【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる

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第六章 さくらヶ丘第一団地・解体騒動顛末記⑬

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 それから数ヶ月。

 さくらヶ丘第一団地をめぐる議論は、紆余曲折を経た。
 何度も会議が開かれ、何度も意見が交わされ、時には激しく対立することもあった。

 耐震診断の結果、たしかに構造的な問題がある棟がいくつか見つかった。そこは、順次建て替えが必要だという結論になった。

 一方で、中庭や商店街、管理人棟を含む一部の棟については、「全面解体」ではなく、「補強・改修して残す」という方向が打ち出された。
『さくらヶ丘第一団地 段階的再生モデル地区』
 そんな、ちょっと気取った名前が付けられた。
 新しい棟には若い世代が入り、古い棟には補強を施した上で、希望者が住み続ける。商店街は、家賃補助などの支援を受けながら存続。中庭は、「地域の交流拠点」として整備される。

 ――すべてが思い通りになったわけではない。
 妥協もあった。譲歩もあった。
 でも、「ここを丸ごと更地にする」という最初の計画からは、かなり遠ざかった。

「いやぁ、まさか『団地の主』がここまでやるとはねぇ」

 ある日、紙芝居おじさんが、集会所の前で笑った。

「お千代さん、一体、市役所に何見せたの?」

「べつに」
 お千代は、涼しい顔で答える。
「ちょっと、この土地の記憶を、あの人たちの夢に流し込んだだけ」

「やってることが完全に怪談」
 由梨が、引きつった笑いを漏らす。

「夢の中で、古い団地が次々と壊れて、新しいビルに変わっていく映像を毎晩流したの」
 お千代は、淡々と続ける。
「最後に一つだけ、壊さずに残した団地が、何かを守っているってオチで」

「完全に教育系ホラー……!」
 凛は、額を押さえた。

「それで、目が覚めた課長さんが、『全部壊すのはやめよう』って突然言い出して――?」
「それだけじゃないわ」

 お千代は、ふっと笑った。
 その笑みは、珍しく優しかった。

「ここで暮らしている人たちが、自分の口で『ここが好きだ』って言ったからよ。それがなかったら、夢見せても意味ないもの」


 凛は、中庭を見渡した。

 今日は、特別なイベントがあるわけではない。
 いつも通り、子どもが鉄棒にぶら下がっている。いつも通り、おじいちゃんたちがベンチで将棋を指している。いつも通り、商店街からは揚げ物の匂いがしている。
 いつも通りの、さくらヶ丘第一団地。

「……団地、続くんですね」
 凛の声が、少し震える。

「続くわよ。形を変えながら」
 お千代の目が、少し遠くを見る。
「いつか、ほんとうに寿命が来る日までは」

 風鈴の精が、縁側の上でゆっくりと鳴いた。
 チリン、という澄んだ音。

「ねぇ、りん」
「ん?」
「団地、こわくない?」

 以前は、その質問に迷わず「こわい」と答えただろう。
 暗くて、狭くて、古くて、トラウマを思い出させる場所。
 今は――。

「こわいときもあるけど」

 凛は、笑って答えた。
 心からの笑顔だった。

「それ以上に、めんどくさくて、うるさくて、でもちょっと愛おしいかな」

「めんどくさい、までセットなんだ」
 由梨が、呆れたように笑う。

「団地は『めんどくさい』がデフォルトです」
 凛は、きっぱりと言った。

「でも、その『めんどくさい』がないと、多分、あたしたちヒマで死ぬよ」
 由梨が、肩をすくめる。

「確かに」

 三人で笑う。

 靴鳴らしが、階段の上の方で小さくコツコツと鳴いた。いつもの、軽快なリズム。機嫌が良さそうだ。
 エレベーターの狐が、「本日も平常運転です」と得意げに光っている。階数表示盤が、ピカピカと輝く。
 ポスティング妖怪は、今日も真面目に「ごみ分別のお知らせ」と「団地カフェの日程表」を配っている。紙の束を抱えて、一軒一軒丁寧に。

 さくらヶ丘第一団地は、今日も少しうるさく、少し優しく、生きていた。【了】
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