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05 北陸の軍神編

ままならない戦況と不思議な縁

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05

信濃、海津城。
 軍議の間では、越後に撤退した上杉に対する今後を決定するための会議がもたれていた。
 地図を見たりメモを取ったりするのに便利であるため、板の間に大きなテーブルが置かれ、列席者は椅子に腰掛けている。
 京での用事を済ませた織田信長が上座に座る。
 列席するのは、今川義元、武田信玄、北条早雲、徳川家康と、仰木三等陸佐以下の自衛隊幹部たちだ。
 「農繁期の内に越後に攻め入るのが最善というのはわかる。
 だが、できれば柴田、前田、羽柴らが能登と越中を制圧してからにしたいのだ」
 信長が口を開く。
 上杉の強さは聞き及んでいる。
 越後に撤退するに当たっても、武田や今川が攻めてくると激しく抵抗するが、自衛隊が駆けつけてくると躊躇無く逃げ出してしまう。
 自衛隊の火力とセンシング能力を活かすことが難しい地形や状況を選んで、嫌がらせ攻撃をかけてくる。
 撤退する道に罠を仕掛けておき、こちらの軍勢を分断したところを一撃離脱で損害を与える。
 などなど、こちらの数の優位と自衛隊が味方についているというアドバンテージを見事に封殺して、悠々と越後へと引き上げていったのだ。
 「戦力はいくらあってもあり過ぎると言うことはないか…。上杉が相手であるかぎりにおいては」
 今川義元があごひげを撫でながら相手をする。
 今川勢は上杉の追撃を買って出たが、前述のような見事な撤退戦の前に返り討ちに遭い、少なくない兵力を失っていたのだ。
 「しかし、上杉に時間を与えるのはやはり得策ではありません。
 冬になれば、上杉は総動員体制で再び攻めてきますよ」
 優雅な仕草で紅茶を口に含みながら、北条早雲が異議を唱える。
 早雲は、冬が来る度に上杉の遠征に患わされてきた苦い経験を思い出していた。
 越後は冬になると雪に覆われてしまうため、何もやることがない。労働力を遊ばせておかないために、遠征を行うのがほとんど慣例化しているのだという。
 「冬が来る前に攻め入るのには賛成ですね。
ただ、越後は内乱状態が長く続いたために、城1つ1つがやたら強固です。攻め込んだところで足止めを食うのはなんとか避けたいと思いますが」
 武田信玄が難しい顔で、別の角度から懸念を表明する。
 越後は上杉謙信によってまとめられるまで四分五裂の状態で、城とその城下町の単位での統治しか行われていなかった。
 城主たちが城の守りを固めて引きこもっていたころの名残で、城1つ1つが過剰ともいえる防備を備えている。
 下手をすると、1つの城の攻略に手間取っている間に脇腹を突かれる危険があった。
 「うーむ…。
 仰木三佐。自衛隊はどうお考えかな?」
 議論が煮詰まることを懸念して、信長が仰木に意見を求める。
 「難しいところです。
 川中島の戦況は我々もよく知っています。
ここにあって、上杉謙信の暗殺という手段も検討はしました。ですが、越後の民の感情を考えると得策とは言えません。あれだけ民草に信頼され、愛されている君主も珍しい。
 謙信を暗殺すれば戦闘には勝てるかも知れませんが、上杉家の家臣たちや越後の民草と我々の関係は決定的に悪化するでしょう」
 仰木の言葉に、信長以下、列席者全員が渋面を浮かべる。
 ただ越後に攻め込んで勝てばいいというものではない。連合軍と自衛隊には、越後の石油と佐渡の黄金がなんとしても必要なのだ。
 上杉家の者たちや越後の民たちの感情をいたずらに悪化させることなく戦い、勝利しなければならない。だが、半端な戦い方では勝利は覚束ない。 
 さながら金庫の中の鍵と言える状況だった。
 手詰まりという空気が軍議の場に漂うのを懸念した仰木が再び口を開く。
 「現在、上杉謙信を説得、もしくは脅しつけて従わせる方法を模索しているところです。
 武田や織田の間諜とは別に、我々も偵察を送り込んでいます」
 「しかしな…。自らを毘沙門天の化身と称し、義に殉じることしか考えていない。そんな人物を従わせることができるものか?」
 義元が疑問を挟む。それは、列席するほとんどの人間の考えを代弁していた。
 怖ろしいほどに潔癖で欲のない、義によってのみ動く人物。
 金、領土、色、美術品、酒、様々な便宜。通常考えられる取引材料は意味をなさないことだろう。
 脅しつけるにしても、自衛隊の火力にまったく怯むことなく戦いを挑んでくるような相手に、そうそう有効な脅迫材料があるものだろうか。
 「まあ、神の化身を自称し、実際神のような人物ですが、人であることには変わりありません。
 必ず糸口は見つかるものと信じています」
 仰木は努めて自信ありげに言い切ったが、自分でも自分の言うことを信じられていないところがあった。
 越後の偵察が進めば進むほど、謙信の潔癖さとカリスマ性、そして浮き世離れさえしている感性が伝わって来るのだ。
 そこまで考えて、仰木は何となく、“自衛隊の種馬”とあだ名される、やたら女にもてる幹部自衛官を思い浮かべていた。
 (あいつならいくら潔癖な上杉謙信だろうと、めろめろになってしまうのではないか?)
 などと思っちゃうのである。
 仰木はすぐにその考えを頭から追い払う。不謹慎だし、そんなものに頼って勝ちたくはない。

 その日の軍議で決まった内容は以下の通りだった。

 1 越中、能登の制圧を急がせること。
 2 期限を越後の初雪か、霜月の到来までと区切る。それまでに越中、能登の制圧が終わらない場合、上野、信濃に展開する軍勢だけで越後に攻め入ること。
 3 軍事行動と平行して、越後の要とも言える上杉謙信の説得、もしくは調略を行うこと。
 4 越後に攻め入った後は、重火器と自衛隊の兵装をケチらずに用いて攻城戦を行うこと。
 
 要するに、総論はまとまったが、各論の部分ではなにも決まらないままと言えたのである。

06

 越後の山中。
 田宮率いる偵察救難隊6名は、国境の越後側にヘリで降下し、越後の様子を探るべく山道を進んでいた。
 念のため全員が薬の行商人に変装し、兵装も一見して自衛隊のものとはわからないように擬装されている。
 既に春日山城城下には、織田や武田の間諜の他、陸自の特殊作戦群の隊員たちが潜入して情報活動を行っている。
 それに比べれば、田宮指揮下の部隊に課せられた任務は初歩的な偵察だった。上杉勢がすでに兵を動かしているのか。動かしているとすれば、規模や陣立て、弓や騎馬などの内訳はどのようなものか。鉄砲はどの程度あるのか。
 それらの情報を探り、写真に収めるだけだ。
 春日山城下に潜入している間諜は、あまり目立つ行動をさせると怪しまれるため、初歩的な偵察行動は自衛隊の偵察隊の仕事なのだ。
 「どうだ?」
 「まだ小規模な部隊が集結しているだけですね。
 恐らくまだ刈り入れが終わっていないんでしょう。そこいらでまだ百姓たちが鎌で刈り取りをしてます」
 田宮の言葉に、望遠レンズを装着したカメラを構えた副隊長の安西曹長が応じる。
 実際、双眼鏡を覗いてみると、春日山城周辺に集結している兵力はわずかだった。周辺の田畑では刈り入れと脱穀の真っ最中だ。これでは戦どころではなさそうだ。
 越後は金穀の国と呼ばれるだけあって、耕作面積も収穫量も多いからなおのこと。
 「水を汲んでくる」
 「お気を付けて」
 水筒の水が残り少ないことに気づいた田宮は、浄水キットを背負子に擬装したバックパックから取り出し、近くにある川へと向かう。水筒はもうひとつあるのだが、水は手には入るときに手に入れておくに越したことはない。
 念のため革製の覆いにくるんだ89式小銃も持って行くことにする。
 坂を下ると、なかなかに風流な光景が広がっていた。ちょうど滝の下だったらしい。滝の水は澄み切っていてとても美しい。滝が落ちる音以外は何も聞こえない。
 周囲には人はもちろん、鳥や動物の気配さえ全くない。不思議で神秘的な雰囲気だった。
 田宮は手押し式の浄水ポンプで水を濾過して水筒に満たしていく。なかなか骨の折れる作業で、水筒がいっぱいになるころには田宮は汗だくになっていた。
 「!?」
 突然視界の隅で何かが動いたのを感じた田宮は滝の方に目を向けて、そこに人の姿を認める。
 レッグホルスターの9ミリ拳銃に手をかけるが、滝の中の人影が刃物一つ帯びていないことに気づく。というより、武器など帯びようもないだろう。
 なにせ、滝に打たれている女性は、薄手の単衣一枚の姿なのだ。
 長く美しい黒髪にも、白く決め細やかな肌にも、水が滴っていく。寒くないのか心配になる光景だ。
 自分たちはドンパチをやりに来たのではないと思いだし、拳銃から手を離す。
 (早雲様の時といい、俺が注意力散漫なのか?
 あるいは本当に妖術や法術の類いか?)
 5メートルと離れていない場所にいる人間に全く気づかなかった。しかも前にも似たようなことがあった。
 田宮は、自分の力と経験が信じられなくなりそうだった。
 「あの…大変ご無礼を致しました」
 田宮は女性に頭を下げる。
 女性の単衣は濡れて透けて、豊かな胸の膨らみにぴったりと張り付いて、乳首が浮き出てしまっている。下にはパンツやふんどしの類いはもちろん、腰巻きすら付けていないのだろう。目を凝らすと、股間の茂みが見えそうだ。
 このあられもない姿からして、この滝はこの女性が修行をする場所なのかも知れない。とすれば、踏み込んだこちらに過失があることになる。
 「別に謝るようなことではない。
 なにを恐縮しているのかはわかるが、気にする必要はない。
 私は神の化身。
 私は人であることも、女であることも捨てた身であるからな」
 女性が返答する。不思議な感じだった。大きな声を出しているわけでもないのに、まるで周波数が違うかのように、滝の音の中でも女性の声はクリアに聞こえるのだ。
 彼女は本当に羞恥心を感じていないらしい。田宮に向ける表情は、かすかに微笑んでまったく恥じらいも焦燥も感じている様子はない。
 これが21世紀の日本なら中二病と一笑に付しているところだが、女性の言葉と姿には超越的で神々しい何かさえ感じられた。
 そこまで考えて、田宮は気づく。滝に打たれている姿は写真とはだいぶ印象が違うのでわからなかったが、この女性、言動からして上杉謙信のようだ。
 「気にする必要はないとおっしゃられても…。
 私は男です。あなたのような美しい女性が…まあそのようなお姿をなさっているのは…なんというか、目を奪われずにはいられないというか…」
 田宮は言葉を選びながら言う。
 邪な目で見ていいものではないのは良くわかる。彼女にとっては大事な修行だろうから。だが、気にする必要が無いと言われて、はいそうですかと言えるものでもない。
 とても美しく、また大変失礼とは思うが、非常にエロい。
 まあ、勝手にオカズにしたら神様の罰が当たるかも知れないが。
 「う…美しい…?
 悪い気はしないが、あまり軽々に言うべき言葉ではないように思うぞ。
 まあ、気遣いはありがたく受けておく。
 ついでに、用事を早く済ませてくれるとありがたいな」
 謙信の表情に微妙に変化があったように思うが、気のせいだろうと田宮はスルーする。
 「かしこまりました。
 では、失礼をいたします」
 田宮は浄水キットを片付け、早めにそこから離れることにする。理屈から言えば謙信は敵だが、ここで戦闘を始める必要もないだろう。というより、ここは敵地だ。うかつに銃を使って敵が集まってきたら目も当てられない。
 「うむ、気をつけてな。
 ああ、ところで、そなたの持っている奇妙な鉄砲。
 そなた、うわさにきくじえいたいか?」
 田宮はぎょっとして言葉に詰まってしまう。そして、しまったと思う。この場合沈黙は肯定の証と言うことになるのだから。
 「いずれ戦場でまみえたいものだな」
 そう言って謙信が浮かべた笑みは、戦人のそれだった。
 光栄だとは思うが、女と戦うことは避けたい田宮は気乗りがしなかった。
 「私は…あなたのようないい女とは戦場以外でお会いしたいものですな」
 「むう…そなた…優しくて誠実そうなのに案外助平なのだな…。
 まあいい。行くがいい。
 また会おうぞ」
 田宮の本能の忠実な返答に、謙信の表情にまた変化があった気がした。
 田宮はなぜか未練がましい思いを抱いたまま、その場を後にしたのだった。
 (いや、あのあられもない姿をもっと見ていたかったという気持ちは断じて無くて、個人的に興味を引かれるというか、好感を持てる人物だったというか…)
 誰にともなく、胸の中で言い訳しながら、田宮は謙信とは戦いたくないと思い始めていた。まあ、謙信の神々しさに魅入られたとか、人柄が気に入ったとかではなく、彼女が言うように、自分がスケベだからということなのだろうが。
 なんとしても、謙信に織田への臣従を受け入れてもらわなければ。心の底からそう思えたのだった。

 一方の謙信は、水行を終えて体を手ぬぐいで拭いていた。
 そして、今になって急に興奮して、どうしようもなく恥ずかしくなっていることに気づく。
 (私はどうしてしまったのだ?今になって恥ずかしくなって来た…。
 落ち着け、上杉謙信。鎮まれ、わが胸よ。
 私は神の化身だ。男に見られたからと行って恥ずかしい事はないはずなのに…)
 こんなに胸の奥がざわざわとして、それこそ顔から火が出そうな気持ちになったことはない。顔が耳まで真っ赤になっているのを感じて、謙信は戸惑う。
 自分はいつも通り修行をしていただけだ。そこにたまたま闖入者が現れた。それだけのはずだったのだ。
 (あの男が、“美しい”だの“いい女”だの言うからだ…!
 変に意識してしまうではないか…)
 確かになかなかの美男子だったし、褒め上手だったとは思う。
 だがそれだけのはずだ。世俗を捨てておのれを神の化身と定めた自分にはとくに関係のないことのはずだった。
 なのに、どうしてもあの男に単衣一枚で水行をしている姿を見られたことを意識して、どうしようもなく恥ずかしくなってしまうのだ。
 (こんなことではいけない。雑念を捨てるのだ。明鏡止水の心を保つのだ…)
 そう思いながらも、謙信は自分の心に芽生えたものに戸惑い続ける。
 結局、帰路について春日山城に着くまで、謙信は胸のざわつきを沈めることができず、顔は赤くなったままだったのである。
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