上 下
18 / 47
04 関東の甘計編

敗者の追悼と知将の願い

しおりを挟む
04

 「龍興様…」
 伊勢、伊賀の国境。”宿儺”と呼ばれた物の怪との戦いの戦後処理のさ中、竹中半兵衛は、見知った顔と最悪の再会をしていた。
 絶命し、人の姿に戻った”宿儺”の正体は、かつての半兵衛の主、斎藤龍興だったのだ。
 きっかけは、人の姿に戻った”宿儺”が、斎藤家の撫子の紋のついた小刀を身に着けていたのを、自衛隊員が発見したことだった。その報告を聞いて、よもやと思った藤吉郎が、半兵衛に面通しを依頼したのだ。
 話によればまだ若いはずだったが、痩せこけて体は泥と垢にまみれ、髪はばさばさで、まるで老人のように見える。だが、半兵衛によれば間違いないという。
 「伊勢に亡命しているとは聞いていたけど、まさか一向一揆に味方して、挙句物の怪になっているとはねえ…」
 ボディバッグに収められ、自衛隊のテントに収容された龍興の亡骸を見下ろして、藤吉郎は手を合わせながらため息交じりに言う。
 織田家への復讐心に凝り固まり、物の怪と化して信長を質量爆弾で殺害しようとした気持ちもわからないではない。しかし、こんな醜くみじめな最期を遂げることになってまでこだわることか?そう思わざるを得ないのだ。
 「ところで、そっちの方は?もしかして戦闘に巻き込まれたの?」」
 「いえ、どうやら自ら命を絶ったようです。
 ただ、彼の残したものから面白いことがわかりましたよ」
 藤吉郎の問いに、陸自の保科三尉が応じる。
 龍興の亡骸の近くで、修験者風の青年の亡骸が見つかったのだ。保科によれば、持っていた書類を燃やして自害したらしいが、湿気が多くて書類が思ったように燃えなかったらしい。
 「最初は岐阜を攻撃する予定だったが、岐阜には滝川一益殿くらいしか織田の要人がいないと知った。
 だから小田原を攻撃する作戦に切り替えたか…」
 「いやあ、この弾道計算、驚きですよ。
 たった2回の試射で、小田原に”V2”を着弾させる弾道をほとんど完璧に計算できている。これをそろばんと紙と筆で行ったとすれば、この人物天才ですよ」
 織田に下った伊勢の国人からの情報では、美濃を攻撃する前に、伊勢の海岸に向けて”宿儺”が試射を行っていたらしい。たった2回の試射で、伊勢から相模の目標に弾道弾を当てるだけの計算を行った。これは、21世紀の水準でも驚嘆すべき計算力だった。
 「もっと利口な生き方はあったでしょうに…」
 半兵衛は、復讐心と心中した主と、その主に殉じた名も知らない忠臣の惨めな最期に涙した。その場にいる他の者たちも同じ気持ちだった。
 皆が同じ推測をしている。龍興は物の怪に身を落としても復讐心と、復讐を完結するための知性は失わなかった。主君がどんな変わり果てた姿になろうと尽くそうとする忠臣が、龍興の耳目となった。そして、弾道計算と言う大役を果たした後、あとくされを消すためか自害した。
 あまりにも救いがなく、不幸な結末だと思わざるを得ない。
 「半兵衛…」
 「藤吉郎さまあ…」
 藤吉郎が半兵衛の銀髪頭を思い切り強く抱きしめると、半兵衛は藤吉郎の胸に顔をうずめて嗚咽を漏らし始める。
 捨ててしまった主家、主でも、縁ある人間の惨めな死にざまは悲しいと言うことか。
 一向一揆は制圧され、伊勢の国人や海賊衆たちも織田に忠誠を示している。
 念願だった伊勢平定が成ったというのに、みな少しも嬉しいと思えないのだった。

 伊勢の平定により、織田家はいよいよ本格的に畿内の制圧に乗り出すことになる。伊勢からは伊賀、大和。山城からは河内、摂津、丹波にむけて兵力が送り込まれる。
 織田による天下布武がいよいよ本格的に動き出す。
 だが、これ以後、半兵衛は体調を崩しがちになる。もともと丈夫ではなかった体だが、かつての主君の悲しい死にざまは、重く冷たい鉛の十字架となって半兵衛にのしかかっていたのである。

 小田原、織田勢の陣。
 「よう武輔。異常はないか?」
 「異常なしです。却ってイライラするくらいっすよ」
 田宮は歩哨の夜番を務める足軽組頭の一人に声をかける。なかなか目端が効いて見どころのあるやつだが、戦闘の中で手柄を立てる機会がないのが不満らしい。まあ、武輔に限ったことではないが。
 撃墜された”V2”の破片の落下によって織田、北条双方とも動揺はしたものの、特に実害があったわけではなかった。ゆえに、戦いは再び、何もなかったかのように膠着状態に戻ってしまったのだ。
 「?」
 武輔に竹の水筒を渡しながら、田宮は違和感を覚える。武輔の後ろ、先ほどまで何もなかった場所に、いつの間にか陣幕が張られていたのだ。しかも、中途半端に一枚だけ。
 「ありがとうごぜえやす」
 水を受け取り、飲んでいく武輔から目線を離し、陣幕の方になんとなく目をやって、田宮はぎょっとする。
 10メートルは離れたところにあったはずの陣幕が、3メートルも離れていない位置にいつの間にか移動している。いや、それはよく見れば陣幕ではない。白い服をまとい、女性用の六方傘を被った女だった。
 「そこにいるのはだれだ!?」
 反射的にタクティカルスリングで吊っていた89式小銃の銃口を向ける。武輔もぎょっとして振り向き、すぐ近くに白い服をまとった女性が立っていることに気づいて凍り付く。
 「た…田宮の旦那…。申し訳ねえ。あんな露骨な曲者を見逃すなんて…」
 「いや…。
 そこの方、顔を見せていただけますか?なんの御用でしょうか?」
 田宮は武輔を咎めることはしない。おそらく自分も武輔と同じように、侵入者を見逃していたであろうから。
 それよりも、その侵入者が何者であるかが問題だった。
 白い服の侵入者は、意外なほどあっさりと傘を脱いで素顔をさらした。
 妙齢の色っぽいすごい美人。
 それが田宮の偽らざる感想だった。顔立ちはややふっくりしているが、整っていて十分美人と言える。いや、若い女には決して出せない妖艶な雰囲気をまとっている。
 また、素晴らしい胸の膨らみと、安産体系の大きくも美しい尻は、服の上からもわかるほどだ。
 「夜分にご無礼致します。私は北条家先代当主、北条早雲と申します。
 無粋とは存じましたが、織田家の御当主にお目にかかりたく参った次第」
 柔らかい笑みを浮かべ、上品な仕草でお辞儀をする早雲に、田宮も武輔も毒気を抜かれてしまう。
 北条家の主だった武将の顔は、偵察隊が撮影した写真で知っている。早雲も例外ではない。
 本来なら、隠居したとはいえ、北条家の先代当主が織田の陣に入り込んでくるなどとんでもないことだ。だが、戦況が膠着している状況では、無下に扱うわけにもいかないだろう。悔しいが、交渉の糸口を欲しがっているのは織田の方なのだから。
 (それにしても…)
 田宮は思う。武輔は酒好きで、荒くれものでもあるが、仕事にはプライドを持っている。自分も、至らないところこそあるが、自衛隊員として任務に邁進しているつもりだ。
 それが、あんな目立つ白い服を来た女が近くまで来るまで気づかなかった。
 これは非常に危険なことだった。下手をすれば自分と武輔の評価にも関わって来る。というか早雲が刺客だったら仲良くお陀仏だった。
 (でも、この人忍術とか妖術の心得でもありそうなんだよな)
 ミステリアス、妖艶、エキゾチック、老獪。そんな言葉が似合いそうな早雲を見ていると、言い訳でも責任逃れでもなく、そう思いたくなるのだった。

 無線で本陣に連絡を取った田宮は、武輔と他に数人の自衛隊員と足軽をともなって、早雲を織田の総本部である館に案内する。
 この館は長丁場になることを見越して、織田の職人と自衛隊の施設科が突貫工事で完成させたものだ。
 前線に素早く住み心地のいい住居を構える策を、という信長のわがままもあったが、施設科がこの時代の資材と技術でプレハブやツーバイフォーをどれだけ再現できるかのテストベッドでもあった。
 聡明な早雲は、早速この館の機能性に気づいたらしい。
 「あの、お手洗いをお借りできないでしょうか?」
 「いいですよ。こちらです」
 田宮は早雲を便所に案内する。
 「ああ、”洋式”と書いてある方はわれわれのやり方に合わせています。ご不便なら”和式”と書かれた方を使って下さい」
 「恐れ入ります」
 田宮の気さくな言葉に、早雲は少し顔を赤くして便所に入って行く。
 これほどの色っぽい美人がトイレに入って行くというのは、なんだか卑猥な想像を掻き立てられるものがある。と田宮は思う。
 「よろしいので?」
 「まあ、われわれの技術水準の高さを知ってもらえれば、何かの取っ掛かりにはなるんじゃね?」
 武輔の懸念に、田宮は肩をすくめて答える。
 トイレと言うのは、軍事では重要な問題だ。トイレの数や機能で兵力が特定されてしまうことにもなる。
 さらに、トイレは排泄と言う生理機能を満たすだけではない。命の洗濯だ。トイレが快適なら、将兵のモチベーションを維持しやすくなる。
 その機密と言っていい場所を、敵の要人に見せていいのか。武輔の疑問は最もだった。
 「ひゃあああああああああーーーーーーー!?」
 便所の個室から黄色い、それでいて色っぽい声が上がる。
 早雲が、好奇心に抗えず、洋式便所、しかも洗浄便座を使ったらしい。この時代の人間は、特に女は洗浄便座の感触に、最初は大げさに声を出さずにはいられない。
 便所には個室ごとに張り紙で使い方が丁寧に説明されている。よほど不器用な人間でない限り、洋式の方でも難儀はしないはずだ。
 「まあ、われわれの技術力を確認してくれたことだろう。これでますます戦う気にはなれなくなると思わないか?」
 「はあ…さすが旦那です。まあ、あれは一度使ったら手放せなくなるでしょうからね。
 俺の女房も、嘘みたいに用足しの跡がきれいになるって喜んでましたし…」
 武輔の返答に、田宮は苦笑いを浮かべる。
 トイレは、くどいようだが軍事では重要な問題だ。トイレが快適なら、兵たちのやる気とモチベーションを維持しやすい。
 その命題に取り組んだ施設科が、タガが外れた結果がこれだった。
 鋳造した銅の配管による下水管、厚手の陶器をコーティングした便器、原始的な浄化槽、給水塔を使った水栓装置。出来る限り低コストで再現したトイレロール。
 それらをありあわせのもので整備したことだけでもすごかった。
 だが、なにをとち狂ったかインフラフェチの施設科の何人かが辣腕を振るった結果、あり合わせの材料で簡易的な洗浄便座までが完成してしまったのだ。整備と掃除が大変だが、洗浄便座とビデを常用してきた自衛隊員達には大変好評だった。
 こちらの世界の人間も、最初こそ戸惑うものの、用足しの跡がすっきりすると洗浄便座を評価している。早雲もその一人となりそうだった。が…。
 「あん…どうしましょう…気持ちいい…!これ…どうしたら止まるの…?」
 「なんか声が色っぽすぎっす…」
 「言うなよ…。俺だって勃って来ちまってる…」
 洗浄便座の感触に悶え続ける早雲の声に、武輔と田宮はしばらく悶々とし続けるのだった。
 ともあれ、権謀術数、知恵者で知られる北条早雲が、織田家と自衛隊の技術に触れた。きっかけがトイレと洗浄便座というのが若干アレだが、これなら交渉を優位に進めることも可能かもしれない。
 膠着していた小田原攻めの解決の糸口がつかめた瞬間と言えた。

 「遅くに申し訳ありません。北条早雲にございます」
 「いえ、ご苦労様です。 
 しかれども、隠居したあなたがなぜ交渉におもむかれたか?」
 早雲と対面する信長は、夜中にたたき起こされた不機嫌を抑えながら問う。
 一応鏡を見て確認はしたが、内心寝ぐせや寝ぼけ眼がみっともなくないかと心配なのだ。
 脇に控えている家康も、眠そうで瞼がいつもりより2割ほど下がっている。他の者たちも似たようなものだ。
 「隠居して、立場になければ口出しせずのつもりでした。
 なれど、先だっての天から降って来た、光り輝く槍をあなた方が阻止したのを拝見しいたしました。そして危機感を抱いたのです。
 このままでは北条は滅ぶ、と」
 信長は、早雲の様子を観察する。元は幕府の官僚だったが離反して、策と罠と知恵で一介の浪人から大名にのし上がったと噂される人物。容易には測れない。
 ただで降伏してくれるほど潔くはないだろう。とんでもない条件が付いてくる可能性もある。
 それよりなにより、いくら北条家の宗主であり、短い期間に北条を大きくしたカリスマとはいえ、隠居した身だ。家臣たちが、言うことを聞くかどうか問題だ。
 「それは大げさなのではないか?北条の兵は強いし粘りがある。
 我らも火力では圧倒しているが、決定打をつかめずにいる。
 なにより、名城小田原城に名将、北条氏康が指揮を執って立てこもっている。負けを認めるには早い気もするが?」
 早雲の腹を探ろうとする信長に、駆け引きなら負けないとばかりに早雲が微笑む。
 「いえ、負けを認めるのに早すぎるということはございません。大負けしてつぶれる寸前になってから命乞いをしても遅いのですから。
 今日こちらに伺って、貴家とじえいたいの技術の高さを拝見しました。
 お手洗いの機能ひとつとっても、とても勝負になるものではございません。あんなきれいで快適なお手洗い、生まれて初めてでしたもの。
 あんなものを作れる技術と力が軍事に向けられれば…」
 敗北は必至だと早雲は言外に付け加える。あまりこの館のトイレについて語っていると、余計なことまで言いそうだったのだ。
 洋式便器は意外に快適だった。しかも、壁の張り紙に、親切にも便秘気味な時の対処法や出しやすい姿勢のことまで書かれていた。
 張り紙に書かれた通りにしてみたところ、しばらくお通じがなかったのが急に調子が良くなって、全部出すことができてしまった。
 ついでに、洗浄便座が心地よくて変な気分になりそうだった。
 …などということまでは、女として恥ずかしいので言えなかった。当然だが。
 
 その後早雲は、北条が徹底抗戦を選択したのは、男が嫌いと言う氏康の私情が根っこにあること。今の北条家の重臣たちも感情論や見栄、事なかれ主義に囚われていて、戦局と彼我の戦力差を直視していないことなどを、丁寧に説明していった。
 「特に我が子、氏康の男嫌いに関しては、母である私が責めを負うところでございます。
 あの子の父親が亡くなってから、私の男の出入りが激しくなったことがあの子を歪めてしまったのです」
 早雲は一度言葉を区切り、出された茶を口に含む。
 「当時の北条はまだ小さかった。元は幕府の小役人でしかなかった私には、色仕掛けで男をたぶらかすしかないことも多かった。 
 いえ、違いますね。私は男好きのふしだらな女です。
 それが、あの子に男と言う存在を憎悪させ、戦の原因にまでなってしまった。
 お恥ずかしい限り」
 早雲はそう言って悲し気に目を伏せる。
 横で聞いていた田宮は、苦労したんだな、と思う。
 だが、ちょっと待てよ。とも思う。
 幕府の役人だったならこの女性何歳だ?
 応仁の乱以降も幕府の官僚機構は一応機能していたが、たしか細川政元がクーデターを起こしたときに名実とも崩壊したはずだ。それとて70年も前のはずだ。
 「…?」
 が、早雲が微笑みながらも目が笑っていない表情でこちらを見ていることに気づくと、思考を中断する。”なにか失礼なことをお考えでは?”と目で言われた気がしたからだ。
 そう言えば、今川にもどう見ても少女だが、やたら知識と経験と貫禄のある女性がいた。多分、深く考えたら負けだろう。
 「お話はわかった。
 だが、氏康殿は母であるあなたの言葉にも耳を貸さないのであろう?
 それをどうやって説得するのだ?」
 信長が難しい顔をしながら早雲に問う。そこまで凝り固まって年季の入った男嫌い、相当に手ごわいことが予測されたのだ。恐らく、田宮を愛する自分も”男のいいなりになる女”として氏康の憎悪の対象に入っているはずだから。
 「はい、そこが一番の問題です。
 そこで、この北条早雲のたっての願いをお聞き届けいただけないでしょうか?」
 早雲はそう言って、氏康を説得する段取りを説明していく。そのためには織田がたの協力が必要であることも。
 理屈はわかるが、それが可能なのか?
 信長も家康も田宮も、列席する他の者たちも、早雲の計画を聞いて難しい顔をするのだった。

しおりを挟む

処理中です...