はるになったら、

エミリ

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第一話

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「ねえ……私たちって、一緒にいる意味あるかしら?」
 洋子は不機嫌そうに煙を吐いた。
 彼女と同棲して二年になるが、お互いの仕事の忙しさや交友関係のせいもあって、ここしばらくはすれ違いの生活が続いていた。
 無理もない。相手は世界を股にかけるスーパーモデル、対してこっちはそれなりのスタッフ。
「ないかもな。俺、タバコ嫌いなんだ」
「そう」
 洋子はまた大きく煙を吐く。
 タバコの煙は嫌いでも、その手つきに一類の感慨を覚えたことはある。彼女の細長い指に絡められたタバコは、人体への猖獗など歯牙にもかけない魔杖に成り上がるのだ。
 洋子は一通り一服を終えると、キビキビした動作で荷造りを始める。といっても、この部屋に彼女の持ち物はほとんどなかった。
「私、あなたのヘアメイクは世界一だと思ってるから」
 徐にその整った顔立ちが目の前に現れ、思わず身を引く。
「サヨナラは言わないわよ。これからも、よきビジネスパートナーでありましょう。それじゃ、また現場で」
 ランウェイを歩くかのような彼女の後ろ姿を見ても、特になんの感慨も覚えなかった。
 

 翌朝の現場……ショーの準備に忙しなく駆け回るスタッフたちの中でよほど浮いていたのか、仕事仲間が見兼ねて声を掛けてきた。
「なーにボーッとしてんの、アタシのクレインちゃん」
「ああ……」
「あらヤダ。いつもなら『その呼び方やめろ』とか『俺はお前のものじゃない』とか突っかかってくるのにぃ」
 わざとらしいモノマネを見せつけられても、今日は相手をしてやる気分にはなれなかった。
 イギリス人メイクアップアーティストである彼……彼女はまあ仕事柄もあるだろうが、そういう趣向のせいで男女に限らず、細かいことによく気がつく。女性の場合、ストレスは即肌に反映されるとかで、より一層気を遣っているのだそうだ。案の定……
「ヨウコと何かあったのかしら?」
 声のトーンを落とし、顔を寄せてくる。
「別れた」
「なーんだ、そん……なっ……え…………え……えええええええええええええええええええええええっっっっっ!」
 彼女のドスの効いた叫び声は、楽屋だけでなく、ホール全体に響き渡った。
「うるせえよ……」
 何事かと視線を向けるいくつもの目を煩わしく思い、背中を預けていた楽屋のドアを後ろ手に開けて、体を滑り込ませた。
 当然のようについてくる彼女は、すでに泣きそうな顔をしていた。
「なん……なん……あんたたち、うまくやってたじゃないの!」
「さあ……潮時だったんじゃないか? お互いに」
「アラ……じゃあこの夏はフリーランスなのね……」
 切り替えの早さよ……。
 ドアには彼の方が近い。ここが密室であることに身の危険を感じたその時……そのドアが勢いよく開いた。
「千羽さーん! お願いしまーす!」


 その日の夕方。
 千羽はショーの準備を終え、自分の店に戻ってきていた。
「おかえりなさい、店長」
「千羽さん、お疲れ様」
「ただいま……影島様、いつもありがとうございます」
 声を掛けてくるのはスタッフだけじゃない。まるで身内か何かのように微笑み掛けてくる常連のマダム、羨望の眼差しを向けてくるお嬢さんたち。
 千羽の経営する美容室「Million」は、女性だけでなく男性客も多い。メディアの取材は断っているはずなのに、どこから聞きつけたのか予約さえ難しい人気店になってしまっている。店長である千羽は外の仕事が忙しくてほとんど店にいないのだが、それでも今はシーズンなこともあり、本格的な夏の到来を前に、男女を問わず頭だけでも涼しくなりたい客からの予約が殺到していた。
 まあ、信頼のおける優秀なスタッフが揃っているので、安心して留守を任せられるのだが。
 いずれ本当に店の全てを任せるつもりで、スタッフの育成にも力を入れていた。千羽がわざわざ現場帰りに店に立ち寄るのもそのためだ。
「あの……店長」
 若手スタイリストが千羽を呼び止める。
 客やスタッフたちの対応にうんざりしてきた千羽は、これ幸いとばかりに彼女を伴って店の奥に引っ込んだ。
「見ていただけますか……」
 店の奥で、マネキン相手にカットの練習をしていたらしい。マネキンはすでにブローまで終えて、キューティクルも輝いている。外見は、完璧と言っていい仕上がりだ。
 千羽は、マネキンの髪を少し持ち上げた。
「ほらここ」
 彼女にも見えるように立ち位置を変える。
「……わかりにくいが、段がガタガタだ。この状態だと、結んだ時にアホ毛が出る。このくらいの長さだと結んだりアレンジしたりすることも多いだろ。スプレーやワックスを使えば目立たなくはなるが、そうまでしないとまとまらない髪を作るのは、プロの仕事じゃないな」
 言われたスタイリストは、あからさまに落ち込みを見せた。が、続く千羽の言葉に、表情が百八十度変わる。
「次からはカットモデル使ってみろ。マネキンじゃ、生きた人間の髪の質感や弾力は再現できないからな」
「は……はい!」

「店長、こんな街中じゃなくて、駅チカとかに移転を考えませんか?」
 ひっきりなしに来店する予約客たちを横目で見つつ、副店長が小声で言った。
 彼女がそう言うのも無理はない、と思う。
 店は大通り沿いの歩道橋近くにあり、駅からも遠く、近くに駐車場も少ない。目の前の歩道は広いが、私立高校の通学路にもなっているため、駐輪もルールが厳しい。
 それでもこうやって訪れる客が多いのは、千羽の知名度やスタッフたちの確かな技術のおかげ……だと思いたいが、毎回タクシー通いできる、それなりの金持ちが多いのも一因と言える。
 だが、交通の便の問題だけではなく、副店長には別の理由があるようだ。

「ほら、ここ! 千羽様のミリオン!」
「うわー……金持ちそうなお客さんいっぱい……」
「ねえちょっと、あれって千羽様じゃない?」
「うそ! ホントだ!」
「ヤダ、こっち見てるよ」
「ヤダー! 超最高なんだけどやばーい!」

 ……嫌なのか最高なのか何がヤバいんだか知らないが、女子高生たちが店の前の狭い駐輪場に群がっていた。駐輪場には、副店長たっての願いで『来店の方以外の立ち入りはご遠慮願います』の張り紙をしていたはずだが、自転車で来店する客が少ないのをいいことに、歩道を歩いていたらいつのまにか入り込んでいた、を理由に提げた強かな女子高生には無意味だったようだ。
「全く、最近の高校生は字も読めないんですか。店長、あれでは営業妨害ですよ。学校への抗議も考えないといけませんね」
 副店長の話を話半分に聞きつつ、千羽の目は下校途中の高校生たちに向けられていた。
 駐輪場に群がる女子高生集団をからかいながら通り過ぎる、一人の男子高校生に。
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