はるになったら、

エミリ

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第十二話

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 都内の某スタジオ。
 今日はここで、雑誌の撮影が行われていた。主役は今人気急上昇中の若手俳優、帯刀冬哉。スタジオに隣接した楽屋では、彼のヘアメイクがもうすぐ終わろうとしている。
「はあ……」
 部屋に、重いため息が沈んだ。
「ちょっと、気が散るんだけど。仮にも仕事中だよ? 他人ひとの頭の上でため息とか、やめてくれない?」
「……ああ、すまない」
 冬哉はうんざりしながら、身の入らない謝罪を聞いていた。
「……できた」
「ん」
 目を開けて、鏡を見る。
 身が入らないのは声だけで、仕事はいつも通り完璧。特集のテーマに合わせて、少し悪っぽさを出した大胆なヘアアレンジ。毛先にグリーンを入れ、撮影のセットや衣装と合わせて見事な統一感を演出している。
「メイクは?」
「任せる」
 冬哉は、そう言ってまた目を閉じた。
 彼のヘアメイク担当・千羽陵至とは、子役時代からの付き合いになる。特殊なメイクを必要としない現場では、千羽がヘアセットからメークアップまで、すべて一人でこなしていた。
 冬哉自身、まだ高校生ということもあって、必要以上のスタッフが関わることを避けていたのだ。情報はどこから漏れるかわからない。
「……できた」
 千羽は感情のない声でそう言うと、小さく息を吸い込む。すかさず冬哉は口を挟んだ。
「ため息禁止」
「あぁ……」
 行き場をなくした息をゆっくりと吐き出し、千羽はメイク道具の整頓を始めた。片付けるのではなく、ブラシやパフ、ペンシルなどを厳選してエプロンのポケットに突っ込んでいく。これから実際スタジオに入ってみて、ライトやセットの様相に合わせて微調整を行うためだ。
 冬哉は一応鏡を確認するが、千羽の仕事は完璧だった。ヘアメイクに関しては、不満なところはひとつもない。
 だが、こうも空気を重くされてはモチベーションというものが上がらない。冬哉がひとつ説教を垂れようと口を開いた時、部屋のドアが勢いよく開いた。
「すいませーん、衣装チェンジでお願いします! ごめんやっぱこっちにしてー!」
 部屋の中とは百八十度異なる空気を運んできた甲高い声に、冬哉は一瞬耳がキーンとなった。
「……姉さん、ノックしてっていつも言ってるよね?」
「ごめんごめん! でも千羽くんならそろそろ終わる頃かと思って。うん、今日もかっこいいよ我が弟よ! じゃあはい、これに着替えて」
 スタイリストでもあり冬哉の姉でもある飯田奈津子なつこは、目を輝かせながら冬哉に新しい衣装を差し出した。
「毎年ワクワクしちゃうよね、クリスマス特集って!」
「それはいいけど姉さん、衣装変えるならヘアメイク前にして……って、いつも言ってるよね」
「ごめんごめん! あ、ボタン一個開けちゃおうか。その方が大人って感じ! きゃー、私ってセンスあるぅ!」
「……聞いてないし」
 冬哉はそれ以上姉のテンションに付き合う気力もなかったので、大人しく新しい衣装を受け取った。
「千羽さん、悪いけど直し──」
 鏡越しに見た千羽は、焦点の定まらない目を天井に向けている。
「──こっちも聞いてないし」
 千羽に注意した手前、冬哉はため息をつきたいのをグッと堪えるしかなかった。 


「帯刀冬哉さん、はいられまーす!」
「朝早くからありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
 先ほど楽屋で千羽と話していた時とは違う、俳優・帯刀冬哉の声で撮影が始まった。
 冬哉は慣れたもので、カメラマンの指示を待つ事なく次々とポーズを決めている。セットの配置や小道具、衣装を変えながら次々とシャッターが切られていった。
「ふうー。こんだけ撮っても、雑誌に載るのはほんの数ページ……。あとで成長記録用にボツデータもらっちゃおっかな♪」
 スタジオの片隅で撮影を見守っていた奈津子は小声ではしゃいでいた。
「……ああ」
「ん?」
 奈津子はようやく違和感を覚えて、隣に立つ千羽を見上げる。
「千羽くん今日ずっとそんな感じだけど、何かあったの?」
「……ああ」
「ありゃりゃ」
 いつもなら「撮影中だから静かに」とか「数ページに渡る大型特集をほんのとか言うな」とか「どうせならボツじゃないデータをもらえ」とか、鋭いツッコミを入れてくるはずの千羽だが、今日は心ここに在らずという状態だ。
「チェック入りまーす」
 カメラアシスタントの声で、控えていたスタッフたちが雑談をピタリとやめる。奈津子もそれ以上千羽を問い詰めることができず、急いで自分の持ち場へ向かった。
 その後も、カメラマンの指示で何度かセットや衣装のチェンジが行われ、撮影は順調に進んでいった。
「この分だと、午後はトリかもね」
 奈津子の言う通り、撮影は予定よりだいぶ早く終わった。スタジオのセットも特に大きなバラシはないらしい。また別の撮影で使う予定があるのだそうだ。
 冬哉は千羽、奈津子と共に楽屋に戻って来ていた。他のスタッフは昼休憩に出ている。
「よかったねー、撮影早く済んで。この後のインタビューとかも予定早めてもらえそう?」
「……うん。さっきマネージャーから連絡してもらったから」
「そっかそっか! あ、おねえちゃんちょっとスタジオの方片付けてくるねー」

 奈津子が出て行った後の楽屋は、嵐が去った後のように静かになった。
 千羽は、ため息を禁止されてから大きな息を吐いていない。ため息の一つでもないと、冬哉も冬哉で話を切り出しにくかった。
 そのまま長い沈黙が続くかに思えた時、徐に千羽が口を開く。
「……なあ、ハルは最近、学校ちゃんと行ってるか?」
 冬哉は、我慢しきれずに大きなため息をついた。
「はあ。来てるよ。いつも通り」
「……いつも通り?」
「いつも通り」
「なんか……変わったとことか──」
「ないよ。いつも通りだって言ったよね今。何度も言わせないでくれる?」
 千羽はまた黙ってしまった。
 いつも毅然としている千羽のそういう様子が次第に面白くなって、冬哉は内心ニヤついていた。だがそこは演技力でカバーし、平静を装って尋ねる。
「何、ケンカでもしたの?」
「……」
「したんだ」
「……してない」
「なんですぐ答えなかったの?」
「それは……」
 視線を彷徨わせる千羽。冬哉はしかし、一瞬長く目を留めた場所を見逃さなかった。
「見せて」
 冬哉がアゴで指すと、何をとも言われていないのに千羽は鏡前のテーブルからスマートフォンを取った。そしてメール画面を開いた千羽の手から、ほとんど奪うようにそれを取り上げる。
「『あなたとはしばらく会いません。連絡もしないでください』か。へえ……」
 送信者は、春だった。
 冬哉は隠しきれずに嘲笑を漏らしてしまう。
「連絡しないでって言われたのに、すぐ電話したんだ?」
「……嬉しそうだな、お前」
「別に」
 冬哉は、興味を無くしたようにスマートフォンを千羽に返した。
「ハルって天然なとこあるからさ。こっちが思ってもみないとこに勝手に引っかかって勝手に悩むんだよね。あんたより付き合い長いから、わかるんだよ俺には。そうやってハルに振り回されてるあんた見てると、正直面白いよ」
 冬哉はもう、内心を隠すのをやめた。
「っていうかさ、なんでそんなにハルのこと気にするの? 千羽さんにとってのハルって、何?」
 冬哉は少し間を置き、千羽の答えを待ってみた。だが、黙ったまま何も言わない。
「ハルは天然だけど、バカじゃない。他人の微妙な気持ちの変化とかを繊細に感じ取って、ちゃんと気を遣えるんだよ。まあ、九割は的が外れてるんだけど、そこがハルのかわいいとこだよね」
 余計なひとことと分かっていても、冬哉はその先の台詞を言わずにはいられなかった。

「──だから俺は、ハルのことが好きなんだ」

 冬哉は、意図して発した言葉がどういう効果をもたらすかじっくり観察したかったが、部屋のドアが勢いよく開いて中断される。
 部屋の中にも外にも響く声と共に入ってきたのは、奈津子だった。

くーん! マネージャーさんきたよ─!」
 奈津子は、彼女自身が二人は入れそうなほど大きなバッグを肩から下げていた。そのバッグに、楽屋に残っていた衣装を片っ端から詰め込んでいく。
「姉さん……現場では本名呼ばないでって、いつも言ってるよね」
「ごめんごめん! あ、おねえちゃん今日帰り遅くなるから、ご飯食べて先に寝てていいからねー! よし、じゃあまたね、千羽くん!」
 奈津子は嵐のように去って行った。
「じゃあ、俺も行くから」
 冬哉は席を立ちながら横目で千羽を見たが、マネキンのように立ったまま動く気配がない。
「最後に一つだけ」冬哉は楽屋のドアノブに手をかけたまま言った。「興味本位で構ってるってだけなら、もうハルと連絡取らないでほしいな」


 ドアが閉まっても、千羽はその場を動けないでいた。
「興味本位、か……」
 それまで我慢していた分、ありったけのため息を吐き出して、千羽は椅子に倒れこんだ。
「……そんなんじゃ、ないんだよ」
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