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01
一日目 忽然と現れた大地
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01
「こちらトンビ。現在島の西側に到達。これより旋回して島の北側に回り込む」
『司令部了解。注意してください。また雨と風が強くなっています』
偵察ヘリ、OH-6のパイロットの一等陸尉は現在地の報告を終えると、慎重に高度を保ちながら、機体を右に向けて島の北側を目指す。
島の大きさは石城島よりずっと大きい。沖縄本島の4分の3程度か。島の外周部こそ平らだが、中心に行くに従って丘陵地帯となり、真ん中には切り立った岩山もある。
ヘリにとっては難所と言えた。気流と高度に注意しないと墜落の危険もある。
「どうだ?なにか見えるか?」
「この雨風ではどうにも...。これ以上高度を下げるのは危険だし、参りましたね...」
後部座席の観測手の三尉の言葉に、パイロットは舌打ちする。
大きな地震と共に、突然石城島のすぐ西側に出現した巨大な島。それまで海原が拡がっていた場所に突然島が出現したというとんでもない事態に、誰もが呆然とするしかなかった。
島で米海兵隊と合同で離島防衛訓練を行っていた陸自の混成部隊も、あっけに取られるばかりだった。
ともあれ、とりあえず様子だけは見ておこうということになり、雨風が多少弱まるのを待って偵察ヘリを飛ばして上空から島の様子を見ることにしたのだ。石城島周辺に起きていた原因不明の通信障害がいくぶんか鈍り、近距離であれば無線が通じるようになったの幸いだった。無線が全く使えなければ、とてもじゃないが偵察どころではなかったろう。ともあれ、通信障害そのものがなくなったわけではない。無線の出力を最大にしてどうにか3キロ程度で交信できる状況だ。電力が凄まじい速さで消費されていく。長時間の偵察行動は不可能だった。
「半分以上は森林だが...。平地や岩場もあるようだな。動物はいそうか?」
「それがわかりません。何かが動いているのは確実なんですが...。赤外線の反応がやけに弱いんです。動物なのか、それとも樹木が風に揺れて、強風で物が吹き飛ばされているのか、これじゃわかりませんね」
観測手が言えるのは現状それだけだった。
妙な気分だった。現在のように、強い雨風の中では赤外線センサーはあまりあてにならない。なにより軍用の赤外線センサーは当たり前だが人間の赤外線反応を見つけることに特化している。島にいるのが人間でなく野生動物であるなら、はっきりとセンサーに映らなくとも不思議ではない。
だとしてもだ。何かが動いているのは確かなのに、動物と断定できないというのはおかしい。もし動物がいるとしたら、センサーで動きを拾うことが出来るくらいには大きいが、体温が極端に低いか、あるいは赤外線を何らかの形で遮蔽することができる生き物と言うことになる。
ワニでも大量に生息しているのか?陸自が世界に誇る偵察ヘリの観測手として、その程度の推察をすることしかできないのが悔しかった。
「ま、このお天気じゃ詳しい観測は難しいな。とりあえず予定通り島を一周して戻ろう」
パイロットはため息交じりに言いながら、機体を島の外周にそって飛行させる。
「右下を見て下さい!土砂崩れの跡のようです。まだ新しい!」
観測手に言われるまでもなく、パイロットも大規模な土砂崩れの跡を目視していた。何キロにも渡って、しかも驚くほどきれいな弧を描いて赤茶けた土砂崩れの跡が続いている。
その光景から推測できることは一つだった。島は元々半島か岬であり、どこからかは知らないが空間転移によってこの場所に送られて来た。陸と地続きだった部分は突然支えを失った断層になり、もろい部分は崩れてしまったのだ。
一方、土砂崩れを起こしていない場所はおそらく岩盤であったために崩れずにすんだのだろう。断面はまるで研磨した御影石のように平らでつるつるしている。
頑強な岩盤をまるでハサミで切り取るように、というよりも、空間そのものを切り取って移転させてしまう力。それは純粋に恐怖の対象だった。
島が突然出現したのは人為的に行われたことなのか?それともとてつもない自然現象なのか?
どちらにせよ怖ろしいことだ。パイロットはそう思わずにはいられなかった。
02
「やはり上空からの観測ではわかることは限られて来るな」
陸自混成部隊の隊長である池田真吾三等陸佐は、偵察ヘリの観測データに目を通しながら嘆息する。
「はい、この雨では視界も悪く、なにより高度を低く取るのは危険でしたから」
パイロットの返答に、海岸の岩場のテントに設けられた司令部に重苦しい空気が流れる。
皆、本音を言えば、こんな雨風に吹きさらされる場所からさっさとおさらばして基地に帰還したい。そうすれば風呂にも入れるし、インターネットもできる。酒も飲める。雨風の中では、人間の体力は晴天時の三倍の速さで消耗するという。重い装備を身に着けての訓練であれば、その疲労は推して知るべしだ。
しかし、今まで海だった場所に突然巨大な島が出現したと言う状況では、さっさと帰るというわけにもいかない。突然出現した島が、人類にとって安全なのかどうか、現段階ではわからない。
映画やホラーゲームに出てくるような剣呑で危険な生き物がいるとは誰も本気で信じてはいない。が、人間にとって危険な病原体や害虫などの生物が存在しないとも限らない。もし危険な生物がいるなら、島民を避難させることも考えなくてはならない。
結局現場では判断がつかず、西部方面隊総監部にお伺いを立てたところ、帰って来た言葉は撤収作業を継続しつつ、可能ならば島の様子を探るべし。というあいまいなものだった。
通信障害が続いて、多少回復したとはいえ電子機器も不具合が続く中、部隊を暴風雨の中で離島に放置しておくわけにはいかない。だが、島のことは調べておきたいという功名心もある。それが総監部の本音というわけだ。
一方の米海兵隊は、作戦中止となれば撤収作業あるのみ。他のことに構っている余裕はないとばかりに、装備をエアクッション揚陸艇に搭載してすでに撤収を終えてしまっている。作戦行動の目的をひとつに絞り、迷うことがないという意味では、あちらの方が軍事的には賢明な判断をしていると言えた。
「で、どうします?この際だから小規模な偵察部隊を送り込んでみますか?
許可頂ければ、自分が何人か引き連れてひとっ走り行ってきますが」
そう言ったのは西部方面普通科連隊の現場指揮官である諏訪部だった。が、池田は「それはだめだ」とぴしゃりと遮る。
「何がいるかわからないのに危険すぎる。
いずれ偵察は出すにしても、通信障害がなんとかなって天候が回復してからにしたい」
諏訪部も、池田がそういうのであれば異議はなかった。
「まあ、万が一リドリー・スコット監督の映画に出て来るようなのが島にいたら大ごとですからね。
我々の装備じゃ勝ち目はないだろうし」
諏訪部が冗談めかして言った言葉は、場の空気を凍り付かせてしまった。その場にいる誰もが、怖ろしい寄生生物に自分たちが寄生され、体を食い破って怪物が飛び出してくるところを想像してしまったのだ。
「二尉、洒落にならんぞ。何もない場所に突然島が現れたなんて超常現象が起きてるんだ。
本当になったらどうする」
「失礼を。悪い冗談でした」
池田の言葉に、諏訪部は肩をすくめる。
「私は今は撤収を優先すべきと考える。
島の調査は必要であるにしても、後日しっかりした体勢を整えてからにすべきだな。行き当たりばったりに作戦を変更するのは事故のもとだ。
尻尾を巻いて逃げ出すわけじゃない。ひとまず戦略的撤退をするだけだ」
池田は司令部の全員を見回しながら強い口調で言う。
用意周到頑迷固陋と揶揄される通り、陸自は作戦が予定通りに進まないのを何よりも嫌う。作戦が遂行されるまで、あるいは作戦遂行が不可能と判明して撤収するまで、物事が予定通りに進むことが最も重要なこと。
寄り道や途中での作戦目的の変更は最も回避したい事態なのだ。
司令部の人間たちは、池田の堅実な判断に内心ほっとしていた。
何がいるかわからない島の前に、石城島の住民を置き去りにして逃げ帰るのは心苦しいという思いはある。
だが、今の自分たちに対処できるかわからない状況を勝手に引き受けるわけにはいかない。勝手に動いて貴重な装備や人員を浪費したりすれば、それこそ国民に対する背信行為になりかねないのだ。
だが、彼らの決断は遅きに失しつつあった。
わずかな決断の遅れが悪夢の始まりだったとは、この時まだだれ一人として知る由もなかった。
03
「船長、やっぱり無茶だよ!一度沖に出て様子見るべきだ!」
「だめだ!エンジンが動くうちに島に戻るんだ!このままエンジンがいかれたら俺たち漂流だぞ!」
石城島から漁に出た漁船の一隻が、さながら荒波の中で揺れる木の葉のごとく波にもまれていた。
そんな中、船長と航海士の意見は平行線だった。無理をしてでも石城島に戻るべきとする船長と、沖に出て低気圧をやり過ごすべきと主張する航海士は、今にも取っ組み合いを始めそうな勢いだ。
常識的に考えれば航海士の言い分が正しい。低気圧に向かっていくなど、まともな船乗りなら絶対に下すべき判断ではない。
だが、今は状況があまりに悪すぎた。何の前触れもなく突然低気圧に遭遇したせいで、船の立て直しに燃料を使いすぎた。しかも、荒波の中で無理をさせたために、エンジンは今にも焼き付きそうだ。
極めつけに、どういうわけか無線が突然通じなくなった。しかも、無線の故障や電波干渉のためではない。電波が全く無線に入らないという前代未聞の状態だ。
船長は迷った。常識からすれば一度低気圧から離れるべきだ。だが、エンジンがオーバーヒート気味で、なおかつ無線も通じない状態では、たとえ低気圧をやり過ごしてもその後はどうなるのか?
現在地は石城島の西4キロ。そして、石城島は沖縄本島と宮古島の間にぽつんとある離島だ。島から離れた場所で万一エンジンが故障して無線も通じない状態になったら、後は漂流だ。無線が通じない状態では救難信号も拾ってもらえるかわからない。
この辺りの潮の流れは気まぐれだ。流される方向によっては、陸に漂着するころには自分たちはミイラになっているかも知れない。
船が沈み荒海に投げ出されて死ぬか、漂流の果てに飢えと渇きに苦しみながら死ぬか。
船長が下した決断は前者だった。
「進路を島に取れ!これは命令だ!」
そう言われては、航海士は不満を抱きながらでも従うほかはない。航海士はジャイロコンパスで位置を確認し、進路を東に向けた。
「おお、波が収まって来た。これは行けるか?」
航海士は急に素直になった舵に、にわかに希望を持った。海においては低気圧の力は必ずしも一定ではない。波の高さやうねりには常にムラがあるのだ。雨はまだ船に激しく叩き付けているが、これならば波が再び強くなる前に島にたどり着くことも可能であるように思えた。が...。
「な...なんだ!?」
突然、船体に波とは全く別の衝撃が走る。明らかに何かがぶつかった音だった。
「岩礁か...?うわっ!」
船長は再び襲って来た衝撃に床に尻もちをついた。そして、すぐに船が岩礁に乗り上げたのではないと気づく。
この辺りの水深は深く、下は砂地の平らな海のはずだ。それに、あちこちの方向から二度三度と衝撃が来るのはおかしい。
船長はある種の確信を持って周りの海を見回す。雨で見えづらいが、確かに見えた。巨大な生き物が海面にあがり、広く大きな背中をさらして再び潜って行く。そして、ポケットからフラッシュライトを取り出して海面を照らしてみる。
「あれは...?」
照らし出されたのは、今正に巨大な黒い影が船に向けて突進して来る姿だった。
「うわああっ!」
船長は再び転びそうになるのを、窓のふちをつかんでなんとか支える。
「くそ!船長大変だ!船底から水が!」
「排水ポンプ廻せ!損傷個所を塞ぐんだ!」
船長は矢継ぎ早に指示を下しながら下に降り、機関士と一緒に防水作業に入る。
「サメか...クジラでしょうか?」
「馬鹿な!ありえん!」
機関士の言葉を船長は遮る。サメが鼻っ面で船や海洋施設にぶちかましをかけてくるのは、「ジョーズ」あたりで広まった誤った表現だ。サメは軟骨魚類で、体は非常に柔らかい。加えて、サメの鼻先には多くの感覚器官が集中している。ぶつければ痛いどころの騒ぎでは済まない。人間でいえば、自分から壁に思い切り鼻を打ち付けるようなものだ。
クジラはその気になれば船を体当たりで沈める力はある。実際、マッコウクジラが捕鯨船を沈めてしまったという話はある。だがそれは、捕鯨船の方がクジラを怒らせたことが原因だ。他にもクジラとの接触で船が事故に合ったという話は聞くが、あくまで偶発的な事故だ。クジラの方から故意にぶつかって来たという話は聞かない。
だが今の状況はと言えば、何体もの巨大な生き物が積極的にこの船に体当たりをかけてきている。すさまじい集団リンチだ。
「うあああああああっ!?」
何度目かの衝撃で船底がついに大きくひしゃげ、開いたすき間から海水がどっと流れ込んできた。
「船長!船が沈みます!」
「おいおい!今船が沈んだら俺たちは...!」
船長は言葉を最後まで言うことができなかった。船に体当たりをかけているやつらがどんな生き物かはわからないが、これだけ獰猛で攻撃的な生き物であれば人を食うくらいするかも知れない。このまま船と一緒に沈むか、船から脱出してやつらに食われるか。
どうあがいても絶望の状況に、船長は完全に思考停止していた。
「船長!前方にでっかい島が見える!あそこに逃げ込もう!」
「何言ってるんだ?この辺に島なんて...」
船長には航海士が何を言っているのかわからなかったが、操舵室に上がり「いいから見てみろ」と指さされた方向を見て目を丸くした。自分は石城島の生まれで、九州の水産高校を卒業して以来20年以上この辺りで漁をしている。あんなところに巨大な島があるはずがない。
だが、呆然とするのも、何度目かの衝撃が船に走るまでだった。
今この船を襲ってきている奴らは巨大な海生生物だ。浅瀬までは入ってこられないだろうし、陸に上がってしまえば逃げ切れる可能性は高い。
「よし!排水作業続けながら島に近づくぞ!スピード上げろ!」
「了解!」
航海士が船のスピードを上げる。浸水している上に、船底がひしゃげているから全速を出すことはできない。
だが、逃げなければ死ぬだけだ。船長と機関士は必死で応急処置と排水作業を続ける。浸水を完全に止めることはできない。だが、今は前方の島にたどり着くまで持てばいいのだ。
生きるための必死の戦いが始まった。
防水作業は必死で続けられたが、ついにエンジンが水に浸かってしまった。
「これ以上は無駄だな。よし!船を離れる準備だ」
そう言った船長は機関士を連れて甲板に上がる。外に目を向けると、島が視界一杯に拡がるくらいに近くなっていた。
「できる限る寄せるんだ!座礁してもかまわん!」
「了解!」
船は浸水のせいで5ノット程度しか出なくなっていたが、進める限りは進みたかった。とにかく今は陸に上がりたい。それが漁船の乗組員たちの切なる願いだった。
自分たちは海の男。海が自分たちの仕事場であり、生活の本拠とさえ思っている。だが、体当たりで船底をぶち破るような怪物のいる海は御免だ。
「通信士!一応救難信号は出しておけ!」
船長はダメもととは思いながらも通信士に命じる。今の謎の通信障害の中では意味がない可能性が高いが、やっておくに越したことはない。
「うおっ!」
再び船体に衝撃が走り、大きく揺れた。今度は反応が間に合わず、船長は甲板に体を打ち付けていた。
「通信士...?おい、どこだ!?」
船長は体を起こして周りを見回すが、船尾で救難信号用のアンテナを張ろうとしていたはずの通信使の姿が忽然と消えていた。
「おい!船を止めろ!海に落ちたぞ!」
船長は航海士に怒鳴るが、航海士は反応しなかった。
「おい!聞いてるのか!?通信士を探さないと!」
「無駄だよ!」
航海士は蒼白な顔でやっと船長の言葉に反応した。
「無駄だって...どういうことだ?」
「見たんだ...。ものすごくでかかった...。ものすごくでかい頭と顎を持ったやつが船尾に乗り上げてきて...。
通信士はそのまま...」
航海士は、そこから先をどう表現したものかわからないようだった。
「死んだのか...?」
「わからないが...逃げなけりゃ俺たちもやばい。だろう?」
航海士は周りの海を顎でしゃくる。雨で見えにくいが、黒く巨大な影はまだついて来ている。先ほどまでのように積極的に攻撃をかけてこないのは、水深が浅くなってきているからであるらしい。やはり、最初に読んだ通り、浅瀬は苦手なようだ。
そのまま陸に向けて進んでいくと、巨大な影は見えなくなった。どうやら諦めてくれたらしい。
その時、とうとうエンジンが大きな音と振動と共に動かなくなった。
「岩場までつけるのは無理だな。仕方ない。泳いで行くか」
船長の言葉に、機関士と航海士も異議はなかった。この浅瀬にも何かいるのではないかという恐怖はあったが、このまま島を前にして立ち往生しているよりはましだった。
救命胴衣をつけ、防水パックの中に非常食や真水、通信機、予備電池が入っているのを確認する。そして、慎重に海に入って行く。
船から岩場までは10メートルもなかったが、3人には岩場につくまでの時間が永遠にも感じられた。今この瞬間、海の中に何かが潜んでいて、脚をつかまれて引きずり込まれ生きたまま食われてしまうのではないか。そんな恐怖にさいなまれながら、3人は冷たい雨の中必死で泳いだ。
「た...助かった...」
無事に岩場に上陸したとたん、全身から力が抜けて、3人はへたり込んでしまう。
必死で防水作業をしながら船をここまで進めて来た疲労がどっとのしかかって来る。もう指一本動かしたくはない気分だ。
「さあ、雨風しのげる場所を探そう」
船長は、航海士と機関士を叱咤して立ち上がる。彼自身も疲れ切っていたが、ここで座っていても助けは来ない。第一、このまま雨にさらされていれば低体温症になって後は死ぬだけだ。
せっかく拾った命。無駄に消費する気は彼にはなかった。
04
防水バッグから雨がっぱを出してはおり、取りあえず3人は目の前にある丘陵を目指して歩く。と言っても正面は切り立ったがけで登れそうにない。横から砂浜を回るほかはなさそうだった。
「メーデー。メーデー。応答願います」
航海士が通信機で助けを求めるが、応答があるどころだ電波一つ入らない。
「やはり高いところに上るのが得策だな。取りあえずは雨宿りできる場所を探そう」
今なすべきことは高く開けた場所に移動して通信を試みることだが、雨風が再び強くなっていく状況ではそれも難しい。
まずは雨風をしのげる場所を確保して、この忌々しい低気圧が収まるのを待つ以外にはなさそうだった。
「なんか妙じゃないですか?この島」
機関士が重々し気に切り出す。
「無人島なのはいいとしても、発泡スチロールやビニール...。文明のゴミが全くない...。
沖縄はもちろん、九州で北京語やハングル語の文字が入ったゴミが見つかることだってしょっちゅうなのに...」
「それは今気にすることじゃないだろう」
船長は機関士の言葉をぴしゃりと遮る。
実を言えば彼も機関士と同じような違和感を感じていた。砂浜もそうだが、その辺の茂みや林も何かおかしい。植物に詳しくはないが、沖縄の植物にはそこそこ慣れ親しんでいるつもりでいた。なのに、ここに自生しているのは、見たこともない植物ばかりなのだ。
島にたどり着いて一安心していたが、そもそもここは安全か?今日は朝からわけのわからないことばかり続く。突然の低気圧、通信障害、そして正体不明の怪物の襲撃。極めつけに、突然目の前に現れた巨大な島。この島にも怖ろしいなにかがいる可能性は十分にある。
だが、それは深く考えないことにした。いや、目の前のことに意識を集中していないと気が変になりそうだというべきか。
「この林からなら行けそうだ」
道がきつくなく、それなりに視界の開けた林に差し掛かったところで、3人は進路を島の中心部に取ることにする。
「待て」
船長が後ろの二人を制止する。目の前の茂みで突然何かががさがさと動き始めたのだ。
船長は周囲を見回して武器になりそうなものを探した。ちょうどいいところに、平たい石が転がっていた。これなら殴りつけることもできるだろう。
他の2人にも武器を持たせようと考えて、後ろを振り返る。だが、そこにいたのは機関士だけだった。
「おい、やつはどこに行った?」
「え...?今の今までここにいたんですが...?」
そこに航海士がいた痕跡が全くない。文字通りいなくなっていた。
「おい!聞こえるか!?返事をしろ!」
怒鳴る船長の声に応答はない。
その時、船長の背後で何かがぶつかるような音がした。
恐る恐る振り返り、彼は確かに見た。引きずられ、茂みに吸い込まれて行く機関士の下半身を。
「ああ...ああああああああ...!」
恐怖と言う本能が命じるままに、船長はその場から逃げ出していた。
どこに?そんなことは考えもしなかった。とにかく逃げなければならない。ここにとどまっていたら殺される。
そして、その直感は間違いではなかった。後ろから何かがものすごい速さで追いかけて来る。
船長にできることはただ走って逃げることだけだった。
どれくらい逃げたか、林が途切れて草地が拡がっている場所が見えた。取りあえず林を抜けて、隠れる場所がないところに逃げよう。
船長は切磋にそう考える。敵は音もなく茂みの中を動き回るゲリラのようなやつらだ。こちらの姿も丸見えになってしまうが、とにかく開けたところに出たい。その一心で船長は林の出口に向けて走った。
だが、いよいよ林を抜けるというところになって、急に右側から何かがぶつかって来る。わき腹を強打して息が詰まるのを感じる前に、船長は地面に引き倒されていた。
「う...うわあああああああっ!」
自分の上半身に組み付いて覆いかぶさっているなにかを必死で引きはがそうと抵抗する。
だが、首筋に鋭い衝撃を感じ、次いで焼けるような痛みに襲われる。悲鳴を上げようとするが、全身の感覚がなくなり、力が抜けて全てが弛緩して行く。首筋を生温かい物がぬるりと滴って行く感覚に、首の血管をやられたのだと悟る。
一体こいつは何なんだ?死ぬ間際の船長が感じたのは恐怖ではなく、未知の存在に対する疑問だった。
「こちらトンビ。現在島の西側に到達。これより旋回して島の北側に回り込む」
『司令部了解。注意してください。また雨と風が強くなっています』
偵察ヘリ、OH-6のパイロットの一等陸尉は現在地の報告を終えると、慎重に高度を保ちながら、機体を右に向けて島の北側を目指す。
島の大きさは石城島よりずっと大きい。沖縄本島の4分の3程度か。島の外周部こそ平らだが、中心に行くに従って丘陵地帯となり、真ん中には切り立った岩山もある。
ヘリにとっては難所と言えた。気流と高度に注意しないと墜落の危険もある。
「どうだ?なにか見えるか?」
「この雨風ではどうにも...。これ以上高度を下げるのは危険だし、参りましたね...」
後部座席の観測手の三尉の言葉に、パイロットは舌打ちする。
大きな地震と共に、突然石城島のすぐ西側に出現した巨大な島。それまで海原が拡がっていた場所に突然島が出現したというとんでもない事態に、誰もが呆然とするしかなかった。
島で米海兵隊と合同で離島防衛訓練を行っていた陸自の混成部隊も、あっけに取られるばかりだった。
ともあれ、とりあえず様子だけは見ておこうということになり、雨風が多少弱まるのを待って偵察ヘリを飛ばして上空から島の様子を見ることにしたのだ。石城島周辺に起きていた原因不明の通信障害がいくぶんか鈍り、近距離であれば無線が通じるようになったの幸いだった。無線が全く使えなければ、とてもじゃないが偵察どころではなかったろう。ともあれ、通信障害そのものがなくなったわけではない。無線の出力を最大にしてどうにか3キロ程度で交信できる状況だ。電力が凄まじい速さで消費されていく。長時間の偵察行動は不可能だった。
「半分以上は森林だが...。平地や岩場もあるようだな。動物はいそうか?」
「それがわかりません。何かが動いているのは確実なんですが...。赤外線の反応がやけに弱いんです。動物なのか、それとも樹木が風に揺れて、強風で物が吹き飛ばされているのか、これじゃわかりませんね」
観測手が言えるのは現状それだけだった。
妙な気分だった。現在のように、強い雨風の中では赤外線センサーはあまりあてにならない。なにより軍用の赤外線センサーは当たり前だが人間の赤外線反応を見つけることに特化している。島にいるのが人間でなく野生動物であるなら、はっきりとセンサーに映らなくとも不思議ではない。
だとしてもだ。何かが動いているのは確かなのに、動物と断定できないというのはおかしい。もし動物がいるとしたら、センサーで動きを拾うことが出来るくらいには大きいが、体温が極端に低いか、あるいは赤外線を何らかの形で遮蔽することができる生き物と言うことになる。
ワニでも大量に生息しているのか?陸自が世界に誇る偵察ヘリの観測手として、その程度の推察をすることしかできないのが悔しかった。
「ま、このお天気じゃ詳しい観測は難しいな。とりあえず予定通り島を一周して戻ろう」
パイロットはため息交じりに言いながら、機体を島の外周にそって飛行させる。
「右下を見て下さい!土砂崩れの跡のようです。まだ新しい!」
観測手に言われるまでもなく、パイロットも大規模な土砂崩れの跡を目視していた。何キロにも渡って、しかも驚くほどきれいな弧を描いて赤茶けた土砂崩れの跡が続いている。
その光景から推測できることは一つだった。島は元々半島か岬であり、どこからかは知らないが空間転移によってこの場所に送られて来た。陸と地続きだった部分は突然支えを失った断層になり、もろい部分は崩れてしまったのだ。
一方、土砂崩れを起こしていない場所はおそらく岩盤であったために崩れずにすんだのだろう。断面はまるで研磨した御影石のように平らでつるつるしている。
頑強な岩盤をまるでハサミで切り取るように、というよりも、空間そのものを切り取って移転させてしまう力。それは純粋に恐怖の対象だった。
島が突然出現したのは人為的に行われたことなのか?それともとてつもない自然現象なのか?
どちらにせよ怖ろしいことだ。パイロットはそう思わずにはいられなかった。
02
「やはり上空からの観測ではわかることは限られて来るな」
陸自混成部隊の隊長である池田真吾三等陸佐は、偵察ヘリの観測データに目を通しながら嘆息する。
「はい、この雨では視界も悪く、なにより高度を低く取るのは危険でしたから」
パイロットの返答に、海岸の岩場のテントに設けられた司令部に重苦しい空気が流れる。
皆、本音を言えば、こんな雨風に吹きさらされる場所からさっさとおさらばして基地に帰還したい。そうすれば風呂にも入れるし、インターネットもできる。酒も飲める。雨風の中では、人間の体力は晴天時の三倍の速さで消耗するという。重い装備を身に着けての訓練であれば、その疲労は推して知るべしだ。
しかし、今まで海だった場所に突然巨大な島が出現したと言う状況では、さっさと帰るというわけにもいかない。突然出現した島が、人類にとって安全なのかどうか、現段階ではわからない。
映画やホラーゲームに出てくるような剣呑で危険な生き物がいるとは誰も本気で信じてはいない。が、人間にとって危険な病原体や害虫などの生物が存在しないとも限らない。もし危険な生物がいるなら、島民を避難させることも考えなくてはならない。
結局現場では判断がつかず、西部方面隊総監部にお伺いを立てたところ、帰って来た言葉は撤収作業を継続しつつ、可能ならば島の様子を探るべし。というあいまいなものだった。
通信障害が続いて、多少回復したとはいえ電子機器も不具合が続く中、部隊を暴風雨の中で離島に放置しておくわけにはいかない。だが、島のことは調べておきたいという功名心もある。それが総監部の本音というわけだ。
一方の米海兵隊は、作戦中止となれば撤収作業あるのみ。他のことに構っている余裕はないとばかりに、装備をエアクッション揚陸艇に搭載してすでに撤収を終えてしまっている。作戦行動の目的をひとつに絞り、迷うことがないという意味では、あちらの方が軍事的には賢明な判断をしていると言えた。
「で、どうします?この際だから小規模な偵察部隊を送り込んでみますか?
許可頂ければ、自分が何人か引き連れてひとっ走り行ってきますが」
そう言ったのは西部方面普通科連隊の現場指揮官である諏訪部だった。が、池田は「それはだめだ」とぴしゃりと遮る。
「何がいるかわからないのに危険すぎる。
いずれ偵察は出すにしても、通信障害がなんとかなって天候が回復してからにしたい」
諏訪部も、池田がそういうのであれば異議はなかった。
「まあ、万が一リドリー・スコット監督の映画に出て来るようなのが島にいたら大ごとですからね。
我々の装備じゃ勝ち目はないだろうし」
諏訪部が冗談めかして言った言葉は、場の空気を凍り付かせてしまった。その場にいる誰もが、怖ろしい寄生生物に自分たちが寄生され、体を食い破って怪物が飛び出してくるところを想像してしまったのだ。
「二尉、洒落にならんぞ。何もない場所に突然島が現れたなんて超常現象が起きてるんだ。
本当になったらどうする」
「失礼を。悪い冗談でした」
池田の言葉に、諏訪部は肩をすくめる。
「私は今は撤収を優先すべきと考える。
島の調査は必要であるにしても、後日しっかりした体勢を整えてからにすべきだな。行き当たりばったりに作戦を変更するのは事故のもとだ。
尻尾を巻いて逃げ出すわけじゃない。ひとまず戦略的撤退をするだけだ」
池田は司令部の全員を見回しながら強い口調で言う。
用意周到頑迷固陋と揶揄される通り、陸自は作戦が予定通りに進まないのを何よりも嫌う。作戦が遂行されるまで、あるいは作戦遂行が不可能と判明して撤収するまで、物事が予定通りに進むことが最も重要なこと。
寄り道や途中での作戦目的の変更は最も回避したい事態なのだ。
司令部の人間たちは、池田の堅実な判断に内心ほっとしていた。
何がいるかわからない島の前に、石城島の住民を置き去りにして逃げ帰るのは心苦しいという思いはある。
だが、今の自分たちに対処できるかわからない状況を勝手に引き受けるわけにはいかない。勝手に動いて貴重な装備や人員を浪費したりすれば、それこそ国民に対する背信行為になりかねないのだ。
だが、彼らの決断は遅きに失しつつあった。
わずかな決断の遅れが悪夢の始まりだったとは、この時まだだれ一人として知る由もなかった。
03
「船長、やっぱり無茶だよ!一度沖に出て様子見るべきだ!」
「だめだ!エンジンが動くうちに島に戻るんだ!このままエンジンがいかれたら俺たち漂流だぞ!」
石城島から漁に出た漁船の一隻が、さながら荒波の中で揺れる木の葉のごとく波にもまれていた。
そんな中、船長と航海士の意見は平行線だった。無理をしてでも石城島に戻るべきとする船長と、沖に出て低気圧をやり過ごすべきと主張する航海士は、今にも取っ組み合いを始めそうな勢いだ。
常識的に考えれば航海士の言い分が正しい。低気圧に向かっていくなど、まともな船乗りなら絶対に下すべき判断ではない。
だが、今は状況があまりに悪すぎた。何の前触れもなく突然低気圧に遭遇したせいで、船の立て直しに燃料を使いすぎた。しかも、荒波の中で無理をさせたために、エンジンは今にも焼き付きそうだ。
極めつけに、どういうわけか無線が突然通じなくなった。しかも、無線の故障や電波干渉のためではない。電波が全く無線に入らないという前代未聞の状態だ。
船長は迷った。常識からすれば一度低気圧から離れるべきだ。だが、エンジンがオーバーヒート気味で、なおかつ無線も通じない状態では、たとえ低気圧をやり過ごしてもその後はどうなるのか?
現在地は石城島の西4キロ。そして、石城島は沖縄本島と宮古島の間にぽつんとある離島だ。島から離れた場所で万一エンジンが故障して無線も通じない状態になったら、後は漂流だ。無線が通じない状態では救難信号も拾ってもらえるかわからない。
この辺りの潮の流れは気まぐれだ。流される方向によっては、陸に漂着するころには自分たちはミイラになっているかも知れない。
船が沈み荒海に投げ出されて死ぬか、漂流の果てに飢えと渇きに苦しみながら死ぬか。
船長が下した決断は前者だった。
「進路を島に取れ!これは命令だ!」
そう言われては、航海士は不満を抱きながらでも従うほかはない。航海士はジャイロコンパスで位置を確認し、進路を東に向けた。
「おお、波が収まって来た。これは行けるか?」
航海士は急に素直になった舵に、にわかに希望を持った。海においては低気圧の力は必ずしも一定ではない。波の高さやうねりには常にムラがあるのだ。雨はまだ船に激しく叩き付けているが、これならば波が再び強くなる前に島にたどり着くことも可能であるように思えた。が...。
「な...なんだ!?」
突然、船体に波とは全く別の衝撃が走る。明らかに何かがぶつかった音だった。
「岩礁か...?うわっ!」
船長は再び襲って来た衝撃に床に尻もちをついた。そして、すぐに船が岩礁に乗り上げたのではないと気づく。
この辺りの水深は深く、下は砂地の平らな海のはずだ。それに、あちこちの方向から二度三度と衝撃が来るのはおかしい。
船長はある種の確信を持って周りの海を見回す。雨で見えづらいが、確かに見えた。巨大な生き物が海面にあがり、広く大きな背中をさらして再び潜って行く。そして、ポケットからフラッシュライトを取り出して海面を照らしてみる。
「あれは...?」
照らし出されたのは、今正に巨大な黒い影が船に向けて突進して来る姿だった。
「うわああっ!」
船長は再び転びそうになるのを、窓のふちをつかんでなんとか支える。
「くそ!船長大変だ!船底から水が!」
「排水ポンプ廻せ!損傷個所を塞ぐんだ!」
船長は矢継ぎ早に指示を下しながら下に降り、機関士と一緒に防水作業に入る。
「サメか...クジラでしょうか?」
「馬鹿な!ありえん!」
機関士の言葉を船長は遮る。サメが鼻っ面で船や海洋施設にぶちかましをかけてくるのは、「ジョーズ」あたりで広まった誤った表現だ。サメは軟骨魚類で、体は非常に柔らかい。加えて、サメの鼻先には多くの感覚器官が集中している。ぶつければ痛いどころの騒ぎでは済まない。人間でいえば、自分から壁に思い切り鼻を打ち付けるようなものだ。
クジラはその気になれば船を体当たりで沈める力はある。実際、マッコウクジラが捕鯨船を沈めてしまったという話はある。だがそれは、捕鯨船の方がクジラを怒らせたことが原因だ。他にもクジラとの接触で船が事故に合ったという話は聞くが、あくまで偶発的な事故だ。クジラの方から故意にぶつかって来たという話は聞かない。
だが今の状況はと言えば、何体もの巨大な生き物が積極的にこの船に体当たりをかけてきている。すさまじい集団リンチだ。
「うあああああああっ!?」
何度目かの衝撃で船底がついに大きくひしゃげ、開いたすき間から海水がどっと流れ込んできた。
「船長!船が沈みます!」
「おいおい!今船が沈んだら俺たちは...!」
船長は言葉を最後まで言うことができなかった。船に体当たりをかけているやつらがどんな生き物かはわからないが、これだけ獰猛で攻撃的な生き物であれば人を食うくらいするかも知れない。このまま船と一緒に沈むか、船から脱出してやつらに食われるか。
どうあがいても絶望の状況に、船長は完全に思考停止していた。
「船長!前方にでっかい島が見える!あそこに逃げ込もう!」
「何言ってるんだ?この辺に島なんて...」
船長には航海士が何を言っているのかわからなかったが、操舵室に上がり「いいから見てみろ」と指さされた方向を見て目を丸くした。自分は石城島の生まれで、九州の水産高校を卒業して以来20年以上この辺りで漁をしている。あんなところに巨大な島があるはずがない。
だが、呆然とするのも、何度目かの衝撃が船に走るまでだった。
今この船を襲ってきている奴らは巨大な海生生物だ。浅瀬までは入ってこられないだろうし、陸に上がってしまえば逃げ切れる可能性は高い。
「よし!排水作業続けながら島に近づくぞ!スピード上げろ!」
「了解!」
航海士が船のスピードを上げる。浸水している上に、船底がひしゃげているから全速を出すことはできない。
だが、逃げなければ死ぬだけだ。船長と機関士は必死で応急処置と排水作業を続ける。浸水を完全に止めることはできない。だが、今は前方の島にたどり着くまで持てばいいのだ。
生きるための必死の戦いが始まった。
防水作業は必死で続けられたが、ついにエンジンが水に浸かってしまった。
「これ以上は無駄だな。よし!船を離れる準備だ」
そう言った船長は機関士を連れて甲板に上がる。外に目を向けると、島が視界一杯に拡がるくらいに近くなっていた。
「できる限る寄せるんだ!座礁してもかまわん!」
「了解!」
船は浸水のせいで5ノット程度しか出なくなっていたが、進める限りは進みたかった。とにかく今は陸に上がりたい。それが漁船の乗組員たちの切なる願いだった。
自分たちは海の男。海が自分たちの仕事場であり、生活の本拠とさえ思っている。だが、体当たりで船底をぶち破るような怪物のいる海は御免だ。
「通信士!一応救難信号は出しておけ!」
船長はダメもととは思いながらも通信士に命じる。今の謎の通信障害の中では意味がない可能性が高いが、やっておくに越したことはない。
「うおっ!」
再び船体に衝撃が走り、大きく揺れた。今度は反応が間に合わず、船長は甲板に体を打ち付けていた。
「通信士...?おい、どこだ!?」
船長は体を起こして周りを見回すが、船尾で救難信号用のアンテナを張ろうとしていたはずの通信使の姿が忽然と消えていた。
「おい!船を止めろ!海に落ちたぞ!」
船長は航海士に怒鳴るが、航海士は反応しなかった。
「おい!聞いてるのか!?通信士を探さないと!」
「無駄だよ!」
航海士は蒼白な顔でやっと船長の言葉に反応した。
「無駄だって...どういうことだ?」
「見たんだ...。ものすごくでかかった...。ものすごくでかい頭と顎を持ったやつが船尾に乗り上げてきて...。
通信士はそのまま...」
航海士は、そこから先をどう表現したものかわからないようだった。
「死んだのか...?」
「わからないが...逃げなけりゃ俺たちもやばい。だろう?」
航海士は周りの海を顎でしゃくる。雨で見えにくいが、黒く巨大な影はまだついて来ている。先ほどまでのように積極的に攻撃をかけてこないのは、水深が浅くなってきているからであるらしい。やはり、最初に読んだ通り、浅瀬は苦手なようだ。
そのまま陸に向けて進んでいくと、巨大な影は見えなくなった。どうやら諦めてくれたらしい。
その時、とうとうエンジンが大きな音と振動と共に動かなくなった。
「岩場までつけるのは無理だな。仕方ない。泳いで行くか」
船長の言葉に、機関士と航海士も異議はなかった。この浅瀬にも何かいるのではないかという恐怖はあったが、このまま島を前にして立ち往生しているよりはましだった。
救命胴衣をつけ、防水パックの中に非常食や真水、通信機、予備電池が入っているのを確認する。そして、慎重に海に入って行く。
船から岩場までは10メートルもなかったが、3人には岩場につくまでの時間が永遠にも感じられた。今この瞬間、海の中に何かが潜んでいて、脚をつかまれて引きずり込まれ生きたまま食われてしまうのではないか。そんな恐怖にさいなまれながら、3人は冷たい雨の中必死で泳いだ。
「た...助かった...」
無事に岩場に上陸したとたん、全身から力が抜けて、3人はへたり込んでしまう。
必死で防水作業をしながら船をここまで進めて来た疲労がどっとのしかかって来る。もう指一本動かしたくはない気分だ。
「さあ、雨風しのげる場所を探そう」
船長は、航海士と機関士を叱咤して立ち上がる。彼自身も疲れ切っていたが、ここで座っていても助けは来ない。第一、このまま雨にさらされていれば低体温症になって後は死ぬだけだ。
せっかく拾った命。無駄に消費する気は彼にはなかった。
04
防水バッグから雨がっぱを出してはおり、取りあえず3人は目の前にある丘陵を目指して歩く。と言っても正面は切り立ったがけで登れそうにない。横から砂浜を回るほかはなさそうだった。
「メーデー。メーデー。応答願います」
航海士が通信機で助けを求めるが、応答があるどころだ電波一つ入らない。
「やはり高いところに上るのが得策だな。取りあえずは雨宿りできる場所を探そう」
今なすべきことは高く開けた場所に移動して通信を試みることだが、雨風が再び強くなっていく状況ではそれも難しい。
まずは雨風をしのげる場所を確保して、この忌々しい低気圧が収まるのを待つ以外にはなさそうだった。
「なんか妙じゃないですか?この島」
機関士が重々し気に切り出す。
「無人島なのはいいとしても、発泡スチロールやビニール...。文明のゴミが全くない...。
沖縄はもちろん、九州で北京語やハングル語の文字が入ったゴミが見つかることだってしょっちゅうなのに...」
「それは今気にすることじゃないだろう」
船長は機関士の言葉をぴしゃりと遮る。
実を言えば彼も機関士と同じような違和感を感じていた。砂浜もそうだが、その辺の茂みや林も何かおかしい。植物に詳しくはないが、沖縄の植物にはそこそこ慣れ親しんでいるつもりでいた。なのに、ここに自生しているのは、見たこともない植物ばかりなのだ。
島にたどり着いて一安心していたが、そもそもここは安全か?今日は朝からわけのわからないことばかり続く。突然の低気圧、通信障害、そして正体不明の怪物の襲撃。極めつけに、突然目の前に現れた巨大な島。この島にも怖ろしいなにかがいる可能性は十分にある。
だが、それは深く考えないことにした。いや、目の前のことに意識を集中していないと気が変になりそうだというべきか。
「この林からなら行けそうだ」
道がきつくなく、それなりに視界の開けた林に差し掛かったところで、3人は進路を島の中心部に取ることにする。
「待て」
船長が後ろの二人を制止する。目の前の茂みで突然何かががさがさと動き始めたのだ。
船長は周囲を見回して武器になりそうなものを探した。ちょうどいいところに、平たい石が転がっていた。これなら殴りつけることもできるだろう。
他の2人にも武器を持たせようと考えて、後ろを振り返る。だが、そこにいたのは機関士だけだった。
「おい、やつはどこに行った?」
「え...?今の今までここにいたんですが...?」
そこに航海士がいた痕跡が全くない。文字通りいなくなっていた。
「おい!聞こえるか!?返事をしろ!」
怒鳴る船長の声に応答はない。
その時、船長の背後で何かがぶつかるような音がした。
恐る恐る振り返り、彼は確かに見た。引きずられ、茂みに吸い込まれて行く機関士の下半身を。
「ああ...ああああああああ...!」
恐怖と言う本能が命じるままに、船長はその場から逃げ出していた。
どこに?そんなことは考えもしなかった。とにかく逃げなければならない。ここにとどまっていたら殺される。
そして、その直感は間違いではなかった。後ろから何かがものすごい速さで追いかけて来る。
船長にできることはただ走って逃げることだけだった。
どれくらい逃げたか、林が途切れて草地が拡がっている場所が見えた。取りあえず林を抜けて、隠れる場所がないところに逃げよう。
船長は切磋にそう考える。敵は音もなく茂みの中を動き回るゲリラのようなやつらだ。こちらの姿も丸見えになってしまうが、とにかく開けたところに出たい。その一心で船長は林の出口に向けて走った。
だが、いよいよ林を抜けるというところになって、急に右側から何かがぶつかって来る。わき腹を強打して息が詰まるのを感じる前に、船長は地面に引き倒されていた。
「う...うわあああああああっ!」
自分の上半身に組み付いて覆いかぶさっているなにかを必死で引きはがそうと抵抗する。
だが、首筋に鋭い衝撃を感じ、次いで焼けるような痛みに襲われる。悲鳴を上げようとするが、全身の感覚がなくなり、力が抜けて全てが弛緩して行く。首筋を生温かい物がぬるりと滴って行く感覚に、首の血管をやられたのだと悟る。
一体こいつは何なんだ?死ぬ間際の船長が感じたのは恐怖ではなく、未知の存在に対する疑問だった。
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