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06 反逆

エスメロードの混迷

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07

 2020年10月28日

 トリジア連邦北端の街ミーナス。
 マットが魔法瓶から注いで差し出した紅茶を、ジョージは沈痛な面持ちで飲んでいく。
 「あなたは“自由と正義の翼”のスリーパーセルとしての本性を現し、原隊から離脱した。
 その、ためらいはなかったんですか?」
 マットの質問に、ジョージは天井を仰ぐ。
 「全くなかったと言ったら嘘になる。
 あいつと一緒に飛んでるのは楽しかったし、充実していたからな。
 身分を明かし、“自由と正義の翼”の存在と企みを告発すべきじゃないか、と思ったことも何度もあった」
 ジョージはそこで言葉を切る。
 マットは、ジョージ・ケインという男の人生の重さがわかった気分だった。
 過去をなかったことにすることはできない。憎しみも簡単には消せない。
 だが、そのために現在を、仲間との絆や信頼関係を否定していいのか?
 その答えは簡単には出ないことだろう。
 「だが、醜悪な事態の連続に引き戻されたよ。 
 裏で糸を引いておいてなんだが、人間を、世界を信じられなくなるのに充分だった。
 ブラウアイゼンの虐殺、自国領土への核攻撃、挙げ句にクーデター。
 なぜ少しでも立ち止まって考えない?
 なぜ目先の利益や面子のためにそんなことができる?
 やはり、世界はこのままではだめだ。
 あの“悪魔の花火大会”になにも学んでいない。
 俺たちが正さなければならない。
 そう思った」
 ジョージはこの上なく哀しげな表情で言葉を紡ぐ。
 マットはなにが正しいのかわからなくなる気分だった。
 確かに、デウス国内への核攻撃も、クーデターも、“自由と正義の翼”が後ろで糸を引いていた。
 だが、最終的になんの疑問もなく引き金を引いたのは他ならぬデウス軍だ。
 そして、核の使用は想定外だったにせよ、ユニティアはデウスの全てを奪い取ろうと“自由と正義の翼”を利用しようとしたのだ。
 多くの血が、その必要もないのに流れることを承知の上で。
 自分がジョージの立場だったらどうしたか?
 それらの醜悪な現実を目の前にして、それでも人の心を信じ続けることができただろうか?
 「表向き、エヴァンゲルブルグのクーデターが鎮圧されたことで、デウスと連合軍は戦う理由がなくなった。
 しかし、各国の軍から離反した“自由と正義の翼”のメンバーは戦闘を続けていた。
 あなたもその中にいたんですね?」
 「そういうことだ。
 言っちゃなんだが怖いくらいにうまくいった。
 連合国は、すでに戦後のことを考えるのに忙しくて、武装ゲリラと見下していた“自由と正義の翼”のことなど眼中になしだ。
 連中の関心はもっぱらデウスからどれだけの領土を切り取れるか、そして、地下資源の利権をどれだけ分捕れるかだ。
 その間に、北海のハーケン半島に逃れた俺たちは、世界に戦線布告する準備を進めてたってわけだ」
 マットはなんということだと思う。
 ジョージの話が本当なら、危うく世界は連合国の無為無策のために滅ぶところだったということではないか。
 「そうして準備を整えたあなたは、かつての相棒である彼女の敵になった。
 そういうことですか?」
 「ああ、当時はそれが正しいと信じていた。
 それが自分の役目。そうしなければ世界は変わらないと」
 ジョージはそう答え、それからの顛末を話していく。


 2018年12月6日
 アキツィア南部、フューリー空軍基地。
 プラットアンドホイットニーF-100-PW-220エンジンの音が響いている。
 エスメロードの乗るF-15Jが、基地上空でドッグファイトの訓練を行っているのだ。
 いや、それは訓練でさえない。
 相棒であり好いた男であるジョージに裏切られたエスメロードが、アクロバット飛行を行うことで爆発し続けているのだ。
 「おいおい、そろそろ着陸させないとまずいだろ」
 「自分もそう思いますが…。彼女の気持ちもわかりますから…」
 飛行隊司令のシュタイアー一等空佐の言葉に、コントロールタワーのオペレーターが渋面で応じる。
 シュタイアーもその言葉には内心で同意していた。
 信頼し、背中を預けていた人間が実はスパイだったのだ。
 どれだけショックであったかは、察してあまりある。
 だからこそ、4時間ぶっ通しで飛び続けていることも黙認しているし、訓練を兼ねて空中給油も許可した。
 だが、そろそろパイロットが限界のはずだ。
 墜落されては困るのだ。
 『こちらフレイヤ1。
 フューリータワー。もう一度空中給油を要請する』
 「フレイヤ1。シュタイアーだ。空中給油は許可できない」
 『しかし…』
 「着陸しろ。これは命令だ!」
 シュタイアーに一喝され、エスメロードはようやく諦めたらしい。
 『了解…フレイヤ1、着陸態勢に入ります』
 旋回して滑走路にアプローチするF-15Jを、タワーの誰もが注視した。
 もしエスメロードが疲労から集中力を欠いていれば、着陸に失敗する危険があった。
 だが、F-15Jは危なげなく滑走路に降りてエアブレーキを作動させ、やがて停止する。
 誰もが胸をなで下ろすのだった。

 「リチャード、飲みに行くからつき合いなさい」
 「わかりました」
 シャワーを浴びたエスメロードに、リチャードは素直についていく。
 髪がきちんと乾かされていない。
 貴族のお嬢さんとして、身だしなみに気をつけることを怠らない彼女らしくない。
 リチャードは思うが、今はそれを言うべきではないと口には出さなかった。

 あの後、ジョージに離反され、傷心のまま帰還したエスメロードを待っていたのは、慰めやねぎらいの言葉ではなく、公安の捜査官たちの事情聴取だった。
 デウス政府と軍からもたらされた情報で、“自由と正義の翼”の全体像が掴めた。
 彼らは国籍や言語さえも越えた横断的な組織。
 13年前の“悪魔の花火大会”で家族や友人を失い、世界に対して復讐を誓った者たちだった。
 「言いがかりだ!必死で任務を全うした軍人に対して、それがあんたらの礼儀か!?」
 13年前に弾道ミサイルの撃ち合いで祖父を亡くしているエスメロードにも、疑いはかかっていた。
 リチャードは激昂したが、エスメロードは素直に事情聴取に応じることにした。
 もうなにを信じていいかわからない。
 そんな捨て鉢な気持ちになっていたのだ。
 
 それ以来、エスメロードは荒れていく一方だった。
 まるでなにかを忘れようとするかのように、スポーツや筋トレに撃ち込み、戦う相手のいない空を演習と称して飛び続ける。
 端で見ていても痛々しくなる姿だった。
 そして、疲れ切ってダウンした後は、必ず酒に溺れるようになった。

 「二日酔い止め置いておきますけど、だめなら無理せず休暇を取って下さいよ。
 最近の先輩は無理をし過ぎです」
 「ああ…悪いねー。
 ただ、休暇を取ってもすることがないからさー…」
 酔いつぶれたエスメロードを、リチャードは部屋まで運ぶ。
 正直なところ、先輩として女傑として憧れていたエスメロードが酒に飲まれている姿は幻滅だった。
 だが、彼女の気持ちも痛いほどわかるから、頭ごなしに非難する気にはなれなかった。

 「私を抱いてみる…?
 今なら相手してあげてもいいわよ…?」
 差し出された水を飲み干し、ベッドの隣に座るリチャードの手を握る。
 だが、リチャードは優しく、そして毅然とそれを拒絶する。
 今のエスメロードは自分を見失っている。
 そして、彼女が自分を投げ出すのを手伝うのはごめんだ。
 「ジョージ先輩の代わりならごめん被ります。
 それに、俺はいずれ彼なんぞ足下にも及ばないいい男になりますから。
 申し訳ないけど、今の隊長を抱く気にはなれません」
 “隊長”を強調した言葉に、エスメロードが顔を上げる。
 自分一人の問題ではないことを思い出したらしい。
 エスメロード・“ニアラス”・ライトナーはフレイヤ隊の1番機だ。
 新たにフレイヤ2となったリチャード・“キッド”・シャルダンの命に責任がある。
 全部をうっちゃって腐るなら、隊長たる資格はない。
 女としてもだめだ。
 つまりはそう言っているリチャードの意図が伝わったのだ。
 「わかった。 
 悪かった。悪酔いしてるな…私…。
 送ってくれてありがとう」
 「いえ、じゃあまた明日。お休みなさい。
 ああ、ちゃんと着替えて寝て下さいよ」
 ドアを閉めるリチャードの言葉が、エスメロードにはありがたかった。
 お節介を焼かず、それでいて最低限の気遣いをしてくれる男は、傷心の身にはありがたいものだ。
 ジョージのことはまだ自分の中でケリがつけられていない。
 (だが、取りあえず腐るのをやめて背筋を伸ばそう)
 そう思えたのは、リチャードのおかげだった。
 そのままベッドに倒れ込みたい衝動に抗って、エスメロードは着替え始めるのだった。

 連合国とデウス公国の間には休戦協定が成立し、講和が話し合われている。
 だが、離反した“自由と正義の翼”のメンバーたちにとって戦争はまだ終わっていない。
 本当の戦いはこれからだ。
 世界に対して復讐を誓っている彼らは、きっと怖ろしいことをしかけてくる。
 誰もがそんな予感を抱いていたのだった。

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