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3章 藤枝宮子(ふじえだみやこ)
第23話 花びらのプロローグ
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それからというもの、俺は会長のくちびるを奪うべく、毎日ありとあらゆる手を試みた。
『運命の出会い作戦!』
私、有村ハルカはどこにでもいる高校2年生。
他の人と違うことといえば、キュートなお尻とたわわに実ったセクシーダイナマイツ、誰もが振り返る美貌に100メートルを9秒で走る驚異的運動神経ぐらいカナ。
そんな私がある日、うっかり落としてしまった1枚のハンカチ。
それを拾ったのは、全生徒の憧れの的である生徒会長で――!?
お嬢様でシンデレラなハートフル百合コメディ爆誕!
「落としたわよ」
靴脱ぎ場で落としたハンカチを、拾ってくれたのは副生徒会長の里奈さまだった。
「あ、ありがとうございます」
後ろ頭をかきながらハンカチを受け取る俺を、里奈さまの隣で冷ややかに見据える会長。
「地面に敷くなら、もっと大きな布にしなさい。靴の泥を落とすのに便利だから」
――わざと落としたのを、きっちり見抜いていらっしゃる。
『親方、空から女の子が! 作戦!』
藤枝宮子はクリスチナ女学園の生徒会長。
生徒たちから愛されつつも、平凡な学生生活を送っていた。
ある日の掃除の時間、宮子いつものように校舎の庭を掃いていると、空から美しい少女が落ちてくるのを目の当たりにする。
危うく抱き留める宮子、目を開く少女。
ふたりの運命が交わったとき、物語は始まる――。
「とうっ!」
栗色セミロングの髪が舞い、スカートのプリーツがはためく。
ミミコちゃんから受け継いだ驚異の肉体は、地上3階の校舎から飛び降りようとビクともしなかった。
俺は手のひらを下に向けたカッコいいポーズで、会長の前にスマートに着地。
膝を落として衝撃を和らげるも、ふたつ併せて2キロを超えるホワイトマシュマロは肋骨を叩いて、ブレザーの襟刳りを飛び出しあごの下まで跳ね上がる。
ブラウスのボタンがバツンと弾け飛んだ。
落下に煽られて、木の葉が舞う。
この季節にしては落ち葉が多いなと思って会長を見ると、その手には竹箒が握られていた。なるほど、会長が俺の足下に落ち葉を集めていらしたわけだ。
会長は金属のように艶やかな髪にまとわりついた落ち葉を払いながら、鋭い切れ長の目で俺を見据えた。
「あなた、いったい何をしているの?」
「ガチャ○ンチャレンジ!」
俺は走ってその場を逃げ出した。
―――――。
「それ、イヤガらせって言うんじゃないの?」
杏子は鞄からソーイングセットを取り出しながら、ため息をついた。
俺は中庭から逃げ出したあと、胸元のボタンが取れたまま教室の拭き掃除しているのを杏子に呼び止められ、すぐ近くにある家庭科室に連れ込まれた。杏子はソーイングセットを持っているけれど、お嬢様は教室で堂々と胸のボタンを付けたりできないのだ。
家庭科室はいつでも鍵が開いていて、生徒が自由に使っても良いことになっている。
とはいっても、理由もなしに溜まり場にしていれば怒られてしまうけれど。
「俺の百合百合どっきりハプニングメソッドは完璧だったはずなのに!」
姉と一緒に考えた極めて高度な電撃作戦だったはずだが、会長にはまったく通用しなかった。ネクロノミコンが俺の鞄の中から、悪魔的美声を響かせて嘲笑う。
「百合百合というよりは、気になる女の子にちょっかいを出す小学生の悪ガキという感じだな。次は蝉でも捕まえて見せに行くかね」
「会長は虫、平気だって言ってただろ。この季節に蝉いねーし」
俺はブレザーを脱いで、背もたれのない椅子に掛けた。
ブラウスのボタンを外そうとすると、杏子に止められた。
「着たままでボタン付けできるから。その代わり『脱いだ』って3回言うのよ」
「なんで」
「服を着たまま針を入れるときはそう言うものなの」
着ている服を縫うのは死人にすることだから、「脱いだ」と口に出して厄を払うのだという。
杏子はこんなふうに、妙に古風なところがある。
俺は言われたとおりに3度唱えると、杏子の顔の前に自分の胸を向けた。
「はい、お願い」
「うっ……」
杏子のくちびるが唾を飲み込むように窄み、その目が見開かれた。
その眼前いっぱいに広がるのは、ブラウスのプリーツをいっぱいに開くふたつの膨らみだ。それは俺も見たことのない風景。
自分のおっぱいを真っ正面から見ることはできないのだ。残念ながら。
杏子はブラウスの開いた前立てに、おそるおそる細い指を入れてめくった。
「あれ、隠しボタンが付いてる。なんで?」
ブラウスの胸元のボタンとボタンの間には、小さなボタンが前立てに隠れるように付けられている。
「なんでって、これがないと隙間からブラ見えちゃうだろ……あ」
しまった。言った直後に失言に気が付いた。
「ごめん、杏子は隠しボタン無くても見えないんだよな。俺の気遣いが足りなかった。傷つけるつもりは無かったんだ。俺は自分の胸が杏子と比べてどうこうなんて話をするつもりはないし、杏子の胸を尊重する意思もある。胸の大きさは個人の自由だから……」
俺が慌てて謝罪の言葉を並べると、杏子は口角を裂けそうなほどにひきつらせた凄い笑顔を浮かべて言った。
「自由じゃ、ないのよ?」
「そうか、そうだな、自由じゃないよな。自由だったら苦労しないよな。自由じゃないけど……そう、個性! 立派な個性だから! 胸がある杏子なんか杏子じゃないって言うか」
「それ以上くだらないこと口走ったらその肉風船、縫い針刺して破裂させるからね」
俺は即座に口を噤んだ。
杏子は針に糸を通して玉結びを作り、ブラウスの前立てを手前にぐっと引っ張ると、そこに裏から針を入れた。作業に集中している杏子の、丸っこい目と明るく上を向いた睫毛が、胸先のすぐそこにある。
とは言ってもその胸が結構なボリュームなので、うちで一緒に寝たときに覗き込んだ顔ほど、近くに来るわけではないけれど。
予備のボタンに糸を通して次は表から針を――とその間に、俺の胸は杏子に引っ張られて上に下にと動き形を変える。
杏子の白い指の、関節が胸に当たってくすぐったい。
険しい表情で眉間にしわを寄せた杏子が、丸い瞳で形を変える胸の先を追いかけた。
――ぐねんぐねん、もよんもよん。
「……揺らさないでよ、縫いにくいでしょ。ほんとに刺しちゃうわよ」
「勝手に揺れるんだよ」
「だあーっ! もう脱げっ!」
「あーれー」
親指にボタンをぱしぱし弾かれて、俺はブラウスを脱がされた。
「杏子が着たままでいいって言ったんじゃん!」
「最初からこうすれば良かった、もう」
杏子が奪い取ったブラウスを膝に抱えてチクチクやってる間に、俺は壁に掛かった円い姿見に自分の姿を映した。
ブラウスのボタンが取れたくらいだから、ブラのホックとかストラップがダメになっているかも知れない。白いキャミソールを捲って確認する。
フロントに小さな黒いリボンの付いた水色のブラは、手のひらでは掴みきれないほどの大きな膨らみを、今日も立派に支えていた。
「さすが9500円のブラだ、3階から落ちても何ともないぜ」
「何やってんのよ……」
頭の後ろと腰に手を当てて鏡を眺める俺に、杏子は後ろから呆れた声で呟いた。
「ハンカチ落とすとか空から降ってくるとか、そういう運命の出会いみたいなのは、会長には通用しないんじゃないの? っていうか出会いも何も、しっかり顔つき合わせて話したんでしょう、2回も」
その通りだ。
1度目は生徒会室で不作法と下心をズバズバ指摘され、2度目は会長の住む薫風寮の部屋で蝉扱いされてからかわれた挙げ句、男に戻ってしまい逃亡。それ以降は前述のヒット&ラン戦法で、まともに会話したとは言い難い。
「予想はしてたけど、難しい相手よ会長は。寮から出たときはその、
いろいろありすぎて話すの忘れてたけど……」
「いろいろありすぎたよな……」
これからの人生で、あれ以上いろいろあることはないだろう。
この指にまだ残るソーセージが震える感覚を、俺は賢明に意識の外へと追いやった。杏子も脳裏に巡る何かと戦っている様子で、一心不乱にブラウスに針を通している。しばらく手元を動かしている内に心が安らいできたようで、その口を開いた。
「まあとにかく、寮の談話室で話を聞いてきたのよ。会長の人気、すごいみたい。1年生のときからファンクラブみたいのものはあったらしいんだけど、それが生徒会長になってからは雨後の筍状態で、ファンはまずどのファンクラブに入るかで悩むんだって。それぞれ特典があって、会長のポートレートが貰えるとか、会長と親しい人から最新情報がもらえるとか」
「直接本人に会いに行けばいいと思うんだけど」
ファンクラブなぞに入らずとも、同じ学園の生徒なのだから、お近づきになる手段はいくらでもあるはずだ。俺が試みているように。俺が尋ねると、杏子は手元を動かしながら答えた。
「ファンでいたいっていうのと、実際に友達になりたいっていうのは別の心理なのよきっと。それに会長って、けっこうその、キツいとこあるでしょう? 繊細な女の子が懐に飛び込んで行くにはハードル高すぎるんだわ。近くにいるだけで、体調崩しちゃう子もいるらしいし。これ最近の話らしいんだけど、寮のお風呂で会長の近くにいた子が倒れちゃったんだって。それもひとりじゃないとか」
「……もうそれ人気とかじゃないだろ」
聞けば聞くほどすさまじい人みたいだ。だから会長はあんな早い時間に風呂に入ってたのか。
「でも、最近の話ってことは、それまでそんなことなかったってことだろ。
なんでそんないきなり人気が出たんだろ」
「なんでって、生徒会長になったから?」
「それは順番がおかしいだろ。クリスチナ女学園じゃ、
人気者が生徒会長になるんだろ」
「それはそうだけど……」
「……………」
俺は自分の鞄をつっついてみた。中から響く魔導書の声。
「私に何か用かね」
「こういうとき、たいてい口つっこんで来るだろお前。ある人物に対する嬌声が、その人物のポストに向けられている例はいくらでもある。民衆は王に頭を垂れるのではなく王の椅子に頭を垂れるのだ、くらいのこと言うだろ」
「私の弁舌にしては些かエスプリが足りないと言っておこう。もっと豊富なたとえをもって、ウィットで示唆に富んでいなくてはならない。私のエピゴーネンとしては失格だ」
「さいでっか」
つっつくんじゃなかった。
「考え事をしていたのだよ、会長について」
思わぬ返事が返ってきた。考え事、とは今までにない人間らしさだ。
「まさか、お前も惚れたとか?」
「やはりエスプリが足りないな。一度イギリスの田舎で、バーナードショーの遺灰の撒かれた小道の土でも煎じて飲んでくるといい。何故オムツが取れて15年かそこらの小便臭い人間ごときに、私が心を動かされねばならんのかね」
いつものネクロノミコンだった。
杏子の方を振り返ると糸切り鋏をブラウスから抜いたところで、ボタン付けはちょうど終わったらしい。
「早いな」
「ボタン付けるのにそんな手間かかんないわよ」
俺は杏子からブラウスを受け取ると、袖に腕を通してボタンをかけ、スカートのファスナーを下げて、裾を細いウェストに差し込んだ。
「ありがとう、杏子はいいお嫁さんになれるよ」
「ボタン付けくらい自分で出来るようになりなさい。
あんたがいいお嫁さんになれるかは知らないけど」
「ならねーよ」
「会長の様子を見るに、ならんとも限らないようだが」
「他人事みたいに言ってんじゃねーよ」
「実際、他人事だ」
ネクロノミコンと軽口を叩きながら、俺は壁の時計を見た。5時間目が始まるまでまだ時間ある。掃除を抜け出して会長の所に行ってきたので、まだその後の休み時間が残っているのだ。
「また何かやるつもりなの?」
「俺に秘策がある」
俺は鞄に手を入れて、転校生が運命の出会いを引きつける伝統のアイテムを取り出した。
「これをきっかけに24話ぐらいかけて結ばれたカップルは数知れず!」
杏子はソーイングセットに針をしまいながら、ため息をついた。
「あと1週間ないのよ。そんなことやってていいの?」
「1週間ないからこそ、こういうことをやるんだよ。打てる手はすべて打つ!」
俺は焼きたてのパンをくわえて、意気揚々と家庭科室を出た。
昼休みにミルクホールで買ったパンは、まだ芳しい小麦の香りを放ってい
る――。
『運命の出会い作戦!』
私、有村ハルカはどこにでもいる高校2年生。
他の人と違うことといえば、キュートなお尻とたわわに実ったセクシーダイナマイツ、誰もが振り返る美貌に100メートルを9秒で走る驚異的運動神経ぐらいカナ。
そんな私がある日、うっかり落としてしまった1枚のハンカチ。
それを拾ったのは、全生徒の憧れの的である生徒会長で――!?
お嬢様でシンデレラなハートフル百合コメディ爆誕!
「落としたわよ」
靴脱ぎ場で落としたハンカチを、拾ってくれたのは副生徒会長の里奈さまだった。
「あ、ありがとうございます」
後ろ頭をかきながらハンカチを受け取る俺を、里奈さまの隣で冷ややかに見据える会長。
「地面に敷くなら、もっと大きな布にしなさい。靴の泥を落とすのに便利だから」
――わざと落としたのを、きっちり見抜いていらっしゃる。
『親方、空から女の子が! 作戦!』
藤枝宮子はクリスチナ女学園の生徒会長。
生徒たちから愛されつつも、平凡な学生生活を送っていた。
ある日の掃除の時間、宮子いつものように校舎の庭を掃いていると、空から美しい少女が落ちてくるのを目の当たりにする。
危うく抱き留める宮子、目を開く少女。
ふたりの運命が交わったとき、物語は始まる――。
「とうっ!」
栗色セミロングの髪が舞い、スカートのプリーツがはためく。
ミミコちゃんから受け継いだ驚異の肉体は、地上3階の校舎から飛び降りようとビクともしなかった。
俺は手のひらを下に向けたカッコいいポーズで、会長の前にスマートに着地。
膝を落として衝撃を和らげるも、ふたつ併せて2キロを超えるホワイトマシュマロは肋骨を叩いて、ブレザーの襟刳りを飛び出しあごの下まで跳ね上がる。
ブラウスのボタンがバツンと弾け飛んだ。
落下に煽られて、木の葉が舞う。
この季節にしては落ち葉が多いなと思って会長を見ると、その手には竹箒が握られていた。なるほど、会長が俺の足下に落ち葉を集めていらしたわけだ。
会長は金属のように艶やかな髪にまとわりついた落ち葉を払いながら、鋭い切れ長の目で俺を見据えた。
「あなた、いったい何をしているの?」
「ガチャ○ンチャレンジ!」
俺は走ってその場を逃げ出した。
―――――。
「それ、イヤガらせって言うんじゃないの?」
杏子は鞄からソーイングセットを取り出しながら、ため息をついた。
俺は中庭から逃げ出したあと、胸元のボタンが取れたまま教室の拭き掃除しているのを杏子に呼び止められ、すぐ近くにある家庭科室に連れ込まれた。杏子はソーイングセットを持っているけれど、お嬢様は教室で堂々と胸のボタンを付けたりできないのだ。
家庭科室はいつでも鍵が開いていて、生徒が自由に使っても良いことになっている。
とはいっても、理由もなしに溜まり場にしていれば怒られてしまうけれど。
「俺の百合百合どっきりハプニングメソッドは完璧だったはずなのに!」
姉と一緒に考えた極めて高度な電撃作戦だったはずだが、会長にはまったく通用しなかった。ネクロノミコンが俺の鞄の中から、悪魔的美声を響かせて嘲笑う。
「百合百合というよりは、気になる女の子にちょっかいを出す小学生の悪ガキという感じだな。次は蝉でも捕まえて見せに行くかね」
「会長は虫、平気だって言ってただろ。この季節に蝉いねーし」
俺はブレザーを脱いで、背もたれのない椅子に掛けた。
ブラウスのボタンを外そうとすると、杏子に止められた。
「着たままでボタン付けできるから。その代わり『脱いだ』って3回言うのよ」
「なんで」
「服を着たまま針を入れるときはそう言うものなの」
着ている服を縫うのは死人にすることだから、「脱いだ」と口に出して厄を払うのだという。
杏子はこんなふうに、妙に古風なところがある。
俺は言われたとおりに3度唱えると、杏子の顔の前に自分の胸を向けた。
「はい、お願い」
「うっ……」
杏子のくちびるが唾を飲み込むように窄み、その目が見開かれた。
その眼前いっぱいに広がるのは、ブラウスのプリーツをいっぱいに開くふたつの膨らみだ。それは俺も見たことのない風景。
自分のおっぱいを真っ正面から見ることはできないのだ。残念ながら。
杏子はブラウスの開いた前立てに、おそるおそる細い指を入れてめくった。
「あれ、隠しボタンが付いてる。なんで?」
ブラウスの胸元のボタンとボタンの間には、小さなボタンが前立てに隠れるように付けられている。
「なんでって、これがないと隙間からブラ見えちゃうだろ……あ」
しまった。言った直後に失言に気が付いた。
「ごめん、杏子は隠しボタン無くても見えないんだよな。俺の気遣いが足りなかった。傷つけるつもりは無かったんだ。俺は自分の胸が杏子と比べてどうこうなんて話をするつもりはないし、杏子の胸を尊重する意思もある。胸の大きさは個人の自由だから……」
俺が慌てて謝罪の言葉を並べると、杏子は口角を裂けそうなほどにひきつらせた凄い笑顔を浮かべて言った。
「自由じゃ、ないのよ?」
「そうか、そうだな、自由じゃないよな。自由だったら苦労しないよな。自由じゃないけど……そう、個性! 立派な個性だから! 胸がある杏子なんか杏子じゃないって言うか」
「それ以上くだらないこと口走ったらその肉風船、縫い針刺して破裂させるからね」
俺は即座に口を噤んだ。
杏子は針に糸を通して玉結びを作り、ブラウスの前立てを手前にぐっと引っ張ると、そこに裏から針を入れた。作業に集中している杏子の、丸っこい目と明るく上を向いた睫毛が、胸先のすぐそこにある。
とは言ってもその胸が結構なボリュームなので、うちで一緒に寝たときに覗き込んだ顔ほど、近くに来るわけではないけれど。
予備のボタンに糸を通して次は表から針を――とその間に、俺の胸は杏子に引っ張られて上に下にと動き形を変える。
杏子の白い指の、関節が胸に当たってくすぐったい。
険しい表情で眉間にしわを寄せた杏子が、丸い瞳で形を変える胸の先を追いかけた。
――ぐねんぐねん、もよんもよん。
「……揺らさないでよ、縫いにくいでしょ。ほんとに刺しちゃうわよ」
「勝手に揺れるんだよ」
「だあーっ! もう脱げっ!」
「あーれー」
親指にボタンをぱしぱし弾かれて、俺はブラウスを脱がされた。
「杏子が着たままでいいって言ったんじゃん!」
「最初からこうすれば良かった、もう」
杏子が奪い取ったブラウスを膝に抱えてチクチクやってる間に、俺は壁に掛かった円い姿見に自分の姿を映した。
ブラウスのボタンが取れたくらいだから、ブラのホックとかストラップがダメになっているかも知れない。白いキャミソールを捲って確認する。
フロントに小さな黒いリボンの付いた水色のブラは、手のひらでは掴みきれないほどの大きな膨らみを、今日も立派に支えていた。
「さすが9500円のブラだ、3階から落ちても何ともないぜ」
「何やってんのよ……」
頭の後ろと腰に手を当てて鏡を眺める俺に、杏子は後ろから呆れた声で呟いた。
「ハンカチ落とすとか空から降ってくるとか、そういう運命の出会いみたいなのは、会長には通用しないんじゃないの? っていうか出会いも何も、しっかり顔つき合わせて話したんでしょう、2回も」
その通りだ。
1度目は生徒会室で不作法と下心をズバズバ指摘され、2度目は会長の住む薫風寮の部屋で蝉扱いされてからかわれた挙げ句、男に戻ってしまい逃亡。それ以降は前述のヒット&ラン戦法で、まともに会話したとは言い難い。
「予想はしてたけど、難しい相手よ会長は。寮から出たときはその、
いろいろありすぎて話すの忘れてたけど……」
「いろいろありすぎたよな……」
これからの人生で、あれ以上いろいろあることはないだろう。
この指にまだ残るソーセージが震える感覚を、俺は賢明に意識の外へと追いやった。杏子も脳裏に巡る何かと戦っている様子で、一心不乱にブラウスに針を通している。しばらく手元を動かしている内に心が安らいできたようで、その口を開いた。
「まあとにかく、寮の談話室で話を聞いてきたのよ。会長の人気、すごいみたい。1年生のときからファンクラブみたいのものはあったらしいんだけど、それが生徒会長になってからは雨後の筍状態で、ファンはまずどのファンクラブに入るかで悩むんだって。それぞれ特典があって、会長のポートレートが貰えるとか、会長と親しい人から最新情報がもらえるとか」
「直接本人に会いに行けばいいと思うんだけど」
ファンクラブなぞに入らずとも、同じ学園の生徒なのだから、お近づきになる手段はいくらでもあるはずだ。俺が試みているように。俺が尋ねると、杏子は手元を動かしながら答えた。
「ファンでいたいっていうのと、実際に友達になりたいっていうのは別の心理なのよきっと。それに会長って、けっこうその、キツいとこあるでしょう? 繊細な女の子が懐に飛び込んで行くにはハードル高すぎるんだわ。近くにいるだけで、体調崩しちゃう子もいるらしいし。これ最近の話らしいんだけど、寮のお風呂で会長の近くにいた子が倒れちゃったんだって。それもひとりじゃないとか」
「……もうそれ人気とかじゃないだろ」
聞けば聞くほどすさまじい人みたいだ。だから会長はあんな早い時間に風呂に入ってたのか。
「でも、最近の話ってことは、それまでそんなことなかったってことだろ。
なんでそんないきなり人気が出たんだろ」
「なんでって、生徒会長になったから?」
「それは順番がおかしいだろ。クリスチナ女学園じゃ、
人気者が生徒会長になるんだろ」
「それはそうだけど……」
「……………」
俺は自分の鞄をつっついてみた。中から響く魔導書の声。
「私に何か用かね」
「こういうとき、たいてい口つっこんで来るだろお前。ある人物に対する嬌声が、その人物のポストに向けられている例はいくらでもある。民衆は王に頭を垂れるのではなく王の椅子に頭を垂れるのだ、くらいのこと言うだろ」
「私の弁舌にしては些かエスプリが足りないと言っておこう。もっと豊富なたとえをもって、ウィットで示唆に富んでいなくてはならない。私のエピゴーネンとしては失格だ」
「さいでっか」
つっつくんじゃなかった。
「考え事をしていたのだよ、会長について」
思わぬ返事が返ってきた。考え事、とは今までにない人間らしさだ。
「まさか、お前も惚れたとか?」
「やはりエスプリが足りないな。一度イギリスの田舎で、バーナードショーの遺灰の撒かれた小道の土でも煎じて飲んでくるといい。何故オムツが取れて15年かそこらの小便臭い人間ごときに、私が心を動かされねばならんのかね」
いつものネクロノミコンだった。
杏子の方を振り返ると糸切り鋏をブラウスから抜いたところで、ボタン付けはちょうど終わったらしい。
「早いな」
「ボタン付けるのにそんな手間かかんないわよ」
俺は杏子からブラウスを受け取ると、袖に腕を通してボタンをかけ、スカートのファスナーを下げて、裾を細いウェストに差し込んだ。
「ありがとう、杏子はいいお嫁さんになれるよ」
「ボタン付けくらい自分で出来るようになりなさい。
あんたがいいお嫁さんになれるかは知らないけど」
「ならねーよ」
「会長の様子を見るに、ならんとも限らないようだが」
「他人事みたいに言ってんじゃねーよ」
「実際、他人事だ」
ネクロノミコンと軽口を叩きながら、俺は壁の時計を見た。5時間目が始まるまでまだ時間ある。掃除を抜け出して会長の所に行ってきたので、まだその後の休み時間が残っているのだ。
「また何かやるつもりなの?」
「俺に秘策がある」
俺は鞄に手を入れて、転校生が運命の出会いを引きつける伝統のアイテムを取り出した。
「これをきっかけに24話ぐらいかけて結ばれたカップルは数知れず!」
杏子はソーイングセットに針をしまいながら、ため息をついた。
「あと1週間ないのよ。そんなことやってていいの?」
「1週間ないからこそ、こういうことをやるんだよ。打てる手はすべて打つ!」
俺は焼きたてのパンをくわえて、意気揚々と家庭科室を出た。
昼休みにミルクホールで買ったパンは、まだ芳しい小麦の香りを放ってい
る――。
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