54 / 54
☆第54話 真実
しおりを挟む
小夜子の病室へと向かう若菜の横を、小夜子はとぼとぼと力無く歩く。
病室へと続く病院の廊下は、人気が無くシンとしていた。殺風景な白い廊下に、二人の足音だけが響き渡る。
前に河川敷で並んで歩いていた時よりもずっと遅いスピードで、若菜と小夜子は無言で長い廊下を歩いていた。
先程涙を拭って、ぐしゃぐしゃに丸まったハンカチを力一杯握りしめると、小夜子は意を決し、若菜の方を見上げた。
すると、掠れた声で小夜子は若菜にこう尋ねた。
「……若菜先生」
「……なんだ、立花」
「……とーさん、どこか身体の具合が悪いんですか?」
震える声でそう呟いた小夜子の顔を若菜は見つめる。
目は真っ赤に腫れ、顔は真っ青になり、唇から血の気が引いた小夜子の身体は小刻みに震えていた。
その様子からこの小さな少女が、自分の父を心底心配していることを、若菜は感じ取った。
そんな小夜子の自分の父に向ける真摯な姿に対して、若菜はこの少女には、嘘偽りなく真実を告げようと、そう心に決めた。
少し時間をかけて、言葉を選んでから、若菜は重たい口をゆっくりと開いた。
「……立花と父は、本当に仲が良いんだな」
そう言うと若菜は腰を屈めて、小夜子の背の高さに自分の背の高さを合わせた。そして若菜は長身の身体を小さく折り曲げると、小夜子の真っ赤に腫れあがった瞼の下の、大きな黒い瞳を覗き込んだ。
「……いずれ立花の耳にも入るだろうから、今、伝えておこう。……父は癌なんだ。それも末期のな。もう全身に癌が転移している」
若菜のその言葉に小夜子は言葉を失う。しっかりと目を開いているはずなのに、目の前が真っ暗になる。これは悪い夢なのではないかと、小夜子は思った。
「……父は昔から仕事一筋で滅多に病院に行かない人でな。去年の暮れに倒れた時に、病院で検査を受けて、初めて癌だと分かったんだ」
「……かなりしんどかったはずなのに、全然そんな素振りを見せない人でな。周囲の皆が気付いた時にはもうすでに手遅れだった」と語る若菜に、小夜子が縋るような目をする。
「で、でも、さっき、あんなに元気に話して……」
そう言って小夜子が下を向く。
すると小夜子の言いたいことを察した若菜が、無情にもこう言った。
「主治医が言うには、もういつ父に、終わりが来てもおかしくはないらしい。……今、父が存在しているのは、彼が強い精神力で身体を保っているからなのだと。以前主治医から、そう説明を受けた」
その若菜の言葉に小夜子は思わず泣き叫びそうになるのを、ぐっと堪えた。
ぐしょぐしょに濡れたハンカチを握る手により一層力を込めると、小夜子は若菜に向き合ってこう言った。
「……とーさんを助ける手立ては、もう無いんですか?」
祈りにも似た小夜子の言葉に、若菜はどう答えようかと思案する。だが都合の良い大人の嘘に惑わされるほど、小夜子が子供でないことを若菜は知っていた。
だから若菜は言葉を飾ることはせずに、本当のことを小夜子に告げた。
「……今の医学では無理だ。父はもう助からないだろう。きっと近いうちにその日が訪れるだろう。……そのことを本人が一番よく自覚しているはずだ」
そう若菜が告げると、小夜子はまた踵を切ったかの様に泣き出した。我慢すればしようとする程、涙が溢れてくる。
そんな小夜子に若菜は黙って隣に寄り添った。
「わ、私、何も知らなくて。私が無理をさせたから、き、きっと、とーさんが倒れてっ!」
「立花、それは違う」
午後の冬四郎とのやり取りを振り返って、後悔の念に駆られた小夜子を若菜が諭す。
そして下を向く小夜子の顔を、若菜は自身の両の手で包み込んで、自分の方に向ける。そして小夜子の瞳をしっかりと見つめて、若菜はこう言った。
「父が倒れたのは立花のせいではない。倒れたのは病魔が原因だ。そこを履き違えてはいけない」
「分かるな?」と言うと、若菜は小夜子を包みこんでいた両の手に少し力を込めた。
そして小夜子の頬から自身の左手を外すと、小夜子の持っていた黄色いハンカチを、ゆっくりと自身の手に握り締めた。
そして若菜は幾筋も頬を伝う小夜子の温かい涙を、そのハンカチで優しく拭ってやった。
「だからもうそんなに、自分自身のことを責めるな」
いつも以上に真剣な表情をする若菜に、小夜子は泣くのを止めて、こくりと首を縦に一度振った。
その小夜子の態度に少し安堵した若菜は、「もう少しで病室だ。立花、今日はゆっくり休むんだぞ」と言って、小夜子と一緒に残りの道のりを歩いて行った。
病室へと続く病院の廊下は、人気が無くシンとしていた。殺風景な白い廊下に、二人の足音だけが響き渡る。
前に河川敷で並んで歩いていた時よりもずっと遅いスピードで、若菜と小夜子は無言で長い廊下を歩いていた。
先程涙を拭って、ぐしゃぐしゃに丸まったハンカチを力一杯握りしめると、小夜子は意を決し、若菜の方を見上げた。
すると、掠れた声で小夜子は若菜にこう尋ねた。
「……若菜先生」
「……なんだ、立花」
「……とーさん、どこか身体の具合が悪いんですか?」
震える声でそう呟いた小夜子の顔を若菜は見つめる。
目は真っ赤に腫れ、顔は真っ青になり、唇から血の気が引いた小夜子の身体は小刻みに震えていた。
その様子からこの小さな少女が、自分の父を心底心配していることを、若菜は感じ取った。
そんな小夜子の自分の父に向ける真摯な姿に対して、若菜はこの少女には、嘘偽りなく真実を告げようと、そう心に決めた。
少し時間をかけて、言葉を選んでから、若菜は重たい口をゆっくりと開いた。
「……立花と父は、本当に仲が良いんだな」
そう言うと若菜は腰を屈めて、小夜子の背の高さに自分の背の高さを合わせた。そして若菜は長身の身体を小さく折り曲げると、小夜子の真っ赤に腫れあがった瞼の下の、大きな黒い瞳を覗き込んだ。
「……いずれ立花の耳にも入るだろうから、今、伝えておこう。……父は癌なんだ。それも末期のな。もう全身に癌が転移している」
若菜のその言葉に小夜子は言葉を失う。しっかりと目を開いているはずなのに、目の前が真っ暗になる。これは悪い夢なのではないかと、小夜子は思った。
「……父は昔から仕事一筋で滅多に病院に行かない人でな。去年の暮れに倒れた時に、病院で検査を受けて、初めて癌だと分かったんだ」
「……かなりしんどかったはずなのに、全然そんな素振りを見せない人でな。周囲の皆が気付いた時にはもうすでに手遅れだった」と語る若菜に、小夜子が縋るような目をする。
「で、でも、さっき、あんなに元気に話して……」
そう言って小夜子が下を向く。
すると小夜子の言いたいことを察した若菜が、無情にもこう言った。
「主治医が言うには、もういつ父に、終わりが来てもおかしくはないらしい。……今、父が存在しているのは、彼が強い精神力で身体を保っているからなのだと。以前主治医から、そう説明を受けた」
その若菜の言葉に小夜子は思わず泣き叫びそうになるのを、ぐっと堪えた。
ぐしょぐしょに濡れたハンカチを握る手により一層力を込めると、小夜子は若菜に向き合ってこう言った。
「……とーさんを助ける手立ては、もう無いんですか?」
祈りにも似た小夜子の言葉に、若菜はどう答えようかと思案する。だが都合の良い大人の嘘に惑わされるほど、小夜子が子供でないことを若菜は知っていた。
だから若菜は言葉を飾ることはせずに、本当のことを小夜子に告げた。
「……今の医学では無理だ。父はもう助からないだろう。きっと近いうちにその日が訪れるだろう。……そのことを本人が一番よく自覚しているはずだ」
そう若菜が告げると、小夜子はまた踵を切ったかの様に泣き出した。我慢すればしようとする程、涙が溢れてくる。
そんな小夜子に若菜は黙って隣に寄り添った。
「わ、私、何も知らなくて。私が無理をさせたから、き、きっと、とーさんが倒れてっ!」
「立花、それは違う」
午後の冬四郎とのやり取りを振り返って、後悔の念に駆られた小夜子を若菜が諭す。
そして下を向く小夜子の顔を、若菜は自身の両の手で包み込んで、自分の方に向ける。そして小夜子の瞳をしっかりと見つめて、若菜はこう言った。
「父が倒れたのは立花のせいではない。倒れたのは病魔が原因だ。そこを履き違えてはいけない」
「分かるな?」と言うと、若菜は小夜子を包みこんでいた両の手に少し力を込めた。
そして小夜子の頬から自身の左手を外すと、小夜子の持っていた黄色いハンカチを、ゆっくりと自身の手に握り締めた。
そして若菜は幾筋も頬を伝う小夜子の温かい涙を、そのハンカチで優しく拭ってやった。
「だからもうそんなに、自分自身のことを責めるな」
いつも以上に真剣な表情をする若菜に、小夜子は泣くのを止めて、こくりと首を縦に一度振った。
その小夜子の態度に少し安堵した若菜は、「もう少しで病室だ。立花、今日はゆっくり休むんだぞ」と言って、小夜子と一緒に残りの道のりを歩いて行った。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる