はるになったら、

エミリ

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第十三話 side SENBA

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 都内の某ホールでは、様々な出版社の合同企画によるクリスマスパレードの準備が進められていた。
 早朝にも関わらず、楽屋や裏通路はたくさんの衣装や機材、スタッフたちでごった返している。数ある楽屋のドアは全て開け放たれ、ホール全体で喧騒を共有していた。
「あらヨーコ早いのね」
 ブライアンや見知ったスタッフと軽く挨拶を交わしながら、洋子は颯爽と楽屋に入ってきた。
「一番にやってもらいたくて。陵至、お願い」
 洋子は一番奥の鏡の前に座り、当然のように千羽を呼びつける。千羽は無言で近寄って鏡の中の洋子に尋ねた。
「衣装は?」
「健一」
 洋子に呼ばれたスタイリストが、衣装のかかったラックを引っ張ってくる。千羽は衣装と洋子を交互に見た。
「随分多いな」
「姫は出番が多いからな」
 そう言ってスタイリストの健一が最初の衣装を手に取ると、洋子は一瞥しただけで却下した。
「それ嫌よ。もっと印象に残る色にして」
「はいはい」
 健一も慣れたもので、特に気にする様子もなくすぐに別の衣装を持ってくる。
「これどうだ?」
「小物も変えて」
「へーい」
「……姫っていうより女王様よねー、ヨーコって」
 ブライアンが皮肉を込めて呟くが、雑多な音が溢れる楽屋内に聞く者はいなかった。

 一着目に着る衣装がようやく決まると、千羽もブライアンも急いでヘアメイクに取り掛かる。その頃にはもう、洋子以外のモデルも続々と小屋入りしていきていた。洋子が一番に来てくれてよかったと思ったのは、ブライアンや健一だけではない。
「そういえば健一、奈津子はどうしたの? 姿が見えないけど」
 洋子の質問に、一着目の傾向を見てラックの衣装を入れ替えていた健一は手を止めずに応える。
「ああ。今日あいつの弟がゲストに来るらしくて、そっちに付いてる」
 奈津子と健一は、大きなイベントがある日はコンビで仕事をしていた。千羽やブライアン、洋子と同じ現場になることも多い。
「ふうん」
「悪かったな。俺一人で手際が悪くて」
「別に。一人も二人も一緒よ」
 そうは言いつつも、洋子はおしゃべりな奈津子がいなくて不満げだった。健一が衣装を取りに楽屋を出て行ったので、ブライアンを雑談相手に選ぶ。
「なんて言ったかしら? 奈津子の弟。新人賞とったのよね? なんか映画の」
「ヨーコ、本当にそっちの世界に興味がないのね」
「興味がないんじゃないわ。魅力を感じないだけよ」
「あーら、何が違うのかしらねー」
「この間雑誌で見たわ。可愛い子じゃない。普段どんな子か知らないけど」
「冬哉くんよ! 帯刀冬哉くん! 普段から可愛い子よ」
 その名前が出ると、それまで黙々と作業していた千羽のこめかみがピクリと動いた。
 目ざとくそれに気づいた洋子は千羽にも話を振る。
「ああ、その子でしょ? 前から陵至が目をかけてやってる子って。あなたガキは嫌いだって言ってなかった? 何か特別な思い入れでもあるのかしら」
「ちょっとヨーコ……」
 千羽の放つ空気から雲行きの怪しさを察知して、ブライアンが割って入る。しかし千羽は感情のない声で一蹴した。
「無駄口たたくのはいいが、頭動かすな。シロートか」
 洋子は、ふんと鼻を鳴らして雑談をやめた。

 ここひと月あまり、千羽は鬼のように働いていた。
 ブライアンや洋子に、休むと死んでしまう回遊魚とからかわれても御構い無し。
 洋子のヘアセットが一段落すると、千羽はポケットからスマートフォンを取り出し、ロックも解除せずに電源を切った。だが、真っ暗になった画面に吸い寄せられるように一瞬動きが止まってしまう。
 ──どうせ、あいつから連絡なんて……
 手を止めると、どうしても余計なことを考えてしまう。千羽は頭を振り、スマートフォンをポケットではなくロッカーに押し込んだ。


 その日の夕方。
 クリスマスパレードが終わり、身ほどきを終えたモデルたちがいなくなると、楽屋の通路はいくらか静かになった。
 クリスマスイベントは二日間に渡っていた。一日目のトリは音楽イベントで、現在ステージ上ではライブが行われている。
 今日はバラシもないので、ライブに関係のないスタッフたちは各々、のんびりと身の回りを整理して過ごしていた。
「おーっし。アン、飲みいこーぜ」
 健一が背伸びをしながら立ち上がった。
「いいわねー! 明日は今日よりゆっくりだし、クリスマスパーティしましょ♪ ねえ、それに今日は──」
「悪いけど、俺はパス。じゃ」
 ブライアンが呼びも振り向きもしないうちに、千羽は短く答えてさっさと楽屋を出て行ってしまう。
「あいつ、最近付き合い悪いよな」
「もう、あんなのほっといてみんなで行きましょ! ね、ヨーコ──」
「悪いけど私もパスするわ。明日もあるし。じゃ」
 洋子を無言で見送った後、ブライアンは野太い声で悪態をついた。


 ***


 廊下で洋子に呼び止められたような気もしたが、構うことなく千羽はホールを出て車に乗り込んだ。
 立ち仕事には慣れているはずだが、今日は一日中、座った記憶も休憩をした記憶もない。さすがに疲れが溜まっていた。
 イベント終わりに自分の店に寄ることにしていたが、断りの連絡を入れようとスマートフォンを取り出す。そういえば、朝から電源を切ったままだった。
 画面が明るくなった途端、ロック画面には立て続けにバナーが並んだ。
「なっ……」
 千羽は我が目を疑った。
 メールに不在着信、留守録……ほとんどが春からだった。一番古いメールは昼過ぎに受信している。間違いではないかと、何度も何度も確認した。
 内容はどれも同じ。
『──マンションの前で、待ってます』
 時刻は、午後七時を回っている。
 もう待っていないかもしれない。だがそう思うのよりも早く、千羽は車のエンジンをかけていた。

 赤信号すら煩わしく、混雑した道に苛立つ。少しでも車が止まると、その間千羽は春に電話をかけた。
「……なんで出ないんだ」
 応答はない。数コール後に留守番電話に切り替わってしまう。
 やはり、もう帰ってしまったのか。千羽は、一日中スマートフォンの電源を切っていた自分を呪った。
「……なんで、今日なんだよ」
 寂しさが沸き起こり、それは次第に怒りに変わる。
 このひと月、どんな思いで毎日を過ごしてきたか。何かに没頭していないと心が持っていかれそうで辛かった。苦しかった。なのに向こうは一方的に連絡を絶っておいて、こちらが返事をしないと拗ねているとでもいうのか。やはりガキは嫌いだ。自分勝手で自己中で、わがままで弱くて──
 マンションの前に来ると、千羽は乱暴に車を路駐してエントランスへ向かった。人目も憚らず、大声で呼ぶ。
「ハル! いないのかハル!」
 呼び声に反応はなく、それらしい人影もなかった。
 スマートフォンにも、新しい通知はない。何度画面を更新しても、結果は同じだった。
 おかしい。愛想をつかして帰ったにしても、その旨をメールや留守録に残すはずだ。だがそれもない。大きく舌打ちをして、千羽は春に電話をかけた。

 何かもやっとする塊が胸の内に生まれる。
「……頼む、出てくれ」
 嫌な塊を押しのけるように、千羽は奥歯を噛みしめた。

 しかし無情にも、塊は音となって千羽の耳に入ってきた。
「まさか──」
 千羽はスマートフォンを放り捨てて、その音のする方へ駆け寄る。エントランス横の植え込みの根元に、バイブレーションを鳴らし続けるスマートフォンが転がっていた。画面には千羽の名前が表示されており、そのすぐそばには──

「っは……ハル‼︎」
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