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06 鮮血の京都編

戦いの趨勢とヤンデレズ姫の涙

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08

 光秀は鴨川を挟んで藤孝率いる細川勢と対峙していた。
 確かに、細川勢の将兵は織田がたであることを示す赤い布“まーかー”を両腕に巻いている。
 頭上を飛んでいる自衛隊の鉄の鳥が細川勢を攻撃しないことからして、事前に打ち合わせがあった可能性もある。
 藤孝はなんの表情も浮かべないまま、織田家の紋である揚羽蝶の旗を馬印の横に掲げさせる。
 さっきまで爆発するような衝動に突き動かされていた光秀は、急に自分が冷静になっていくのを感じた。
 信じられないこと、信じたくないことが事実だと判明すると、否定するのもばからしくなってしまうものらしい。
 「藤孝、さすがだな!機を見るに敏というところか!?
 罠にかけられた以上、生き残るにはそれが一番確実というわけだ」
 光秀が皮肉たっぷりに投げかけた言葉に、藤孝が悲しみと怒りが入り交じった表情になる。そして息を吸い込み、口を開く。
 「買いかぶってくれるな!
 わたしのことを見てもらえなかった恨み!そして、わたし自身の愚かさの清算と思ってくれてけっこうよ!」
 「え…ちょっと待て!どういうことだ!」
 光秀は藤孝の言っている意味がわからなかった。
 「とぼけないで欲しいわね!
 何百回愛しているといってくれても、結局あなたにとって一番大切で愛おしいのは義昭様だったじゃない!
 あなたは本当はいつもわたしを見ていなかった!
 “裏切らないでくれ”って言ったのは、私が裏切ったら義昭様を守れなくなるから!
 それがあなたの本音よ!ちがうの!?」
 大声でまくし立てる藤孝は、大粒の涙を流し、悲しみを無理に隠そうとするように口の端を吊り上げ、痛々しく感じるような悲痛な笑顔を作る。
 光秀は頭を叩かれた気分だった。そんなことはないと否定したい気持ちはもちろんある。が、一方で、もしかしたら自分のどこかに藤孝を利用していた部分があったかも知れないとも思う。
 信長を討つという大それた行為を前に、無意識に藤孝という共犯者を欲していたのかも知れない。
 だが、それだけではないとはっきり言える。
 「待ってくれ藤孝!それは誤解だ!」
 「問答無用!
 降伏なさい!命まで取るつもりはないわ!」
 光秀は、頑なになってしまった藤孝に言葉が通じないのを悟った。
 もはや戦いの負けは決したも同然。それは受け入れられた。
 このままでは殺されるだけ。それも受け入れられた。
 だが、藤孝が自分の思いをそのように誤解していることだけは受け入れられなかった。
 藤孝に本当の自分の思いを知って欲しかった。
 (だがどうすれば?)
 戦場のど真ん中、しかもこのままでは死ぬという状況の仲で、光秀はらしくもなく途方に暮れていた。

 「なにやらドロドロしているようだなあ」
 「我々の思惑が当たったということですが、気持ちのいいものじゃありませんね」
 上空を警戒中のUH-60JAのキャビン。便乗している信長が発した言葉に、田宮が相手をする。
 総合的に見て、明智勢の奇襲を逆手に取った作戦は成功しつつある。
 偽情報をつかませ、敵にこちらの人間を意図的にたぶらかさせ、主導権を握っていると思い込ませる。
 いかさまを仕掛けるにはつねに用心深さが要求されるが、その意味では今回の光秀がしかけた策略はなかなかに良くできていた。
 少しでもこちらが気を抜いたら、逆撃の目論見を光秀に気づかれていたことだろう。
 ともあれ、光秀の仕掛けた策は全てつぶすことができた。
 催眠暗示にかけられた腰元は、自衛隊の医者によって治療がなされ正気を取り戻した。
 今夜信長が少数の従者とともに本能寺に滞在するという情報も最初から罠だ。
 安土城を攻めようとした荒木村重の軍勢も、密かに摂津から帰還して安土城とその周辺に隠れていた羽柴秀吉、前田利家の軍勢が返り討ちにしたと報告を受けた。
 「空城だと思いました?残念でした-!」
 「謀反人に容赦はするな!殲滅だ!」
 問題として、肝心の本能寺に、どうやったらのこのこと光秀が来てくれるかということがあった。京中と周辺にまとまった部隊はいないと敵に錯覚させつつ、実は精強な部隊を待機させておくという矛盾した状況を作り出す必要があったのだ。
 そこで、田宮は大胆にも、織田配下の名のある武将たちを集結させる。いわばオールスターズを編成してはどうかと具申した。
 陸自と海自のヘリを総動員して、北条、今川、武田、上杉から将兵をピストン輸送する。
 ヘリで運べる人数は限られるので、それぞれの勢力から京に招くことができた戦力は各家200から300程度だった。
 だが、それで充分なのだ。オールスターズを編成する一番の目的ははったりにある。強いと評判の武将が突然敵として目の前に現れれば、当然のように誰でもびびる。
 実際に彼らの配下として動く兵は織田から貸し与える形で、ざっと2万の精強な軍勢が完成したのだ。
 そして、彼らの存在を秘匿するために、ちょうど桜の季節であったことをうまく利用することにした。
 治安が回復しつつある京には、桜を見ようと周辺から人が訪れる。当然彼らの落とす金を当てにする者たちも訪れる。
 兵たちは商人や修行僧、芸能師などに変装させて京とその周辺に潜ませた。
 そして、変装していた兵たちが今夜化けの皮を脱ぎ捨てて、本性を現したのだった。
 併せて、戦車を基軸とする車両とヘリもいつでも京中に展開できるように擬装して待機させてあった。
 なお、明智勢がつかんでいた、自衛隊の主力が摂津に出張っていると言う情報は間違ってはいない。ただ、戦車や装甲車などの一部の車両がダミーとすげ替えられていただけだ。
 要するに、明智勢はこれ以上ないほど完璧に罠の中に足をつっこんでいたのである。

 では、細川藤孝をたぶらかして味方に付ける作戦はどうだったのか。
 これは織田勢も自衛隊も慎重にならざるを得なかった。
 藤孝と光秀は表向き仲むつまじいいわゆる百合ップルだが、裏ではいろいろあるというのは二条城でも噂になっていた。密偵を放って詳しく調査した結果、藤孝が光秀の愛情に疑問を持っているらしい兆候も見られた。
 だが、もし藤孝が寝返りを誘われたことを光秀に伝えれば、これまで進めてきた作戦が全て水の泡だ。
 結局、藤孝が隊伍を整えいざ動き出すという時まで待って、文を送るに留まった。
 「織田勢にお味方下さるときはよしなに」
 という内容の文に、陣中見舞いにかこつけて識別のためのマーカーと織田の旗をつけて送ったのだ。
 結果として藤孝は織田がわに寝返った。
 これは信長の方がむしろ驚いていたほどだった。
 「このままでは明智と足利は滅びます。それを避けるためです。
 ですから、光秀と義昭様の命は保証して頂きたく。それが条件です」
 織田の密使にさらりとそう言って、藤孝は織田への恭順を誓ったのだった。
 
 なお、織田家中で藤孝を寝返らせる作戦に一番積極的だったのは秀吉だった。
 「重い愛とか独占欲って、簡単に憎しみに変わるんだよね-。
 じえいたいの言葉ではなんて言ったっけ?“やんでれ”?」
 女と女の恋愛には詳しく場数も踏んでいる秀吉は、藤孝の心の闇を見抜いていたようだった。

 「さて、それで最後の役者はいつ来るのかな?」
 「二条城を出たと連絡があったのが20分ほど前だから…。
 もう着くはずです。下の部隊には、二条城からの彼女の進路を塞ぐなと厳命してありますからね」
 田宮は時計を見ながら信長の問いに応じる。
 噂をすれば、目的の人物を現す“南無八幡大菩薩”の白い旗が確認できる。
 要するに、源氏の頭領を示す旗だ。あれを掲げるものは、今の京には1人しかいない。
 「赤と緑に白も揃った。大三元の完成というわけだの」
 最近自衛隊員たちに混じって始めた麻雀がマイブームの信長が、漫画の悪役令嬢さながらの意地悪い笑みを浮かべてうそぶく。

 「義昭様!どうしてこちらに!?」
 突然の義昭の登場に、ただでさえいっぱいいっぱいだった光秀はパニックになりかける。
 信長襲撃計画の実行者はあくまで明智光秀。義昭は事の成否に関わらず、今夜は二条城に待機する予定だったのだ。
 「あなたから伝令があったのではありませんか!?
 信長を討ったものの、織田家の残党と自衛隊が抵抗している。
 私に彼らを説得して欲しいと…」
 そう言って、義昭は織田の紋があしらわれた脇差しを見せる。ご丁寧にその脇差しは血で汚れていた。恐らく信長本人のものだろう。血はニワトリか何かの血か。
 責任感が強く、将軍としての力を内外に示したい気持ちも強い義昭をおびき出すのにはなによりも効果的な策略と言えた。
 信長を倒し、勝利と栄光をつかむことを渇望する義昭は、血で汚れた脇差しを見て、偽の伝令を信じてしまったのだ。
 「なんと…言うことでしょう…」
 光秀は目の前が真っ暗になるのを感じる。
 またしてもはめられた。義昭が二条城に待機している限り、計画が失敗しても義昭は知らぬ存ぜぬを通すことができる。
 だが、義昭がここにいることは、信長を襲撃した者たちの首謀者が実は義昭であることの動かぬ証拠となってしまう。
 光秀はいよいよ絶望し、そして恐怖した。
 これから自分は、そして義昭はどうなるだろう?
 取りあえずはすぐには殺されない可能性は高い。
 (だが、官位と領地が剥奪され、反逆者として裁判にかけられた後は?)
 死ぬまで牢屋暮らしをさせられるか、遠くの地に流される。ならまだましだ。
 見せしめとして、男たちの精液便所、肉便器として生かされ続けるかも知れない。
 自ら命を絶つことさえできないようあらゆる措置が取られ、やがて誰のものともわからない子供を宿し、産み落とす。
 自分は義昭を人質に取られれば、父親のわからない子を産んで育てろと言われても逆らえないだろう。義昭も自分を人質にされれば同じかも知れない。
 自分自身がそんな惨めなことになることはまだ耐えられる。だが、義昭がそうなることは絶対に耐えられない。
 光秀の頭の中は、絶望と恐怖と悲しみに、完全に真っ白になってしまっていた。

 一方、パニックになっていたのは鴨川を挟んで対岸にいる藤孝も一緒だった。
 「信長様、なぜここに義昭様が?これでは話が違います!」
 藤孝は自衛隊から連絡用に借用していた携帯無線に向けて呼びかけていた。
 自分はあくまで光秀の企てを阻止するために織田に寝返ったのだ。義昭まで敵に回すなど聞いていない話だった。
 『藤孝殿、信長だ。
 心配はいらぬ。義昭様と光秀の身の安全を保証するという約束は守る。
 ただし、義昭様にも応分の責任はお取り頂く必要があるのだ』
 藤孝は無線で帰ってきた信長の言葉に何も言えなくなってしまう。
 確かに、信長が密使を通じて約束したのは2人の身の安全だ。してみると、2人の身分や面子までは保証の限りではないことになる。
 「わたしは、何をしたの…?」
 藤孝は急に自分のしたことが怖くなっていた。
 刹那的に、光秀に対する猜疑心と、義昭に対する嫉妬を爆発させて織田がたに寝返っただけ。先のことを真面目に考えていたわけではない。
 光秀をとらえて謀反を鎮圧することに貢献すれば、信長の覚えもめでたくなる。
 裁判にかけられて罪人として自由を失った光秀の身柄を、自分が預かることも可能かもしれないと思っていた。
 できるなら光秀を勝竜寺の地下牢に閉じ込めて薬を飲ませ、自分しか愛せなくなるまで、自分しか見ることができなくなるまで調教してやろうと思っていた。
 「それがこんなことに…」
 これで、謀反の責めが義昭に及ぶことは確実だ。そうなったら光秀は自分を絶対に許すことはないだろう。
 藤孝は、光秀がこの後自分にどんな感情を抱くか想像してしまう。
 無理に自分のものにしようとすれば、光秀は自ら命を絶つだろう。裏切り者の言いなりにはならないと。
 いや、それならまだましだ。
 地下牢に閉じ込めて、どれだけ苦痛を与えようと、逆に媚薬を飲ませて無理やり快楽を与えようと、光秀は人形のようになんの反応も示さない。愛情の反対は憎しみでなく無関心であるとばかりに。
 そんな最悪の展望を思い浮かべて、藤孝は心の底から恐怖した。
 できることなら時間を巻き戻したい。例え反逆者として殺されるか虜囚に身を落とす運命でも、光秀を裏切る前に戻りたい。
 そんな切なく悲しく、そして激しい思いは、藤孝の中でマグマのように高圧になり、そして爆発した。
 「ああああああああアアアアアアアアアアアアアアアッ…!」
 藤孝は、自分の中から理性が消え、衝動のままに動こうとしているのを感じる。
 かまうことはない。
 狂え!狂え!狂え!狂え!狂え!狂え!狂え!狂え!狂え!狂え!
 覆せ!覆せ!覆せ!覆せ!覆せ!覆せ!覆せ!覆せ!覆せ!覆せ!
 藤孝は、体の奥から今までに感じたことのない力がわき上がってくることに歓喜していた。

 「おいおいおい!こりゃやばいぞ!下がれ!みんな下がれ!」
 細川勢の監視役けん連絡役として随行していた偵察救難隊の副隊長、安西茂曹長は後ずさりながら叫んでいた。
 藤孝が突然どす黒い何かをまとい始め、そして藤孝の体がにわかに大きくなり始めたのだから。
 これは間違いない、“邪気”だ。痕跡が認められなかった。などと言い訳はすまい。
 安西には、藤孝が今でも光秀を愛していることがわかっていた。義昭に対する忠義を持っていることも。
 光秀と義昭が徹底的に破滅することが確定した状況を前にして、抑え込んでいた気持ちを爆発させて“邪気”に呑まれ、物の怪と化してしまったのだ。
 物の怪と化した藤孝は、正に夜叉と言える姿だった。
 背丈は5メートルを軽く超えるだろう。
 肌は石灰のように白く、えらく無機質的に思える。
 体つきは、ほっそりしていた藤孝とは思えないごつさだ。まるでレスリングか重量挙げの選手のように筋骨逞しい。
 額には2本の角が生え、険のある表情をしているが、藤孝の美貌の面影が残っているだけにその異形さが際立っている。
 「なんだ?」
 物の怪と化した藤孝が、野球のピッチャーのように体を振りかぶる。
 そして、下半身のばねを効かせて思いきり右腕を振る。
 「伏せろ!」
 直感的になにかやばいと感じた安西は、叫んでいた。
 そして、その直感は間違っていなかったことがすぐに証明される。なにか見えない刃のようなものが閃き、周囲をなぎ払ったのだ。
 安西ははっきり見た。反射的に掲げた89式小銃のハンドガードに大きな切れ目が入るのを。そして、それでも威力は殺しきれず、伏せるのが遅れた自分の首筋を見えない刃が襲うのを。
 首筋からぬるりと生暖かいものが流れるのを感じる。
 (空気を圧縮した刃だと?漫画じゃあるまいし…)
 そんなことを思いながら、安西の意識は闇に吸い込まれて行った。
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