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第二章
第7話「拾い主との再会」
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翌日の昼下がり。
午前中に行われた講義を終え、オレは授業で扱われた『ICT機器』についての情報をまとめるために、席が広い食堂に……ではなく、昨日の裏庭へと足を運んでいた。
やはりここは静かで落ち着く。
まるでここだけ講義が行われている最中の講堂のよう。そこまで勉強に対して真剣な欲があるわけではないが、人気がない、喜怒哀楽で満ちる声がしない。これだけの条件が揃えば、オレはどこだって構わない。静かで落ち着ける、そんな環境さえあれば。
ここはまさにその理想空間。
講堂や食堂と言った、人が大人数集まる場所から極端に離れていることもあり、中々人が寄り付くことはない。
だからこそ、こういう裏作業をするのには非常に効率が良い。考えが鈍らされることもないし、集中するに当たって環境は重要な点だ。いい場所を見つけたなと、自分を褒めたい。
一通りのまとめ作業も終わり、オレは痛みが走る全身を空へ向かって伸ばす。
「……そういえば昨日、ここに来た奴いたな」
誰も寄り付かない。
そんなことを言ったが、ここは決して立ち入り禁止区域でも、心霊スポットでもない。ここは人が集まる集合施設が存在していない。あってもせいぜい花壇のみだ。だから誰も寄り付かない。ここに来ても、大人数ですることは特にないから。
けど、昨日の奴は違った。
落とし物を届けるためと言えど、大学マップにも掲載されていないこの場所を見つけるのは、かなり難しいはずだ。端から端まで調べた、という可能性も無きにしも非ずだが……それとも偶々辿り着いただけだろうか?
探し回ったとか言ってたし、その可能性もある。
……という以前にだ。オレは今、猛烈に後悔していることがある。
それは──昨日の彼に対しての態度だ。
急に近づかれて驚いた、ってだけだけど、だからと言って差し伸べられた手を強引に振り払って逃げるとか……これがもし大学内で広まったら、変な風に誤解される。
他人と関わらないためにも、一定指数の距離感を保つ必要がある。
噂の伝染というのは、想像よりも早いものだ。所詮はその程度──そんな風に軽く捉えて、既に手遅れだったじゃ話にならない。
特にああいう、思いやりがありそうな人に限って、壮絶な裏があったりするものだ。
……と、昔読んだ漫画に描いてあった。
「事務局に行っても届いてないって言うし、それってまだ『持ってる』ってことなんだよな。住所とかは書いてないから、何かに利用されるなんてことはないと思うけど。……でも、早めに取り戻した方がいいよな」
この体質になってから、あまり他人と関わらないよう配慮してきた。
日常生活を送る上で多少の不便さは感じるが、あくまでそれだけ。元々人付き合いが得意とかではなかったために、そこまでのハンデは背負わなかったと自負している。
だがそのお陰で、壁というものが生まれてしまった。
一定の距離を保つ。それ即ち、他人との関係性を遮断するということに繋がる。
他人の情報を必要としないせいで、こういう場合は苦労する。遮断することは、情報を切っているということ。つまり、相手の情報を仕入れないということになる。
そう、オレはあいつのことを何も知らない。
名前も、学部も、知り合いも、何なら顔も容姿もほとんど覚えていない。
他人との関係性を絶つことで、女子が噂するであろう学校一のイケメン君とか、男子が噂するであろう学校一の美少女だとか、そんな話も当然の如く入ってこないのだ。
「……でも、英語の授業とか言ってたし、学年は一緒なんだよな? いやでも……さすがに無理があるな。大体一学年だけで何人いると思って――」
「──今年は250人程だったかな。例年より少ないんだって!」
ふと、オレは声がした後方を振り返る。
昨日と同じ木陰から姿を見せたのは、薄めのトレーナーにジーパン、緑色の特徴的な髪と綺麗に透き通った瞳をした男子学生だった。……見覚えがある。昨日の奴だ。
「昨日ぶりだね! またくまなく探そうかなぁって思ったんだけど、もしかしたらまたここに居るんじゃないかなと思ってさ。ここ、気に入ってるんだね。僕も気にいっちゃった!」
「………………何の、用だ」
「あ、そうそう! これ、昨日渡しそびれちゃったから」
そう言った彼は、鞄の中から昨日と同じようにオレの生徒手帳を取り出した。
そしてそのまま手を伸ばし……はしたものの、その手が向かった先はオレ自身ではなく、座った席の近くにあった机の上だった。
「昨日あの後、本当は事務局に持っていくつもりだったんだ。君に思いっきり拒絶されちゃったからさ。でも、生徒手帳に挟んであった学生証を見て、同じ文学部だって知って、また会えるんじゃないかと思ってさ! 気がついたら、家まで持って帰ってた。ごめん」
「…………別に、いい」
オレは簡潔にそう呟き、生徒手帳をリュックの中へと仕舞う。
中に挟んであった学生証も無事だし、これで午後の授業は安心して出席確認出来る。後で午前中の用紙にも学籍番号書いておかないと。
と、そんなオレの内面とは裏腹に、彼は“じーっと”オレのことを見つめていた。
……えっ、何? 怖いんですけど。
「な、何……?」
「いやさ、普通はもっと慌てたりするもんなんじゃないの? あ、もちろん何か悪質なことに使ったりとかしてないよ。けど、僕みたいなのばっかじゃない。書いてなかったら別だけど、生徒手帳って言わば身分証明書みたいなものでしょ? だから、住所特定とかそういうの普通心配したり、慌てたりするもんなんじゃないかなと思って……」
確かに、彼の言う通りだ。
世の中に蔓延る全ての人間は善ではない。法律という一線があるように、そこから先を飛び越えて『悪』へと成り下がろうとする人間もいる。
合法的であろうと、非合法であろうと。手を染めるというのは、そういうことだ。
たとえ国が制定された法律があったとしても、それで日本という1つの国が大々的に善となるかなど、そんなの決まっている。──ならない、それが答えだ。
世の中、他人を善か悪かで判断するのことが前提とされる。
彼のように『やっていない』と主張する人間も最初は悪。裏付ける根拠、証拠が無ければ人は簡単には善になれない。それが、今の常識だ。
「……たとえ、これを悪用しようとしたところで、それに何の意味がある? 第一、ここには何も書かれてない。学生証も、主な適用口は大学しかない。実際にこれの効力がある場所なんて、早々在りはしない。だから別に、気にしてない。現にこうして、返してくれてる。それだけで十分だと思うけど」
「……っふ。ははっ、君って中々面白いんだね」
──このとき、自分の中で何かが『おかしい』と訴えてきているかのように、頭が痛かった。心臓の鼓動が、脈を打った。
他人と至近距離で話すのなんてここ数年、家族以外では在り得なかった光景だった。
いつもだったら壁を作れるイヤホンも今は身に着けていない。遮るものが何もない、たったそれだけの現実、けどオレにはそれ以上の理由など要らなかった。
あのときのが珍しかったんだ。オレはきっと、あの夜、あの出来事があってから他人と直接的な関わりが駄目になった。その直後に触れたあの手も、あの声も……今にして思えば、ある意味『最後の晩餐』だったのかもしれない。思い出としては、最悪すぎたけれど──。
「……じゃ、午後講義だから」
「あ、うん」
触れてみなくてはわからない。
いや、今のオレが努力したところで結果は見えている。
だったらさっきの……心臓の鼓動が跳ねたのは一体、何だったというのか。あんな不思議な感覚、この症状になってから初めてだった。
午前中に行われた講義を終え、オレは授業で扱われた『ICT機器』についての情報をまとめるために、席が広い食堂に……ではなく、昨日の裏庭へと足を運んでいた。
やはりここは静かで落ち着く。
まるでここだけ講義が行われている最中の講堂のよう。そこまで勉強に対して真剣な欲があるわけではないが、人気がない、喜怒哀楽で満ちる声がしない。これだけの条件が揃えば、オレはどこだって構わない。静かで落ち着ける、そんな環境さえあれば。
ここはまさにその理想空間。
講堂や食堂と言った、人が大人数集まる場所から極端に離れていることもあり、中々人が寄り付くことはない。
だからこそ、こういう裏作業をするのには非常に効率が良い。考えが鈍らされることもないし、集中するに当たって環境は重要な点だ。いい場所を見つけたなと、自分を褒めたい。
一通りのまとめ作業も終わり、オレは痛みが走る全身を空へ向かって伸ばす。
「……そういえば昨日、ここに来た奴いたな」
誰も寄り付かない。
そんなことを言ったが、ここは決して立ち入り禁止区域でも、心霊スポットでもない。ここは人が集まる集合施設が存在していない。あってもせいぜい花壇のみだ。だから誰も寄り付かない。ここに来ても、大人数ですることは特にないから。
けど、昨日の奴は違った。
落とし物を届けるためと言えど、大学マップにも掲載されていないこの場所を見つけるのは、かなり難しいはずだ。端から端まで調べた、という可能性も無きにしも非ずだが……それとも偶々辿り着いただけだろうか?
探し回ったとか言ってたし、その可能性もある。
……という以前にだ。オレは今、猛烈に後悔していることがある。
それは──昨日の彼に対しての態度だ。
急に近づかれて驚いた、ってだけだけど、だからと言って差し伸べられた手を強引に振り払って逃げるとか……これがもし大学内で広まったら、変な風に誤解される。
他人と関わらないためにも、一定指数の距離感を保つ必要がある。
噂の伝染というのは、想像よりも早いものだ。所詮はその程度──そんな風に軽く捉えて、既に手遅れだったじゃ話にならない。
特にああいう、思いやりがありそうな人に限って、壮絶な裏があったりするものだ。
……と、昔読んだ漫画に描いてあった。
「事務局に行っても届いてないって言うし、それってまだ『持ってる』ってことなんだよな。住所とかは書いてないから、何かに利用されるなんてことはないと思うけど。……でも、早めに取り戻した方がいいよな」
この体質になってから、あまり他人と関わらないよう配慮してきた。
日常生活を送る上で多少の不便さは感じるが、あくまでそれだけ。元々人付き合いが得意とかではなかったために、そこまでのハンデは背負わなかったと自負している。
だがそのお陰で、壁というものが生まれてしまった。
一定の距離を保つ。それ即ち、他人との関係性を遮断するということに繋がる。
他人の情報を必要としないせいで、こういう場合は苦労する。遮断することは、情報を切っているということ。つまり、相手の情報を仕入れないということになる。
そう、オレはあいつのことを何も知らない。
名前も、学部も、知り合いも、何なら顔も容姿もほとんど覚えていない。
他人との関係性を絶つことで、女子が噂するであろう学校一のイケメン君とか、男子が噂するであろう学校一の美少女だとか、そんな話も当然の如く入ってこないのだ。
「……でも、英語の授業とか言ってたし、学年は一緒なんだよな? いやでも……さすがに無理があるな。大体一学年だけで何人いると思って――」
「──今年は250人程だったかな。例年より少ないんだって!」
ふと、オレは声がした後方を振り返る。
昨日と同じ木陰から姿を見せたのは、薄めのトレーナーにジーパン、緑色の特徴的な髪と綺麗に透き通った瞳をした男子学生だった。……見覚えがある。昨日の奴だ。
「昨日ぶりだね! またくまなく探そうかなぁって思ったんだけど、もしかしたらまたここに居るんじゃないかなと思ってさ。ここ、気に入ってるんだね。僕も気にいっちゃった!」
「………………何の、用だ」
「あ、そうそう! これ、昨日渡しそびれちゃったから」
そう言った彼は、鞄の中から昨日と同じようにオレの生徒手帳を取り出した。
そしてそのまま手を伸ばし……はしたものの、その手が向かった先はオレ自身ではなく、座った席の近くにあった机の上だった。
「昨日あの後、本当は事務局に持っていくつもりだったんだ。君に思いっきり拒絶されちゃったからさ。でも、生徒手帳に挟んであった学生証を見て、同じ文学部だって知って、また会えるんじゃないかと思ってさ! 気がついたら、家まで持って帰ってた。ごめん」
「…………別に、いい」
オレは簡潔にそう呟き、生徒手帳をリュックの中へと仕舞う。
中に挟んであった学生証も無事だし、これで午後の授業は安心して出席確認出来る。後で午前中の用紙にも学籍番号書いておかないと。
と、そんなオレの内面とは裏腹に、彼は“じーっと”オレのことを見つめていた。
……えっ、何? 怖いんですけど。
「な、何……?」
「いやさ、普通はもっと慌てたりするもんなんじゃないの? あ、もちろん何か悪質なことに使ったりとかしてないよ。けど、僕みたいなのばっかじゃない。書いてなかったら別だけど、生徒手帳って言わば身分証明書みたいなものでしょ? だから、住所特定とかそういうの普通心配したり、慌てたりするもんなんじゃないかなと思って……」
確かに、彼の言う通りだ。
世の中に蔓延る全ての人間は善ではない。法律という一線があるように、そこから先を飛び越えて『悪』へと成り下がろうとする人間もいる。
合法的であろうと、非合法であろうと。手を染めるというのは、そういうことだ。
たとえ国が制定された法律があったとしても、それで日本という1つの国が大々的に善となるかなど、そんなの決まっている。──ならない、それが答えだ。
世の中、他人を善か悪かで判断するのことが前提とされる。
彼のように『やっていない』と主張する人間も最初は悪。裏付ける根拠、証拠が無ければ人は簡単には善になれない。それが、今の常識だ。
「……たとえ、これを悪用しようとしたところで、それに何の意味がある? 第一、ここには何も書かれてない。学生証も、主な適用口は大学しかない。実際にこれの効力がある場所なんて、早々在りはしない。だから別に、気にしてない。現にこうして、返してくれてる。それだけで十分だと思うけど」
「……っふ。ははっ、君って中々面白いんだね」
──このとき、自分の中で何かが『おかしい』と訴えてきているかのように、頭が痛かった。心臓の鼓動が、脈を打った。
他人と至近距離で話すのなんてここ数年、家族以外では在り得なかった光景だった。
いつもだったら壁を作れるイヤホンも今は身に着けていない。遮るものが何もない、たったそれだけの現実、けどオレにはそれ以上の理由など要らなかった。
あのときのが珍しかったんだ。オレはきっと、あの夜、あの出来事があってから他人と直接的な関わりが駄目になった。その直後に触れたあの手も、あの声も……今にして思えば、ある意味『最後の晩餐』だったのかもしれない。思い出としては、最悪すぎたけれど──。
「……じゃ、午後講義だから」
「あ、うん」
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