俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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3章 藤枝宮子(ふじえだみやこ)

第20話 ティアーズ・オブ・ザ・サン

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運が良いことに、廊下には誰もいなかった。

今や俺の胸元からふっくらおっぱいは完全に失われ、股間は放蕩ほうとう息子との感動の再会を果たしている。
部屋を出るときに発した声はまだ女の子だったけれど、それもいつまで続くか分からない。

俺はひとまず身を隠せる場所へと走った。
どんどん腕を振るのがきつくなってくる。
ブラウスの肩幅が狭くなって、ブラのワイヤーが胸板に食い込む。
股間こかんの俺はとうに小さなショーツからこぼれ落ち、スカートのかげで伸びやかにシャバの空気を吸っている。

兄貴、おつとめご苦労さまでした!

トイレにたどり着くと、俺は鏡に映る自分の姿を見た。
懐かしい、男子高校生の自分の姿だ。
ブラウスにリボンみたいなひもタイ付いてるし、スカート履いてるけどな!
見慣れたはずのその顔は、未だかつてないほどに青ざめていた。

「どうすんだよコレ……」

俺の声は、完全に男に戻っていた。
ネクロがそれに答える。

「自分の心配ばかりもしていられないんじゃないかね。前に言っただろう? あらゆる変化には、それに伴う反動がある」

「どういうことだよ」

「これは、君が男に戻れなかったときにも起こることなんだがね。人工的にもたらされた変化には、必ず自然の整合力というものが働く。白ネコの祝福にしたって同じことだ。君が女になってしまうことによる反動は、いつもは君の中に停滞する霊的エネルギーによって抑えられている。しかしそれが固着したり減衰げんすいしたりしたときは、その反動が祝福が与えられたときに側にいた者へと跳ね返るというわけだ」

俺はイヤな予感に急かされて、鞄からスマホを取り出した。

SNSに新着2件。


『 おまた なんかできた 』


『  といれ たすけて   』


「オオゥ……」

オデキではあるまい。
それなら俺に助けを求めたりはしないだろう。
俺はその場で返信した。

『 大丈夫か? 』

俺がメッセージを送ったとたん、着信音がトイレに響いた。
ふと見ると、一番奥の個室の扉が閉じている。

「……………」

俺は再びメッセージを送った。

『 4階のトイレ? 』

また着信音が鳴る。返信はすぐに来た。

『 うん 』

このトイレだ。

あの扉の向こうに、男になった杏子きょうこがいる。

「あの……大丈夫か?」

俺が直接呼びかけると、ごそりと身を揺する音が聞こえた。

「ショックなのは分かるけど、ずっとここにはいられないぞ」

SNSにメッセージが来た。

『 わかった 』

俺はスマホから顔を上げる。
ゆっくりと、扉が開いた。
えんじ色のスカートが揺れる。
そこから伸びるたくましい脚が、つま先にひっかけたスリッパで力強く床を踏みしめた。
ふとももとふくらはぎの張りつめた筋肉が、トイレの白い蛍光灯に照らされてぎらつく。
ブラウスの裾はへその上まで持ち上げられて、6つに割れた腹筋が覗いている。その上にはブラウスを張り裂きそうな分厚い胸板、そして七分たけになってしまった袖を今にも破らんとする太い腕。

身長180cmを超えるのスキンヘッドの男が、泣きそうな顔で俺を見下ろしていた。
太い喉から響く、世界を幾度となく救った男の渋いハスキーボイス。

「ハルカァ……」(CV:野沢○智)

世界的な肉体派アクション俳優が、クリスチナ女学園の制服を着てそこに立っていた。

「オーマイウィリス!!」

俺は頭を抱えてうずくまった。

「ネクロ! てめえやって良いことと悪いことの区別がつかないのかよ!」
「勘違いするな、私がやったんじゃない。おそらく杏子の理想の男性像が反映されたんだろう」

俺は膝をついたまま、杏子ウィリスを見上げた。

「それが……杏子の理想の男性像なんでウィリス?」

気が動転するあまり、語尾がおかしくなってしまう。
杏子は低い声で答えた。

「昨日……お母さんとダ○ハード2見てたからだと思う……」

俺が川に落ちる直前にミミコちゃんを読んでたのと同じようなパターンだろう。

「でも、なんであたしがこんなことに………」

「よくわかんないけど、新月の影響だって。
 俺が男に戻れなくなっても、杏子はそうなるらしい」

「ウソでしょう!?」

杏子は腕毛の生えた手のひらで、口元を押さえる。
悪夢だ――。
頭を振って気を取り直すと、俺はその場で立ち上がった。

「とりあえず、ここから出よう。建物から脱出するの得意だろ?」
「それが……その……」

たくましい筋肉で覆われた太股ふとももを、スカートの下ですりあわせながら杏子は言った。

まさか――。

「おしっこしたいけどやり方がわからない」

こいつとんでもない爆弾アルマゲドン抱えてやがった!

「我慢できないの!?」

「できたら言わないわよゥ!
 お願い、手伝って! アタシ目ぇつぶってるから!」

「そんなの、チョイと出して、じゃーっとやればいいんだよ」
「分かんない聞きたくない! ほら、目ぇつぶったから! お願い!」

そんな野太い声でお願いされても――。

「早くして……もれちゃうからァ………」

内股の大男が、プルプル震えている。

男のおしっこを手伝うの!?
俺が!?
いやいやいや。
そんな瞬間が、俺の人生の中にあっていいはずがない。
日本は、今のところは平和な国だ。
まともに暮らしていれば、テロリストに襲われたりすることもあまりないだろうし、ミサイルや爆弾が落ちてきたりすることはない。

健康な中年男性の、おしっこを手伝うことだってないはずなんだ。

介護なら、けが人や老人の介護なら理解できる。
それは文化的な生活のために必要なことだからだ。
けれども、健康体のムキムキマッチョマンのおしっこを手伝うということは、それとは別種の不穏ふおんな意味をもたらす。

特殊な、ある意味で非常に高度な文化的意味を――。

「もう限界……漏れちゃうゥ………」

渋い声優さんの声で、そんな言葉聞きたくなかった。
しかし杏子にしてみれば、いきなり中年のオッサンになってしまったお漏らしなんてことになれば、おそらく一生立ち直れないだろう。
杏子はこれからの人生を、スカートを履いたオッサンのお漏らしを身をもって体感したという、重い十字架を背負って歩まねばならないのだ。

そんなことは、幼なじみの俺が許さない。

「分かった……」

俺は、困難に立ち向かう決心を固めた。
俺が代行者サロゲートとなって、杏子の未来を救う!

俺は意を決してその場にしゃがむと、杏子の今にもちぎれそうなホックをはずしてスカートをおろした。
たくましい脚の下に、ぱさりとスカートが輪になって落ちる。
そして顔を逸らしながら、次はもはや限界まで引き延ばされてヒモ状になっているショーツをずり下ろした。
杏子が膝を上げて、ショーツから足を抜く。
俺は目をつぶっているのだが、強烈な存在感を放つ何かが顔の前で揺れているのを第6感シックスセンスを通してひしひしと伝わってくる。

俺は下を全部脱がせると、立ち上がって腰を掴み、杏子をゆっくり個室の中へ移動させた。
できれば、このままコトを済ませて頂きたい。
しかし俺は知っている。
尿をギリギリまで貯めたイチモツローデッド・ウェポン1は、手放しで放出すると暴走してしまうのだ。

ましてや、杏子はそこから用を足したことがない。
このまま杏子の股間の天使が全開で放出チャーリーズ・エンジェル・フルスロットルすれば、汚れなき個室の床を水浸しにしてしまうことだろう。
しかし俺はトイレを平気で汚せる無法者バンディッツではない。

杏子のがっちりした肩から下をのぞき込むと、茂みから飛び出す乱暴者森のリトルギャングが目に飛び込んできた。
俺は思わず息を飲む。

全然リトルじゃない――!

しかしいつまでも圧倒されているわけにはいかない。

「触るぞ……」

杏子の股間の強靱なモノアンブレイカブルを指先で挟んだ。

「ひゃうんっ」(激シブボイス)

ぐにぃっとした感触が、俺の指の皮膚を浸食する。
俺の脳裏に城ヶ崎のアレのアレが浮かんだが、これはそんなに生易しいものではない。
あんなのは、今思えばかわいいモノだった。
今この場から逃れられるなら、1日中握ってやっていてもいい。
あれが魚肉ソーセージだとすれば、目の前でプルプル震えているのは凶悪なサンドワームなのだ。

しかもナマだ。
体温が、体温が伝わってくる。
なま暖かい体温が、壊疽えそのように骨まで染み込んでくる――。

俺は心を悟りの境地に昇華させながら、便器に照準を向け準備セットアップする。

嗚呼、死ぬほどきついダイ・ハードこの状況――。

やがて、湧き起こる水音。
指先から、ブ ブ ブ ブ ブ とおぞましい振動が伝わってくる。
俺は歯を食いしばって、手元をほとばしる杏子の息子が流す涙ティアーズ・オブ・ザ・サンが、無事便器に受け止められるのを見守った。

まさか、俺の人生でハリウッド俳優のシモの世話をする瞬間が訪れるとは、夢にも思わなかった。
杏子が虚心きょしんに呟いた。

「死にたい……」

スクリーンに映える男らしい顔から、つうと涙がひとすじ流れ落ちる。
まるで映画のラストシーンのようだった。
丸出しの股間と、それを背後から支える俺を別にすればだが。

いつしか水流も衰えて、ヂョロヂョロ~と最後のひと絞り。
俺はペン先を軽く振ってやった。

「ふう…………」

俺は今日、いろんなモノを失った。
でも、杏子の未来は守られたんだ。
俺は自分の身を犠牲にして、女の子を守った。
これは誇るべきことではないだろうか。

――おじいちゃん、俺、やったよ。

俺が正義を貫いた感慨かんがいふけっていると、不意に、背後でどさっと何かが落ちる音がした。
振り向くと、そこにはスパバッグを足下に落とした顔面蒼白の女子生徒の姿があった。

「…………!?」

女生徒は口をぱくぱくさせながら、後ずさりしている。
俺は杏子のイチモツから手を離すと、彼女に爽やかな笑顔を向けた。

「ハハッ、誤解しないでくれよ、俺たちはそういう関係じゃない。ここにいることにもちゃんと理由があるんだ」

女子寮のトイレで、明らかにクリスチナ女学園の生徒ではない何者かパーフェクト・ストレンジャーによるナニかを見た彼女の驚きは想像に余りある。

「そうよォ! 誤解よォ!」

女生徒は個室の中から響くロス市警のベテラン刑事の声に、ビクッと体を震わせる。
その口から、悲鳴にならない悲鳴が漏れ始めた。

「い……い…………」

まずい――!

俺は興奮した犯人を説得するネゴシエイターのような気持ちで、彼女に優しく話しかけた。

「落ち着いて。話せば分かる、君はきっと納得してくれるはずだ」

「いいいいいいいいいいいいいいいいやあああああああああああああああああ!!!!」

女生徒は耳をつん裂くような悲鳴をあげると、スパバッグを放り出したまま走っていってしまった。

「杏子、早くパンツとスカート履け! ここを出るぞ!」

「う……うん」

杏子は急いで着衣を直し、俺もふざけたチンポジを修正して、廊下へと躍り出た。

「キャ――――――――――――――――――――!!」

悲鳴を上げながら乗ってきたエレベーターに飛び込んだのは、さっきとは別の生徒だ。
こうなると、階段を使うしかない。
俺は杏子の手を引いて廊下を走り、階段を駆け降りた。
踊り場にさしかかったところで、下の方から声がする。
俺たちはとっさに手すりに身を隠した。

「お手洗いで男性同士でアレをアレしてて………」

先輩に報告しているのは、トイレで出会った生徒だろう。

「どうして女子寮にゲイが………意味が分からないわ。何が目的だというの」

先輩らしき生徒は、後輩のあり得ない報告をどう判断したものか考えあぐねている様子だ。
そこに、さっきエレベーターで下に降りた生徒が走り寄ってきた。

「わ、私も見ました! 今! 上にいますぅぅぅぅぅ!!」

2人目の証言者の登場で、事件は一気に信憑性を帯びる。
先輩は即座に指示を出した。

「私はみんなに知らせます。あなたは警察に電話して。あなたは風紀委員の筮村ぜいそんさんを」

「筮村さんには連絡しました! 彼女このとうだからすぐ来るって!」

だんだん人が集まってきて、ざわめきが大きくなる。

「当たり前だけど、大事になってきたな」

彼女たちがいる以上、階段は使えない。
俺たちは再び4階に撤退てったいせざるを得なかった。
さっきのエレベーターに乗り込んでもいいのだが、東側にあるエレベーターの方がエントランスの入り口に近い。
風紀委員の子なんかはどうとでもなるだろうけれど、エントランスで警備の人や警察と鉢合はちあわせたら逃げ場がなくなる。

西側のエレベーターを横切って、俺たちは走った。
スピーカーから放送が流れる。

『4階で、極めて特殊な行為に耽るふたりの男性の見かけたとの通報がありました。在室している生徒は、ドアに鍵をかけて外には出ないようにして下さい。室外の生徒は無理に自室に戻らず、近くの鍵のかかる部屋に避難して下さい。繰り返します……』

それで誰とも出会わず外に出られれば好都合だ。
廊下の角を曲がって中央エレベーターに近づいたところで、チーンと到着音が鳴った。
生徒が今、エレベーターを使うとは思えない。
しかし警備の人にしては到着が早すぎる。
スキンヘッドの精悍せいかんな顔をしかめて、杏子が言った。

「風紀委員の筮村さんだわ……」

「ここで引き返してもジリ貧だ。
 仕方ない、ちょっと脅かしてその隙に通り抜けるか……」

俺の声をかき消すような轟音が、エレベーターから響いてきた。





ドドルゥン―――ボルドゥルゥンッドッドッドッドッドッ―――――。





獣の唸るような声にも思えた。
エレベーターの調子が悪いのだろうか。
まあいい。
俺は、彼女をビビらせるために身構えた。
両手を上げてガオーとでも言ってやれば、風紀委員とはいえ所詮は箱入りのお嬢様。
泣いて逃げ帰るに違いない。

エレベーターが開く。
そこにはエンジンチェーンソーを抱えた生徒がひとり、俺を見下ろして立っていた。

その長身は今の杏子ウィリス以上――おそらく190cmを超えている。
えんじ色のスカートから伸びる長い長い足はむっちりと肉付きが良く、その長身を支えて余りある脚力を感じさせた。
広い肩幅はあくまで均整きんせいの取れたスタイルの中に収まっていて、クリスチナ女学園の制服に包まれて、その品位をいささかも落としてはいない。
しかし彼女の放つ異様な雰囲気は、その規格外の長身と手にした道具によるものではなかった。

エレベーターの室内灯が、彼女の顔に影を落とす。
その表情は窺えない。

なぜなら俺たちを捉えているであろう彼女の瞳は、古びた傷だらけのホッケーマスクの奥に隠されていたからだった。
その呼吸穴から漏れる吐息が、静まりかえった廊下に響く。



「コフォー……コフォー……」



俺と杏子は、黙って顔を見合わせた。
よし、彼女をびっくりさせちゃうぞ。

「が、がおー」

俺の雄叫びに、彼女の抱える2ストロークエンジンが返事をした。



―――ドォゥン! ドゥルルルルルルゥゥゥゥゥゥゥl!!



「逃げろォォォォォォォォォ!!!」

俺と杏子はその場で踵を返して逃げ出した。
スリッパも脱ぎ捨てて全力疾走する。

「何今の!? なんでチェーンソー持ってんの!?」

杏子は猛然と走りながら答えた。

「風紀委員の筮村ぜいそんさんよ!
 アイスホッケー部と日曜大工同好会を兼部してるの!」

「どうみても不死身の連続殺人鬼なんだけど!」

俺の人生、どこで間違ったんだろう。

なんで俺はジョン・マ○レーンと一緒にジェイソン・ボー○ーズに追われながら、命がけで女子寮の廊下を走ってるんだ。

悪質なコラボ映画的状況に目眩めまいを起こしそうになりながらも、俺たちはまたさっきの場所まで走り、もう一度階段を駆け下りた。
後ろから重たい足音とエンジン音が追いかけてくる。
追っ手をくために、俺は杏子の手を引いて2階へと降りた。
まだそこに残ったいた生徒たちが、きゃあきゃあと悲鳴を上げて廊下の奥へと逃げて行く。
悲鳴を上げたいのはこっちの方だ。
また廊下を走って、東側のエレベーターへ。

そのうちに、エンジン音はだんだん遠ざかっていった。
俺はぜいぜいと息をつきながら、エレベーターのボタンを押した。
電光表示を見ると、エレベーターさっきのまま動かず4階にあった。
ゆっくりと、ゆっくりと降りてくる。
エンジン音は遠く聞こえなくなったけれども、いつまた筮村ぜいそんさんが現れるかもわからない。
裸足のつま先で床をたたきながら、焦る気持ちに引き延ばされた時間を待ち続けた。
杏子が、スキンヘッドから流れ落ちる汗を短い袖で拭った。



―――――チーン。



とうとう、静まりかえった廊下に到着音が響いた。
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