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2章 城ヶ崎漣(じょうがさきれん)
第12話 くちびるに歌を
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音楽の授業はクラスの席順と関係ないようで、俺は漣さんと話しながら、うまくその隣に座ることができた。
授業が始まると、まず最初に準備体操をやらされた。
2人ずつペアになって、軽いストレッチと腹筋運動。
広い音楽室の半分が、一段高い裸足で上がるスペースになっていたので、制服を汚す心配は無いようだった。
俺はえんじ色のブレザーを椅子にかけると、漣さんとペアになって準備運動をした。
漣さんの小さな肩をそっと押すと、立てた紙が倒れるように上体がきれいに折れる。
「漣さん、痛くない?」
「大丈夫よ」
次は、俺が背中を押される番。
そこで驚いたのは、自分の体が漣さんに負けないくらい柔らかくなっていたことだ。
長座体前屈で、ブラウスに包まれた胸がぴたりとヒザについてしまうのは、サイズ上致し方ないとしても、背骨にはまだまだ余裕があるように思われた。
英語の授業中の感覚を思い出してみるに、脳みそは俺そのまんまという感じだったけれど――。
腹筋運動をしているときも、まったく応えないくらい体が軽かった。
あともうひとつ気付いたこと。
漣さんが、俺の胸をけっこう気にしている。
自分のささやかなサイズのそれと見比べてのことだろうか、たびたび目線が俺の胸元に下りてくる。
腹筋の足を押さえてもらっているときなんか、膝頭で何度も潰れる俺の胸を、目を丸くして見つめていた。
「そんなに近づいたら、おでこをぶつけてしまうわ」
俺が体を起こすのを止めてそう言うと、
「あら、ごめんなさい」
ついうっかり、という顔で膝から目を離す漣さんの、耳がわずかに赤らんでいる気がする。
俺の魅力は、ちゃんと女の子に効果があるということが証明されたわけだ。
姉や杏子もミミコちゃんのファンなのだから、納得できる話でもある。
といっても、こちらも漣さんを魅了して余裕たっぷり、というわけではなかった。
「2……3……4……」
漣さんの顔が、俺に近づいては離れてゆく。
彼女の小さな胸が膝に着くたびに、彼女のウェーブした柔らかい髪と、俺の髪とがふわりと重なる。
杏子の髪とはまた違う、蜂蜜のような甘い匂い。
使っているシャンプーの違いだろうか。
どこまでが彼女本来の匂いで、どこからが彼女自らが選び与えた匂いなのかが分からない。
そこを嗅ぎ分けて、どうするというものでもないのだけれど、気になって仕方なかった。
「どうしたの、ハルカさん」
ふと気が付くと、上体を起こして膝に胸を当てている漣さんが目の前にいた。
「20回、終わったのだけれど」
「あ、ごめんなさい」
俺は胸に抱いていた彼女のふくらはぎから手を離した。
準備運動だから回数は少ないけれど、体を動かした後の漣さんの白い頬は仄かに色付いていた。
漣さんは髪をかきあげると、
「ふふ、まだお熱がおありなのかしら。魂が抜けたみたいになっていてよ」
そう言って、まだ床に座っている俺に手を差し伸べた。
――なるほど。
彼女は彼女で、自分の魅力が俺の心にどう働いているかをなんとなく理解しているらしい。
一概には言えないけれど、俺の通っていた男子校では、人間格差みたいなものをノリの良さとか体力なんかで推し量っていた。
このクリスチナ女学園では、それが魅力に置き換わっているのかも知れない。
相手に、すてきな子ね、と思わせた方が勝ちなのだ。
おそらく。
そこで先生が、ぱんぱんと手を叩いた。
「はーい、ではみなさん一通り終わったみたいね。またこっちに集まって」
「はい」
きれいに揃った返事とともに、俺たちは席に戻った。
「今日は待ちに待った歌のテストですよー」
ここで生徒たちが「えー」声を上げるのはここでも変わらないようだ。
「もちろん、これで内申点を付けようってわけじゃありませんよ。学芸会のパート分けや、聖歌隊の選出の参考にさせてもらう程度ですから、気楽にやりなさい。えーと、有村ハルカさん?」
俺が返事すると、先生は笑顔で言った。
「もちろん、あなたにもテストに参加して頂きますよ。他の子たちも、特別に練習したわけじゃありませんから。それに、課題は『われは海の子』です。前の学校でも歌ったことはあるんじゃないかしら」
「はい……」
残念ながら、ある。
男子校の音楽の時間では、みんななんやかんや文句を言いながらも、雄々しい歌声が響いたものだった。
「讃美歌から選ぼうかとも思ったんだけど、唱歌にしといて良かったわ」
そうして、歌のテストが始まった。
席の左端から順に前に呼ばれて、先生のピアノに合わせて歌う。
みんな、ほんとに歌が上手い。
クリスチナ女学園では、日頃から歌を歌う機会が多いのかも知れない。
俺の歌は――はっきりいって自信があるわけではない。
合唱なんかでも、口パクするほどではないけれども、声のでかい奴にうまく埋もれられればラッキーという感じだった。
わりと前の席に座っていたので、順番はすぐに回ってくる。
「城ヶ崎漣さん」
漣さんが呼ばれて前に出た。
先生のピアノ伴奏が始まり、それに合わせて漣さんが歌う。
漣さんは朗読に負けないくらい、歌も上手だった。
くすぐったくなる歌声、というのは奇妙な表現だけれど、しっとりと力強い高音に、わずかに掠れた音を加えたその音色は、耳朶を撫でるように教室を吹き抜けた。
彼女が席に着くと、次は俺の番。
俺が立ち上がる直前に、漣さんが言った。
「がんばってね」
笑顔を返して、俺はピアノの横に立った。
自分の声って、どんなものだっただろう。
男のときに歌を歌うとき、どんなふうに声を出しただろう。
また、女になってしまった今も、歌声の出し方というのは変わらないのだろうか。
これを見越して発声練習でもしておけば良かった。
次々とテンポよくやらなくては終わらないから、伴奏はすぐに始まる
俺は思い切って口を開いた。
喉を開いて、自分で驚いた。
「われは海の子 白波の
騒ぐ磯部の 松原に
煙たなびく とまやこそ
わが懐かしき 住処なれ」
自分の細いお腹の奥から抜けるような歌声が、頭の上から飛び出して天井に広がった。
目の覚めるような伸びのある高音、胸郭を震わせる深い低音。ビブラートが喉に気持ち良い。
それらが渾然一体となって音楽室に響きわたる。
自分ひとりがそんな感覚を抱いているのではないということは、周りの表情を見れば一目瞭然だ。
杏子もぽかーんとしてしまっていて、あの美しい歌声を聴かせてくれた漣さんも、くちびるを富士の形に小さく開いて、俺の歌に聴き入っている。
自分の歌声の美しさを意識すると、俺はますます朗々と、自分の声とピアノの伴奏が絡み合う渦に身を任せるように歌い上げた。
「生まれて潮に 湯浴みして
波を子守の 歌と聴き
千里寄せくる 海の気を
吸いてわらべと なりにけり」
歌い終わると、一斉に拍手が起こった。
「すごい、ハルカさん」
「声楽をなさってたの?」
先生も、驚きの色を隠さない。
「プロ並ね、あなた。いや、プロでもあなたより下手なのはいくらでもいるわ」
俺は照れ隠しに後ろ頭を掻きながら、自分の席に戻った。
拍手していた右隣の女の子が言った。
「同じ歌をずっと聴いているのに、感動しちゃった。次は歌いづらいわ」
音楽の授業が終わると、またみんながわっと集まってきて、前の学校で入っていた部活やら、お家でレッスンをしているのかとか、音楽家のご家庭なの、とか、いろんなことを頭がふわふわしてくるくらいの質問責めにあった。
その波が引いた頃にはもう教室で、ひと息ついた所で漣さんに声をかけられた。
「素晴らしかったわ。話していても分かるけれど、
きれいな声をしていらっしゃるのね」
「ありがとう」
俺は素直にそう答えた。
たぶん、あなたの歌も素敵だったわ、などとは言わない方が良いのだろう。
明らかに俺の歌は、一般的な女子高生の域を飛び抜けていた、と思う。
「コーラス部の方からはもちろん誘われているでしょうけれど、ぜひ朗読研究会にいらして。あなたが読む島崎藤村はきっと素敵よ。よろしければ、今日の放課後にでも案内するわ。何か……ご予定はおありかしら?」
漣さんは、俺よりもむしろその横にいる杏子に尋ねている様子だ。
最初に俺と話したのは杏子なので、その許可がいると考えているのだろう。
俺も杏子に目をやった。
杏子はおとがいの下に手のひらを合わせると、中学時代には見たこともないような穏やかな笑顔で言った。
「ぜひ、行っていらしたらいいわ。残念だけれど、ハルカさんは空手部よりも朗読研究会の方がその声を活かせるんじゃないかしら。素敵な歌声でしたものね」
ホント、役者だよなあ。
中学のとき学園祭の片付けのときに勃発的に始まったペットボトル製パンチングマシーン破壊大会で、並みいる強豪、男子運動部勢を押さえて優勝した女とは思えない。
「ではハルカさん、宜しいかしら。ついでに校舎の案内もさせてもらうわね」
「ありがとう、よろしくね」
漣さんはにっこり笑って、自分の席に戻っていった。
「すげえ、トントン拍子だぜ」
「あんた、なんでそんな歌上手いのよ……」
今更ながらに、杏子が尋ねた。
ちなみに杏子の歌は致命的にド下手だ。
しかしそれをあえて指摘するような無粋な人間は、この聖クリスチナ女学園にはいないだろう。
「そうだ、思い出した」
自分で尋ねておいて、答にたどり着いたらしい。
「ミミコちゃんが自転車を盗まれたクラスメイトのために、チャリティーソング歌った回があったじゃない」
そうだ、確かそんな回があった。
クラスメイトの自転車代に当てるために、ミミコちゃんは自分の歌が入ったCDを作って売り始めたのだが、歌があまりに上手すぎてCDは全世界で2兆枚売れてしまう。
クラスメイトはその印税を元にして、鹿児島にマウンテンバイク共和国を建国。日本からの独立を果たすとかいうアホみたいな話だった。
「準備運動してたときにも思ったんだけど、やっぱりミミコちゃんが持ってる力は、俺も持ってるわけか……」
クリスチナ女学園に入学するまでこっち、ひたすら姉と女の子を落とすための訓練しかしていなかったので、身体能力にまでは考えが及んでいなかった。
俺の体が、ミミコちゃんのルックスだけではなく身体能力まで引き継いでいるのだとしたら、俺は100メートルを9秒で走り、野球をやったら打率10割ということになる。
俺は自分の手のひらを見つめた。
薄い皮膚は白くなめらかで、指紋は浅く、手の皺も少ない。
女の子のかわいい手だった。
「体育の時間は気をつけないとな……」
下手に注目を集めて周りが騒ぎ始めたら、女の子のキスを狙う学園生活が破綻するおそれがある。
「まあ、体力のことはいいや。使えてせいぜい、女の子に良いところ見せるくらいのことだ。それよりも放課後だ! どうする杏子? このままだと行くところまで行っちまうぜ」
「勝手にすればいいでしょ」
杏子はそう言い捨てると、友達の机の所に行って何か別の話をその子と始めてしまった。
まあいい、掴みはばっちりってわけだ。
ここから、いかにして漣さんの懐に飛び込むか――。
授業が始まると、まず最初に準備体操をやらされた。
2人ずつペアになって、軽いストレッチと腹筋運動。
広い音楽室の半分が、一段高い裸足で上がるスペースになっていたので、制服を汚す心配は無いようだった。
俺はえんじ色のブレザーを椅子にかけると、漣さんとペアになって準備運動をした。
漣さんの小さな肩をそっと押すと、立てた紙が倒れるように上体がきれいに折れる。
「漣さん、痛くない?」
「大丈夫よ」
次は、俺が背中を押される番。
そこで驚いたのは、自分の体が漣さんに負けないくらい柔らかくなっていたことだ。
長座体前屈で、ブラウスに包まれた胸がぴたりとヒザについてしまうのは、サイズ上致し方ないとしても、背骨にはまだまだ余裕があるように思われた。
英語の授業中の感覚を思い出してみるに、脳みそは俺そのまんまという感じだったけれど――。
腹筋運動をしているときも、まったく応えないくらい体が軽かった。
あともうひとつ気付いたこと。
漣さんが、俺の胸をけっこう気にしている。
自分のささやかなサイズのそれと見比べてのことだろうか、たびたび目線が俺の胸元に下りてくる。
腹筋の足を押さえてもらっているときなんか、膝頭で何度も潰れる俺の胸を、目を丸くして見つめていた。
「そんなに近づいたら、おでこをぶつけてしまうわ」
俺が体を起こすのを止めてそう言うと、
「あら、ごめんなさい」
ついうっかり、という顔で膝から目を離す漣さんの、耳がわずかに赤らんでいる気がする。
俺の魅力は、ちゃんと女の子に効果があるということが証明されたわけだ。
姉や杏子もミミコちゃんのファンなのだから、納得できる話でもある。
といっても、こちらも漣さんを魅了して余裕たっぷり、というわけではなかった。
「2……3……4……」
漣さんの顔が、俺に近づいては離れてゆく。
彼女の小さな胸が膝に着くたびに、彼女のウェーブした柔らかい髪と、俺の髪とがふわりと重なる。
杏子の髪とはまた違う、蜂蜜のような甘い匂い。
使っているシャンプーの違いだろうか。
どこまでが彼女本来の匂いで、どこからが彼女自らが選び与えた匂いなのかが分からない。
そこを嗅ぎ分けて、どうするというものでもないのだけれど、気になって仕方なかった。
「どうしたの、ハルカさん」
ふと気が付くと、上体を起こして膝に胸を当てている漣さんが目の前にいた。
「20回、終わったのだけれど」
「あ、ごめんなさい」
俺は胸に抱いていた彼女のふくらはぎから手を離した。
準備運動だから回数は少ないけれど、体を動かした後の漣さんの白い頬は仄かに色付いていた。
漣さんは髪をかきあげると、
「ふふ、まだお熱がおありなのかしら。魂が抜けたみたいになっていてよ」
そう言って、まだ床に座っている俺に手を差し伸べた。
――なるほど。
彼女は彼女で、自分の魅力が俺の心にどう働いているかをなんとなく理解しているらしい。
一概には言えないけれど、俺の通っていた男子校では、人間格差みたいなものをノリの良さとか体力なんかで推し量っていた。
このクリスチナ女学園では、それが魅力に置き換わっているのかも知れない。
相手に、すてきな子ね、と思わせた方が勝ちなのだ。
おそらく。
そこで先生が、ぱんぱんと手を叩いた。
「はーい、ではみなさん一通り終わったみたいね。またこっちに集まって」
「はい」
きれいに揃った返事とともに、俺たちは席に戻った。
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ここで生徒たちが「えー」声を上げるのはここでも変わらないようだ。
「もちろん、これで内申点を付けようってわけじゃありませんよ。学芸会のパート分けや、聖歌隊の選出の参考にさせてもらう程度ですから、気楽にやりなさい。えーと、有村ハルカさん?」
俺が返事すると、先生は笑顔で言った。
「もちろん、あなたにもテストに参加して頂きますよ。他の子たちも、特別に練習したわけじゃありませんから。それに、課題は『われは海の子』です。前の学校でも歌ったことはあるんじゃないかしら」
「はい……」
残念ながら、ある。
男子校の音楽の時間では、みんななんやかんや文句を言いながらも、雄々しい歌声が響いたものだった。
「讃美歌から選ぼうかとも思ったんだけど、唱歌にしといて良かったわ」
そうして、歌のテストが始まった。
席の左端から順に前に呼ばれて、先生のピアノに合わせて歌う。
みんな、ほんとに歌が上手い。
クリスチナ女学園では、日頃から歌を歌う機会が多いのかも知れない。
俺の歌は――はっきりいって自信があるわけではない。
合唱なんかでも、口パクするほどではないけれども、声のでかい奴にうまく埋もれられればラッキーという感じだった。
わりと前の席に座っていたので、順番はすぐに回ってくる。
「城ヶ崎漣さん」
漣さんが呼ばれて前に出た。
先生のピアノ伴奏が始まり、それに合わせて漣さんが歌う。
漣さんは朗読に負けないくらい、歌も上手だった。
くすぐったくなる歌声、というのは奇妙な表現だけれど、しっとりと力強い高音に、わずかに掠れた音を加えたその音色は、耳朶を撫でるように教室を吹き抜けた。
彼女が席に着くと、次は俺の番。
俺が立ち上がる直前に、漣さんが言った。
「がんばってね」
笑顔を返して、俺はピアノの横に立った。
自分の声って、どんなものだっただろう。
男のときに歌を歌うとき、どんなふうに声を出しただろう。
また、女になってしまった今も、歌声の出し方というのは変わらないのだろうか。
これを見越して発声練習でもしておけば良かった。
次々とテンポよくやらなくては終わらないから、伴奏はすぐに始まる
俺は思い切って口を開いた。
喉を開いて、自分で驚いた。
「われは海の子 白波の
騒ぐ磯部の 松原に
煙たなびく とまやこそ
わが懐かしき 住処なれ」
自分の細いお腹の奥から抜けるような歌声が、頭の上から飛び出して天井に広がった。
目の覚めるような伸びのある高音、胸郭を震わせる深い低音。ビブラートが喉に気持ち良い。
それらが渾然一体となって音楽室に響きわたる。
自分ひとりがそんな感覚を抱いているのではないということは、周りの表情を見れば一目瞭然だ。
杏子もぽかーんとしてしまっていて、あの美しい歌声を聴かせてくれた漣さんも、くちびるを富士の形に小さく開いて、俺の歌に聴き入っている。
自分の歌声の美しさを意識すると、俺はますます朗々と、自分の声とピアノの伴奏が絡み合う渦に身を任せるように歌い上げた。
「生まれて潮に 湯浴みして
波を子守の 歌と聴き
千里寄せくる 海の気を
吸いてわらべと なりにけり」
歌い終わると、一斉に拍手が起こった。
「すごい、ハルカさん」
「声楽をなさってたの?」
先生も、驚きの色を隠さない。
「プロ並ね、あなた。いや、プロでもあなたより下手なのはいくらでもいるわ」
俺は照れ隠しに後ろ頭を掻きながら、自分の席に戻った。
拍手していた右隣の女の子が言った。
「同じ歌をずっと聴いているのに、感動しちゃった。次は歌いづらいわ」
音楽の授業が終わると、またみんながわっと集まってきて、前の学校で入っていた部活やら、お家でレッスンをしているのかとか、音楽家のご家庭なの、とか、いろんなことを頭がふわふわしてくるくらいの質問責めにあった。
その波が引いた頃にはもう教室で、ひと息ついた所で漣さんに声をかけられた。
「素晴らしかったわ。話していても分かるけれど、
きれいな声をしていらっしゃるのね」
「ありがとう」
俺は素直にそう答えた。
たぶん、あなたの歌も素敵だったわ、などとは言わない方が良いのだろう。
明らかに俺の歌は、一般的な女子高生の域を飛び抜けていた、と思う。
「コーラス部の方からはもちろん誘われているでしょうけれど、ぜひ朗読研究会にいらして。あなたが読む島崎藤村はきっと素敵よ。よろしければ、今日の放課後にでも案内するわ。何か……ご予定はおありかしら?」
漣さんは、俺よりもむしろその横にいる杏子に尋ねている様子だ。
最初に俺と話したのは杏子なので、その許可がいると考えているのだろう。
俺も杏子に目をやった。
杏子はおとがいの下に手のひらを合わせると、中学時代には見たこともないような穏やかな笑顔で言った。
「ぜひ、行っていらしたらいいわ。残念だけれど、ハルカさんは空手部よりも朗読研究会の方がその声を活かせるんじゃないかしら。素敵な歌声でしたものね」
ホント、役者だよなあ。
中学のとき学園祭の片付けのときに勃発的に始まったペットボトル製パンチングマシーン破壊大会で、並みいる強豪、男子運動部勢を押さえて優勝した女とは思えない。
「ではハルカさん、宜しいかしら。ついでに校舎の案内もさせてもらうわね」
「ありがとう、よろしくね」
漣さんはにっこり笑って、自分の席に戻っていった。
「すげえ、トントン拍子だぜ」
「あんた、なんでそんな歌上手いのよ……」
今更ながらに、杏子が尋ねた。
ちなみに杏子の歌は致命的にド下手だ。
しかしそれをあえて指摘するような無粋な人間は、この聖クリスチナ女学園にはいないだろう。
「そうだ、思い出した」
自分で尋ねておいて、答にたどり着いたらしい。
「ミミコちゃんが自転車を盗まれたクラスメイトのために、チャリティーソング歌った回があったじゃない」
そうだ、確かそんな回があった。
クラスメイトの自転車代に当てるために、ミミコちゃんは自分の歌が入ったCDを作って売り始めたのだが、歌があまりに上手すぎてCDは全世界で2兆枚売れてしまう。
クラスメイトはその印税を元にして、鹿児島にマウンテンバイク共和国を建国。日本からの独立を果たすとかいうアホみたいな話だった。
「準備運動してたときにも思ったんだけど、やっぱりミミコちゃんが持ってる力は、俺も持ってるわけか……」
クリスチナ女学園に入学するまでこっち、ひたすら姉と女の子を落とすための訓練しかしていなかったので、身体能力にまでは考えが及んでいなかった。
俺の体が、ミミコちゃんのルックスだけではなく身体能力まで引き継いでいるのだとしたら、俺は100メートルを9秒で走り、野球をやったら打率10割ということになる。
俺は自分の手のひらを見つめた。
薄い皮膚は白くなめらかで、指紋は浅く、手の皺も少ない。
女の子のかわいい手だった。
「体育の時間は気をつけないとな……」
下手に注目を集めて周りが騒ぎ始めたら、女の子のキスを狙う学園生活が破綻するおそれがある。
「まあ、体力のことはいいや。使えてせいぜい、女の子に良いところ見せるくらいのことだ。それよりも放課後だ! どうする杏子? このままだと行くところまで行っちまうぜ」
「勝手にすればいいでしょ」
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