろうか。
 これはもう
(犬神の再来?)
 と疑いたくなってしまう。しかも、今回はガチである可能性が高い。
 何せ相手は先生だ。結月をライバル視する必要がないし、自分の劣等感を誤魔化すため、結月を好きな振りをする必要もない。
 ただ〈成績が優秀な生徒だからお気に入り〉というだけなのであれば問題もないが
「いつもこそこそと……それでいて、僕を舐めるように見てくる視線が気持ち悪いんだよね。下心丸出しっていうか、視線で犯されてる感じ。僕としては非常に不愉快」
 結月が渡辺先生からの視線をそう感じてしまうあたり、多少はそういう気があるということなのだろうか。
 どうして結月相手にそんな気を起こすのかがわからないが、見た目は美少年にも見える結月の容姿が、たまたま渡辺先生のストライクゾーンだったのだろうか。結月の見た目に騙される人間は多いからな。
「だから、御影もあのショタコンとあんまり親しくしないでよね。むしろ、あのショタコンのエロ視線から僕をしっかり守って欲しい」
「えー……」
 何やら嫌なお願いをされてしまったし
(本当に渡辺先生は結月をそんな目で見ているのか?)
 とも思った。
 でも、もうこれ以上、学校の中で面倒事に巻き込まれるのは御免だし、話題になりたくもない。
 そう思う俺は、結月に平穏無事な学校生活を送らせてやることも、自分を守るための役目だと思うのであった。


しおりを挟む

処理中です...