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03 寒い日々だから

豪雪の午後

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07

 組織の垣根を越えて意見を交わす勉強会は、有意義に終了した。
 翌日は、晴海商事は比較的まったりとしていた。
 報告会と資料のまとめを終えて、明日は休日。繁忙期も過ぎている。
 みな、仕事の内容よりも週末をどう過ごすかが関心事だった。
 ところがである。

 「都心で積雪20センチだと?」
 「まずいですね。電車も運休や遅延が出始めています」
 「渋滞が発生しています。どうやら事故のようです」
 昼頃から降り出した雪が、たちまち豪雪と呼べるレベルになり始めた。
 気温が急激に下がりだしたことも相まって、たちまち積雪は周辺の交通にまで影響を与え始めたのである。

 『帰宅困難者が出るわね?』
 「はい部長。急ぎの仕事がない人は早めに帰るように各所に通知しましたが、間に合わなかったようです。
 確認してみたところ、従業員の6割以上が帰宅困難です」
 瞳は、総務部長兼取締役の夏目麻佳と電話で打ち合わせていた。
 晴海商事は、都心の駅前にある。
 当然家賃は安くない。
 歩いて帰れる距離に住んでいる者はほとんどいないのだ。
 今の状況では、会社に残っているものの大多数が帰宅困難者となることが予測された。
 実際、社内で部署ごとに確認を取ったところ、帰宅のための交通機関は全滅。
 タクシーでも、渋滞と積雪で帰れるかどうか微妙というところだった。
 『やむを得ません。
 “帰宅困難時マニュアル”を発動します。
 ただちに周辺の宿泊施設を確保なさい』
 「それが…。すでに周辺のホテルや旅館が予約で埋まり始めています。
 みんな、帰宅困難を予測して泊まる準備をしているものと…」
 帰宅困難者のために寝る場所を確保すべしという指示に、瞳は渋面で応じる。
 宿泊施設の確保という指示が出るのを見越して、周辺のホテルの予約状況を確認していたのだが、早くも部屋がなくなりつつある。
 誰しも考えることは同じ。
 ねぐらの確保は早い者勝ちというわけだ。
 『ラブホテルやカプセルホテル、あるいはネットカフェの座敷の類いは?』
 「それも予約で埋まり始めています。
 最近ではラブホテルも災害時の緊急避難先に使われることが多いので…。
 安くてサービスのいいところはすでに予約されています。
 結論から申し上げて…帰宅困難者全員の寝場所の確保は不可能です」
 電話の向こうから、麻佳の舌打ちが聞こえる。
 “従業員こそ会社の財産”が麻佳の信条だ。
 災害時は、会社が従業員の安全を確保する義務があると考えている。
 その意味で、麻佳は理想の上司であり、晴海商事がホワイト企業である所以でもある。
 “会社は学校ではない”などと言い訳して、従業員が災害にさらされるのを座視するような会社に、人を雇う資格はない。
 もし、勤務中、あるいは通勤退勤中に従業員に万一のことがあれば、労災の問題だけではない。安全管理義務違反として、民事、刑事の責任を問われることだってあるのだ。
 会社が従業員を守るべきと信じる麻佳にとって、今は窮地なのだ。
 『かまいません。とにかく、空いている宿泊施設を手当たり次第に予約しましょう。
 誰が泊まるかは、くじ引きで決めます』
 「承知しました」
 素早く応じた瞳は、インターネットでまだ空いている宿泊施設を予約していくのだった。
 それは正に、時間との勝負だった。
 
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