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番外編
時を経て未来を託して
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04
霧島は暗い海の中、必死で手を伸ばす。
沈み行こうとしている命。
溺れている女の子を助けたい。
心にあるのはその一念だけだった。
伸ばした手が女の子の手を掴み…。
そこで、霧島は自分が海の中になどいないことに気づいた。
ここは、安芸は広島城の縁側だ。
手は、二十代のころのごつい海の男のものではない。すっかり潮気もぬけ、しわだらけになっている。
まあ当然か。隠居してこの城に移ってからもうだいぶ経つのだから。
「夢か…」
ずいぶん懐かしい夢だった。
初めて妻である隆元に会った時のこと。沈み行こうとする隆元を助け上げた時だ。
「勇馬、こんなところにいたら風邪をひくよ」
すっかり白髪が目立つようになった隆元が、上着を羽織らせてくれる。
「夢を見ていたよ。
隆元と初めて会った時の夢だった」
「あらまあ。ずいぶん古いことを覚えてるんだねえ。
まあ、私もあの時のことは昨日みたいに思い出せますけど」
二人はそう言って笑い合う。
霧島はもうすぐ七十に手が届く。隆元もすでに五十代だ。
思えば良く生きたものだ。
いろいろなことをやってきた。
成し遂げられたこともあれば、挫折したことも数ある。
幕府の設立と政治機構の構築は、ゴールではなく新たなスタートだった。
天下太平の世が来たと宣言されたところで、誰もが頭を切り換えられるわけではない。
私闘やお家騒動、紛争の自力救済が固く禁じられたにも関わらず、もめ事を起こす者は絶えなかった。
まあ無理もない。
この国は応仁の乱以来、国家が治安に責任を持てない分裂状態が百二十年続いていたのだ。
殺伐とした空気は簡単には変えられない。
幕府は、騒動を起こす者を容赦なく処罰した。
時には、天下統一や幕府の設立に大きな功績のあったものさえ、涙を呑んで切腹や改易を命じなければならないこともあった。
まあ、そこは霧島と隆元のこと。ただでは転ばない。
どうにか私闘や紛争がなくなるまでに二十年もかかってしまい、その間取りつぶしや改易となった家は三桁に上った。
が、それらの家から流出した者たちを旗本や御家人として雇用することで、幕府直轄の兵力を確保することができたのだ。
霧島たちの知る歴史を振り返っても、平氏政権や室町幕府、そして豊臣政権が不安定だったのは、直轄する兵力が少なかったことが大きい。結局は他の家の力をあてにせざるを得ず、誰も味方をしてくれなくなったらそこでアウトなのだ。
徳川幕府はその点懸命だった。経済的に苦しい状態だったが、多数の旗本、御家人を抱え続けた。どこの大名が謀反を起こそうと、徳川の独力で叩くだけの力があったのだ。
それに習ったというわけだ。
だが、それだけでは別の問題が生じてしまう。
豊臣政権も、徳川幕府も、兵農分離を徹底してパートタイマーでない常備軍を確立したのはいいが、やがてもてあまし始めた。
武士たちを社内失業させないために朝鮮出兵を行うことにもなった。江戸時代になると、大量の浪人が発生したことが社会不安の原因にもなった。
そこで、兵農分離を多少見直すことにする。
すなわち、武士の中でも常設の軍人は一部に留め、多くはパートタイマーとしたのだ。
いわば予備役だ。通常は農業や商業、工業に従事し、戦時は武装して戦うこととなる。
自衛隊が21世紀から持ち込んだ技術と知識は遺憾なく発揮される。
例えじゃんけんの後出しであろうとも。
蒸気機関は早いうちに実用化され、蒸気船や機関車による輸送が確立する。
燃料である石炭の採掘も進む。
これもじゃんけんの後出しだが、イギリスでの炭鉱のブラック労働が労働争議の歴史を作った経験に学ぶ。事故が起こることがないよう安全策は二重三重に打たれる。
また、雇用の創出も兼ねて、伊達、南部といった藩に北海道の開拓を命じる。
まあ、先住民に苛烈な負担を強いないように注意しながら。
主な作物は欧州から持ち込まれたシュガービートや、アメリカから持ち込まれたジャガイモやトウモロコシなどだ。
特にシュガービートの大量栽培がなった恩恵は大きく、南方からやたら高い砂糖を輸入する必要がなくなった。
経済的に国を安定させる一方で、大名に対する統制も行われていく。
大名たちに経済的に余裕があると逆らう危険がある、という懸念はあったのだ。
できれば彼らの忠義を疑いたくはなかったが、霧島と隆元は心を鬼にする。
参勤交代は一年ごとに行うものとし、妻子は首都である大阪に住むことを命じられた。
まあ、大名たちが疲弊してくると見直されることとなったが。
これらの政策を行っても、全てがうまく行ったわけではなかったが、最低限戦いのない国家を確立することはできた。
霧島が長女の秀就に征夷大将軍の地位を譲ったことで、霧島将軍体勢が受け継がれていくことを世に知らしめることもできた。
隆元の系統とは別に、万一後継ぎが不在になった場合の備えも行われる。
元春を江戸、隆元を博多、隆元の末の娘である秀元を会津、として置き御三家とすることとなったのだ。
必要に応じて、将軍の継嗣は御三家から立ててもらう。
これで後継者不在で政権が行き詰まることはなくなった。
今や体勢は盤石で、幕府に背こうなどと思う者はこの国にはいなかった。
背けばどうなるかは、身に染みてわかっていたからだ。
それに、この国の主立った女性の大名や武将は、ほとんど霧島の妻となり子を産んでいる。
大きな家はたいてい霧島の血が入っているのだ。
逆らうよりも、将軍の子を頂いている恩恵にあずかる方が得だと判断する者が圧倒的に多かったのだ。
国内の体制の構築と平行して問題になっていたのが国際関係だった。
特に大陸では明王朝が衰退し、政情不安が起きていた。
だが、日本の立場としては、史実通り明が滅び、分裂の末に清王朝が大陸を統一するのはうまくない。
大陸が統一されて内向きの政策が行われれば、歴代の王朝と同じように海禁政策が打ち出される可能性があった。
カトリック国家の侵略を懸念して、過度に海外と交流する気もないが、鎖国はやり過ぎだと考える幕府は一計を案じる。
幸いにして史実の朝鮮出兵にあたることは起きていない。明にはそこそこ余力がある。
そこに目をつけ、いずれの国とも敵対しないが、いずれにも肩入れしない。その上で支援だけはする。
言わば、悪くいえば死の商人として立ち回ることにしたのだ。
具体的に言うと、まず満蒙を統一して万里の長城以北を治めつつある満州族の金王朝。
次に、先述した落ち目だが主権は保っている明王朝。
最後に、満州や華北は朝鮮民族の土地だと主張する朝鮮だ。
この三者全部を支援して、拮抗させる。
腹黒い話だが、日本に頼らざるを得ない体勢を保たせるのだ。
そうすれば、彼らは海禁政策など行っている場合ではない。
日本と積極的に貿易を行い利ざやを稼がなければ、軍事的な緊張状態を乗り切ることができないのだから。
一度、局地戦の勝利におごった明が万里の長城を越えて金に攻め入ろうとしたことがあったが、日本はそれを座視しなかった。
金の支援という名目で自衛隊と日本の武士団が派遣され、満州に押し入った明軍を完膚なきまでに殲滅した。
それが自衛隊の最後の仕事となった。
隊員たちが高齢化していた上に、装備や機材も老朽化して限界だったからだ。
満州や華北の民草は怯えた。
あれほどの軍事力を持った者たちが攻め込んできたのだ。
自分たちは支配されてしまうのかと。
だが、自衛隊と日本の武士団は、今後明と金が互いに領土を侵さないことの確約を得ると、日本に帰っていった。略奪もなく、領土も賠償金も要求しないまま
この不可解だが高潔とも取れる態度は、多くの者に畏怖とある種の諦念を抱かせた。
結局は現状維持が最良。
多少不便で屈辱的ではあるが、また日本軍に攻めてこられるのもぞっとしない。怒らせなければ彼らはいいお得意さんなのだ。
なにより、金にも明にも、当然朝鮮にもそれぞれの政治も経済もある。民もいる。
全面戦争となれば、それらがすべて火の海に投げ込まれてしまう。
そんなことは誰も望まない。
東アジアは、穏やかな分裂状態のまま存続していくこととなる。
シャム(タイ)やインドシナ半島ともよしみを通じたい日本にとっては、それは望んだ状況だった。
史実では、清が大陸を統一した後たびたび南下政策を取っていたからだ。
結果、各国とも鎖国や海禁政策を実施することはなく、東アジアは貿易と文化交流を重ねて発展していくこととなる。
「この年まで本当にいろいろなことがあった。
いろいろなことをなしてきたな」
「やれやれ、もう何もできないようなことをおっしゃらないで。
お母さんだってまだ健在なんだから。
あなたもまだまだ頑張って下さいな」
隆元の言い分に、霧島は苦笑する。いつまでこき使う気だ、と。
ともあれ、確かに元就を見ていると、自分も老け込んでいられない気分にはなってくる。
振り返れば、ほとんど毎年のように霧島の子を出産し続け、最後の子を産んだのは四十代後半になってからだった。
今も七十代にして怖ろしく元気で、商売に投資に文化にといそしんでいる。
正に高性能おばあちゃんだ。
引退して大御所になったとは言え、彼女よりは若い自分が何もしないのは周りに示しがつかない。
ついでに言えば、霧島自身にもまだやっておきたいことはある。
せっかくここまでやってきたのだ。二百年後に訪れるであろう帝国主義の時代に、東アジアが欧州の植民地になってしまう状況をできれば防ぎたい。
鎖国の反動であまりにも急速に発展しすぎてしまい、やがて太平洋戦争へと突き進んでいく史実の大日本帝国の末路を防ぎたい。
心からそう思えるのだ。
「難しいことを考えてる顔をしてるね」
霧島の考えを読んだように、隆元が悪戯っぽく笑う。
「頑張るのは素敵でいいことだと思う。
でも、全部をしょいこんで責任を持とうとする必要はないんじゃないかな」
「人間は神様にはなれないか」
霧島は苦笑しながら応える。
はっきりとは話していないが、察しのいい隆元は気づいているようだ。
霧島たち自衛隊が、別の世界ではあるが、未来と言える時代から来たことを。
そして、自分たちの知る、辛い史実通りのことが起きるのを避けたいと考えていることを。
言わば神の視点と思考を持つゆえに苦悩していることを。
霧島はほっとしていた。
頑張らずに未来は開けない。
だが、全てに責任を負おうとするべきではないだろう。それは過ちや独善になって帰ってくる。
振り返れば、地球上に存在したあまたの恐怖政治や独裁体制は、言わば全てに国家が責任を負わなければならないという妄想から生まれたとも言える。
完璧でなければならない、不安要素があってはならない、絶対に正しくなければならない。
そういった強迫観念のようなものが、言論の統制や密告の奨励、粛正や洗脳教育という形を取ってしまうのだろう。
そうはなるまい。
やるだけはやって、後は後身たちに任せてしまえばいい。
自分たちも永遠には生きられない。時を経て未来を託して、そして逝く。それでいい。
隆元と話しているとそう思えるのだ。
良くも悪くもマイペースだから。
「隆元を妻にして、本当に良かったよ」
隆元は一瞬きょとんとして、すぐににっこりと笑う。
「当然。
私も勇馬の妻になれて本当に良かった」
隆元は年を重ねたが、笑顔が素敵なところだけは変わらない。
そう思える笑顔だった。
完
霧島は暗い海の中、必死で手を伸ばす。
沈み行こうとしている命。
溺れている女の子を助けたい。
心にあるのはその一念だけだった。
伸ばした手が女の子の手を掴み…。
そこで、霧島は自分が海の中になどいないことに気づいた。
ここは、安芸は広島城の縁側だ。
手は、二十代のころのごつい海の男のものではない。すっかり潮気もぬけ、しわだらけになっている。
まあ当然か。隠居してこの城に移ってからもうだいぶ経つのだから。
「夢か…」
ずいぶん懐かしい夢だった。
初めて妻である隆元に会った時のこと。沈み行こうとする隆元を助け上げた時だ。
「勇馬、こんなところにいたら風邪をひくよ」
すっかり白髪が目立つようになった隆元が、上着を羽織らせてくれる。
「夢を見ていたよ。
隆元と初めて会った時の夢だった」
「あらまあ。ずいぶん古いことを覚えてるんだねえ。
まあ、私もあの時のことは昨日みたいに思い出せますけど」
二人はそう言って笑い合う。
霧島はもうすぐ七十に手が届く。隆元もすでに五十代だ。
思えば良く生きたものだ。
いろいろなことをやってきた。
成し遂げられたこともあれば、挫折したことも数ある。
幕府の設立と政治機構の構築は、ゴールではなく新たなスタートだった。
天下太平の世が来たと宣言されたところで、誰もが頭を切り換えられるわけではない。
私闘やお家騒動、紛争の自力救済が固く禁じられたにも関わらず、もめ事を起こす者は絶えなかった。
まあ無理もない。
この国は応仁の乱以来、国家が治安に責任を持てない分裂状態が百二十年続いていたのだ。
殺伐とした空気は簡単には変えられない。
幕府は、騒動を起こす者を容赦なく処罰した。
時には、天下統一や幕府の設立に大きな功績のあったものさえ、涙を呑んで切腹や改易を命じなければならないこともあった。
まあ、そこは霧島と隆元のこと。ただでは転ばない。
どうにか私闘や紛争がなくなるまでに二十年もかかってしまい、その間取りつぶしや改易となった家は三桁に上った。
が、それらの家から流出した者たちを旗本や御家人として雇用することで、幕府直轄の兵力を確保することができたのだ。
霧島たちの知る歴史を振り返っても、平氏政権や室町幕府、そして豊臣政権が不安定だったのは、直轄する兵力が少なかったことが大きい。結局は他の家の力をあてにせざるを得ず、誰も味方をしてくれなくなったらそこでアウトなのだ。
徳川幕府はその点懸命だった。経済的に苦しい状態だったが、多数の旗本、御家人を抱え続けた。どこの大名が謀反を起こそうと、徳川の独力で叩くだけの力があったのだ。
それに習ったというわけだ。
だが、それだけでは別の問題が生じてしまう。
豊臣政権も、徳川幕府も、兵農分離を徹底してパートタイマーでない常備軍を確立したのはいいが、やがてもてあまし始めた。
武士たちを社内失業させないために朝鮮出兵を行うことにもなった。江戸時代になると、大量の浪人が発生したことが社会不安の原因にもなった。
そこで、兵農分離を多少見直すことにする。
すなわち、武士の中でも常設の軍人は一部に留め、多くはパートタイマーとしたのだ。
いわば予備役だ。通常は農業や商業、工業に従事し、戦時は武装して戦うこととなる。
自衛隊が21世紀から持ち込んだ技術と知識は遺憾なく発揮される。
例えじゃんけんの後出しであろうとも。
蒸気機関は早いうちに実用化され、蒸気船や機関車による輸送が確立する。
燃料である石炭の採掘も進む。
これもじゃんけんの後出しだが、イギリスでの炭鉱のブラック労働が労働争議の歴史を作った経験に学ぶ。事故が起こることがないよう安全策は二重三重に打たれる。
また、雇用の創出も兼ねて、伊達、南部といった藩に北海道の開拓を命じる。
まあ、先住民に苛烈な負担を強いないように注意しながら。
主な作物は欧州から持ち込まれたシュガービートや、アメリカから持ち込まれたジャガイモやトウモロコシなどだ。
特にシュガービートの大量栽培がなった恩恵は大きく、南方からやたら高い砂糖を輸入する必要がなくなった。
経済的に国を安定させる一方で、大名に対する統制も行われていく。
大名たちに経済的に余裕があると逆らう危険がある、という懸念はあったのだ。
できれば彼らの忠義を疑いたくはなかったが、霧島と隆元は心を鬼にする。
参勤交代は一年ごとに行うものとし、妻子は首都である大阪に住むことを命じられた。
まあ、大名たちが疲弊してくると見直されることとなったが。
これらの政策を行っても、全てがうまく行ったわけではなかったが、最低限戦いのない国家を確立することはできた。
霧島が長女の秀就に征夷大将軍の地位を譲ったことで、霧島将軍体勢が受け継がれていくことを世に知らしめることもできた。
隆元の系統とは別に、万一後継ぎが不在になった場合の備えも行われる。
元春を江戸、隆元を博多、隆元の末の娘である秀元を会津、として置き御三家とすることとなったのだ。
必要に応じて、将軍の継嗣は御三家から立ててもらう。
これで後継者不在で政権が行き詰まることはなくなった。
今や体勢は盤石で、幕府に背こうなどと思う者はこの国にはいなかった。
背けばどうなるかは、身に染みてわかっていたからだ。
それに、この国の主立った女性の大名や武将は、ほとんど霧島の妻となり子を産んでいる。
大きな家はたいてい霧島の血が入っているのだ。
逆らうよりも、将軍の子を頂いている恩恵にあずかる方が得だと判断する者が圧倒的に多かったのだ。
国内の体制の構築と平行して問題になっていたのが国際関係だった。
特に大陸では明王朝が衰退し、政情不安が起きていた。
だが、日本の立場としては、史実通り明が滅び、分裂の末に清王朝が大陸を統一するのはうまくない。
大陸が統一されて内向きの政策が行われれば、歴代の王朝と同じように海禁政策が打ち出される可能性があった。
カトリック国家の侵略を懸念して、過度に海外と交流する気もないが、鎖国はやり過ぎだと考える幕府は一計を案じる。
幸いにして史実の朝鮮出兵にあたることは起きていない。明にはそこそこ余力がある。
そこに目をつけ、いずれの国とも敵対しないが、いずれにも肩入れしない。その上で支援だけはする。
言わば、悪くいえば死の商人として立ち回ることにしたのだ。
具体的に言うと、まず満蒙を統一して万里の長城以北を治めつつある満州族の金王朝。
次に、先述した落ち目だが主権は保っている明王朝。
最後に、満州や華北は朝鮮民族の土地だと主張する朝鮮だ。
この三者全部を支援して、拮抗させる。
腹黒い話だが、日本に頼らざるを得ない体勢を保たせるのだ。
そうすれば、彼らは海禁政策など行っている場合ではない。
日本と積極的に貿易を行い利ざやを稼がなければ、軍事的な緊張状態を乗り切ることができないのだから。
一度、局地戦の勝利におごった明が万里の長城を越えて金に攻め入ろうとしたことがあったが、日本はそれを座視しなかった。
金の支援という名目で自衛隊と日本の武士団が派遣され、満州に押し入った明軍を完膚なきまでに殲滅した。
それが自衛隊の最後の仕事となった。
隊員たちが高齢化していた上に、装備や機材も老朽化して限界だったからだ。
満州や華北の民草は怯えた。
あれほどの軍事力を持った者たちが攻め込んできたのだ。
自分たちは支配されてしまうのかと。
だが、自衛隊と日本の武士団は、今後明と金が互いに領土を侵さないことの確約を得ると、日本に帰っていった。略奪もなく、領土も賠償金も要求しないまま
この不可解だが高潔とも取れる態度は、多くの者に畏怖とある種の諦念を抱かせた。
結局は現状維持が最良。
多少不便で屈辱的ではあるが、また日本軍に攻めてこられるのもぞっとしない。怒らせなければ彼らはいいお得意さんなのだ。
なにより、金にも明にも、当然朝鮮にもそれぞれの政治も経済もある。民もいる。
全面戦争となれば、それらがすべて火の海に投げ込まれてしまう。
そんなことは誰も望まない。
東アジアは、穏やかな分裂状態のまま存続していくこととなる。
シャム(タイ)やインドシナ半島ともよしみを通じたい日本にとっては、それは望んだ状況だった。
史実では、清が大陸を統一した後たびたび南下政策を取っていたからだ。
結果、各国とも鎖国や海禁政策を実施することはなく、東アジアは貿易と文化交流を重ねて発展していくこととなる。
「この年まで本当にいろいろなことがあった。
いろいろなことをなしてきたな」
「やれやれ、もう何もできないようなことをおっしゃらないで。
お母さんだってまだ健在なんだから。
あなたもまだまだ頑張って下さいな」
隆元の言い分に、霧島は苦笑する。いつまでこき使う気だ、と。
ともあれ、確かに元就を見ていると、自分も老け込んでいられない気分にはなってくる。
振り返れば、ほとんど毎年のように霧島の子を出産し続け、最後の子を産んだのは四十代後半になってからだった。
今も七十代にして怖ろしく元気で、商売に投資に文化にといそしんでいる。
正に高性能おばあちゃんだ。
引退して大御所になったとは言え、彼女よりは若い自分が何もしないのは周りに示しがつかない。
ついでに言えば、霧島自身にもまだやっておきたいことはある。
せっかくここまでやってきたのだ。二百年後に訪れるであろう帝国主義の時代に、東アジアが欧州の植民地になってしまう状況をできれば防ぎたい。
鎖国の反動であまりにも急速に発展しすぎてしまい、やがて太平洋戦争へと突き進んでいく史実の大日本帝国の末路を防ぎたい。
心からそう思えるのだ。
「難しいことを考えてる顔をしてるね」
霧島の考えを読んだように、隆元が悪戯っぽく笑う。
「頑張るのは素敵でいいことだと思う。
でも、全部をしょいこんで責任を持とうとする必要はないんじゃないかな」
「人間は神様にはなれないか」
霧島は苦笑しながら応える。
はっきりとは話していないが、察しのいい隆元は気づいているようだ。
霧島たち自衛隊が、別の世界ではあるが、未来と言える時代から来たことを。
そして、自分たちの知る、辛い史実通りのことが起きるのを避けたいと考えていることを。
言わば神の視点と思考を持つゆえに苦悩していることを。
霧島はほっとしていた。
頑張らずに未来は開けない。
だが、全てに責任を負おうとするべきではないだろう。それは過ちや独善になって帰ってくる。
振り返れば、地球上に存在したあまたの恐怖政治や独裁体制は、言わば全てに国家が責任を負わなければならないという妄想から生まれたとも言える。
完璧でなければならない、不安要素があってはならない、絶対に正しくなければならない。
そういった強迫観念のようなものが、言論の統制や密告の奨励、粛正や洗脳教育という形を取ってしまうのだろう。
そうはなるまい。
やるだけはやって、後は後身たちに任せてしまえばいい。
自分たちも永遠には生きられない。時を経て未来を託して、そして逝く。それでいい。
隆元と話しているとそう思えるのだ。
良くも悪くもマイペースだから。
「隆元を妻にして、本当に良かったよ」
隆元は一瞬きょとんとして、すぐににっこりと笑う。
「当然。
私も勇馬の妻になれて本当に良かった」
隆元は年を重ねたが、笑顔が素敵なところだけは変わらない。
そう思える笑顔だった。
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