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07 復讐の翼

インタヴュー カーバインプリズン

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 2020年10月16日
 ユニティア連邦中部、カーバイン連邦拘置所。
 
 「ヘンリー・“アイアンクロー”・ニコルソン。
 元ユニティア空軍第10航空師団第3航空隊、通称“レイヴン”隊1番機。
 デウス戦争時の行動に謎が多く、“自由と正義の翼”の主要メンバーの一人とされている。
 彼の消息は、エヴァンゲルブルグのクーデター鎮圧後一度不明となる。
 戦後再び姿を現した彼は、マフィア組織のボスとなっていた。
 現在、マネーロンダリングや武器密輸などの罪状で係争中の身」
 レコーダーにプロフィールを吹き込みながら、マットは目の前の防弾ガラスの向こうにいる男を見やる。
 髪も髭も伸ばしっぱなしで、目だけがぎらぎらとしている様は、とても正常な人間には見えなかった。
 だが一方で、狂いつつも知性は失っていないのが漠然とだがわかる。
 その知性と想像力を、悪しき方向にしか使えないタイプだ。
 面会室のガラス越しにニコルソンと向き合うマットは、そう確信していた。
 
 「会いに来てくれて嬉しいよ。
 今は、6平方メートルの独房と、鉄格子のはまった窓が私の全てだ。
 なかなか気に入っているが、退屈でね」
 犯罪者らしからぬ、穏やかな笑みを浮かべながらニコルソンは言う。
 「こちらこそ、取材に応じて頂けて感謝します。
 早速ですが、デウス戦争当時のあなたの行動についてうかがいたい」
 「エヴァンゲルブルグのクーデター鎮圧後、私は部下を連れて軍を離れた。
 世界を変える最後の手段として、レーザー衛星“レーヴァテイン”の原子炉を暴走させ落下させる。
 その準備のために。
 簡単なことのはずだった」
 マットは話を聞いていて察した。
 ニコルソンは、まだ自分が敗北し、企てが失敗に終わったのが信じられないらしい。
 「しかしそこに“雷神”が現れた。
 あなたは力及ばず落とされ、衛星アンテナを守るという任務も果たせなかった。
 そうですね?」
 マットは、ついなじる口調になってしまう。
 今でも自分の破壊を正義と信じて疑わないニコルソンにいらついたのだ。
 「確かに、圧倒的な強さだったよ。
 まるで超能力者だ。
 わざとレーダー反射率をあげた僚機を囮にして、後ろに廻って敵を撃つつもりだった。
 ところが、それを予知したかのように紙一重でミサイルをかわしたんだ。
 目視で見つかってしまえば、後はやられっぱなしさ」
 自虐的に鼻を鳴らしたニコルソンは、一度言葉を句切る。
 「別に、彼女がいたから敗北して世界を変えられなかったってことでもない。
 まだ変われるのさ。
 多くの人間が知識と情報を得て、そして心から変化を願えば。
 それだけでいい」
 自分の蛮行を全く反省している様子のないニコルソンに、マットの苛立ちは強くなる。
 ともあれ、ここにケンカをしに来たわけでもない。
 マットは質問を続ける。
 「ニコルソンさん。
 あなたに臨界の原子炉を地表に落とすことを決意させたものは、なんだったんですか?」
 「いい質問だ。
 ハイスクールの担任の先生だよ。
 私にとっては従姉叔母にあたる人でね。
 よく面倒を見てもらっていた。
 だが、“フランク・レーマ戦争”が始まると、海兵隊の予備役士官だった彼女には招集がかけられた。
 そして、最前線でなく後方に配備されたことが仇になった。
 彼女の部隊が作戦行動を行っていた街を、弾道ミサイルの一発が直撃したんだ。
 講和交渉がまとまり、停戦命令が発せられるわずか1日前だった」
 その言葉に、さすがにマットも胸に応えるものがあった。
 おそらく、ニコルソンは彼女を好きだったのだろう。
 後1日停戦が早ければ、彼女は死なずに死んだのだ。
 ニコルソンは冷静な調子で続ける。
 「終戦後、私は“悪魔の花火大会”のことを徹底的に調べた。
 そして知ってしまった。
 あの講和交渉は、戦勝国はもちろん、敗戦国であるデウスにとっても正念場だった。
 それこそ、何千何万の自国民を犠牲にしようが譲歩を引き出さなければならなかったのだ」
 「どういうことです?」
 マットにとっては初耳だった。
 どうやら、“フランク・レーマ戦争”の講和交渉には、予想外に複雑な対立軸があったらしい。
 「講和の条件に、デウスが重工業の開発を制限されることがあったのはご存じの通りだ。
 だが、ユニティアとしてはそれに加え、情報、通信、金融などにも制限をかけたかった。
 戦後デウスが商売敵となるのを避けるためにね。
 一方のデウスにとって、重工業が制限されるのは見ようによっては好機だった。
 それまでデウスでは情報、通信、金融などのサービス業は、利益を上げながらも虚業として低く見られていた。
 だが、講和条約でそれまでの基幹産業に制限がかかれば、代わりに虚業と見下されていたサービス業を新たな基幹産業として国を富ますことも可能だ。
 そんな思惑もあって、ユニティアとデウスの交渉は平行線だった。
 その結果があの弾道ミサイルの撃ち合いさ」
 「そうだったんですか…。
 ということは、最終的にはデウスは交渉に成功したんですね?
 僕の記憶が確かなら、講和条約にサービス業の制限は盛り込まれなかった」
 マットの問いに、ニコルソンは「ご名答」と短く応じる。
 「デウス代表は、“どうせサービス業が制限されれば亡国だ。どれだけこちらに犠牲が出ようが譲るつもりはない”と開き直ったらしい。
 戦勝国代表たちは慌てふためいたことだろう。
 自分たちは勝者として交渉のテーブルについているのに、自国民が殺されていくのを止めることができないんだからな。
 欲をかいたばかりに出なくてもいい犠牲を出した、という非難は誰しも怖い。
 結局ユニティアは、講和を急ぐ他の戦勝国の意向を無視できず、譲歩することになった。
 理屈はわかる。だが、犠牲にされた者や残された者はどうなる?
 講和があと1日早ければ助かっていた人を奪われて、納得しろというのか?」
 「たったそれだけのことのために、18万もの犠牲が…」
 マットはさすがに開いた口が塞がらなかった。
 わからない話ではない。
 特にデウスは、戦後復興のためにサービス業は不可欠な飯の種だった。
 実際、戦後のデウスの経済復興を支えたのは情報、通信、金融などだったのだから。
 譲れないのは当然と言えば当然の話だ。
 だがユニティアは?
 戦後商売敵を作りたくない。戦勝国の面子を立てたい。
 たったそれだけの理由で戦争を引き延ばし、数万の自国民を犠牲にすることが許されるものだろうか。
 なんであれ、そんな愚劣なロシアンルーレットが終わったのは、ニコルソンの担任である女性が戦死した後だった。
 デウスだけでなく祖国を恨むのもわかる気がした。
 ニコルソンはさらに続ける。
 「それだけならまだいい。
 ユニティアもデウスも、歴史になにも学んじゃいなかった。
 ユニティアは、講和条約に付随していた地下資源の採掘をデウスとの共同事業とする約束を反故にした。
 デウスを挑発して再び戦争を起こさせる筋書きだったんだ。 
 デウスもデウスで、極右政党の政権を国民自らが選んで民主主義の自殺が起きた。そして、ユニティアの挑発にまんまと乗る形で開戦だ。
 あろうことか、両方の陣営が自分たちの思惑のためにテロリスト集団である“自由と正義の翼”を支援して体よく利用する。
 それによってまた多くの血が流れるのを一顧だにせず。
 世界はこのままでは同じ過ちを永遠に繰り返し続ける。
 誰かがテロリストの汚名を被っても正さなければならない。
 それが私の動機だった」
 マットは、ニコルソンの言葉に引き込まれそうになるのを踏みとどまる。
 彼が正しいのだとしたら、なぜ彼は拘置所で自分の取材を受けているのだ?
 「あなたが“自由と正義の翼”に参加した動機はわかりました。
 しかし、それと戦後のあなたの行動がどうつながるのです?
 なぜあなたは戦後犯罪者になったのですか?」
 そこがわからないところだった。
 バロムスキーの言うとおり、“自由と正義の翼”に関する事実は徹底して隠蔽されていた。
 ニコルソンが逮捕されたのも、戦中の行動とは全く関係ない金融犯罪の容疑でだ。
 「“自由と正義の翼”は滅んだ。
 だがね、私自身の戦いは終わったわけではなかった。
 デウス戦争の真実は隠蔽され、ユニティアは口元を拭って善人面をしている。
 全てはデウスの暴走が引き起こしたことと片付けられ、人々の記憶も風化していく。
 それを許さないためには力が必要だ。
 そのために、私は犯罪者と呼ばれようと力ある存在であることを決めた」
 「ばかな…。
 戦争はもう終わったんです。
 あなたの望む形でないとはいえ。
 犯罪で得た力に何の意味があるんです?」
 ニコルソンの同情へと傾いていたマットの振り子は、急速に反対側に振れていく。
 ニコルソンが密輸した銃器で、今この瞬間も人が死んでいるのだ。
 開き直っていいものではない。
 「大義なき力はただの暴力、力なき大義はただの空論。どちらも等しく害悪だ。
 だが、私は前者を選んだ。なにもできない存在であるよりはなにかができる存在であるべきだったからだ。
 そうして、私は世界の敵であり続けることを望んだ。
 歪んだ秩序に異議を申し立て続けるために」
 この男は正常に狂っている。
 それがマットの考えだった。
 最初は彼にも成し遂げたいこと、切望することがあったのだろう。
 だが、戦い続けるうちに目的と手段が入れ替わってしまった。いつの間にか戦いそのものが彼の目的となってしまったのだろう。
 「ニコルソンさん。ひとつ教えて下さい。
 あなたにとって、他者とはなんですか?」
 「質問の意図がわかりかねるな。
 人はしょせん一人だ。
 中途半端な情も、あてにならない信頼も不要。
 現に“雷神”と“飛龍”も敵味方に分かれた。
 結局あてにできるのはおのれの力だけなのだ」
 マットは、頭が痛くなってくるのを感じた。 
 この男は最後まで反省もしないし、自分を省みることもない。
 おそらく死ぬまで暴走し続けるのだろう。
 「結局あなたは認められないだけなんですね。ご自分の敗因を。
 あなたがひとりぼっちなのは、あなたの行動の結果です。
 世の中なんてこんなものだと決めつけて、他人を、世界を信じようとせず。
 あなたが“雷神”に敗北したのも、他人を信じる強さがなかったからではないのですか?」
 ジャーナリストとしてインタヴューを行っている身で言うべき事ではないが、マットはそう罵倒せずにはいられなかった。
 他者を信じられず、自分をコントロールできず、都合や欲望のために人に犠牲を強いる。
 最初は被害者だった彼がいつの間にか加害者になり、自分がされたことと同じことを他人にしている。
 許されることではなかった。
 その時だった。
 ニコルソンが立ちあがり、目を見開いて左手をガラスに押しつけたのだ。
 「君はなかなか面白い男だ。純粋で正義感が強い。
 だが、それも世の中が実はどれだけおぞましく醜いかを知らないから、ではないと言い切れるか?
 恐らくこれからジャーナリストを続けて行く上で、嫌というほど見たくもないものを見ることになるだろう。
 そのあとでもその純粋さを維持できることを祈っているよ」
 その迫力と不気味さに一瞬気圧されたマットだったが、良く見ると左手に赤い字でなにかが書いてある。
 マットはカメラをズームし、反射的にメモにその内容を書き付けていく。
 「餞別だ。それに触れて生きていられるなら、君の強運も本物ということだ。
 君の取材の成功を祈るよ。ミスタ・オブライアン」
 そう言ってニコルソンは席を立ち、面会室を辞する。
 もう話すことはないとばかりに。

 ヘンリー・ニコルソン。
 敗北した事実から目を背け、世界に空しく有害な戦いを挑み続ける男。
 彼が過去と折り合いをつけ、未来だけを見ることができる日は来るのだろうか。
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