はるになったら、

エミリ

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第十話

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「おはよう、春……」
「あ、母さんごめん起こした?」
 寝坊したわけではないが、慣れない平日連休明けで、春は漫画のように食パンをかじりながら玄関で靴を履いていた。
「今日は休みなの。明日から早番のローテだから、春と一緒に晩御飯食べられるよ」
 ドア框に寄りかかりながら、母親はそう言って大欠伸をする。
「晩御飯はいいけどさ……母さん、体壊すなよ」
 小さな病院で看護師をしている母親。他人の健康管理をするより先に自分の健康を気遣ってほしいと、春はいつも思っていた。
「はいはい。春は優しいわね」
「じゃ、いってきまーす」
「ねえ、春」
 ドアノブに手をかけた春を、母親は止める。眠気の伝わってくる気だるげな声だが、明らかに何かを追求する声色だった。 
「何?」春は精一杯普通を装って振り返った。
「冷蔵庫に入れといた発泡酒、たまに減ってる気がするんだけどあんたまさか」
 予想外の方向からの追求に、春は声が裏返った。
「ち、違うって! ほら、前に……美容師の友達いるって話したじゃん? その人ビール好きっぽいからさ、いつものお礼に持ってってあげたんだよ! あ、その人はちゃんと大人だよ!? お・と・な!」
「そう。ならいいけど。でもね、春」
「……ごめん、母さん。黙って持ってって悪かったよ」
 ささやかな楽しみを奪ってしまったことを素直に謝罪するが、対して母親は申し訳なさそうな顔になる。怒られると思っていた春は拍子抜けした。
「……あれはビールじゃないのよ。お友達、何か言ってなかった?」
「へ?」
 春は、持っていたパンを落とした。


 ***


「マリコさぁ、もうそういう雑誌見ないんじゃなかったのかよ」
 文化祭も終わり、いくらか普段の静けさを取り戻した学校。いつもの場所にある自分の席も、なんだか居心地が違う気がした。
 後ろの席にはすでに毬子が座っていて、以前はよく眺め奉っていたファッション系雑誌を広げている。
「見ないとは言ってないし」
 そう言うと、毬子は突然発作のように胸に手を当てて天を仰いだ。
「な、なんだよ」
「やっぱり千羽様ってかっこいいよね……再、確、認……」
 雑誌を覗くと、千羽ではない誰かが全面に載っていた。
「おび……かたな……?」
 数ページに渡って特集が組まれているらしいその人物は、「帯刀冬哉」と言うらしい。でかでかと書いてあった。
「は? アンタ帯刀冬哉たてわきとうやを知らないの? 今注目度ナンバーワンの若手実力派俳優! 高校卒業したら本格的に俳優業に専念するらしくって、もう来年も再来年も映画決まってるんだから」
 毬子ペディアを聞くのもなんだか久しぶりな気がする。
「……全く、イケメンで実力もあって将来も約束されてるって、どんだけ勝ち組なのよ」
 言葉とは裏腹に、その俳優のことを語る毬子からは、羨望や憧れといった感情は全く感じられない。千羽のことを話す時よりもテンションは低かった。特にファンというわけでもないらしい。
「おれあんまりテレビとか見ないし…っていうか、全然千羽さんに似てないじゃんこいつ」
「はあぁ?」
 毬子はあからさまに「何言ってんだこいつ」な顔を春に向けた。
「あんたねぇ。ここ、よく見なさいよ」
 マリコが指差すところに「ヘアメイク・千羽陵至」と、俳優の名前の百分の一くらいの字で書いてあった。
「この俳優はぶっちゃけどーでもいいの」
 春は毬子に断りを入れてから、雑誌をパラパラとめくってみた。特集の記事は八ページあったが、よく知ったあの無愛想な顔はどこにもない。
 春は、「字しか載ってないのに」という目でマリコの顔を覗き込んだ。
「私くらいになると、字面でイケメンがわかるの」
 毬子は堂々と言い、別の雑誌をカバンから取り出した。
 付箋の貼ってあるページをめくると、そこにも知らないモデルだか女優だかがでかでかと載っている。
 そのページの端っこにも、やはり千羽の名前があった。
「はぁ……やっぱりアレって夢だったのかな……」
 毬子は再び天を仰ぐ。春は、自分のカバンからスマートフォンを取り出した。
「夢じゃないんだよ」
 とある写真を画面に表示させて、毬子に見せる。ステージ発表が終わったあと、地学準備室で撮った記念写真だ。滅多に写真に写らないという千羽も、春の肩に手を回して楽しそうに笑っている。
「ちょ」
 マリコは、真顔で春の手からスマートフォンを奪い取った。
「おい……ちゃんとその写真やるから、本体は返せよな。その代わり……」
「なに? なんでも言って。宿題?」
「……この雑誌、ちょっと貸してくんない?」
 春は、毬子が二冊目に取り出した雑誌を掲げる。知らない女優が載っていた方だ。
「そんなん、いくらでも貸すよ。ほら、これと、それからこれも」
 毬子はカバンからもう二冊雑誌を出し、なんの未練も示さず春に押し付けた。
「なんならあげる、それ」
「それ、って……」
 毬子は黙々と、春のスマートフォンを操作してトークアプリを開いている。
「……イケメンは字面でよかったんじゃないのかよ」
「写真の方が高貴」
 自分のスマートフォンに写真を送信し終えると、画面を六度見くらいして奇声を発した。
「うひょぉううううひひ」
「情緒大丈夫か」
 春は毬子へのツッコミを諦めて、一限の準備をし始めた。
「……毬子どうしたの」
 春の前の席に暁斗が座る。
「お、暁人おはー。さあな、いつものイケメン発作だろ」
「ふうん……」
 奇声を発し続ける毬子の机の上には、まだ若手俳優の特集記事が組まれた雑誌が広げられていた。
 暁斗は春の肩越しに、その雑誌に視線を走らせて珍しくむっとしたような表情を作る。
「毬子、そいつのファンなの?」
「いや」別世界にいる毬子の代わりに春が答える。「そいつのヘアメイクした人のファンなの」
「……ハルも?」
「え?」
 若手俳優のファンかと聞かれれば違うと答えられる。だが、千羽のファンかと聞かれるとなんとも答えられず、春は固まってしまった。
「ところでハル、」自分の席に向き直って一限の準備をしていた暁人が、振り返らずに言った。「今日の一限は現文じゃなくて数学だけど」
「へ?」
 春は最初、暁人が何を言っているのか、自分が何を言われているのかわからなかった。
「ちなみに言うけど、今日は現文の授業ないよ」
「は?」
 サーっと血の気が引いた。春は、目玉だけを動かして黒板脇の時間割を見る。
 春と同じ場所に目をやって、暁人はカバンから数学の教科書を取り出した。
「文化祭の代休で月曜と火曜休みだったからね。あ、月曜は後片付けに学校来てたから、余計にわかんなくなっちゃったのかな。今日は水曜日だよ」
 現代文は、月曜日の一限にあった。
 血の気が引いたのには、訳がある。春たちのクラスの担任でもある数学の先生は、宿題を忘れると長い居残りをさせることで有名なのだ。
 春は今日数学があるとは思っていなかったので、当然宿題など手をつけていない。
「ま、ま、まりこ」
 春は藁にもすがる思いで後ろを振り返った。
「ひひひひひ……」
 相も変わらず奇声を上げ続ける毬子。写真など渡さなければよかったと、春は絶望した。
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