はるになったら、

エミリ

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第二十三話

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 春は、巨大なため息をついた。
 空になった肺に冷たい空気を思いっきり吸い込むと、気管が収縮してむせ込んでしまう。
「ハル、ここ寒いから車の中で待ってな」
 千羽はそう言うと、自分のマフラーを春に巻きつけて車のキーを渡した。
「うん……」

 その日、春は結局これといって何もできないまま現場を後にすることになった。
 やったことといえば、派手なスーツを着て緑の壁の前に立っていただけ。あれは一体なんだったのかと暁人に聞こうと思ったのだが、あの後も楽屋に戻って来ず、とうとう会えなかった。
 暁人に言われた第五楽屋で待ちぼうけしていると、千羽が飛び込んできて春を連れ出した。曰く、「今日はテッペン超えるかもしれないから、高校生を保護者無しに置いておくわけにはいかない」と。それで、大休憩の時に春を家まで送り届けてくれることになったのだ。
 千羽の車に乗り込み、エンジンをかける。カーナビに表示された時刻は、午後九時十八分となっていた。
 千羽を待つ間、春はスマートフォンのトークアプリを開いて、暁人にメッセージを打つ。返事はすぐに返ってきた。
 暁人も春と同い年のはずなので「テッペン超える」とダメなのでは……と思ったが、暁人には実姉がついている。春は暁人を少し羨ましく思った。
「……あいつ、なんで言わなかったんだよ」
 暁人の前では平静を装って聞かなかったが、春の中ではもどかしさが膨らんでいく。相手の顔が見えないのをいいことに、その思いをメッセージにこめてぶつけようとした時。
「あ」と、春の手は止まった。
 今の関係を崩したくなくて、その一歩先に進めない。その気持ちは春には痛いほどわかった。
 暁人が転校してきた時、春や毬子がいくら話しかけても何も話そうとしなかった。常に物事を遠巻きに観察し、輪に入ろうとしなかった。
 壊れるのが嫌で触れなかったのだと、後に暁人は言った。
「でも……十年もおれたちのことだましやがって。そりゃ、色々あるんだろうけどさ。友達、だろ……」
 春は再び手を動かした。
『今まで黙ってたことはから、明日覚悟しとけよ。じゃ、学校で』
 送信した数秒後、通知音が鳴る。
「……相変わらず文字打つの早ぇな。ん?」
 暁人のメッセージを見た春は、嫌な予感がして固まった。ちょうどその時、千羽が運転席のドアを開けて乗り込んでくる。
「ハル、おまたせ……って、どうした?」
「な、なんでも!」
 春は慌ててスマートフォンを膝の上に伏せた。そして、画面を少しだけ傾けてメッセージ画面を覗く。
『覚悟はしとくよ。ところでハル、』
 暁人からのメッセージは、その後こう続いていた。
『明日日曜だけど、学校行くの?』
「……」
 春は少し乱暴に、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。


「じゃあ、おやすみ」
「うん……おやすみ」
 春はそう言った後、車に戻ろうとした千羽の上着を掴んだ。
「どうした?」
「ううん。なんでもない。おやすみ!」
 千羽は何か言いかけたが、春はそれを聞くことなく家に駆け込んだ。それからしばらくの間、ドアに背中を預けて佇んでいた。
「……あ、マフラー持って来ちゃった」
 気付いた時にはもう遅く、ドアを少し開けて外を見ても千羽の車はない。明日も美容院のアルバイトはあるので、その時に店に持っていけばいいだろう。
 そしてその時に謝ろう、と思った。
「せっかく弟子にしてもらえたのに……おれ、もっと頑張らなきゃ」
 春はリビングには立ち寄らずに、もらった楽屋弁当を手に自分の部屋に向かった。



 ***



 翌日。
「おはようございまぁす……」
 春は、大欠伸をしながら店のスタッフルームに顔を出した。
「ハルくんおはよう。眠そうね」
 朝からテキパキ動く清水は、春の方を見ずに準備を進めている。
「すいません……昨日ちょっと夜更かししてて」
「ふぅん。ほどほどにしなさいね」
 てっきり小言の一つは喰らうと思っていたのだが、清水はロッカーを閉めてさっさと部屋を出て行ってしまう。春は両手でほっぺたを叩いて自分に喝を入れた。
「よしっ!──いっ!」
 大股で自分のロッカーの前に行こうとした春だったが、入口付近で盛大に躓いてしまう。
「……なんだぁ?」
 ただでさえ狭いスタッフルームの床に、机に、大小様々な箱や袋が置いてあった。
 出鼻をくじかれた春は、とりあえず手近な段ボールを引き寄せ、比較的小さな袋をまとめていった。
 するとそこへ清水が戻ってくる。その手には大きな段ボールが。
「ちょうどよかった、ハルくんこれもお願い」
 清水が持って来た段ボールの中には、さらに細かい袋や小包、手紙などが詰まっていた。
「そっかあ、今年ももうその季節ね」
「今年はハルくんがいてよかったわー」
「ただでさえ日曜で忙しいのに、荷物の相手までしてらんないわよね、まったく」
 早朝出勤のスタッフたちが戻って来た。彼女たちも、もれなく手ぶらではない。
「あの……これ、なんなんですか?」
 春は手近な包みを拾い上げて訊ねた。キラキラしたテープで装飾された、派手な小包だ。
 春の質問に、清水が無言でカレンダーを指差す。
「あ……」
 今日は、二月十四日。バレンタインデーだ。
「ハルくんはチョコもらわないの?」
「いやぁ……いつもは幼馴染とかクラスメイトの女子が試作品とか失敗作とか余りとかをくれるんですけど、今日学校ないから……」
「えー、ハルくんかわいいのに」
「モテそうよねー」
「その幼馴染って、彼女じゃないの?」
「え、え、え?」
 春はいつの間にか、荷物と女性スタッフに取り囲まれていた。
「ほら、あんたたち。学校の休み時間じゃないのよ」
「はあい」
 清水の一声で、女性スタッフたちは散っていった。
「これ……全部千羽さ──店長宛てなんですか?」
 春から見える範囲にある包みは、その全てが千羽宛てだった。店には千羽の他にも男性スタッフがいるのだが。
 春の質問に答えたのは、その男性スタッフの一人だった。
「全部じゃないよ。たまーに、俺ら宛てのもあるから、しっかり分けといてくれよー」
 男性スタッフはスタッフルームには入らずに、奥の倉庫へと行ってしまった。
「ここにあるの、昨日の夕方以降に店に届いた分なの。今日の分はこれから届くから、スペース空けといてね」
 春は、再び出て行こうとする清水を呼び止めた。
「あの、なんならまとめて梱包して店長の家に送りましょうか?」
 清水は、困ったような笑顔を浮かべる。
「いいえ。店長、甘いもの嫌いなのよ。店に届いたチョコは、私たちスタッフが分けて持って帰っていいことになってるの。伝票だけ取っといてちょうだい」
「そう、なんですか……」
「ハルくんももらっちゃえば?」
 清水はテーブルの上にあったシックな包みを一つ取り上げ、それをそのまま持って行ってしまった。


「──くん、ハルくん!」
「……あーえっ、はい!」
 考え事をしながら黙々と作業していたので、春を呼ぶ声に気づかなかった。
 顔を上げると、清水がスタッフルームに顔だけ覗かせている。
「店長が裏口から呼んでるわよ」
「え?」
 驚いた春は慌ててスタッフルームを出て裏口へ走った。
「せ、千羽さん……?」
 裏口に横付けされた車はハザードランプがチカチカしている。千羽はその車に寄りかかり腕組みをしていた。
「せ、千羽さん? じゃねぇよ。電話どうしたんだ?」
「でんわ?」
 春は一瞬頭が真っ白になり、店の中へとって返す。スタッフルームに入ると、自分のロッカーに入っていたカバンを床にひっくり返した。
「あ……」
 スマートフォンはちゃんとカバンから出て来たが、その画面は何をしても真っ暗なまま。そういえば、昨日充電をした覚えがなかった。
「なるほどな……」
 春の後を追って来た千羽が、春のカバンから出たものを拾い集める。
「……ごめんなさい」
「いいよ、もう。行くぞ」
「行くってどこに?」
 春は呆けた顔で千羽を見上げる。千羽も呆れた顔で見返した。
「今日は別の現場。昨日送ったメッセージも見てないのか?」
「う」
「はあ……いや、家に送った時に言えばよかった。俺が悪い」
 千羽はテーブルや床に置いてある段ボールにちらっと目をやったが、特に触れることなく部屋を出て行く。春も急いで後を追った。
 車に乗り込む前に、春は遠慮がちに口を開いた。
「おれ……行っていいの?」
 千羽は答える代わりに、早く車に乗れと顎で指した。

 しばらく、二人の間に会話はなかった。
 車は高速道路に乗り、次第に都会を離れて行く。
「春のおかげだよ」不意に、千羽が切り出した。「暁人のやつ、昨日はすごく調子が良かったんだ。結局テッペン超えずに済んだよ」
 春があからさまに「何の話?」という空気を出すので、千羽は間を置かずに続ける。
「あいつ、正月明けから主演映画の撮影が始まったんだが、柄になく緊張してんのかなんなのか、イマイチ調子が上がらなかったんだ。……暁人がハルに正体隠してたのは知ってた。でも、このままじゃどっちにとっても良くないだろ。昨日は番宣も兼ねた雑誌の撮影だったし……ま、いい機会だと思ってハルを連れてったんだよ」
 暁人の調子がなぜ悪かったのかはわからない。だが、正体を隠している以上、春や毬子にも相談できなかったのだろう。それに暁人は、そもそも自分のことをあまり話さない。
 千羽は、春の頭に手を置いた。
「だから、役に立たなかった、なんて思うんじゃないぞ」
 千羽には、春の考えていたことも全てお見通しだったようだ。
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