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01 金髪ギャルのアイデンティティ

残ってるよ

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 「長いトイレだったね」
 「あれ…椿姫ちゃん。帰ってなかったの?」
 トイレの外では、なぜか椿姫が待っていた。
 椿姫は治明に顔を近づけ、眼を覗き込む。
 「抜いてたでしょ?」
 とうとつな椿姫の質問に、治明は心臓が口から飛び出そうになる。
 (うそだろ…。なんでわかるんだ…?)
 「な…なんだって…?」
 とっさにそうはぐらかすのが精一杯だった。
 抜いていたのは事実なのだから。
 「だからその…。
 マスターベーションしてたでしょって聞いてるの!」
 椿姫はテンパると、ヤケ気味に露骨で下品なことを言う癖がある。
 わざわざ“マスターベーション”を強調して詰め寄る。
 「し…してない、してないって…」
 眼が泳がないように注意しながら、治明は否定する。
 「うそつけ!におい、残ってるよ。気づいてないの?」
 「え…まじ?」
 「やっぱり抜いてたんじゃん!」
 「げ…ずるい…」
 治明は誘導尋問に引っかかったことに気づく。
 (考えてみたら、椿姫ちゃんが男が抜いたあとのにおいを知ってるわけないじゃないか!)
 しょうもないミスに気づいた時には手遅れだった。
 においが残っていると断定されて混乱してしまっていた。処女ビッチである椿姫が男が出すもののにおいを知っているかどうかまで頭が回らなかったのだ。
 「人を勝手にオカズにすんなっての!」
 椿姫が真っ赤になりながら、両手で治明のほっぺたを“むにぃっ”と左右に拡げる。
 「痛い痛い!
 “オカズにさせてください”って頼めばいいのか…?」
 椿姫が、“ぼんっ”と擬音が入りそうな勢いでさらに真っ赤になる。
 「よけい悪いわ!セクハラでしょ!」
 (どうしろってんだよ…)
 女の子にとって勝手にオカズにされることが恥ずかしい事であることは、まあわからなくもない。
 だが、マスターベーションくらい好きなようにしたいのが人情だ。
 (でも…そんなこと口に出したら殺されそうだしなあ…)
 恥ずかしさでテンパっている椿姫に、治明はかける言葉がみつからなかった。

 が、そこに思わぬ助け船が現れる。
 「よ、便所の前でなにやってんの?」
 かけられた声に振り向くと、クラスメイトの片岡渉だった。
 プロレスラーと見まがう体型は、薄暗い廊下でも一目でわかる。
 「よう、片岡…」
 「ああ…片岡…」
 “なにをやっている”と聞かれても、返答に窮して治明と椿姫は固まってしまう。
 勝手にオカズにしたかどでもめていたなど、言えるわけがない。
 「なんか意味深な痴話げんかしてる?」
 あまりに的を射た片岡の言葉に、2人は思わず顔を見合わせてしまう。
 「そんなんじゃない…よねえ…?」
 「と…当然じゃない…!」
 歯切れ悪く否定する2人に、片岡は2828する。
 痴話げんかであることを確信している表情だった。
 「まあ、いいんだけどさ。
 それよか、俺も帰ろうと思うけど、残るなら教室の戸締まり頼みたいんだが」
 片岡は親切にも話を変えてくれる。
 (片岡、お前いいやつだな)
 よけいな詮索は控えてくれる優しさに、治明は心底感謝した。
 「い…いや、俺らも帰るところだから」
 「そうそう。だから片岡、悪いけどお願い」
 「へいへい、お気をつけて」
 片岡は気さくに応じると、男子トイレに入っていく。
 「かえろっか?」
 「そだね」
 すっかり揉める気もなくなった治明と椿姫は、帰宅することに決めたのだった。

 椿姫がわざわざ待っていてくれたのだから、あえて別々に帰る理由もない。
 肩を並べ、手を繋いで家路につく。
 2人の“付き合っているふり”はまだ続いているのだ。
 「そう言えば、冷え性は良くなった?」
 「う…うん。お陰さまで…。脚、もう冷たくないよ。
 でも…変なところまであったかくして欲しいとは頼んでないけど-?」
 「そんなつもりはなかったって…」
 「そりゃそうだろうけどさー」
 先ほどまでと違って、椿姫は冷えに苦しんでいる様子はない。
 だが、マッサージで発情させられて、自慰がしたくてたまらなくなってしまったことは、まだわだかまりがあるらしい。
 (本当に、ギャップがかわいいよな)
 治明はそう思う。
 金髪サイドテール、隙のないコスメやアクセサリー。いかにも遊んでいそうな外見のギャル。
 なのに、実はセックスどころか恋愛の経験すらない、恥ずかしがりの純情乙女。
 それが椿姫だ。
 心の底からかわいいと思えた。
 「あ、治明、チャック開いてるよ」
 「え…?ほんと?」
 椿姫の指摘に、治明は慌てる。
 マスターベーションを終えてズボンを上げたとき、閉め忘れたかと股間に手をやる。
 だが、チャックはきちんと締まっている。
 「う・そ!」
 「あ、騙したな!」
 「あははは。騙されてんのー。
 女の子に恥ずかしい事した罰だよー」
 そんなふうに戯れながら、椿姫と治明はゆっくりと家路を行くのだった。
 外は寒いが、二人の間には温かい空気が満ちているように感じられるのだった。
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