俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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3章 藤枝宮子(ふじえだみやこ)

第19話 虫かごと紅茶

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クリスチナ女学園の寮は、中等部から女子大のものまで合わせると10いくつかあって、うち高等部の寮は7つ。
それらはすべて、学園の中にあった。
それぞれの寮は、まるで天使が思いつきでばらまいたかのように、広大な敷地しきちの中で脈絡みゃくらくも無く点在している。

そのひとつが、薫風寮くんぷうりょうだ。
校舎までは、歩いて40分ほど。

「寮の意味なくない?」

俺たちは薫風寮へと続く、レンガ色に塗られた長い道を歩いていた。
雑木林ぞうきばやしひらかれたそれなりに広い道で、ときどき見かけるのは道の手入れのための道具が入った物置とか、『1987年卒業生植樹しょくじゅ』みたいな札のかかったシラカバの記念樹きねんじゅくらい。
あとは季節を問わず道端みちばたに重なる落ち葉や、所々に群生ぐんせいする笹林ささばやしなんかがあるばかりだ。

「こんなに遠いんじゃ意味ないだろ」

俺がそう言うと、杏子きょうこが答えた。

「親からすれば、生活が学園内で完結するってところに意味があるんじゃないかな」

なるほど。

たとえ外での遊びを禁じられている娘でも、家と学校を往復する間にはけむたい世間の風をいくらでも浴びることになる。
真面目な女生徒の中にも、悪い誘惑に負けてしまうものは出るかもしれない。
それならいっそのこと学園内の寮に住まわせた方が安全だと思う親もいるわけだ。
かつては華族の学校として設立されたクリスチナ女学園の風紀は、それだけの信用がある。

「そうか、通学のためというよりは、親の意向なんだな」
「中で何をやってるかなんて、わかったものじゃないがね」

俺の学生鞄の中から、人を小馬鹿にしたような声がした。

「学生自治なんてのは一種の社会実験だ。卒業できなかった元学生が住み着いて、ゲバ棒持って政治活動してても不思議じゃない」

「クリスチナ女学園にそんな生徒いないわよ」

杏子が反論すると、鞄の中からにょろりと触手が覗いた。

「わからないぞ、なにせ生徒に男がいるくらいだ。それも2人も」

触手がにゅるりと俺を指す。

他人事ひとごとみたいに言ってんじゃねーよ」

「実際、他人事だから仕方ない。君が男に戻ったときに漏出ろうしゅつするエネルギーは興味深いがね。しかしあの会長の態度をかんがみるとそれも危うい」

「それをどうにかするために今こうしてんだろうが」

それこそが今回、家から通っている俺たちが薫風寮に出向いた理由だ。
会長が住んでいるのが、そこなのだ。
あの完全無欠の会長が弱点を見せるとしたら、それは放課後の私生活の中でだろう。
それを暴いて弱みを握り、会長を脅してくちびるを奪う!

「それって最低じゃない?」

寮まではあと少しだというのに、杏子は未だにこんなことを言っている。

「なんでもやってみないと、2週間しかないんだから」

会長の弱みを握るなんて、俺だって気は進まない。
でも背に腹は代えられない。
彼女を脅すなんて――考えるだけでわくわくする。

しばらく歩いているうちに雑木林が開けて、大きな建物が見えてきた。
平行に3つ並んだ建物は、寮というよりはちょっとした高級マンションみたいだ。
けれども敷地をいくらでも使えるためだろう、窓を見れば4階までしかなくて、その分横に広い。
形だけを見れば公営住宅に近いのだろうけれど、清潔なチャコールグレーの壁や広いエントランス、そこに敷かれた大理石の床が、そこが良家りょうけ子女しじょ仮住かりずまいであることを物語っている。

城ヶ崎じょうがさきの情報によると会長がいるのはAとう、南側の最上階だ。

長いスロープのある入り口の脇には、バイクが2台停まっていた。
生徒のものとは思えないから、管理人さんのものだろう。

「カギ差しっぱなしとか、不用心だなー」

俺が呟くと杏子が言った。

「クリスチナ女学園の敷地内で、バイクを盗む人がいると思う?」

確かに。
盗んだバイクで走り出すお嬢様の理由なき反抗なんてのは、まずないだろう。
それと同じような理由からか、寮にはオートロックもなくあっさり入ることが出来た。

「じゃあ、予定の時間にここで落ち合うぞ」
「勝手に忍び込んじゃって大丈夫かな……」

「そんなこと言うなよ、俺なんか学校に忍び込んでる上で寮に忍び込むんだから杏子の2倍危ないんだぞ」

「何その理屈」

俺たちはエントランスで来客用のスリッパに履き替えると、二手に分かれた。
杏子の任務は談話室での情報収集。
会長の私生活を知る生徒たちから、あらゆる噂を集めるのだ。
そして俺は直接会長の身辺を調査する

城ヶ崎によると、会長の部屋は413号室だ。
情報収集能力に長けた城ヶ崎には是非とも同行して貰いたかったのだが、きっぱり断られてしまった。
僕はそういうフェアじゃないやり方は嫌いだ、とかなんとか。

「自力で男に戻れる奴は気楽でいいよな」
「私から見ればどちらも変わらない。両者等しくカマ野郎だ」
「言ってろ」

会長の部屋の前にたどり着いた。
ドアの横の札を見ると『外出中』とある。

「まだ学校から帰ってないのか」

俺が呟くと、ネクロが言った。

「いや、下の集合ポストを見ると413号室のビラは抜かれていた。管理人からのお知らせかなんかだろう。一度は戻ってきてる」

「よく見てるな」
「ココが違うんだよココが」

鞄の中で、触手がぴしゃぴしゃと背表紙を叩く。

「どこかわかんねーよ……」

ネクロは触手をくるりと回して、ページの間に収めた。

「ここにいないとしたら、談話室か、もしくは風呂かな」
「風呂だ風呂に違いない風呂に行こう」

いそいそと階段に向かって踵を返したところで、

「今上がったところよ」

振り向いた先に会長が立っていた。

「おぅわ!」

思わず淑女らしからぬ声を上げてしまう。

「は……早い時間に、お風呂入っちゃうんですね」

「そうかしら。かいた汗はすぐに流したいもの」

会長はレースの付いた白いルームウェアを着ていた。
長い黒髪は風呂上がりと分からないくらいにきれいに乾いていたけれど、湯気を浴びたばかりの肌は、やはり昼間に見るのとは質感が違って見える。
室内灯の柔らかい光を呼吸しているみたいな、穏やかな白さを湛える頬が微笑んだ。

「どいてくださる? 部屋に入れないのだけれど」

会長の切れ長の目は、怒ってはいないけれども笑ってもいない。
モデルのようにすらりと高い長身から、感情を乗せない視線が注がれる。
俺が道を空けると、会長は黙って俺の横を通り過ぎた。
鞄からネクロのあざける声がする。

「まさに理想的な“蛇に睨まれた蛙”の姿だ。今の自分を写真に撮って、子供向けの慣用句辞典を出している出版社に送ってやるといい。“蛇に睨まれた蛙”のページに君の顔が載れば、日本の学力低下も少しはマシになるだろう」

俺が鞄からはみ出した触手をつねりあげていると、後ろから声をかけられた。

「何をぼうっと立っているの、早く入っていらっしゃい」

俺が驚いて振り返ると、会長がにこりと笑った。

「私に会いに来たのでしょう?」

会長は髪を翻すと、ドアノブから手を離し、戸板に長い指を添えた。
そうなると、俺はドアに手をかけて中に入るしかない。

「……おじゃまします」

あれだけ俺に嫌悪を向けた会長が、どうして自ら部屋に招き入れるのだろう。

「適当なところに座ってちょうだい」

俺は廊下の突き当たりの部屋に通された。
部屋の真ん中には楕円のガラステーブルがあって、白と緑のキューブ型のソファが並んでいる。
カーテンはソファの色と揃えて、明るい緑色。
クラシックな白いキャビネットの上には、写真立ての横にワニのぬいぐるみが座っていた。
なんか、想像よりかわいい部屋だ。
もっとこう、お金持ちの応接間みたいなのを想像していたのだけれど。

「適当なところというのは、いい加減なところという意味ではないわよ。あなたが座るのに適した場所を探して座りなさい」

「ハイ」

あからさまに人を馬鹿にした会長の言葉に機械的に答えると、俺は手前のソファに腰掛けた。

「下座だと思って座ったの? 偉いわね」
「そこまで考えてません」
「わたくしも考える必要はないと思うわ」
「はあ」

何が言いたいんだよこの人は。
俺はため息をついて、窓を眺めた。
東の山は西日に照らされて、鮮やかなオレンジ色に染まっている。
あそこもクリスチナ女学園の敷地内だ。
会長は毎朝、どんな表情であそこから昇る朝日を眺めるのだろう。
この人はひとりでいるときにどんな顔をするのか、俺には想像もつかない。

「どうして、私を部屋に入れたんですか?」

俺は素直に、思ったことを尋ねてみた。

「私のこと、側に置きたくないって仰ったでしょう」
「そうね」

会長は提げていたスパバッグを奥の部屋に片づけると、戻ってきて向かいのソファに座った。

「わたくしね、虫は怖くないのよ。よくお兄さまと一緒に、お庭で虫取りをしたわ。
 今はさすがにもうやらないけれど」

会長は穏やかな表情で、膝元に指を組んでいる。

「バッタなんか、触っただけで貧血を起こすような子が学園にはときどきいるけれど、わたくしは平気。意外かしら」

俺は小さく目で頷いた。
この人は、何を言おうとしているのだろう。

答えはすぐに分かった。



せみを触っているような気持ちなのよね、あなたと話していると」



壁掛け時計の時を刻む音が、いやに大きく聞こえた。

蝉。

木に貼り付いてみんみん鳴くあの蝉。

―――――この俺が?

鏡で見る今の自分の美しさは、いやでも目に焼き付いている。
けれども会長の深い声――どんな些細な事でも確信を持って響く声が、絶対だと思っていた自信の牙城を突き崩す。
会長のくちびるの鋭利えいり輪郭りんかくが、かすかに笑った。
まるで俺の戸惑いをスプーンですくい取って、味を確かめているかのように見えた。

「触っている間は楽しいのよ。でも突然飛んできたらびっくりするわ。
 食事中や寝ているときにもいて欲しくない」

俺を見つめながら、会長ははっきりと言った。

「キスもいや」

俺は思わず、下に目を逸らした。
向こうずねがフワフワして、うまく力が入らない。
俺は会長の言葉遊びにショックを受けているのか?

待て、俺は男だぞ。

今貼り付けている美少女の顔は、俺の一生の財産じゃない。
つまらないことは聞き流せと、思うのだけれど――変な話、俺は悔しくってたまらなかった。

俺は下を向いたまま言った。

「虫けらだって、仰りたいんですか」

「そんな悲しい顔をしないで。もののたとえよ。たとえ話は万能じゃないわ。
 わたくしたちは葡萄の枝でもなければ、地の塩でもないでしょう。
 わたくし、あなたの顔は好きよ。きっと、誰だって好きだわ」

顔が好き、と言われても胸のざわめきは止まなかった。

「蝶みたいって、言ってあげれば良かったのかもしれないけれど。
 あなた、頑丈そうだもの。蝶という柄には見えない」

安易に部屋に入るべきじゃなかったと、俺は後悔し始めていた。
有村遥ありむらはるかという男を彼女は知らないはずなのに、どうしてその言葉はミミコちゃんの肉体を透き通して、俺の胸に突き刺さるのだろう。
正直、生徒会というホームにいるときにはとても手が出せなくても、1対1ならどうにでもできるとひそかに思っていた。
カリスマというのは集団の外にあっても、こんなに奇妙に人の心を操るものなのか。
ソファの傍らに置いた鞄から、俺だけに届く声がした。

「どうにも敵わないようだな。それならもう、いっそ力ずくでくちびるを奪ったらどうだ? 言葉のやりとりで相手を絡め取るのは会長の得意分野だろう。わざわざ敵の土俵に上がることはあるまい」

そんなことできるわけないだろ、といつもなら当たり前に思うのだけれど、どうあがこうと今目の前にいるこの女を、言葉で落とせる気がしない。

そうだ、何も怪我をさせるわけではないのだから。
キスの1発や2発――こっちは人生がかかっているのだ。

そんなことを考えながら、俺は会長の口元を見つめた。
すっと高い鼻筋の下で、凛々しい弧を描く会長のくちびる。
血のような赤唇せきしんは薄く、けれどもその輪郭はふっくらと柔らかい。
まるで会長の言葉の心を抉るような鋭さと、人を惹きつける包容力を象徴しているみたいだ。
そのくちびるが開いた。

「あなたはわたくしのお友達になりたいわけじゃない。気に入られたいのでもない。ただ獲物を狙うようにして、わたくしを狙っているのでしょう」

会長の切れ長の目が、俺をまっすぐに射抜いた。
見抜かれている。
さすがに俺がどういう目的で会長に近づき、キスを求めているのかまでは分からないだろう。
けれども、俺が会長のくちびるを目的に近づいていることを、彼女はちゃんと感じ取っていたのだ。
会長は微笑んで立ち上がった。

「構わないわよ、わたくしのこと好きに慕ってちょうだい。」

お茶を淹れてくるわね、と会長はキッチンに入っていった。
ダメだ、完全に会長のペースだ。

「この調子じゃ俺、いつ男に戻れるんだろ」

窓の外に見える山の色は、鮮やかなオレンジから淡い青紫に変わっていた。
もうすぐ日が暮れる。

「そうだな。案外すぐかも知れないぞ」

ネクロの言葉に、俺はソファの傍らに視線を落とした。

「どういう意味だよ」

「満月の夜、狼男に変身するって話があるだろう。月の満ち欠けは、呪いや祝福による肉体の変化に大きな影響を与える。今上げた狼男の例にあるように、満月は体を変化させる力を増幅させる。しかし今日は新月だ」

「は?」

――すごくイヤな予感がした。

「月の引力に従って浮き沈みするのは、潮だけではないということだよ。君の体をその形に保ち続ける白ネコの祝福を、新月はある程度減衰げんすいさせるだろう。端的たんてきに言えば、君が一時的に男に戻る可能性は十分にある」

よりによってこのタイミングで。
絶体絶命どころの騒ぎではない。

「な・ん・で・それを先に言わないんだよっ!」

俺は慌てて立ち上がった。
ネクロの澄ました声が帰ってくる。

「聞かれなかったからね」
「説明責任ってもんがあるだろうが!」
「そろそろ日が沈むな……」

俺は自分の体に目を落とした。
えんじ色のスカートに包まれた、自分の膝が見える。

「……ん?」

自分の膝、今まで見えてたっけ。
こう、何か大きなものが、視線を遮っていたような――。

俺は自分の胸に手を触れた。

「…………ない」

ない、というか、そこにあった膨らみが杏子なみにしぼみつつあった。
続けて股間こかんに手を触れた。

「…………ある」

人生17年の歴史を早送りで見るように、有村遥の有村遥が大きく膨らんでその形を取り戻しつつある。
元に戻った姿、スカートを履いた俺の姿を会長に見られたら終わる。
男に戻るための計画どころか、社会的に俺が終わる!

「失礼しまーす!!」

俺は傍らの鞄を掴んで廊下を走り、スリッパをつま先に引っかけて会長の部屋を飛び出した。

「急にどうしたの」

背中からの会長の返事に答える余裕はない。
俺は走った。
平たくなった胸が揺れない。

その代わりに、股間で何かが揺れていた。
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