マーガレット・ラストサマー ~ある人形作家の記憶~

とちのとき

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第一章 山納人形工房

第一話

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 住宅がちらほらと並ぶ、とある地方都市の片隅に、周囲の家々より少し古びた外観の一軒家が建っていた。道と敷地を隔てる錆びた質素な門の先には、それほど広くはないが、手入れのされた庭の草木が初夏の陽を浴び、葉の緑を朝露と共に輝かせている。
 その一軒家を道から覗き込みながら、何やら不安気にウロウロとする一人の若い女性の姿があった。

 「あら?こんな早い時間にお客さん?」
 後ろから声が掛かりその女性は振り向く。声の主を見た瞬間、喉から絞り出した羽音の様な悲鳴と共に、思わずその場に尻もちをついた。倒れた先の庭の門に背中が当たると、そこにぶら下がった小さな木の看板がカランと揺れる。それにはクローズと書かれている。
 恐る恐る顔を上げた彼女の視線の先には、これから夏も始まるというのに、とてもそれに似つかわしくない、漆黒の生地にレースやフリルをあしらったドレスが揺れている。そこから垣間見える手足は、白い陶器にも見えた。人形の様なその女は、フランスパンの入った紙袋を抱えながら、表情少なくこちらを見下ろしていた。
 数秒目が合うと、黒のレースで素肌を隠した細い腕が、頭上にすっと伸びてくる。座り込む女性は、再び反射的に身をすくめ、目を勢いよく瞑った。
 その手は看板を裏返し、ギィと軋む門を開く。そして何事も無かったかのように、その横を通り過ぎながら「どうぞ。」とだけ声を掛け、玄関へと歩いていった。

 ゆっくりと立ち上がりながら、お尻についた泥を手で払う。自分と同い年くらいの女性に驚いてしまった事に恥ずかしくなった彼女は、
 「またやっちゃったよ・・・・」
と、ため息交じりに呟いた。その後ろで玄関の開く音と、男女の会話が聞こえてくる。

 「姉さんおかえり」
 「あんたに任せるわよ?」
 「え?」
 姉と呼ばれたドレスの女と入れ替わるように、玄関から物作りの職人が着ける厚手のエプロンを巻いた、感じの良さそうな青年が出てきた。彼は女性へ足早に近寄ると、物腰柔らかに声を掛ける。
 「おはようございます。お客さん・・・、ですよね?どうぞ中へ」
 女性は振り返りながら弱々しい声で、
 「へ?あ、はい」
と返事をし、後を付いていく。


 少し薄暗い家の中へ通されると、布が掛けられているショーケースや棚が目に入る。男は少し忙しそうに、
 「ちょっと待っててくださいね。いつもは開店時間がもう少し遅いので・・・。すぐ準備しますから、今日はオーダーですか?」
 「あ、いえ、その・・・・」
 そう話しながら、男は掛けられた布を取っていく。ショーケースには義眼やカラフルなウィッグなどが陳列されている。そして中央の棚の布を取り払った瞬間、女性は再び悲鳴を上げてしまった。男は、涙ぐむ女性の方を振り返り、
 「あの?大丈夫ですか?」
と、布を手に持ったまま目を丸くし心配する。その彼の後ろには、ズラリと様々な容姿や大きさの人形達が並んでいた。
 女性は棚から目を背けながら、声を絞り出すように男に伝える。
 「わ、私、人形怖くて」
 その言葉を聞いた男は棚に布を掛けなおし、部屋の隅にあるテーブルの椅子を引くと、女性にそこに掛けるよう促す。申し訳なさそうに女性が腰を下ろすと、男は対面の椅子に座り改まって声を掛けた。

 「何か事情がお有りの様ですね。差し支えなければ話していただけませんか?」
 「はい、あの・・・・。私、極度の人形恐怖症で・・・・」
 「人形恐怖症・・・、そうなった出来事でも?」
 「十五年程前、世間を騒がせた人形殺人はご存じですか?事件の現場にその凶器を握った人形が置かれていたっていう、あの連続殺人です」
 「ああ、覚えてますよ。不可解でショッキングな事件でしたから、子供の頃の出来事ですけど、よく覚えてます。確かまだ未解決でしたよね?」
 「はい。私、もしかしたら、あの事件の最初の被害者になっていたかもしれないんです」
 「どういうことですか?」
 「これから話す事、信じていただけないかもしれないのですが・・・・」

 そう一呼吸置く彼女の元に、奥の部屋からドレスの女がトレーに乗ったティーカップとポットを持ち、こちらへとやって来た。女はテーブルにそれらを置くと、紅茶を注ぎ彼女へと差し出す。
 少し恐縮している彼女は、ぺこりと頭を下げ、ドレスの女に声を掛けた。
 「あ、さっきは勝手に驚いてしまってごめんなさい」
 「いえ」
 「あまりに人形みたいだったから、つい・・・・」
 そう言うとドレスの女にじっと見られ、女性は慌てて会話を訂正しようとする。
 「ああ!ごめんなさい!失礼でしたよね、こんな言い方・・・」
 すると、ドレスの女は先ほどまでの冷淡な表情を崩し、少女のように歓喜した。
 「本当か!?人形みたいだったか?いやー、お前は良い奴だ!」
 その性格の変化に戸惑う女性の前で、呆れ顔の弟は即座に注意する。
 「姉さん!!お客さんにって言わない!」
 男は姿勢を正し、女性へと向き直りながら咳ばらいをした。

 「どうもすみません、何か先ほども失礼があったようで。そうだ、紹介がまだでしたね。僕はたつきと言います。そして、隣で目をキラキラさせてるのが、姉の舞果まいかです」
 「は、はあ・・・。あ、わたしは日笠ひがさと言います。日笠真琴まこと
 「姉は人形の様だと言われるのが最大の賛辞みたいで・・・。見ての通り、久々に飼い主と再会した犬のようになってしまうのが玉にきずなんです」
 舞果は二人の間でうっとりと喜びに浸っている。ぽかんと口が開いた真琴に樹は、
 「あ、話の途中でしたね。それで、その信じがたい事というのは?」
 「・・・私、人形に襲われそうになったんです」

 その言葉を聞いた瞬間、姉弟は先ほどまでの緩んだ表情を緊張させ、顔を見合わせた。舞果もすっかり落ち着きを取り戻し、樹の隣の椅子へと腰を下ろすと、真琴に向き合った。
 「興味深い話ね」
 「真琴さん、その話、詳しく聞かせてもらっていいですか?」
 そう樹も更に身を乗り出し、真琴の話に強い興味を示した。二人の反応が真琴が予想していのとは違ったのか、少しあっけにとられた感じで、
 「あの、笑ったり疑ったりしないんですか・・・・?」
と、二人の表情を窺うが、姉弟は黙って頷くだけだった。真剣さを受け取った真琴は、紅茶に軽く口をつけ、正面に座る二人の間の空間を見つめながら、自らの記憶を語り始めたのだった。
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