上 下
49 / 58
六限目 禍を転じて福と為す

   2

しおりを挟む
 


 私立秀泉学院高校において、モテる人間の条件というものはいくつかあるが、その中でも〈優秀〉という条件は必須項目だったりもする。
 まあ、名門進学校だからな。勉強ができる生徒が注目をされ、注目されるついでにモテてしまう流れなのだろう。
 もっとも、いくら優秀であっても、結月のように人としての問題を多く抱えている生徒は例外になってしまうし、〈勉強さえできればいい〉というものでもない。そこにはちゃんと容姿の良し悪しが求められるし、人柄だって考慮される。
 一学期の間は学年の一位と二位を独占していた結月と犬神が、女子生徒達からの人気がなかった原因は、二人の人間性というやつが残念だったからだろう。
 結月もそうだが、犬神にしても見た目はそんなに悪くなかった。だが、結月同様に人間性にはかなりの問題を抱えていたように思う。
 喋り方も癖が強くてウザかったしな。
 その点、霧島がいい例だと言える。
 霧島は成績が優秀なうえに容姿や人柄も申し分がなかった。おまけにスポーツもできてしまうのだから、そりゃ勝手にファンサイトを作られるほどにモテるのも当然である。
 で、そのモテる条件は教師にも適用される。
 そもそも、名門進学校と名高い秀泉の教師だ。優秀でないはずがない。
 元々レベルの高い生徒達を教え導く教師陣に、生徒側からの熱視線が送られないはずがないのである。
 先にも言ったように、俺達のクラスの担任である真島先生、そして、結月のことがお気に入りな渡辺先生は共になかなかの男前に加え、まだ二十代後半という若い先生なので、女子生徒達からは淡い恋心を抱かれる対象である。
 休憩時間に廊下を歩いていると
『先生って彼女いるんですかぁ~?』
『どういう女性がタイプなんですかぁ~?』
『休日は何をなさっているんですかぁ~?』
 なんて質問をされている真島先生や渡辺先生の姿を見掛けることもある。
 おそらく、先生としては嫌な気分にならないだろう。教師として生徒に好かれることは誇らしいだろうし、十歳近く年下の女の子達から好意を向けられることも、男としては悪い気にならないはずだ。
 しかし
「うん。完璧だな、早乙女。お前はどんな問題でもスラスラ解いてしまうから、先生もお手上げだよ」
 そんな女子生徒達からモテモテであるはずの渡辺先生が、顔は可愛いけれど不愛想で変わり者、おまけに男である結月に熱を上げているこの光景……。
 渡辺先生のこういう姿を、渡辺先生のことを〈いい〉と思っている女子生徒達はどう思っているのだろうか。
 さすがに毎回とは言わないが、渡辺先生はよく授業中に結月を指名する。指名して、みんなの前で問題を解かせることが多かった。
 結月が優秀だから、他の生徒達に模範解答やら、問題を解くスピードを見せる目的もあるのかもしれないが、授業中に指名される結月の顔はいつも不満そうだし、満面の笑みで自分を褒めてくる渡辺先生のことは完全に無視だった。
 あまりしつこく結月を指名すると、そのうち結月が怒り出してしまいそうなので、俺は渡辺先生が結月を指名するたび、内心ハラハラしてしまっている。



「ねぇーっ! マジであのショタ野郎がウザいんですけどぉーっ!」
「うん……わかった。わかったけどさ……」
 二学期になってからというもの、俺と結月は昼休みになると教室を出て、教室の外で昼御飯を食べるようになっていた。
 それというのも、二学期が始まってからは休憩時間ごとに俺を取り囲んでくる男子生徒が多くて、昼休みくらいはのんびり過ごしたい俺が、結月を連れて教室から出て行くようになったからだ。
 今はもう、俺が休憩時間のたびに男子生徒達から取り囲まれることもなくなっているのだが、今度は教室の中で結月と一緒に弁当を食べている姿を見られることが忍びない。その結果、昼休みは教室で過ごさないようになってしまったのである。
 結月も俺と二人きりでいられるほうが嬉しいようなので、教室にいたがらない俺に素直について来る。
 とは言え、もう少ししたら寒くなってくるだろうから、そうなると、昼休みを教室で過ごさなくてはいけないことになるだろうな。それまでに、どうにかして俺と結月の関係についての誤解が解けてくれたらいいと思うのだけれども。
 天気がいい日は屋上で昼休みを過ごすことにしているのだが、夏休み中に犬神が俺を屋上から突き落とそうとしてくれたせいで、秀泉の屋上は生徒達から忌避される場所になっている。せっかく屋上に張り巡らされる柵が新しくなったというのに、昼休みになっても屋上に上がって来る生徒は滅多にいなかった。
 なので、結月はここぞとばかりに俺にくっついてきて、俺と二人きりで過ごす昼休みを堪能しているわけである。
 しかし
「もうちょっと離れてくれないと、俺が弁当を食べられないんだけど?」
 今日の結月は少々くっつき過ぎで、俺にくっつき過ぎるあまり、俺も結月も弁当に手を付けられない状態だったりもする。
 何せ子猿よろしく正面から俺に抱き付き、俺の胸に顔を押し付けている状態だからな。こんな状態で弁当を食えというほうが無理な相談である。
 おそらく、今日の四限目が数学Aだったことが良くなかったのだろう。
 そこで渡辺先生から指名をされ、クラスメイトの前で問題を解かされた結月は、問題を解いている間、自分に注がれる渡辺先生からの熱視線を嫌がり、腹を立てているのである。
 どんな難問であってもあっという間に問題を解いてしまう結月だから、渡辺先生の視線に晒される時間もそんなに長くないのだけれど、先日、学校帰りに渡辺先生と遭遇して以来、結月はすっかり渡辺先生のことを毛嫌いするようになってしまった。
 たまたま帰り道で見掛けた生徒に声を掛けてきただけの先生を、そこまで毛嫌いする必要があるのかどうかがわからない。
 しかし、渡辺先生のお気に入りである結月だからこそ、必要以上にコミュニケーションを取ってこられると嫌なのかもしれない。
 結月が言うには、渡辺先生からの視線は犯されている気分になるらしいし。
(これまでの人生で犯されたことなんかない奴が何を言う……)
 とも思うが。結月にとっては余程気持ち悪い何かを感じてしまうものらしい。
「ダメ。後五分はこうしてる。お昼はその後。今は汚らわしい視線に晒された僕の浄化が優先」
「ああ、そう……」
 目に見えて結月を特別視する渡辺先生もどうかと思うが、自分を気に入ってくれている先生に対して、結月も酷い言い様である。
 結月にとっての渡辺先生は汚染効果があるようで、その視界に入ってしまうと浄化が必要になるらしい。
(最早公害扱いじゃねーか……)
 結月と仲良くなりたくて仕方がなさそうな渡辺先生が聞いたら、さぞかし嘆き悲しむことだろう。
 もちろん、そんな事は口が裂けても渡辺先生本人には言えないけれど。
「って言うか、御影もぼーっとしていないで、少しは僕の傷ついた心を慰めるべき」
「と、言いますと?」
「僕をぎゅぅーってするべきっ!」
「えー……」
 せっかく昼休みになったのだから、さっさと弁当を食ってしまいたいのに……。弁当を食べる前に、まずは結月の機嫌を直してやることが先決らしい。
「ったく……お前は本当に我儘だなぁ……」
 あまり気は進まなかったが、渋々結月の背中に腕を回し、やんわりと結月の身体を抱き締めてやると、その背中を優しく撫でてやったりもした。
 何が悲しくて、秋晴れの空の下、誰もいない学校の屋上で結月を抱き締めてやらなきゃいけないんだろう。こんなところを誰かに見られでもしたら、俺と結月の仲が益々疑われてしまうというのに。
 それでも、まだ〈誰もいない屋上〉というところが救いである。教室で結月から「ギュッてして」と要求されているわけではないことが救いである。
「はぁー……何か最近の僕、ツいてないって感じ……」
 俺が抱き締めてやることで、結月の機嫌も多少は直ってくれたようだ。先程よりも柔らかくなった声で、そんな愚痴を零してきた。
 きっと、渡辺先生のこと以外にも、学園祭の準備に駆り出されていることも気に入らないのだろう。
 学園祭は十一月に開催されるが、学園祭の準備自体は十月から始まる。
 もちろん、クラスの出し物によっては準備期間や内容も異なってくるが、俺達のクラスのようにお化け屋敷をすることになると、その準備は結構大変だし、時間も掛かってしまう。
 十月に入って早々準備かよ、とも思うが、十月には定期テストがあるし、部活で忙しくしている生徒もいるから、〈早いうちにできることはさっさと済ませてしまおう〉というスタイルらしい。
 そのスタイル自体には不満もないが、毎日放課後になると学校に残り、お化け屋敷に必要なあれこれを作らなければならないことは、ハッキリ言って俺も面倒だった。
 って言うか、何でお化け屋敷なんだよ。どう考えても準備が大変なやつじゃん。
 クラスの出し物をアトラクション系にするのはいいが、もう少し準備が楽なものがあったと思う。それこそ、俺が夏休み中のアルバイトで担当した輪投げコーナーみたいなものだったら、輪投げ一つ用意すれば事足りた。
 実際に学園祭で輪投げなんかをやったところで、ロクな景品も用意できないだろうから、お客さんはほとんど来ないとも思うけれど。
「まあそう言うな。たまたま今はそういう時期なんだよ。学園祭が終われば、お前の気分も少しは晴れるんじゃないのか?」
 気休めにしかならないとは思うが、そんな言葉で結月を慰めてやった。
「んー……ならいいんだけどぉ……」
「何か気掛かりなことでも?」
 結月は我儘で手が掛かる奴ではあるが、こうして俺とくっついている間は比較的おとなしい。
 特に、俺から結月を抱き締めてやっている時は、滅多なことでは怒らない。
 そして、そういう時に交わす結月との会話もスムーズだった。
「学園祭は早く終わって欲しいんだけど、学園祭が終わったところで、あのショタコン野郎の魔の手からは逃れられないじゃん。それが憂鬱」
「あー……」
 最早すっかり〈ショタコン〉扱いが定着してしまっている渡辺先生だが、秀泉の中でも一際ひときわ子供っぽく見える結月がお気に入りな渡辺先生は、実際ロリコン趣味の傾向にあるのかもしれない。
「二学期になってから……っていうか、今月に入ってからというもの、やたらと僕に絡んで来ようとしてない? あのショタコン」
「そうか? あまりそんな感じはしないけど……」
「するよ。もー、御影は本当に鈍感なんだから。僕はそれをひしひしと感じているよ。僕の姿を見掛けるというより、僕の姿を探しているようにも見える。で、見つけたら必ず声を掛けてくるんだから」
「うーん……」
 果たしてそうなのか? と疑問に思ったけれど、確かに、最近は俺もよく渡辺先生の姿を見掛けるようになった気がする。
 でも、それは俺と結月が一学期の時に比べると教室を出る機会が増えたから、廊下で渡辺先生と遭遇する機会も増えただけのように思う。
 担任でもない渡辺先生と俺達の接点と言えば、週に二回ある数学Aの授業中くらいのものだから、俺達が教室の中でおとなしくしている限り、授業以外で渡辺先生に会うこともない。
 おそらく、渡辺先生的にもこれまであまり廊下で擦れ違うことがなかった俺達――というか結月――の姿を見掛けると、ついつい声を掛けたくなってしまうのだろう。
 渡辺先生の中では、授業以外のところで結月に近付ける機会はチャンスだと思っているのだろうし。
 残念ながら今のところ、そのチャンスは全く生かしきれていないけれど。
「僕にはもう御影っていう、生涯を共にする伴侶がいるっていうのに。その僕と御影の間に割って入って来ないで欲しい。僕と御影の邪魔をしないで欲しいんだよね」
「あー……うん……」
 これは俺の個人的な意見なのだが、渡辺先生は何も俺と結月の仲を邪魔してはいないと思う。むしろ、俺と結月の関係を純粋に羨ましがっているだけのように見える。
 俺を敵対視している様子はないし、俺に対しても気さくでフレンドリーな感じだ。渡辺先生が俺と結月の仲を引き裂こうとしているようには思えない。
「ねえ、御影。今度あのショタ野郎が僕達に話し掛けてきたら、〈話し掛けるな、カス〉って言ってよ」
「言えるわけないだろ。俺にそんな度胸はない」
 こういうお願いをしてくる予感はしたが、言葉遣いが悪過ぎる。先生に向かって、俺がそんな暴言を吐けるわけがないだろう。そんな暴言が元で、俺がこの学校を去ることになってもいいのか。そもそも、俺は渡辺先生のことが嫌いでも何でもないというのに。
「んんーっ!」
「こらこら。俺の鳩尾みぞおちを頭頂部で攻撃してくるな。摩擦で禿げるぞ」
 俺の反応に結月が怒った。言っても、今回は随分とおとなしい怒り方ではあるが。
 しかし、結月の不満や機嫌の悪さが渡辺先生に起因してくるとなると、俺も何かしらの対策をしておいたほうがいいよな。
 今はまだおとなしく我慢している段階の結月だが、いつその不満が爆発してしまうのかがわからない。最近の渡辺先生が〈以前に増して馴れ馴れしい〉と結月が感じているのであれば、結月の我慢の限界がくる日も近い気がするし。
(とはいえ、どうやって渡辺先生を結月から遠ざけるべきか……)
 結月の言った通りにはできないし、俺の目には渡辺先生が結月に対して邪な感情を抱いているようにも見えない。
 これがまだ、明らかに結月にいかがわしい事をしたいと狙っている渡辺先生相手なら、俺も少しは口を挟むことができるのだが……。
 今現在、結月に身の危険が迫っているような事実はないし、結月が渡辺先生のことを〈ショタコン〉と罵って嫌がっているだけなので、俺も事の行方を見守ることくらしかできない。
 むしろ、俺としては学校で浮いた存在である結月の味方になってくれそうな先生がいること自体が心強いので、結月に考え方を改めて欲しいくらいだ。
「そうだ。真島先生に相談してみればいいんじゃないのか?」
 いくら考えたところで、俺の頭では結月から渡辺先生を遠ざける妙案が思いつかない。
 しかし、その代わりと言っては何だけど、俺達の担任である真島先生が、渡辺先生と仲がいいことを思い出した。
 一体どうやって真島先生に相談を持ち掛ければいいのかはわからないが、渡辺先生と仲がいい真島先生なら、渡辺先生の結月に対する本当の気持ちというものも、何か聞き知っているかもしれない。
 真島先生は結月の担任でもあるわけだから、自分のお気に入りの生徒を受け持つ真島先生から、渡辺先生が話を聞きたがることもあるかもしれないし。
「えー? マッチ棒に相談するの?」
「ああ。だって、真島先生と渡辺先生って仲がいいじゃないか。相談したら、少しは力になってくれそうじゃないか?」
 だから、何をどうやって相談すればいいのかはわからない。
 まさか
『渡辺先生が結月を視線で犯してくるのをやめさせてください』
 とは言えないし。
 普段あまり先生と親しくしているわけでもない生徒である俺達が、いきなりそんな相談をしてきても真島先生は困るだろう。
「あんまり役に立つとは思えないけど……。まあ、御影がそう思うなら、そうしてみたら?」
「え? あ……うん……」
 そんな事だろうと思ったし、提案しておいて何だけど、結月は真島先生に相談する役を当然のように俺に押し付けてきた。
(まあ……別にいいんだけど……)
 あまりいいとも思っていないが、俺も心の中では最初からそのつもりだった。だからこそ、どうやって真島先生に相談事を持ち掛けようかと悩んでしまうのである。
「ちなみに、僕はついていかないからね。マッチ棒がショタコンの仲間じゃないとも限らないし。そもそも僕、学校の先生って好きじゃないんだよね。関わらないでいいなら、一生関わりたくないくらい」
 結月があまり学校の先生というものに好感を持っていない理由は、結月本人にも大いに問題があるところではある。
 子供の頃から奇行が目立っていた結月は、俺だけでなく、学校の先生からも手を焼かれる存在であったから、先生にはよく困った顔をされていた。そして、それが結月の癪に障るのであった。
「そんな事はないと思うけど。どうせ一緒に行ってもお前は一言も喋らないんだろうから、それで構わないよ」
 真島先生にどうやって相談を持ち掛ければいいのかもわからないままだが、どうして自分が困っているわけでもないことで、俺が担任に相談事をしなくてはいけないのかもわからない。
「あんまり期待はしていないけれど、御影からの朗報を待つことにするよ」
 俺からの提案にひとまず満足した顔になる結月を見るとホッとする反面、こうして結月を満足させるために奔走する自分が
(俺、本当に結月のしもべでしかないな……)
と思えてならない俺だった。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

毒花令嬢の逆襲 ~良い子のふりはもうやめました~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:46,632pt お気に入り:3,670

双月の恋

恋愛 / 完結 24h.ポイント:326pt お気に入り:27

負け組スタート!(転生したけど負け組です。)

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:773pt お気に入り:2

要注意な婚約者

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,477pt お気に入り:426

わたしはお払い箱なのですね? でしたら好きにさせていただきます

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:29,326pt お気に入り:2,539

クラスごと異世界に召喚されたけど、私達自力で元の世界に帰ります

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:930pt お気に入り:6

処理中です...