不手際な愛、してる

木の実

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大切なもの

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誰かが昔、言っていた。
“本当に大切なものは、手に入らないもの”だと。
 だとしたらそれは私にとって、数馬そのものかもしれない。嫌だ。そんなのは嫌だ。手にいれたい。私だけの数馬でいて欲しい。付属品がついた数馬なんて、私の数馬じゃない。


 「俺の奥さんの名前京子って言うんだけどさ、あいつの若い頃が美穂にそっくりなんだよなぁ」
あれから数馬は、あからさまに自分の結婚生活について話してくるようになった。
「へえ、そうなんだ」
「なに、妬いてるの?美穂」
「ううん、違うけど…」
「あんまり妬いてるようだったら、俺、面倒臭くて離れちゃうかもよ?」
「やだ、離れないで!」
私の心には、常に不安がつきまとうようになってしまった。
  会社で彼が電話をしているときも、スマホで文字を打っているときも。どんなときでも、その相手は彼の奥さんなんじゃないかと疑ってしまう。そしてその度に、胸の中にモヤモヤと黒いホコリが降り積もっていく。

「美穂、今夜は相手できないわ、ごめん」
「えっ、せっかくディナー予約できたのに?」
「京子がさぁ、今日は結婚記念日だからって、ケーキ作ってくれたみたいなんだよ」
ドキッとした。京子。数馬の口からその名前が出される度に、心臓に何か冷たいものが流れる。
「お前とはまた今度、な。」
数馬が耳元でささやく。会社の他の人に聞こえないように、辺りをうかがいながら。
「うん、しょうがないよね…」
私は押さえきれず出てきそうになった涙を無理やり乾かして、笑ってみせる。
「あれ?もうお帰りですか、平内課長」
「おう、今日結婚記念日なんだよ」
「うわぁ、羨ましいです。おしどり夫婦ってやつですか?」
「はは、まぁそんなもんだよ」
すぐそこのデスクで、数馬と後輩の山寺くんが話している。嫌でも耳に入ってしまう会話。私は懸命にパソコンに集中しようとするけど、無駄なことだった。
  ていうか、山寺くんも数馬が結婚してること知ってたんだ。もしかして知らなかったの、私だけ?
嫌な考えがぐるぐると廻る。
「じゃあ、残業頑張れよ」
「はい!課長も楽しんで!」
「おう。あ、村松さんも、無理しないようにな」
「え?」
私の名字。突然のことに振り返ってみると、もう数馬は背を向けて歩き出していた。
あぁそうか。みんなの前じゃ、名前で呼ぶことすらダメなんだ。
ねえ辛いよ、数馬。いつでもどこでも、あなたのことが頭から離れない。それなのに、これだけ深く愛してるのは私の一方通行。ねえ、私は……
本当に大切なものは、あなただけでいいんだよ。あなたはどうなの?私はあなたの、何なの?
   彼の背中が見えなくなった。


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