はるになったら、

エミリ

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第十七話

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 土下座を止められることはなかったが、すぐに返事もなかった。
「うーん……」
 千羽は腕を組みまだ何か考え込んでいる。
「……足りないな」
「えっ」
 誠意が、そう言われると思って春はさらに深く頭を下げる。
「そうだな。埋まったまま聞いてろ」
 千羽は春の頭を上から押さえつけ、耳元まで顔を寄せて尋ねた。
「京都と、髪の毛の神社の話はどこから繋がってるんだ? 俺の疑問が解消されるまで、弟子にはしてやらないぞ」
 千羽は手を離したが、春はすぐには頭をあげなかった。心配して覗き込む。
「おい、ハル? やりすぎたか……?」
 春は頭をあげずに、首をひねって布団から顔を出した。
「あし、しびれた……」
 千羽は、ここ最近で一番大きなため息をついた。


 二人は場所を移動することにした。
 春の足の痺れがとれるのを待って、リビングに場所を移す。春がソファーに座ると、千羽が温かいお茶を入れて持ってきてくれた。
「ありがと」
「……」
 千羽は春の隣に腰を下ろし、無言の圧力をかける。
「あっ……それで、えーと」
 お茶を一口すすり、春は圧力に屈した。
「美容師になるっていってもどうやったらなれるか全然わからなくて……雑誌の広告のページに髪の毛の神社があるって書いてあったんだ。だからまずは神様に聞いてみようかなあって思って。ほほほら、神様だったらなんでも知ってる……でしょ?」
「……神様は答えてくれたのか?」
「いやだから……京都に行く時間が……なかった……です」
 実際には数秒程度だったが、春にとって永遠にも感じられる時間が経過した。
 沈黙を破ったのは、千羽の笑い声だった。
「あっはは……ハルはやっぱりハルだったか。はははっ」
 たまに微笑むことはあっても、千羽が腹を抱えて爆笑するのは見たことがない。春は熱いお茶の入ったカップを落とさないようにするのが精一杯だった。
 呆気にとられている春をよそに、千羽はマガジンラックに手を伸ばし、雑誌を一冊抜き取った。
「春が言ってる広告って、これだろ」
 春が広告を見た雑誌とは違う雑誌だったが、広告は全く同じだ。
「うん、そう! これ」
「読んでみ」
 千羽が広告の一部を指差す。春は声に出してその部分を読んだ。
「『美容業界から大人気! あの人気美容師もあし…く通う、京都の神社! かわいいお守りも人気♪』あーそうそう! おれ、このお守りがほしくて──」
 千羽は無言で続きを読むように促す。
「読む、読むよ……ナニナニ、『美容専門学校の生徒からの支持率ナンバーワン、美容師国家試験合格お守りはこれ! の方は通販もご利用ください』」
 春がその部分を読み終えると、千羽は指を下にずらした。
「ここ」
 千羽の指の先には、別の広告がある。
「『和久井美容専門学校、生徒募集中』……」
「この広告、大抵二つセットで雑誌に載ってるんだ。たぶん、春が見たって言う雑誌にも……あ、ほら。同じだろ?」
 千羽はマガジンラックから別の雑誌を抜き取り、春に広告のページを見せる。そのページの隣には、プロのヘアスタイリストが仕上げた一般人のスナップが並んでいた。
「うん……同じ……」
「俺は神様じゃないけど、教えてやろう。美容師って免許いるから、学校に通わなきゃいけないんだよ。普通は二年、通信なら三年。で、試験を受ける。合格すれば晴れて美容師だ」
「し……しけん……?」
 千羽は、春の反応を楽しんでいた。 
「ああそうだ、俺の弟子になったところで試験に受からなきゃ、美容師にはなれない。っていうかお前なあ、いるかもわからない神様より、ここにいる俺に聞けよ。なんで神社の方に行くかなあ……」
「……いやあ、無意識に『学校』とか『試験』っていう文字を避けちゃって」
「ハルらしいよ、全く」
 千羽は雑誌を開いたままテーブルに放り投げ、春の頭を撫でた。
「詳しい話は明日だな。今日はもう遅いから、寝ろ」
「うん……」
 頷いてはみたものの、春はソファーから立ち上がろうとしない。
「どうした?」
 春は土下座こそしなかったが、体を千羽の方に向けて頭を下げた。
「おれ、本当にバカで何もわかってないけど……弟子に……してくれますか……?」
 まだ何か足りなかったか……そう思った春を、千羽は優しく抱き寄せた。
「えっ?」

「俺が、ハルの頼みを断るわけないだろ」

 緊張が緩んだのか、春は大きなあくびを一つ。
「あれ、なんかあくびのせいで涙が……あくびのせいで」
「はいはい」
 お礼を言わないと。それに、まだここで話していたい。もっと聞きたいこともある。だが、体は言うことを聞かなかった。
 千羽の腕の中の心地よさに身を委ねていると、春はいつの間にか眠りに落ちていった。


 ***


 翌朝。
 昨夜、ソファーで記憶が途切れたが、春が目を覚ましたのは千羽のベッドの上だった。
 リビングに続くドアはわずかに開き、そこから自然の明かりが漏れてくる。同時に──
「なんかいいにおい」
 匂いにつられて春がリビングに行くと、大きな窓から差す太陽光に目を焼かれた。もう、だいぶ日は高かった。
「おはよう、ハル」
「おはよう……ございます」
 なぜか恥ずかしくなって、春は千羽の声がした方を見れなかった。無理やり太陽光を浴びに窓際へ行く。
「いやあ、いい天気ですね」
「ああ、そうだな」
 千羽の声はさっきよりも近づいていた。春は体を強張らせる。
「服」
「え?」
 千羽が春に差し出したのは、なんとなくオーガニックっぽいシャツとズボン。
「汗かいたから気持ち悪いだろ? これに着替えとけよ。シャワー使いたいなら勝手に使え」
「ああ、はい……」
 春は、「なんで自分は今こんなことになっているんだけ」と記憶を辿った。思い出すにつれて体温が上がってくるのを感じる。
「ハル」
 服を受け取ったまま固まっていると、千羽は語調を強めて春に迫った。
「なんなら、脱がせてやろうか」
「ひっ……ひとりで脱ぎます!」
 春は服を抱えて洗面所に走った。

 春の後ろ姿を見送って、千羽は眉間に指を当てた。
「……っていうかハルのやつ、なんで急に敬語なんだ?」
 まだ寝ぼけていると思うことにして、千羽は春が戻ってくるのを待った。


 春がリビングに戻ると、ダイニングテーブルにはおしゃれなカフェのような朝食が並んでいた。目覚めた時にしたいい匂いの正体はこれか。
 スープを口に含むと全身の緊張が緩んでいく。すると、春の腹の虫が盛大に鳴いた。そういえば、ほぼ一日何も食べていない。
「おい、そんな慌てるとむせるぞ」
 千羽の予言の通り、春はむせた。
「うっ、うますぎて、つい」
「おかわりあるからな」
「はい……」
 胃の中が満たされると、次第に頭にも血が巡り、冷静に考えられるようになった。春は壁にかかった時計を見上げる。
 時刻は十一時近い。
「千羽さん……仕事は?」
 今日はクリスマスなので、忙しいに違いない。が、千羽は涼しい顔で答える。
「休んだ」
「休んでいいの?」
「さあな。あとでなんか言われるかもな」春が謝りそうになったので、千羽は急いで付け加える。「ハルのせいじゃない。俺のわがままだ」
「でも……」
「いいんだよ。病人ほっといて家出るわけにもいかないだろ。気にするな」
 気にするな、と言われれば言われるほど気になってきた。春は罪悪感を募らせる。
「あっ、母さんに連絡しなきゃ! きっと心配してる……」
 ポケットを探すが、春の服ではないので当然そこにスマートフォンはない。寝室にカバンがあったことを思い出し、春は慌てて立ち上がった。だが、千羽が引き止める。
「昨日のうちに連絡入れといたから大丈夫だよ」
「え? 千羽さんが?」
 春のスマートフォンは、意外にも千羽のズボンのポケットから出てきた。
「ほら、一応ハルからもメールとか入れとけよ」
「うん……」
 千羽からスマートフォンを受け取り、何の気なしにロックを解除してメール画面を開く。そこでふと手が止まった。
「あれ、千羽さんおれのスマホの解除……どうやったの?」
 千羽ならそういう裏技を知っていてもおかしくないと思ったので、それほど深くは考えなかった。
「ハルの……友達に聞いた」
「友達って……暁人?」
「まあ、そんなところだ」
 千羽は言葉を濁して、朝食の後片付けに取り掛かった。
 春は、若干千羽の視線が泳いでいたことと、なぜ千羽が暁人の連絡先を知っているのかが気になったが、深くはかんがえないことにした。母親にメールを打つのが先だ。送信すると、ものの数分で返事が返ってきた。
 メール着信のバイブレーションを聞いて、千羽が春のスマートフォンを覗き込みにくる。
「……送ってくよ。帰る準備しな」
「でも」
 春には、まだ千羽と話したいことがあった。学校のこと、これからのこと──。
「話なら、これからいくらでもできるだろ。まずは、お母さん安心させてやりな」
「うん……」
 何か言いたげに、春はスマートフォンを握りしめていた。そんな春のスマートフォンの画面の上に、なにか小さな影が落ちる。
「ん……?」
 千羽が、何かをつまんで春の顔の前に掲げていた。
「クリスマスプレゼント。……の、お返し」
 受け取ったそれは、カードキーだった。
「これ……千羽さんちの鍵……?」
「ああ。玄関前で倒れられちゃ困るからな。今度からはそれ使って勝手に部屋に入ってろ」
「うん……ありがと」
 春は、スマートフォンよりも大事そうにカードキーを握りしめた。
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