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第4章

48.実験場 (3)

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 セシルは上へ向かう階段を一気に最上階まで上ろうとしたが、階段は1フロア上で途切れていた。そして上りきった先の左の壁には扉がある。
 下から昇ってきた階段は不自然に長かった。部屋の天井の高さを考えると階段を2フロア分くらいは上っている。

「ここで階段が終わりってことはこの部屋に入るしかないってことだよね。」

 セシルは覚悟を決めて扉を開ける。

―――ガチャリ

 扉を開けるとそこは鎧の部屋と同じような作りの部屋だった。

「……ケント?」

 部屋の中央に見慣れた仲間の姿がある。部屋の中央で、ケントはこちらへ背中を向けて立っており、セシルの声を聞いてこちらに振り返るとにっこり笑って口を開く。

「セシル。待ってたぞ。」

「よかった! 無事だったんだね。」

 ケントに合流できてよかった。セシルは彼に駆け寄りしがみつく。すると彼はそんなセシルの背中に腕を回し優しく話す。

「当り前じゃねえか。お前こそ大丈夫だったか?」

「うん、大丈夫だよ。ケントがいなくなってどうしようかと思った。」

「そうか。もう大丈夫だ。俺もセシルがいなくて寂しかったよ。」

―――ドクン。

「そういえばケントは元の世界に帰りたいんだよね?」

「元の世界……? いや、セシルのいない世界なんて考えられないなぁ。」

―――ドクン。

 セシルはゆっくりとケントから体を離す。そして少しずつ後ずさる。

「……あんた、誰?」

 見た目はもちろん、声も匂いもケントだ。体温もある。だけど最初から少しだけ感じていた違和感が大きくなる。
 彼はセシルのことを大事にしてくれているが、元の世界に帰りたがっていた。冗談でもこんなことを簡単に言うのは変だ。
 もしかして操られている……?

「おいおい、セシル。どうしたんだよ。お前と一緒にいたいっていうのが変か?」

 ケントが照れもせずにこんなことを言うのはおかしい。近寄ったらダメだと本能が警告する。
 彼がセシルに歩み寄る。セシルはまた数歩下がる。

「しょうがねえなぁ。セシルは俺のことが好きなんだろう? お前の望みを叶えてやるよ。こっちへ来な。」

 ケントが手招く。確定だ。こいつはケントじゃない。だがただ操られているかもしれないという疑念が残る。
 これで確かめられるかもしれない。しばらく考えセシルは左手を彼に向かってかざす。

「『睡眠スリープ』。」

 眠りへ誘う霧が彼に纏わりつく。するとその中から自身に纏わりつく霧を片手でうっとおしそうに払いながらこちらへ歩みを進めてくる。

「いきなり仲間にこういうことをするなんて酷いねえ。」

 歩いてくるケントはいつの間にか背中の大剣を抜いて片手で持っている。魔法が効かない。やはり彼は操られているだけなのか。

「『火球ファイアボール』。」

 炎の塊も彼の傍ですっと消える。セシルは頭が混乱する。『こいつはケントじゃない。』『ケントが操られているだけかもしれない。』そんな迷いがセシルの心に生じる。

「仲良くやろうぜっ!」

 ケントが床を蹴りこちらへ突進してくる。頭上から振り下ろされるであろう大剣の動きを予測し、セシルが彼の右側へ飛び退く。
 すると彼は振り下ろした大剣をそのまま床からセシルの方へ斜めに振り返してきた。

「っ!」

 セシルは身を屈めてかろうじてそれを躱す。後ろで結った髪が少し切れてしまったようだ。はらはらと舞い落ちる髪が黒から銀に変わる。
 そのままセシルは後ろへ飛び退きケントから距離を取る。

 セシルとケントの戦闘の相性は最悪だ。力では身体強化ブーストを使っても恐らく彼には叶わない。スピードももしかしたら彼のほうが上かもしれない。セシルの切り札は魔法と精霊術。それが彼には効かない。
 打ち合いにだけは持ち込まないようにしなくては。セシルは次々に繰り出される彼の剣戟を躱す。

「逃げてばっかりじゃねえか、セシル!」

 ケントはそう言って一瞬でセシルの間合いに入る。予想外のスピードだった。どうやら今まで本気を出していなかったらしい。やばい!
 そう思った瞬間彼が大剣を振り降ろす。

―――ガキーン!

 セシルはかろうじてそれをショートソードの剣身で受ける。すごい力だ……。じりじりと後ろに押される。壁に着いたら終わりだ。
 すると彼はセシルへ覆いかぶさるように力の方向をやや下向きに変える。

「くっ……!」

「可愛いなあ、セシルは。」

 セシルは渾身の力を込めて右足をケントの胴へ繰り出す。
 不意の蹴りに一瞬後ろへよろめくケント。その隙にセシルは距離を取ろうと後ろへ飛び退く。だが彼が姿勢を持ちなおすのは案外早かった。

「かはっ!」

 ケントが両手から右手に持ち直したためにわずかに伸びたリーチで大剣の切っ先による突きを肩に受けてしまう。痛みを堪えそのままさらに後方へ飛び退く。
 肩から血を流しながら思考を巡らせる。一体どうすればいいんだろう。このまま戦いを続ければじり貧だ。徐々に彼に追い詰められている。魔法の効かない相手がこんなに手ごわいなんて。

 彼に魔法は直接は効かない。でも部屋の環境には影響を与えられる。
 ケントがケントじゃないという確信が欲しい。そうすれば遠慮せずにこの部屋を地獄にできる。

「はあ、はあ。……サラ、いる?」

 セシルは火の精霊サラを呼び出す。

『おう、久しぶりだなぁ。セシル。』

「久しぶり。ねえ、あれはケントだと思う?」

『あいつはセシルの仲間じゃないぜ。そもそも人間ですらない。』

「なんで分かるの?」

『俺たち精霊は対象を魂の形で見てるから分かるんだ。あれはケントってやつの魂じゃない。』

「そう……じゃあ遠慮はいらないね。『炎の壁ファイアウォール』。」

 サラがその姿を炎そのものに変え部屋全体を囲むように走る。その軌道上に天井まで届く炎の壁が現れる。そしてとうとう部屋の壁ぎりぎりまで囲む炎の壁が出来上がる。当然セシルもその中だ。
 セシルは自分を中心に防御結界シールドプロテクトを張る。そして肩の傷を生命力回復ヒールで治癒する。

「俺に魔法は効かないって知ってるだろ?」

 偽ケントがそう言いながらずりずりと右手で大剣を引きずって近づいてくる。もう少し時間を稼げれば活路は開ける。

「知ってる。でもあんたはケントじゃない。」

 セシルはそう話しながら偽ケントとの距離を保つ。そろそろ後ろの壁が近い。回り込まなければ。そう思ってセシルが少し右寄りに下がるやいなや、彼はニヤリと笑い再び突進してくる。セシルは二重に防御結界シールドプロテクトを張る。彼の攻撃が結界に弾かれる。

「くそっ! ……はあ、はあ。」

 膝をついたのは偽ケントだった。どうやらようやく環境が整ってきたようだ。セシルは再び自分に結界を重ねる。サラのファイアウォールの温度は普通の炎よりも高い。部屋の温度は今や200度は超えているはずだ。
 偽ケントが息切れを起こし四つん這いになる。室内の温度が高くなっただけではなく、燃え草がないので一酸化炭素は発生しないだろうが室内の酸素がかなり少なくなっているはず。
 セシルの結界の中は空気も温度も正常のままだ。破られたら危ないが。

「セシル……。やめてくれ、俺はお前のことが……。」

 ケントの声でそんなことを言わないでほしい。たとえ偽物だと分かっていてもつらくなる。
 セシルは偽ケントと対峙しながら徐々に自分がケントに抱いている感情を自覚していた。

「煩い。ケントの姿を使ってわたしを騙そうとしたことは絶対に許せない。」

 そうは言いながらも偽物とは言え炎の中でケントが苦しんでいる姿を見るのはつらい。だが目を逸らせばいつ反撃されるか分からない。

「かはっ、はっ、はっ。」

 偽ケントは喉を掻き毟りながら苦しそうに酸素を求めて顎を上げる。人間じゃないなら変身を解けばいいのに自分の意志で解くことができないのか。

 セシルは不意に精霊術を解く。そして窓のガラスを割り外の空気を取り込む。偽物だと分かっていてもこれ以上ケントが苦しむ姿を見ていられなかった。それに彼にはもう反撃するほどの力も残っていなさそうだ。

「なぜ攻撃をやめる……。」

 偽ケントが膝をついたままこちらを睨む。もう満身創痍で彼から殺気は感じられない。

「もうあんたは戦えないと思ったし、何よりケントが苦しんでる姿を見たくなかったから……。」

「はっ、甘いな……。」

 もはや武器を取る気もないらしい。大剣は彼の傍に放置されたままになっている。

「ねえ、あんたは何者なの? 人間じゃないの?」

「……。」

 彼は黙り込んで一点を見つめている。

「言いたくなかったらいいよ。でもこの先ってどうやって進んだらいいんだろう。上に行く階段もないみたいだし……。」

 セシルがそう呟くと、偽ケントは部屋の中央へ行って床に両手をかざす。
 するとそこに光る魔法陣が現れる

「もしかして、これ転移魔法陣!?」

 偽ケントは何も答えない。そしてこちらを見ずに早く行けと言うように手をひらひらと振る。

「ありがとう。それじゃ、行くね。」

 これが上に通じてるという保証もないが、どうせ上へ行く手段はないのだ。先へ進むしかない。セシルは何の躊躇いもなくその魔法陣へ足を踏み出した。



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