俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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2章 城ヶ崎漣(じょうがさきれん)

第13話 君をこの手に抱けるなら

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次の授業が終わって、ようやくお昼休みになった。

杏子は授業が終わると、すぐに立ち上がって廊下側のれんさんの席に行った。
何の話をしているのか自分の席から伺っていると、クラスメイトたちに声をかけられた。

「よろしければ、お昼ご一緒にいかがかしら」

彼女たちは手に手にお弁当の包みを持っている。

「音楽の時間、すごかったわね」
「私、コーラス部なの。いろいろお話聞きたいわ」

俺の人生の中で、こんなふうにたくさんの女の子にお昼を誘われるような瞬間が訪れるとは夢にも思わなかったことだ。
しかしながら嬉しい反面、この昼食の時間を利用して漣さんと少しでも距離を縮められるかも、と思ってもいたのだ。
下手をすると、昼休み中延々とまた質問責めに付き合わされるかも知れない。
俺が愛想笑いを浮かべながら、どうしたものかと考えていると、そこに当の漣さんがやってきた。

「あら、みなさんごめんなさい」

そう言いながら漣さんは、俺のブレザーの袖に小さな手を置いた。
不意のことで、腕にびりりっと電流が走ったような気がした。
感触はパチパチと火花を散らせて、骨の奥から背筋に昇ってくる。
漣さんの細い手首のその根本、すぐ側にある小さな肩に、ほおずりしたいようなボリュームを感じる。

細い指が加えるわずかな力が、これほど自分の体を支配するとは。
触れられた瞬間、体が少し跳ねてしまったかも知れない。
耳は赤くなっていないだろうか、心配になってくる。
俺は手首に全神経を集中させながらも、動揺どうようを見抜かれないように誰とも視線を合わせず、意識してすました顔をしていた。

できていたと信じたい。

漣さんは俺の手首に手を置いたまま、明るい瞳でそこにいたクラスメイトたちの顔を見回した。

杏子きょうこさんからミルクホールに案内してあげて欲しいと頼まれていたの。ほら、杏子さんはお弁当だから。みなさんもそうみたいだけれど」

ミルクホールというのは、ご飯の出てこない食堂みたいな所で、代わりにその中の購買でパンや飲み物を買えるようになっているらしい。
姉や杏子から、お昼のパンは苦労せずに買えるということを聞いていたので、男子校のときからお昼はパン派だった俺は、ここでもそれでいくことにしていた。

俺は軽く会釈をして立ち上がろうとしたが、そこでクラスメイトのひとりが口を挟む。

「あら、ハルカさんは杏子さんの妹じゃないのよ」

コーラス部だという少女――物腰も言葉も柔らかで、それでも隠しきれない気の強さを発散させている彼女は、俺のイスの傍らに回り込みながら言った。

「杏子さんはハルカさんのご面倒をみてあげようと張り切っていらっしゃるみたいだけれど、私たちにだって彼女と仲良くする権利はあるわ」

それを聞くと、漣さんは俺の手首に置いた手に力を込めた。

「でもみなさん、お弁当を持っていらしてるんでしょう。わざわざミルクホールにハルカさんを案内しても、また教室に帰ってくることになるわ」

「でもミルクホールにはテーブルがあるじゃない。私たち、そこでお昼にしようと思っていたのよ」

女の子たちが俺を取り合っている。
自分の人生で、こんな機会が訪れるとは夢にも思わなかった。

「私のために争わないで」と心にもない仲裁をしてみようかと思ったところで、机の下から悪魔の笑い声。

「私のために争わないで、と言ったところかなお姫様」

図星を突きやがった。

「奇妙なことだが、美しく能力の優れた人間を仲間に引き入れると、自分も一緒に輝くのだという錯覚を抱く者は意外といるものだ。自分の属するイケてるグループを育て、そこに自己投影して満足するという自己拡大妄想と、猛獣の肉を食べてその力を得ようとする野蛮人に限りなく近い価値観を、魔女の鍋にぶち込んで3日3晩じっくり煮込んだという連中だ。気づかず鍋に飛び込めば、骨までしゃぶり尽くされることだろう」

俺にしか聞こえないようにしているんだろうけれど、ホントにこの魔導書はひねくれたことしか言えないのか。

俺から見れば彼女たちは、ただ単に転校生に興味があって、できれば仲良くしたいわって、そういう子たちに思える。

どうすればここまで性格が歪むのか、著者アブドゥルの顔が見てみたい。

「ともあれ、自分の属するグループを決めるのは慎重にしたほうがいいぞ。やり方によっては、どちらを選んでも角が立つし、どちらも選ばなくても角が立つ。1グループに向こうから誘われて属するのがもっとも平和的だが、同時に2人に誘われている時点でもうそれは望めないわけだ。素直に、今狙っている城ヶ崎漣じょうがさきれんについて行けと言いたいところだが、君はあと99人他の少女を落とさなければいけないから、あとに禍根を残すべきではない。いっそ、かの有名な大岡裁きで決着をつけるのはどうだ? 2人に体を引き裂かせ、より多くの肉片を手にしたものにすべてを与えるという」

聞いたことねーよ、そんなグロい大岡越前えちぜん

俺が机の下の鞄を上履きで軽く蹴っていると、杏子が席を立ってこっちに歩いてきた。
お弁当箱を持った女の子が並んでいるのを見て状況を察したらしい。

「ごめんなさい。ハルカさんが朗読研究会に興味がお有りだって仰ってたから、漣さんにお昼の案内をお願いしたの。でも、先にみなさんにお誘いを受けていらしたのね」

下手すれば三つどもえの取り合いになっちゃうんじゃないかと思って、俺はわくわく――じゃなかった、心配していたのだけれど、杏子の言葉を聞いて感心してしまった。

まず、俺が朗読研究会に興味を抱いたことを発端にすれば、漣さんにも女の子たちにも角が立たない。

そして俺を先に誘ったのが女の子たちで、漣さんを差し向けたのが自分であることを話せば、状況を何も知らない杏子がうっかり取り合いの原因を作ってしまったという形になる。
状況を知らない杏子に罪はなく、その杏子に頼まれて俺を誘った漣さんにも罪はない。
それでいて女の子たちは漣さんに俺を譲らざるを得なくなる。
なぜなら、さっきも言ったように漣さんとお昼に行くというその理由が、そもそも俺が朗読研究会に興味を持っているという嘘にあるからだ。

さらにその意見が、俺が2方を天秤に掛ける前に杏子に伝わっていて、なおかつ俺からではなく杏子の口から出たことで、俺が彼女たちに「なにあのコ」と思われることもなくなる。
最終的に彼女たちには、俺が朗読研究会に興味を持っていることを知らなかった、というきれいな落とし所が残されるわけだ。

「なかなか賢い貧乳じゃないか。乳に回すべき栄養まですべて脳に回せば、人間如きにもこれくらいの処世術は身につくわけだ」

ネクロの言葉に、杏子が薄い胸の前で合わせた、手の甲にぴくっと筋が浮く。
やはり、杏子にもネクロの声が聞こえるようにしてあるらしい。

「ともあれ、可能な限りその場に悪者を作らないというのは、女性社会で生き残るための最善の方法のひとつだ。出来る限り波風を立てず、山なし谷なしの人付き合いを心がけたまえ。彼女の体型を見習って」

今ネクロを俺の鞄から取り出して、職員室のシュレッダーにかけるわけにはいかないから、杏子は殺意を押し殺して笑顔を浮かべている。
杏子の言葉に納得したらしいコーラス部の子は、

「あら、そうでしたのね。ごめんなさい、そうとは知らずお引き留めしてしまって」

あっさり引き下がってくれたようで、弁当箱の包みを軽く持ち上げて会釈すると、俺の傍らを抜けて自分の席の方に戻っていった。

「また、ご一緒して下さいね」

俺も軽く頭を下げた。

「ええ、もちろん」

お互いに笑みを交わして、どうやら一段落ついたらしい。
漣さんは俺の手首をきゅっと引っ張って、手放した。

「では、参りましょうか」

俺は立ち上がって、踵を返した漣さんの後に続く。
杏子の側を通り過ぎるときに、漣さんは聞こえるか聞こえないかの小さな声で「ありがとう」とひと声かけた。

杏子も、小さな声で「こちらこそ」。

お互いあからさまにお礼を言えば、あの子たちが迷惑だったと声に出しているようなものだから、あくまでさらりと笑みを交わすような仕草で。

女の子ってめんどくせえ!

こんな七面倒なコミュニティの中で、ただ生き延びるだけでも骨が折れそうなところなのに、俺はその中から100人の女の子の心を、キスできるくらい強く掴み取らないといけないのだ。
急に不安になってきたぞ。

「あの方たち、本当は知ってるのよ。ミルクホールのテーブルが空いているわけないの」

廊下に出て少し歩いたところで、漣さんは不意に口を開いた。

「3年生のクラスは1階にあるでしょう。ミルクホールも1階だから、どんなに急いだってテーブルは3年生のお姉さまで埋まってしまうのよ。だから、テーブルが埋まっているわね、なんてそらぞらしいこと言ってまた教室に戻ってくるつもりだったんだわ。その間ずっとあなたを質問責めにする予定で」

すたすた歩く漣さんの端正な横顔から、表情を読みとるのは難しい。

「はあ」

どう返したものか分からなくて、俺は漣さんの横顔を眺めながらつい曖昧な返事をしてしまった。
階段にさしかかったところで、ふと目が合う。
うまく返事をできずにいるもどかしさが、俺の表情に現れていたのだろうか。
困っているように見えたのかもしれない。

漣さんは俺の顔を見上げるなり視線をよそに逸らして、慌てたようにウェーブがかった髪を中指で払いながら言った。

「ごめんなさい、私、変にムキになって見えたかしら。おかしいわよね、意地になって、私がミルクホールに連れて行くんだって思って。杏子さんに頼まれたのもあるけれど、質問責めは気が重いでしょう。私も中学生の頃に経験したから分かるのよ。私のときは……」


と続けようとしたとき、漣さんのつま先が階段の滑り止め金具にコツンと引っかかった。

「あっ」

と小さな声。


俺はとっさにバランスを崩した漣さんの左手を掴んだ。
自分の体も一緒にぐらりと傾く。
なんとか傾いた体を引き上げようと、滑り止めの手前で踏ん張ってはみたものの、体を床に引き込む重力と、慣性には逆らえない。
踏ん張ったつまさきごと、2人の体は踊り場に向かってつんのめった。
俺はとっさに床を蹴って、漣さんの体の下に体を滑らせる。

確信はないけれど、もし今の俺の運動神経がミミコちゃん並なら、たとえ校舎の3階から落ちたって平気なはずだ。

俺の体に一瞬遅れて、漣さんの上履きが床から離れた。

えんじ色のスカートのプリーツが翻る。

俺は倒れてくる漣さんの体を胸元に抱き止めた
漣さんの両手が、俺の胸を掴む。
俺は左手でその明るい色の髪を押さえ、右手で受け身を取りつつ首を丸めた。

俺の体は漣さんの小さな体を包んで、階段を転がり落ちる。
階段の角が肩にぶつかる、背中が、お尻が。

なんとか漣さんには怪我をさせないように、俺は小さな体を強く抱きしめる。
視界が天井と床を何度も往復し、踊り場の壁に背中をぶつけてようやく回転は止まった。





予想通り、体の痛みはそんなにない。
肩が少しじんじんする程度だ。

「……おい大丈夫か? 怪我してないか?」

俺は右手を床について体を起こしながら、胸元の漣さんに声をかけた。
漣さんは階段の上で俺の体の上に倒れたときのまま、両胸に手をかけて、顔をその間に埋めている。
俺は何度も漣さんに呼びかけたけれど、ムームー言っているばかりでよく聞き取れない。
胸の谷間に、漣さんの熱い息がブラウス越しに染み込んでくる。
聞き取れない声の振動がむず痒い。

漣さんが俺の体の上でジタバタ暴れ出したところで俺は、自分の左手で漣さんの後ろ頭を押さえて、その顔を胸に押しつけたままであることに気が付いた。

ヤバいこれ、連さんほとんど息できてない。

俺が左手を離すと、漣さんはぷはーっと俺の天然エアバッグから顔を上げた。
新鮮な空気を肺に入れ、はーはーと荒い息をつきながら、赤い顔をして俺を見上げる。
俺はもう一度漣さんに声をかけた。

「ごめん、怪我なかった?」

そのときに、漣さんはようやく俺の胸に顔を埋めていたこと、そして今も両手をその胸にかけていることに気が付いたらしい。

「あっあっあっ……!」

漣さんは急いで俺の胸から手を離し、上体を起こすとお尻をついたまま後ずさりした。
しばらく俺たちは、床にお尻をついたまま無言で互いを見つめ合った。

これが……これが伝説のラッキースケベ……!

それは、自ら互いの体を求めるほどには心の距離を縮められない2人を、不可抗力の名のもとに物理的に接触させる強制イベント。
あるときは転倒してスカートの中に頭をつっこみ、あるときは曲がり角で接触して転倒の後のパンモロ御開帳、うっかりおっぱい触っちゃう、うっかりナニかが入っちゃう。そんなミラクルホールインワン。
女の子に許可を得る努力をする必要もなければ、後で社会的な制裁を受けるようなリスクもなしに、その体を視覚で、あるいは全身で味わうことができる。
だって、不可抗力だから!

しかしそこでひとつ問題が生じる。

このドキドキは、女の子に対しても有効なのか?
女の子はうっかり、別の女の子のおっぱいに顔を埋めちゃってうれしいの?

試しに、その逆を考えてみよう。
たとえば俺が前に通っていた男子校でだ。
たとえば友人の横田と階段を踏み外してくんずほぐれつ。


「お前のヒザ、俺の股間に当たってんぞ……///」
「ごっ、ごめん……///」


だ、ダメだッ……!
これはダメだッ!!
まったく参考にならないッ!!

そもそも男女で単純比較できる問題ではないだろう。
下水道に棲むドブネズミの生態を参考にして、百合の花を育てることができないのと同じことだ。

漣さんを見ると、顔を赤くしたまま何か言おうと口を開きかけている。
乱れたえんじ色のプリーツスカートからのぞく、白いふともも。
俺のふともものように、むっちりとボリュームがあるわけではないけれど、窓からの明かりとスカートの影が細い膝に作る陰影は、その肌の冷たい滑らかさを予感させた。
思わず目が行ってしまう膝への視線を、引き締めるように上品な三つ折りソックス。
それに包まれた、俺よりも小さな足先。
小さな指のふくらみが作る陰。
靴は片方脱げていて、手すりの下に転がっている。

「どこも痛くないわ。ハルカさんも……お怪我はない?」
「私は大丈夫」

俺は立ち上がって、漣さんの小さな上履きを拾って手渡した。

「ありがとう……」

漣さんが上履きに足を通すと、俺は手を差し伸べた。

「立てる?」

漣さんはこくりと頷いて、俺の手を取った。
酸欠で差した赤みは、今は柔らかそうな頬の上に淡く留まっているばかり。
それでも耳は、やっぱり赤いままで。
明るい瞳が、上目遣いに俺を見た。
その表情を見て、俺は確信する。

城ヶ崎漣は今、確実に俺を意識した。
そしてその確信の先はきっと、その小さなくちびるに続いているはずだ。
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